ウイニー王国のワガママ姫

みすみ蓮華

Coffee Break : 辺境伯

 リヴェル侯は一人城壁の上でトップルの入ったグラスを片手に、
 遠い昔の事を思い出していた。


 先日の慌ただしい決闘で、娘を嫁に出すことになり、
 あの日の事を、思い出さずにはいられなかったのだ。


「よりによって……」
 と侯爵は肩をガックリ落とし、城壁にもたれかかる。
 娘も年頃だから、そろそろ何処かに…とは常々思っていたことだった。


 しかしそれがまさかあの、
 ビセット公爵の息子に持って行かれるとは、露程にも思っていなかったのだ。


 初恋の君にして婚約者であったソフィア姫の息子と思えば、
 いささか救われた気はするが、如何せん、その容姿が父親にそっくりなのだ。
 2度も取られた。という気にならない方が不思議というもの。




 ーーあの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。




 侯爵がまだ若く、侯爵の父が存命だった頃、
 前王陛下直々に呼び出しがかかった事があった。


「実は折り入って頼みがある。余の娘ソフィアにダールを案内して欲しい」
 その言葉が意味する所は、誰が聞いても解る事だった。


 当時はまだ、ダールは不安定な状態で、ベルンとも繋がりが強かった。
 そんな中で下された"王の頼み"だ。
 当人達の気持ちは他所に、あれよあれよと、
 婚約はとんとん拍子に決まって行ったのだった。


 しかし、当時は侯爵も勿論、
 ソフィア姫もいずれそうなるのだろうと予想はしていたし、
 お互い何処かしら惹かれるものはあったんだと自覚していた。


 ところが、そんな関係が一気に覆される出来事が起こってしまった。
 当時、北西のフォールズ地方の一貴族でしかなかったビセット公が、
 当時まだ皇太子であった現王陛下主催の舞踏会に颯爽と現れ、
 姫の心を奪ってしまったのだ。
 侯爵も、騎士団の管理や、父の補佐などで忙しかった事もあって、
 2人が頻繁にあって居たことに全く気がつかなかったのだ。


 そして結婚式の当日である。
 王都の教会で行われるはずだった挙式で、花嫁がすり替わっていたのである。


 現王が手引きし、2人は駆け落ち。
 しかし、体面を保つという名目で、侯爵の隣に立っていたのはーー




「あら、やぁねぇ〜。居ないと思ったらこんな所で、暑い季節とはいえ風邪を引きますよ」
 物思いに耽っていた侯爵の後ろから、毛布を抱えた婦人が現れた。


 淡いピンク色の髪が夜風に揺れて、柔らかな香水の匂いが侯爵の鼻を掠めた。
 侯爵が振り返ると、女性はふわりと侯爵の肩に毛布をかけた。
 彼女こそがソフィア姫の替え玉であり、最愛の妻となったマリアンだ。


 ぽんぽんと、マリアンは侯爵の広い背中を叩く。


「また一人で思いつめてたんでしょう?あなたはホント昔から変わらないわね」
 仕方ないわね。と、その穏やかな顔に似合わない、
 快活な態度で腰に手を当て、夫を見上げた。


 あの頃の彼女は今と違い、
 侯爵は彼女に見た目通りの引っ込み思案な印象を持っていた。
 いつもソフィア姫の後ろに隠れ、
 侯爵に会うと真っ赤な顔をして小さな声で挨拶をしていたのだ。


「お前は、昔と比べてかなり変わった」
 憮然に侯爵は妻を見ながら言う。
 まぁ!とマリアンは驚いたとでも言うように、声を上げる。


「私は何も変わっていませんよ。昔からこんな感じです」
「嘘を付くな。いつもソフィア姫の後ろに隠れてくっ付いて、2人っきりになりたいと思う私の邪魔をしてたじゃないか」
 さも恨めしそうに侯爵は妻を見る。


 マリアンは侯爵からグラスを取り上げると、
 キュッと一口だけトップルを口に運んだ。
「あら、そんな事!好きな人の前で緊張するのは当たり前じゃないですか。それに邪魔をしていたんじゃなくて、あなたの顔が見たかったんです」


 何でもないようにさらっとマリアンは侯爵に告げる。
 トップルを飲んだ所為か、
 侯爵が驚いた顔でマリアンを覗くと、ほんのり頬が朱に染まっていた。


 侯爵は小さくコホンと咳払いをすると、妻の肩を抱き寄せた。
 マリアンは侯爵にそのままもたれかかり、星を眺めながら呟く。


「娘が居なくなっても、私がいるじゃないですか。私があなたを1人にしません」
 侯爵の手に力が入る。
 それは、あの時言われた言葉と同じだった。






 教会の扉が開き、皇太子殿下のエスコートで現れた花嫁に、
 違和感を感じた人々がざわめき始める。


 何事かと振り返ると、ベールの下から、
 ソフィア姫の見事な蜂蜜色のそれとは異なる、ピンク色の金糸が見えた。


「殿下!これは一体どういうことです!?」
 花婿の驚いた声が、会場に響き渡った。
「すまん。妹はやれん。訳は聞くな」
 王子は侯爵から、目を背けるように頭を下げた。


「やれないって…訳は聞くなって…納得できません!この婚儀は陛下のー」
「解っている!しかし、私も妹が可愛い!妹に想う人がいるならば……本当にすまん!!」
 花婿はようやく、その一言で花嫁に逃げられたのだと理解した。


 愕然とする花婿と、
 頭を深々と下げる王子に、息子を責める国王の怒号が響き渡る。
 会場は騒然とし、式の続行は誰が見ても不可能だった。


 誰もが混乱している中、青白い顔で拳を握る花婿の手に、
 そっと手を添える人物がいた。
 ハッとしてそちらを見ると、真っ直ぐに花婿を見上げる偽りの花嫁が居た。


「クリス……私、……私では駄目ですか?ソフィーには…劣るかもしれませんが、私は、決してクリスを1人になんてしませんから」


 ベールの下から、熱のこもった瞳で花婿を見上げる彼女の瞳には、
 今にもこぼれ落ちそうな涙が溜まっていた。
 花婿に添えられた手は熱く、小さく震えている。


「マリアン…君は……」
 花婿は、その時初めて彼女の気持ちに気が付いたのだった。






 侯爵は妻の肩をさすりながら、再びコホンと小さく咳払いすると、
 明後日の方向を見やり、居心地が悪そうにソワソワと落ち着きをなくしてしまった。


「その、なんだ、お前まで居なくなったら、私は、腑抜けになるぞ」
「だから1人にしませんって。息子をちゃんと跡取りとして育て上げる迄は、腑抜けになられては困ります」


 クスクスと笑う妻のあどけない笑みを見て、
 侯爵はバツが悪そうに、彼女の唇にキスを落とした。


「…もう1人ぐらい娘がいてもいい」
 と、侯爵はやはり憮然とした態度でボソリと呟いた。
「若くないんですから勘弁してください」とマリアンは笑う。




 ーー侯爵が誰にも言えない秘密。
 それはあの時の、彼女の勇気に、あっという間に虜になってしまったという事だった。

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