デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

渦巻く疑念 1

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「ーール、トル!」


 頬を叩く衝撃と、聞き慣れたハスキーな彼女の声を耳にして、トルドヴィンは朦朧とした意識を取り戻す。
 ボヤけた焦点を何とか合わせようと瞬きをすると、ホッとした顔のギリファンの輪郭がハッキリと見える様になってくる。


「ファー……?」
 状況が掴めず、青色の瞳をウロウロと動かしていると、ギリファンの隣で同じ様にホッとした様子で肩を下ろしたメルの姿も目に入って来た。


「良かった…気がついたんですね」
「メル……?ッハ!君達無事なのかい?!ファー。怪我はしてないかい?どこか体調に変化は?!」


 トルドヴィンは完全に意識を取り戻し、自分達の身に起こった事はを思い出すと、慌てて身体を起こしてギリファンの両腕をガッチリと掴んだ。
 夢ではないだろうかと、目の前にいるギリファンが本物である事を確認でもするかの様に、上から下へと何度も視線を往復させるその姿に、ギリファンは目を白黒とさせた。


「あ、あぁ。魔法の唱え過ぎで疲れてはいるが、私もメルもなんともない。お前こそ大丈夫か?……ってトル?!」


 気遣わし気に声を掛けたギリファンを、ホッとした様子でトルドヴィンは抱き寄せる。
 ギリファンが驚きの声を上げるのも構わずに、力一杯抱き締めると、縋る様に項垂れて、トルドヴィンは深く息を吐き出した。


「……かった。本当に良かった……君が消えた時、心臓が止まるかと……ごめん、ファー、結局私はまた君を護る事が出来なかった。ごめん……」
「トル……気にするな。あれは私から突っ込んだんだし、どうしようも無いだろう?せめてお前達だけでもと思ったんだけどな。まぁ、ここに居ないとなると、ライムは無事みたいだし、それだけでも良しとしなければな」


 トルドヴィンの大きな背に手を回し、慰める様にぽんぽんと背を叩きながらギリファンが言えば、トルドヴィンはピクリとその身を硬くする。


「トル?どうかしたのか?まさか……ライムの身に何かあったのか?」
 幼馴染の微妙な変化を感じ取ったギリファンが不安げに耳元で呟いて、トルドヴィンは逡巡する。


 最後に見たあの異様な光景と、ライマールが放った言葉、それに何よりメルと自分の背中を押したあの手は間違いなくライマールのものだったと確信する。


 目的はまるで解らないが、間違いなく言えるのは家臣である自分達を切り捨てたのは間違いない。
 チラリと横目でメルを見れば、かなり落ち込んだ様子で首を落としていた。


「……何も無いよ。殿下は無事な筈だ」


 長年連れ添って、弟の様に可愛がって来た王子に裏切られたと知れば、メル同様に落ち込むだろう。トルドヴィンはあえて事実を隠して答える。
 自分ですらあの王子に裏切られたとは思いたくもなかったが、今までの行動から信じられると断言できる程の信頼も無く、ただ疑惑ばかりが胸の中にもやもやと広がっていた。


「それより、ここは一体何処なんだ……」
 何とか気持ちを切り替えようとトルドヴィンは首を微かに振って、辺りを見渡す。


 まだ夜中の所為か、それとも魔物の体内に取り込まれた所為か、ギリファンかメルが魔法で出したであろう光の玉が灯っている場所以外は、地平線はおろかすぐ目の前の地面すらも見えない程の闇が広がっていた。
 辺りに耳を澄ませれば、大地を駆け抜ける風の音と、魔法が断続的に発動している様なブォンブォンという不規則な音が聞こえてくる。
 光に照らされた足元を見る限り、石ころや土らしきものを認識する事が出来、一応魔物の体内という感じはしなかった。


 更にクルリと一周見渡して、トルドヴィンはギョッとする。
 自分が今まで見ていた方角とは反対側に、いつから居たのか、複数の明かりの下に、見覚えのある兵士や魔術師達が身を寄せ合って地べたに座り込んで居た。中にはまだ意識を失っている人間もちらほら見えた。


