デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

残される者へ 1

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 かなり不機嫌な状態で起きてきたライマールの一蹴によって、ゼイルが何を言いかけたのか解らないままメル達は本格的な起床を余儀なくされる。
 外へ出れば昨日は暗闇で全く見えなかった荒涼とした大地がハッキリと浮かび上がっていた。


 デールの森にある葉が生い茂った木は無いものの、背が高くヒョロリと曲がった大地と同じ様に赤土色の木が何本かポツポツと生えているのが見えた。
 周りの民家も整然と立ち並んでいるというよりは、疎らに点在しており、デールの様に舗装された道もなく、朝から思い思いに住人達が外で仕事を始めていた。
 桶を担いで運ぶ人や、長い棒で布を叩き洗濯をする人、家畜の世話をしている人等、何とも牧歌的な暮らしぶりが伺える。


 何よりメルが感動したのは地平線から顔を出した大きな太陽で、既に殆ど陽は上ってしまっていたが、森に囲まれたデールでは絶対に見れない様な荘厳な光景だった。


 昨日同様唖然とメルが立ち尽くしていると、外で家畜の世話を始めていたラクダ顏の夫婦がメル達に声を掛けてくる。
 ベルンハルトが幾らか言葉を交わすと、夫婦はアディの家の方向を指してベルンハルトに何かを説明してその場を離れた。


「朝食、アディさんが用意して下さってるみたいですよ。丁度呼びに来たところだったみたいです」
 ベルンハルトがそう言ってラクダ顏の夫婦に手を振ると、夫婦も気さくに手を振って返した。
 何から何まで悪いなぁと思いつつ、メルもぺこりと頭を下げれば、夫婦はほんの少し笑顔を見せてくれた様な気がした。


 メル達は夫婦の言葉に従ってアディの家へと赴けば、昨日よりは幾分か落ち着いた様子のアディがメル達を出迎えてくれた。
 あの後随分と泣いたのか、目の下が腫れていて力無く微笑む姿がなんとも痛ましく、やるせない。


 それでもがんばって用意してくれたのであろう朝食は、昨夜あの夫婦が用意していた食事と比べればかなり質素なもので、硬いパンに味気の無いスープの中にモチモチとしたかみごたえのある食感のトウモロコシが入っているだけの物が振舞われた。
 普段デール国内を回る際、どんなに質素な食事でも不満を口にする事の無いライマールも流石にこれには眉を顰めていたが、それでも何も言うこと無くただ黙々と食事を腹の中に詰め込む。
 更に周りを見渡せば、ベルンハルトも固いパンに苦戦しながら懸命に口を動かし、ゼイルに至ってはパンのかけらを一口口にした後、「おぇっ」と嗚咽を漏らし、完全に食べる事を放棄していた。


 味が悪いわけではないが、こんな食事を毎日摂っているのかチラリとケット・シーを覗き見れば、食欲が無いのか件の老人は固いパンをスープに浸してふやけた状態の物をほんの少しだけ口にするだけに留めていた。
「すまんのぉ……ワシがもう少し若ければネズミの一匹や二匹捕まえて来て振る舞うんじゃがのぅ……」
「んっぐっ!?」


 ケット・シーが申し訳なさそうにヨボヨボとそう言えば、食事を口に運んでいたメルが喉にパンを詰まらせ、ベルンハルトとライマールはスープを口に運ぼうとしていた手をピタリと止める。
 食文化の違いは国によって様々と聞いてはいたが、まさかネズミを食す文化があるとは思っても見なかった。
 手元にある食事はパンと質素なスープに見えるが、もしかして隠し味に普通なら食べない様な何かが入っていたりするんだろうかと一同ゴクリと唾を飲み込む。


「ごめんナ。お金、あまり無いでス。メルガ家に置いて来タます」
 皆が黙り込んでいると、アディも申し訳なさそうに項垂れてスープのお椀を抱え込む。
 そう言えば結局ベルンハルトの家から真っ直ぐここまで来てしまったので荷物はそのままだなと思い至り、メルは咳き込みながらもアディとケット・シーにお椀を掲げてみせた。


「っげっほっげほっ、あ、あの、お、お気持ちだけで十分ですから……こ、このスープも十分美味しいですし、ネ、ネズミはちょっと……」
「そうかの?丸々したのはスープに入れると美味いんじゃが……」
「…………」
「あの、殿下?大丈夫ですか?顔色が悪いみたいですが……」


 ベルンハルトの隣で食事をしていたライマールはベルンハルトの呼びかけにも応えず、ジッとお椀を見つめたまま、いまだかつて無い程難しい顔をして硬直していた。
 メルも流石に初めて見るライマールの姿にその心意を図り兼ねていると、ゼイルが絨毯の上でゲラゲラと笑い転げた。


