ウイニー王国のワガママ姫

みすみ蓮華

たったひとつの奇跡 3【フィオ編】

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 いつもの要領で催眠に入るとグニャリと視界が歪み、普段とは違う奇妙な感覚に襲われる。
 誰かに胸を強く押され何処かへ追い出された様なそんな感覚だ。
 瞬きを何度かすると、不意に誰かが呼ぶ声が近くで聞こえてきた。


『……様』
 水の中から聞こえてくるような濁った声に首を振る。
 頭がボーッとするのを押さえて何度か首を振っていると、その声がハッキリと聞こえてきた。


「フィオディール様?」
「…!」
 声のした方向を見れば赤毛の貴婦人が心配そうに僕を見上げていた。


(彼女は…アベルさんの……?)


 ハッとして周りを見渡せばダンスを楽しむ人々の姿。
 姿は皆思い思いに仮面つけていたり奇妙な格好をしている。


「大丈夫ですか?人が多いですし具合でも悪くなりましたか?」
 赤毛の女性。コルネリアさんに言われ、僕は「いいえ、大丈夫です」と返事を返した。


(過去へ…ここはもしかして…)


 ホールを見渡せば、奥でレティとアベルさんが楽しそうに踊っている姿が目に入って思わず息を飲み込んだ。


(間違いない!あの時の仮装舞踏会だ!!)


 クルクルと舞うレティの姿に目が釘付けになる。夢を辿って辿り着いたこの場所はまるで今本当に起こっているかの様に現実味がある。
 先程までベッドで横たわっていたレティがとても楽しそうに笑っている姿に思わず胸を押さえた。


「あんなに楽しそうに…」
 この先起こる事を思えばこのまま時が止まってしまえば良いのにと思わずにはいられなかった。
 目頭が熱くなるのを堪えていると、何も知らないコルネリアさんがクスリと笑う声が耳に入った。
「本当に楽しそうですね。私も少し妬けてしまいます」


 コルネリアさんの言葉に涙を堪えながら、この日は凄く幸せだったと思い返す。
 一言も発しない僕に対して嫌な顔ひとつせずに何かと気を使ってくれていたレティ。そしてこの後…


「あ、戻って来るみたいですよ」
 コルネリアさんが嬉しそうに手を振りながらアベルさんとレティを出迎える。
 笑顔でこちらに駆け寄ってくるレティを見て現実である事を確かめるように彼女に手を伸ばし、力強く彼女の手を握りしめた。


「えっ?どうかしたの?」
 僕の行動に驚いてレティは声を上げる。
 すると隣にいたコルネリアさんがクスリと笑ってレティに言った。


「一緒にダンスを踊りたかったそうですよ」
「うーん。でも貴方踊れないのよね?初めてでワルツは無理だと思うわ。皆簡単に三拍子を踏んでるように見えるけど、規則正しい三拍子に見えて実はそうじゃないし、人にぶつからないようにああやって大きく左回りに周回しないといけないの。途中でもたついてたら他の人の迷惑になってしまうし…困ったわね」
「レティ…多分彼はワルツを踊りたいんじゃなくて、レティと並んで踊りたいんだと思うよ」


 アベルさんは呆れた顔でレティに言う。するとやはりあの時と同じようにレティは訝しげにアベルさんに言った。
「んん?言っている意味が良く解らないわ。それは結局ワルツを踊りたいのよね?」


(何度繰り返しても君は同じ事を言うんでしょうね)


 苦笑混じりに肩を落とすと、レティが眉間にシワを寄せて悩み始める。
 やはりあの時のままアベルさんが僕の肩を叩くと溜息交じりに僕に言った。
「こんな妹ですが、よろしく頼みます。レティ、あまり遅くならないようにね」
「もう!お兄様ったら、ワタクシもう小さな子供じゃありませんわ!」


 クスクスと笑いながらアベルさんは手を振ってその場を離れる。
 チョットだけムッとした顔のレティが、僕を思い出したかのように見上げてまた何か考え始めてしまう。


 彼女のちょっとした表情の一つ一つが愛おしいとまた胸を締め付ける。
 あの時も何度仮面が邪魔だと思った事か。その頬に触れてその柔らかい感触を確かめたいと……


「あ、そうだわ!」
 無意識に伸ばしかけた僕の手を拒むかの様に唐突にレティは声を上げる。
 そして僕の手を嬉しそうに握り締めると会場を出て客間の一室へと僕を連れ込んだ。


