デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

アディの家族 2

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 アディの家も周りの民家同様赤土で出来た山の様な形の原始的な印象を受ける家だった。
 近づいてよく見れば、赤土を固めて作ったレンガをドーム状に積んだ家だという事が判ったが、作りは簡素でデールの家よりもどこか頼りない印象を受けた。


 扉を開けて中に入ればメルはますます驚いて目を見開く。
 中には色鮮やかな絨毯が敷かれ、外と比べればかなり暖かく、意外と快適そうな空間にはなっているのだが、どこを見渡しても部屋の中にはそれしか無かった。


 いや、正確に言えばランプなどの小物や、日々の生活で使っているであろう鍋などが壁に掛けられ、中には仕事で使うであろう楽器や占い道具、衣類が入っていそうな風呂敷などが壁周りにごちゃっと置いてあったが、キッチンや風呂といった普通の家にならあるであろうものが全く無かったのだ。


 そんな家だから無論ベッドもなく、部屋の奥の方で近所に住んでいるであろうラクダの様な顔をした半獣族の中年夫婦が、絨毯の上に雑魚寝している老婆の面倒を見ている姿が直ぐ目に飛び込んで来た。


 突然家に飛び込んで来たアディとメル達に驚いた顔をして振り向いた夫婦を気にするよりも、かなりのカルチャーショックを受けた状態でメルはその場で呆然と立ち尽くす。


 帝国内でも無論貧富の差というものはあるが、家の中で地べたに這いつくばって寝る様な家庭を見た事など流石に無かった。
 ましてや風呂どころかキッチンすら無いこの家でどうやって生活して来たのだろうか。


 その生活が全く想像出来ず、アディはかなり過酷な環境で生きて来たに違いないと思えば、メルは胸を痛めるばかりだった。


 メルがショックを受けている中で、アディは既に老婆の元へ駆け寄っていた。
 近くで世話をして居た中年夫婦と幾らか会話を交わすと、ホッとした様子で漸く笑みを浮かべていた。


「思っていたよりお元気そうだったみたいですね。変わった事は特に無かったってあのご夫妻が仰ってます」
 隣に立っていたベルンハルトが簡単に彼らの会話を翻訳する。
 メルはショックを受けつつもベルンハルトの説明に頷いてみせた。


 表情が少し明るくなったアディが入り口に立っていたメル達に手招きをする。
 おずおずと近寄って行くと、入れ替わるように中年夫婦は立ち上がって、メル達に向かって頭を下げながら外へと出て行ってしまった。
 メルとベルンハルトはすれ違いざまに同じように彼らに頭を下げ、アディの横へと進み出る。
 二人が絨毯の上に座ると、頭の上に猫の耳の生えた老婆がアディに手伝ってもらいながらも身体を起こす。
 老婆はアディが抱いて連れて来た黒猫を抱え上げると、撫でながらシワシワで表情がよく判らない顔でメル達に向かって挨拶をした。


「遠路はるばるよう来なさった。もてなそうにももう身体が思うように動かなくてなぁ……せめてゆっくりして行くと良いと言えれば良かったんじゃが、それも叶わぬかの……まぁ、楽にしなされ」


 死期が近いと聞いていた割には、老婆はかなり滑舌がよく流暢なリエン語を口にする。
 老婆の背は丸く固まり、手を動かすだけでもフルフルと小刻みに震え、確かに頼りなげな印象は受けるが、言葉ははっきりしている所為か、ゼイルや雪狐の見立ては間違いなのでは無いかとメルですら錯覚してしまう程だった。


「お主がメルで、お主がベルンハルトじゃな?」
「は、はいそうです。あの、お婆さんは本当に神獣なんですか……?」
「ファッファッファ。ユニコーンから聞いておらなんだか?ワシはケット・シー。神獣の中でも異質な神の残した出来損ないじゃて」
「神獣!?ではアディさんも神獣なんですか!?」


 何も事情を知らなかったベルンハルトが驚いて仰け反る。
 そう言えば巻き込んでしまったのにここに来るまでの間に何も説明していなかったなとメルはバツが悪そうに頬を掻く。
 慌ただしくグルグネストまで来てしまったのも勿論だが、普段自分の近くには説明いらずのライマールが居る所為か、メルはそう言った状況にすっかり慣れてしまっていた。


 ケット・シーはそんなベルンハルトに嫌な顔一つせず、モグモグと口を動かしてゆっくりと話をする。
「いいや。この子はまごう事なき人間の子だよ。何年前になるかねぇ……まだアディが四つ足で歩き始めたばかりの頃にこの子の家で火事が起こったのさ。この子の両親の家はわしの餌場の一つじゃった。ワシが助けられたのはこの子だけでのぅ……子がおるのは知っておったが、本当の名前までは知らなんだよ。じゃからワシがアディと名付けたのよ」
「じゃあ、それ以来アディさんを貴女様が育てて来られたんですね」
「そう言う事になる。人間の子は人間に託すのが一番なのは判っておったが、あの頃のワシは初子を病気で無くしたばかりじゃった。ワシは死んだ我が子を思い出してアディを手放す事が出来んかったのじゃ」