「こん中にはトウモロコシと塩以外は入ってねぇよ!なぁ、昨日の赤い実はねぇのか?俺アレが食いてぇ」
「モシカシ柘榴デスか?おババ食べないでスのは、ウチに無いでス。隣ガ家の木にあるでスから、下さい言えばくルるかもしれません。私、頼んで来ルでス」
「ゼ、ゼイル様!ここはデールじゃないんですからワガママを仰られては……あああ……アディ、す、すみません!」


 外に出て行こうとするアディにメルがペコペコと頭を下げれば、アディは何でもない様に笑顔で「大丈夫でス」と言って手を振って応える。
 昨日の様に避けられずに済み、メルがほんの少しホッとしていると、アディが出て行ったのを見計らってゼイルはケット・シーに真面目な顔で話し掛けた。


「んで、いつ頃引継ぎ始めんだ?一日二日で終わるもんでもねぇんだろ?間に合うのか?」
「ゼイル様!」
 ズバリと直接的に聞くゼイルにメルはギョッとして思わず叱咤の声を上げる。
 全て終わればケット・シーは死んでしまうというのに、もう少し相手に配慮する様な言い方はできないのだろうかとメルは頭を抱えた。


 しかしケット・シーは嫌な顔一つせずにシワシワの顔で「ふぉふぉ」っと笑ってみせると、メルにウンウンと頷いて手を上げて見せた。
「よいよい。気になさんだ。ワシは覚悟は出来ておるでの。引継ぎ自体はの、この子が来てから直ぐに始まっておるわ。終わるのは明後日か明々後日位かのぅ。一度始まってしまえば止まらんての。物覚えも良い子じゃし、引継ぎは無事終わるだろうさ」
「そんな早く終わってしまうんですか!?そんな……それでアディは納得したんですか?」
「納得するもしないも定めには逆らえまいて。本当の事を言うとの、あの子がデールに行っている間に済ませてしまおうと思うとったんじゃよ。最後の最後であの子の泣き顔は見とうなんだからのぅ……」
「ふん。やっぱりな。そんな気がしたんだぜ。んで結局気になって出来なかったんだろ?お前も大概未練がましい猫だよな」
「いまだハイニアとちぃとも同化もしとらんお主がそれを言うかいの……まぁその通りじゃてな。わしが死んだ後の事を考えるとのぅ……離れていても目を瞑ればあの子が泣いておる顔が浮かんでしもうてどうにもの。困ったもんじゃて。じゃがもうほんに限界での。これ以上は引き伸ばせんのよ。時間とは残酷な物じゃの」


 しみじみとしながら語るケット・シーに誰もがかける言葉も無く口を閉ざす。
 残して行くことが辛いという気持ちは死期を間近にした本人しか判らない感情なのだろうが、アディの泣く姿を何度も見ているメルにはその気持ちが何と無く理解できる様な気がした。


 もし自分がケット・シーと同じ立場だったなら、親しい人に側にいて欲しいと思うだろう。しかしその人がもし自分の所為で辛い思いをするならば、ひっそりと一人で最期の時を過ごす事を選ぶ事もあるかもしれない。


 そんな事を考えて、ふと、昨日見た夢の事を思い出す。


 妙に現実味のあったあの夢が、過去に本当にあった事かどうかは判らないが、側で大事な人を看取る事が出来なかったのであろうあの初代皇帝と妃は一体どんな気持ちで寄り添いあっていたんだろうか?
 そして彼らを残して逝ったであろうその大事な人はどんな気持ちで最期を迎えたんだろうか?
 いつか自分も歳を取った時に、ライマールに彼らと同じ気持ちを味わせる事となるのだろうか?


(まぁ、ライマール様の場合、そういう事を口にする方じゃないからそこまでボクの事を大事に思ってくれているかは判らないけど……誰もが最期まで大事な人の側に居るとは限らないんだよな)


「……ケット・シー様が亡くなる前にアディがここに帰れて良かったです。きっとアディは凄く辛い思いをすると思いますが、ちゃんとお別れが出来なくなる事の方がもっと辛い思いした筈ですから」
 ポツリとメルが呟くと、ケット・シーは細く小さな目を目一杯見開いてメルを凝視する。
 そして暫くした後、ケット・シーは納得した様にまたウンウンと頷いた。


「そうか……そうじゃの。別れは辛くて当たり前じゃからの。泣き顔を見とうないと言うのはワシの我が儘じゃと言う事か……あの子が受け入れられんでも、ワシがあの子の感情ごと受け入れてやらにゃならんのじゃな。親として最期の勤めと言う事かの」
「……時間はまだある。それにお前自身が居なくなる訳ではあるまい」
「えっ?」