(そうだ。この部屋で2人で踊ったんだ…)


 熱くなる胸を気どられない様にレティを見つめていると、彼女は微笑みながら優しく僕を見つめ返して僕の手を取る。
「ステップを教える事は出来ないけど、ここなら誰も来ないと思うし適当に踊っても笑ったりする人は居ないわ」


 あの時と同じ様にレティは丁寧に僕を誘導してくれる。
 なんて幸せなんだろうと、あの時以上に熱いものがこみ上げてくる。
 このまま時が止まってくれればレティはずっと笑っていてくれるのに。苦しい思いも辛い思いもさせずに済むのに。


「…みません」
「えっ?」


 楽しげに踊っていた歩みを止めて小さくポツリと呟いた。
 驚いた顔で見上げる彼女を耐えられなくなって抱き締めた。


「あの、どうしたの?難しかったかしら?」
 彼女の問いに小さく首を振って答える。震える声を絞り出すように僕はレティに話し掛けた。
「すみません…暫く、こうしていて貰えませんか?」
 仮面の下で伝う涙を拭いきれず、ポタポタと仮面の中で水が滴るような音が小さく響く。
「泣いてるの?…何か悲しい事があったの?」


 心配そうに声を掛けてくるレティは、そっと僕の背中に手を回して優しく撫でてくれる。
 彼女の問いに答えずに黙ったまま抱き締める力を強めると、彼女はそれ以上は何も追及せずに慰める様に僕に言った。


「大丈夫よ。悲しい事があっても後で嬉しい事がきっといっぱい待ってるわ。だって貴方は凄く優しい人だもの」


 驚いて彼女から離れ、顔を見ればにっこりと微笑んで僕の仮面をそっと撫でてきた。
「嬉しい事が…」
「ええ、悲しい事も嬉しい事も平等なのよ。悲しかったら悲しかった分きっと嬉しい事も返ってくるわ。だって私がそうだもの!」
 ふふふとレティは照れ臭そうに笑う。


「貴女は今幸せですか?」
 僕が問えばレティはびっくりした後、少し困った様に肩を竦める。
「どう…かしら?今は心配事が沢山あるの。きっと大丈夫って思うけど。不安で不安で仕方ないの。でもね、悩んで悩んできっとやっぱり大丈夫ってまた思うのよ。それに悩み事があっても1人じゃないもの。…そうね、だから私は幸せなんだわ」


 満面の笑みを浮かべる彼女の仮面に手を掛ける。
 仮面を取れば驚いた顔のレティが僕を見上げていた。


「綺麗な人…貴女の名前を教えてもらえませんか?」
 僕の問いに真っ赤になってレティは狼狽えると、俯きがちに答えてくれた。


「レティアーナ…レティアーナ・アサル・ビセットよ」
 僕の知らなかった名前。アサル。それがレティの真名なのか。
「アサル…」
 口にすれば胸の奥で不思議と暖かい鼓動を感じた。呼ばれてレティは頬を染めたまま顔を上げると戸惑いながら僕を見つめて聞いてきた。


「あの、貴方は誰なの?その声…私の知ってる人にとても似ている気がするの……」
 今にも泣き出しそうな顔のレティに答える間も無く全身が浮遊感に包まれる。
 仮面をつけた僕の身体から引き剥がされる感覚に現へと引き戻されると判り僕は焦りを感じる。
 そして僕は最後の願いを込めてレティに懸命に話し掛けた。


「レティ!待ってて下さい!僕は必ず貴方を助けますから!!」

 …
 ……て、でぃ…?』


 叫んだ僕の声は届かずに、仮面の僕へと手を伸ばしたレティの姿が眼下に歪みやがて霧の中に溶けて行った。


 レティから受け取った胸の奥にある小さな鼓動を確かめながら僕はそっと目を覚ます。
 顔を上げ、ベッドで眠るレティの頬へと手を伸ばし、冷たい彼女の両頬を押さえると先程受け取ったばかりの小さな鼓動を大事に、壊してしまわない様にと彼女に還した。


「戻ってきて下さい。ーー"アサル"」
 僕の口から小さな暖かい光が零れ落ちる。微かな光はレティの額へと落ちてやがて全身へと広がっていった。

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