デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

ミイラ取りとミイラ

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 アディは宣言通り毎日ベルンハルトの元を訪れ、店じまいギリギリまで客引きと店番をしてケット・シーが亡くなった悲しみが嘘の様に動き回った。
 もっとも、ふとした瞬間に寂しげな表情を見せる事から、そう簡単に心に出来た隙間が埋まっているわけではないと、乙女心の機微に疎いベルンハルトの目から見ても明らかだった。


 初めはアディが客引きを行ったり店先に立つ事に迷いがあったものの、何かから逃げる様に我武者羅に働くアディの姿を見て、少しでも気が紛れるのであれば彼女の為には必要なのかもしれないと、ベルンハルトは二日経った辺りで早々に説得するのを諦めてしまった。


 実際彼女のおかげで以前よりも客足が増え、僅かばかりではあるが収入も増え始めていた為、断る理由もないのだからとほんの少し罪悪感を感じながらも、生活の為だと自分に必死で言い聞かせた。


(でもこのまま順調に収入が増えれば、アディさんに給与を出してあげる事が出来るかもしれない)


 カウンターの前に立ち、台帳をパラパラと捲り、ここ数日の売り上げからこの先の収入予想をしながらふとそんな事を思い浮かべる。
 なかなかいい塩梅だとベルンハルトは頷いて、眼鏡のツルを指先で摘まむと、眼鏡を額まで持ち上げながら台帳をたたんでほくそ笑む。


 一方その隣で、ほんの少し不安定な丸い椅子に腰掛けるアディは、ベルンハルトのその横顔をチラチラと上目遣いで何度となく盗み見ては、恥ずかしそうに足をバタつかせていた。


 アディがベルンハルトを好きだと自覚して以来、その気持ちはどんどん膨らんでいく一方だ。
 自覚したその日に一晩掛けて思い悩み、意識してもらえていない今の状態では、ギリファンライバルにとても叶うわけがないと結論づけ、どうするかを考える前にベルンハルトに意識してもらうのが先だと、翌日には行動に移した。


 もっともずっとメルの家にいる事に後ろめたさを感じていたので、理由の半分はそれを誤魔化す口実だったとも言える。
 そんな具合だから具体的に何をするかを決めていたわけでもなく、始めはただ会いに行っただけだったのだが、何で会いに来たかと言う理由も考えていなかったので必死になって思いついた事を口にした。


 その結果思いがけず店の手伝いをする事になったのだが、彼との仲が進展したかと言われれば、首を縦に振って頷ける程の進展は何もない。
 元々子供だと勘違いされて居たお陰で、女として見てもらう為のハードルは竜の山脈よりも高く、それに加えて非の打ち所のないギリファンがライバルなのだ。
 しかも仕事の殆どは客の呼び込みでアディは外で動き回るし、店番をしている時でもベルンハルトは工房の中で仕事をしているので、じっくり話すと言う機会は中々訪れなかった。


(お婆ちゃんがいれば、こんな時相談出来るのにな……)


 ケット・シーのシワシワの笑顔を思い出して、アディはふと表情を曇らせる。
 いつまでもこのままで良い筈がないのに、気を緩めるとどうしてもケット・シーの事を思い出してしまうのだ。
 こんな風に思っていてはお婆ちゃんを悲しませるだけだ。と、頭では判っているのだが、どうしても感情が追いつかない。


 一人なのだと思えば、グルグネストに戻る気も起きなかったし、また放浪の旅にとも思ったが、メルの家族が嫌いなわけではなかったし、ベルンハルトに向ける自分の気持ちに気がついてしまった今となっては、ここから離れたいとも思えなくなっていた。


 とは言え、いつまでもこの場所で大道芸だけをやって生活していくのはかなり厳しいと眉間に皺を寄せる。
 この国はグルグネストと違って他にも多くの娯楽がある所為か、客の飽きも早かった。
 剣舞以外にも楽器を弾いたり、占いをしたり、歌を披露したりと見世物にローテーションを組んで工夫はしているものの、見慣れて来てしまえば日銭の数もいずれ減ってくるだろう。


 メルの家に払おうと思っている宿賃を考えれば、もっと安定した仕事を探すべきだし、これから住む場所を探すにしても、先立つ物があまりにも心細かった。


(いつまでもメルの家にもハルにも甘えていられないのに……どうしたら良いんだろう……)


 教えて、お婆ちゃん……と、また思い掛けてアディは慌てて首を振る。
 すると横にいたベルンハルトがアディのその様子に気がついて、台帳をカウンターに戻すと、にこにこと微笑みながらアディに声を掛けて来た。


『連日アディさんが客引きをして下さったお陰で売り上げが伸びてます。このまま固定客がついてくれれば正式にアディさんにお仕事を頼めるんですが……あ、いえ、疲れたら無理せず言って下さいね。今はその、お給料を払って差し上げたくても払えませんし……知人のお嬢さんと思えばやはり働かせてしまっているのは気が引けますから』


 "知人のお嬢さん"と言われてアディはムッと眉を顰める。
 ベルンハルトにとって自分はまだまだ遠い存在なのだと線を引かれた様な気がして、暗い気持ちが更にますのに対し、ベルンハルトは全く気付く様子もなく、穏やかな笑みを讃えているのがなんとも憎らしいとジワジワと苛立ちが増してくる。


(大体初めはもっとくだけて話しかけて来てくれていたのに、いつの間にか敬語になってるし、距離が縮まるどころか遠くなっていく一方な気がしてくるわ!)