 ずっと黙ってスープの入った器を眺めていたライマールが、いつも通りの不機嫌そうな表情でポツリと呟く。
 死んでしまう相手に居なくなるわけじゃないなどと矛盾する不可解な言葉に、隣にいたベルンハルトがキョトンとして首を傾げていた。
 メルもベルンハルトと同じ様に主の言葉に首を捻ると、ライマールは二人を見ながらムッと口をへの字に曲げながら憮然として説明し出した。


「神獣は人間や他の生き物と違って転生の門はくぐらない。あくまでハイニアの地に留まる様に出来ている。ウイニーの焔狼の様に霧散してしまえばそれまでだが、ケット・シーの場合は次代のケット・シーに記憶ごと引き継がれる。猫だった頃の魂は流石に転生の門を潜るだろうが、ケット・シーとして生きた分の思念は新しいケット・シーと共に生きていく。形は変わるし全く同じケット・シーとは言えないだろうが、こうやって話している時間すら次代のケット・シーの記憶として残り続ける」
「ええと……どう言う事ですか?それは肉体だけが朽ちてこの猫に乗り移るとかそういう話なんですか?」


 ケット・シーの膝下で気持ち良さそうに眠る猫をじっと見つめる。
 そうすると次のケット・シーになる予定のこの猫の意識は一体どこに行ってしまうというのだろうか?
 それに肉体だけが死んで、精神的な物は引き継がれるのであれば、もしかしてアディは悲しむ必要もないのか?
 それにしたって姿形が変わるわけだし、何よりこの猫の存在が消える様な物なんだからなんだか空恐ろしい物があるなとメルはぞくりと背筋を凍らせる。


 すると「ちげぇよ」と、ゼイルがメルの考えを否定した。
「人格とかそういったものの元はこの猫自身になるから乗り移るってのとは違うぜ。記憶が吸収されるっつった方がしっくりくんじゃねえの?人間で言う所の成長って奴に似てるな。ガキの頃は超泣き虫だった奴がデカくなってみりゃ仏頂面で可愛げのねぇ奴になるみてぇなもんだぜ」
「……誰の事を言っている」
「心当たりがあるならそいつなんじゃねぇの?」
「うーん。あんまりピンと来ませんが……あ、ライマール様は今でも泣き虫なんで安心して下さい」
「……」


 ニコニコとメルがフォローになってないフォローを言えば、ライマールはむすりとして押し黙る。
 ゼイルが更にニヤニヤとライマールをからかっている横で、人格や記憶が吸収されるという事が一体どんな事なのかをメルは懸命に想像した。




 するとずっと黙ってやりとりをみていたベルンハルトがおずおずとケット・シーに向かって口を開く。
「あなたは怖くないんですか?もうすぐ死んでしまう事もですが、それって自分が自分じゃなくなるのと変わりないんですよね?」


 その瞬間がどんなものなのかは判らないが単純に想像して見ようとしただけでもメルは恐ろしいと感じたばかりなだけに、メルはベルンハルトの割と大胆な疑問にゴクリと息を飲んだ。


 ケット・シーはその質問に嫌な顔一つせずに「ふぉふぉ」っとまた笑ってみせる。
「怖いことなんぞあるものかね。ワシがここにおるのも先代のケット・シーを引き継いだからじゃて。ワシの中には数え切れぬ程の歴代達の記憶と想いがつもうておる。それはもうワシ・・が何度も繰り返して来た事として認識してしまっとるからの。また同じ事をするだけじゃて。恐ろしいのはの、その後にあの子が泣き続ける姿を見る事じゃて。次代になってしまえば契約は自然と破棄される。そん時にあの子が立ち直れぬまま絶望してしもうたらと思えば気が気でならんでのぅ」


 ほんの少し陰った顔でケット・シーが言えば、ベルンハルトはケット・シーを安心させる様ににっこりと微笑んで彼女の手を取り優しく語りかけた。
「大丈夫ですよ。どんなに悲しい事があってもアディさんならきっと立ち直れると思います。ここからデールまで一人で旅して来たんですよね?なかなか出来る事じゃ無いですよ。とてもしっかりした娘さんじゃないですか。信じて上げて下さい」
「そう思うかね?……そうじゃの。あの子なら自分の足でシャンと立っとれるよの」


 もごもごと口を動かしながらほんの少し安心した様子でケット・シーは皺くちゃの笑みを浮かべる。
 そんなケット・シーとベルンハルトのやりとりを見ながら、メルはなんとなくベルンハルトに負けた気がした。


 少しだけ落ち込んだメルの横で、ライマールをからかっていたゼイルがふと扉の方を見つめる。
 外の気配を探る様にジッと一点を暫く見つめると、誰にも気づかれることなくゼイルはフッと優しげに目を細めた。

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