「これは一体……まさか……あっちの舞台は全部やられてしまったのか?!殿下は……クロドゥルフ殿下はご無事かっ?!」
「いえ、ここにクロドゥルフ様は居ないみたいです。騎士団の人達も魔術師も目に見える範囲にしか居ませんし、ライマール様が言ってた32名の被害者って彼らの事じゃないかと……」


 メルに言われて辺りをよく見れば、なるほど、確かに全ての兵士魔術師が居るにしては人数が極端に少ない。
 倒れているものの中には第二隊のデーゲン・オ・ガ・ジャミルの姿もあった。


「私がここに来る前に何名か既にこの場に居た。今全員起こして人数を確認している所だが、ざっと見た感じ、ライムが言ってた人数で間違いなさそうだな。とはいえ、ここが何処か判らん以上どうしたものか……」


 いつまたあの魔物が現れるか解らない以上、出来うる限り早くこの場を立ち去った方が懸命ではある。
 しかし進もうにもどちらへ進むのが正しいのか解らない上に、ここがあの魔物の体内の中である可能性もなきにしも非ずなのだ。


「やはり、ライムが無事なら一箇所に固まって救援を待つのが得策……か。気を失っていたとはいえ、疲れもまだ取れないしな」
「「……」」


 本当の事を言うべきか否か、トルドヴィンとメルは難しい顔で互いに顔を見合わせる。
 今後の事を思えば対策を練るにしてもずっと黙って居るわけにもいかないのかもしれないと、トルドヴィンが躊躇いがちに口を開き掛けたその時、目の前に一陣の風が渦を巻いて現れる。


 起きて居た者は立ち上がり、剣や杖、両手を構えて警戒を露わにする。
 トルドヴィンもギリファンやメルを護る様に剣を構え、風の中に現れた人影をキッと睨みつけた。


 やがてそこから、闇に溶ける様なローブと、闇を照らす様に輝く、金色の目を携えたライマールが姿を現す。
 兵士や魔術師はライマールを見た途端ホッとして警戒を解いたが、トルドヴィンは険しい顔のまま、益々剣を握る手に力を込めた。


「全員揃ってるな。起きてない者は放っておけ。雑魚寝になるが朝まで寝てろ」
「ら、ライマール様……?ボ、ボク達をこれからどうするつもりなんですか?!何かボク、ライマール様に恨まれる様な事しましたか?ッハ!まさかこれはライマール様の新しい魔術の実験とかだったりするんですか?!ダメですよ!人を巻き込んであまつさえ得体の知れない魔物を使うとか!!折角妙な噂もなくなってきてたのに、なんでこんな事するんですか?!」
「メル?落ち着け。いくらライムでもそんな事するわけ無いだろうが。お前が誤解を招くことを言ってどうする」


 あの魔物と暗闇に長時間さらされた所為で気が病んでしまったか?とギリファンが心配して弟を宥めていると、目の前でギリファン達を庇う様に佇んでいたトルドヴィンも、ライマールを睨みつけたまま悔しげに吐き捨てた。


「ファー、誤解も何も、君が消えた後私達は殿下に背中を押されて魔物に取り込まれたんだ。あの魔物に対して殿下は戦闘意思を示されなかった。しかも魔物は殿下を攻撃しようともしなかった。そしてこうやって自らの意思でこの場に現れた状況を考えれば、私だって何かあるのではと疑わずにはいられない」
「なんだって……?ライム、本当、なのか?」


 トルドヴィンの説明に、その話を聞いていた兵士や魔術師達がサッと顔色を変え身構える。
 ギリファンもまさかと信じられない様子でライマールを見上げ、半信半疑に問いかけた。


 するとライマールは瞳の色を戻して、紫色の瞳をゆらゆらと揺らめかせる。
 今にも泣き出しそうなその顔は、トルドヴィンやメルの言葉に至極傷ついたといいたげに口を曲げていた。



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