『す、好き・・で、やってるんだもの!疲れてなんかないわ!それにお給料なんてもらえないわ。ヌイグルミのお礼でやってるんだから』


 前文に"ハルが"と言う言葉を隠して、"好き"を強調して訴えてみる。口にして直ぐに心臓はバクバクと耳の上まで響く程忙しない音を立てて、アディはほんの少し後悔したものの、もしかしたらこれでほんの少しでも意識してもらえるかもと淡い期待を胸にベルンハルトの反応を覗き見る。
 しかし予想はしていたものの、アディの意図に全く気付く様子もなく、ベルンハルトは困った様子で肩を竦めていた。


『流石にそんな訳には行きませんよ。アディさんが来る以前に比べればかなり収入が安定して来ているんです。あのヌイグルミ一個では釣り合いません』
『……ねぇハル!どうして私に敬語を使うの?最初はアディって普通に呼んでくれてたのに。ハルに子供扱いされるのは嫌だけど、よそよそしくされるのはもっと嫌だわ!』
『えっ?!それは……だって、アディさんは立派なレディですし、流石にため口と言うわけには……それにメルさんが……』


 ベルンハルトはどこか煮え切らない様子で口元を押さえて言い淀む。
 何故そこでメルが出て来るのかとアディは眉を顰めたが、"立派なレディ"と言われてしまえば、少なからず女性扱いはされていたらしいと苛立った気持ちも不思議と晴れてくる。


 代わりにまた胸がドキドキと落ち着きを無くし、"立派なレディ"を頭の中で反芻させて、アディは緩みそうになる頬を押さえ、俯いた。


『お、女の子扱いは嬉しいんだけど、でも、やっぱり、前みたいな方がいいわ。そ、それに今はお手伝いしてる立場だもの!私に対して敬語なんてヘンよ!』
『そんな事はないと思いますが……うーん。そこまで言うならそうし……いや、そうするよ』


 優しい笑みを浮かべてベルンハルトが言い改めるのを直視して、たちまちアディは上気する。
『ふ、不意打ちなんて、酷いわ……』
『えっ?』
『な、なんでも無い!!……ぅ、えっと、お、お客さん!全然来ないから、また呼び込みしてくる!!』


 恥ずかしさのあまり豪快に立ち上がると、その勢いでガタンと丸椅子が倒れる。
 それに構わずまたカウンターにあるビラを抱えると、慌ただしくベルンハルトの背後をすり抜けて、アディはバタバタと外に飛び出して行った。


「あ、気をつけてね」と、背中からベルンハルトの声がしたが気にする余裕も無く、アディは大通りを目指す。
 ベルンハルトの何気ない一言一言がアディの感情をいちいち刺激して、全く持って心臓に悪いとビラの束を抱きしめる。
 意識させる前に自分の方が翻弄されてしまう事実に、アディはまたまた頭を抱えた。


 気持ちの切り替えもままならないまま、大通りを何往復かして、手に持っていたビラの半分を配り終える。
 平日と言う事もあって中々数も減らず、これ以上配っても今日はしょうがないかもしれないと、半刻程でビラ配りを切り上げてアディは店へと戻って行った。


 先程の事を思い出すと、なんとなく顔を合わせづらいと思いもしたが、いつまでも戻らないわけにもいかない為、また騒ぎ出す胸中を何とか鎮めながら店の扉に手を掛ける。


 カランカランとチョットだけ遠慮がちなベルの音を響かせて、おずおずとアディは店内に入る。
 異変に気がついたのは「ただいま」と、遠慮がちに工房の方へ声を掛けた直後だった。


『……ハル?上にいるの?』


 いつもなら手が離せない状況でもすぐに「お帰りなさい」と工房の奥から返事が返って来る筈なのに、その時に限って返事は返って来なかった。
 不審に思い、二階の居住エリアに恐る恐る顔を出して見たが、やはりベルンハルトの姿はどこにもなく、アディは嫌な予感に胸騒ぎを覚える。


『ハル!何処にいるの?!返事して!!』
 階段を駆け下りて工房奥の裏口に手を掛けてみるも、鍵がかかっており出て行った様子も無い。
 辺りを見渡せば、工具はアディが出ていく前と変わっていない様に思えたし、何より店を開けたまま居なくなるなんていくらなんでも不自然だと胸を押さえた。


『き、きっと何か急用で……仕方なかったのかも、待ってれば戻ってくる……よね?』


 不安を振り払う様に自分に言い聞かせながらクルリと振り返って、カウンターを目指す。
 引き摺る様に足を運び、丸椅子に座ろうとした矢先、つま先にカツンと何かが当たる音がした。


 なんだろうと身を屈めて、アディはサッと顔色を失う。
 手を伸ばした先にあったのはベルンハルトが愛用しているハーフレンズの眼鏡だった。
 震える指で眼鏡を拾い上げると、アディは悲鳴にならない声を上げる。


 主人に置いていかれた眼鏡のレンズには片方だけひびが入っており、明らかに何かが遭った事をアディに訴えかけていた。


『ハル!!』


 眼鏡を握りしめて、店を飛び出し、アディは無我夢中で街の中を駆け回る。
 しかしいくら探してもベルンハルトが何処かへ行った形跡は見つからず、日が暮れる頃になっても、彼が店へと戻ってくる事は無かった。

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