 ケット・シーはジッとアディを見つめながらメル達よりもアディに聞かせるかの様に過去の思い出を語る。
 アディは今話された事実を知らなかったのか、不安そうに瞳を揺らしながらケット・シーを見つめ返していた。


「お陰でワシは幸せな時間を過ごす事が出来た。じゃがワシの身勝手の所為で同胞はらからやアディには随分と苦労をかけてしもうた。この子はの、本来なら三番目のケット・シー候補じゃったんじゃ」
 膝の上で気持ち良さそうに寝る黒猫をケット・シーはおぼつかない手つきで優しく撫でる。
 表情は相変わらず読み取れないが、何処か申し訳なさそうにケット・シーは黒猫へ視線を送っていた。


「流石にワシももう限界での。ここに来る前までは隠せていた猫の耳も自分の力ではもう誤魔化す事も出来んのよ。もう数日遅かったら間に合わなんだかもしれんかった。お主達には感謝してもしきれんわのぅ」
「そんな、僕達は何もしてないです。ただゼイル様に言われてついて来ただけですし……その猫だってゼイル様が探してきた子ですし、感謝される様な事は何一つ……」


 メルがした事と言えば大道芸をして居たアディに金貨を何枚か渡したのと、自分の家に泊めたこと位で、アディが本当に望んでいた事は何一つ叶えていないし、ゼイルに会わせた事で寧ろ傷付けてしまった位だ。


 その結果アディが拒絶の意を示した事を思い出して、メルはまた絶望的な気分に苛まれる。
 好きになった人から嫌われるのがこれ程ダメージのある物だとは想像だにしていなかった。


 ケット・シーは落ち込んだ様子のメルを見ながらファファファとまたくぐもった笑い声を漏らす。
「それは違うぞぃ。ワシがアディにユニコーンの元へ行く様にと言わず、お主を探せと言った事にちゃんと意味はある。お主の繋ぐお主らの絆が、この先一人になってしまうこの子に必要じゃったからじゃ。放って置いてもお主らは出会ったんじゃろうが、長い間一人にしてしまうのは育て親のワシが辛抱ならなんだ。メル、ベルンハルト、ワシはお主らにこの子の事をどうしても頼みたかったんじゃ。どうかこの婆の最後の望みを聞いてくれなんだか?」
「アムハ!」


 ペコリとケット・シーがメルとベルンハルトに小さく頭を下げると、アディが悲鳴交じりにケット・シーを呼んでギュッと抱きつく。
 その後何事かを涙混じりに訴えていたが、イスクリス語の判らないメルにはその内容は解らなかった。
 雰囲気から察するに、やはりアディはケット・シーが死んでしまう事を受け入れ切れて居ないように感じた。


 ケット・シーはアディの背を撫でながら、子をあやす様に何か語りかけていた。
「……すまんのぅ。暫く二人にしてもらえなんだか。体は大きくなってもまだまだ子供じゃのぅ……甘やかしすぎたかの」
「アディ……」


 かける言葉もなくメルが沈痛な面持ちで茫然としていると、ベルンハルトが立ち上がってポンとメルの肩を叩いて退室を促した。
 玄関の扉の前まで来ると、いつの間にいたのか手のひらサイズのゼイルがピョンと飛び跳ねてメルの肩に飛び乗ってきた。


「よぉ。ライムのやつ着いた途端ここで寝ちまったから、さっきのラクダのおっさん達の家まで運んでもらっといたぜ。待つならそこで待ってた方が良いんじゃねぇか?」
 サラッと図々しくも当然の事の様にゼイルはメル達に提案する。
 アディに何も声を掛ける事が出来なかったと落ち込んでいる暇もなく、メルはがっくりと頭を下げる。


 王子が玄関先で寝るという状況はかなり問題だが、異国の平民の家に図々しくも当然の様に厄介になるゼイルやライマールの感覚も大問題だと頭を抱えた。


(や、そもそもライマール様はベルンハルトさん同様、完全に巻き込まれた上で手伝わされているんだからボクがどうこう言える立場でも無いんだろうけど……)


「はぁ〜……ボクご夫妻に謝らないと……ううう……すみませんベルンハルトさん、翻訳お願い出来ますか?」
「ええ、勿論。僕にはそれ位しか出来ないでしょうし。……ところでその、丁度いいので詳しいお話を聞かせてもらってもいいですか?大まかには理解出来てるとは思うんですが、イマイチ判らないところが多々あって……」
「ああああ、そうでした!すみません。ここに来る前にちゃんと説明するべきでしたのに。訳わかんないですよね。ご夫妻に謝った後ちゃんと説明させて頂きます!」
「メル、お前声でけぇよ……このサイズだと体に響くんだよ!ったく、行くぞオラ!こっちだ」


 そう言ってぺちりとメルの頬を小さな手でゼイルが叩く。
 地味にヒリヒリと部分的な痛みを感じつつ、メルは「すぃませぇん……」と、小さな声でゼイルに謝る。
 肩の上でピョンピョン飛び跳ねるゼイルの誘導に従いながら、二人は先程の夫婦が住む家へと向かった。

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