デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

幼馴染の決意

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「先方には断りを伝えておいてくれ。良い話だったが縁が無かったと」
 翌日、てっきり幸せ報告をする物だと思っていたギリファンがトルドヴィンに告げたのは、縁談を断る旨だった。


 執務中だったトルドヴィンは思わず手にしていた書類を机にバサリと投げて、信じられないといった顔でギリファンに駆け寄った。


「何故!?君たちの間にはもう何も障害は無い筈だよ?誰かに遠慮する必要なんてもう無いだろう?それとも彼が何か君に言ったのかい?だったら私が直接彼に……」
「違う。そうじゃない。お互い話し合って納得した上で出した結論なんだ。本当に縁がなかったんだよ。お互い一緒にいていい相手じゃなかったって事だ。仲人までしてくれたお前には悪い事をしたと思うが……お前の顔を潰してしまう事になってしまったな。後で侯爵にも詫びを入れておこう」


 どこか吹っ切れた笑顔を向けるギリファンを見て、トルドヴィンは狼狽える。
 別れさせる為に引き合わせたわけじゃない。なのにどうしてそんな結論になってしまったのかまるで理解出来なかった。
 予定では今頃ギリファンは長年の夢がかなって幸せの絶頂にいる筈だったのに。


「私の事は気にする必要なんてない!ファーは本当にそれで良いのかい!?君は彼の事が好きだったんだろう?何が君を不安にさせるんだい?それとも私が隠していたから冷静に考えられなかったのかい?昨日の今日だ。不安からそう言っているのならもう少しじっくり考えて結論を出した方がいい」
「トル、確かにお前のとんでもない企みには心底驚いたが、感謝してるよ。私もハルも、結婚まで考えられる程思い入れた相手ではなかったと気付いたんだ。確かにある種の好意は持っていたが、お互い譲れないものがあったんだよ。だからもういいんだ。心配してくれてありがとうな」


 ギリファンはそう言ってトルドヴィンの肩をポンポンと叩く。
 あんなに幸せそうだったのにそれで良いなんてそんな馬鹿な事が……と、笑顔で見上げてくる可愛い幼馴染を見つめ、居た堪れなくなり、トルドヴィンは気付けばギリファンを抱きしめていた。


「ト、トル!?」
「ごめんよファー。彼と会いさえすればファーは幸せになれると思っていたんだ。これでは君をまた傷付けただけじゃないか!大丈夫、今度こそ本当に君を幸せにしてくれる人を探してくるから。だから、そう強がらないで」


 傷口に塩を塗られて平気な筈がない。ギリファンが彼を本当に好きだった事は目に見えて明らかだった。
 もしかしたら自分のやり方が間違っていたのだろうか?二人を合わせる方法で最善の処置を取ったつもりだったが、ギリファンにプレッシャーを与えてしまった所為でダメになったのではないだろうか?


 様々な思いが駆け巡り、トルドヴィンの抱きしめる力が強くなる。
 するとギリファンが苦しそうに呻き声を上げ、その腕から逃れようとグイグイとトルドヴィンの胸を押し返しながら顰めっ面で抗議してきた。


「待て待て!なんでそうなるんだ。お前といいメルといい、何で私を放っておいてくれない。当分誰とも付き合う気はないと言ったではないか。何度同じ事を言わせれば気が済む?というかお前が私の相手を見つけてくるって色々とおかしいだろうが!」
「おかしくなんてないさ。言っただろう?僕は君に幸せになって欲しいんだ。その為なら何だってするとも言ったよ。君の願いが普通のご婦人の様な生活であるなら、それを叶えられる人を探してくるから。ベルンハルト殿の様な優しげな面立ちの人が好みなのかい?ツテなら何人かいると思うから今度聞いてきてあげるよ」


 そう言って、トルドヴィンはふとその誰かとギリファンが並んでいる所を想像してしまう。
 あの時の様にギリファンは夫となる人物に笑いかけ、二人の間にはギリファンそっくりな子供がいて、両親にじゃれついている。
 徐々にその相手が自分と重なり、トルドヴィンは心臓をはね上げて、思わずギリファンを解放した。


(ダメだ。それだけは望んじゃいけない!私は彼女の隣に立つ資格なんてないんだから。堪えなくては)


 グッと拳を握りしめて笑顔を貼り付けさせる。自分の気持ちを自制するなんて容易い事だ。騎士としてそう訓練してきたのだから。なんて事ない。


 思わず抱きしめてしまった事を反省しながら、これ以上は触れてはいけないと自分を叱りつける。
 内心の葛藤を悟られない様にしていたつもりだが、それでもギリファンは眉を顰めてトルドヴィンを睨め付けた。


「余計な世話だと言っているだろう!お前のその考え方は理解に苦しむ!私の幸せを願う前に何故自分の幸せを願わないんだ。正直お前がそんな顔をして色々と勧められても、お前のその顔がチラついて後ろめたい気持ちにしかならん!!」


 そんな顔と言われてトルドヴィンは困惑する。
 自分の下心はきっちり隠しているつもりなのにその裏を見透かされてしまい、あまつさえまたギリファンを困らせてしまっているらしい。
 もしかして昨日もそれで上手くいかなかったのではないだろうか?それならば何という失態をしでかしてしまったのだろう。


「……ごめんよ。顔に出さない様にはしてるんだけど、やっぱり君が好きだから堪えていてもどうしても……ね。困らせるつもりは無いんだ。本当に幸せになって欲しいだけなんだよ」
「お前……本当にわけがわからん奴だな。なんでそこで私と他人との幸せを望むんだ?何故自分が幸せにするという発想に行き着かない?あ、いや……そう望んでいるわけではないぞ?お、お前がおかしな事ばかり言うから、その妙な思考回路が気になるんだ!」


 ほんのりと頬を染めてギリファンは訴える。
 その表情に、一瞬勘違いしそうになり、あり得ないからと思い浮かんだ邪な考えを否定して、苦笑しながらトルドヴィンは肩を竦めた。


「だって、私にはその資格は無いだろう?ずっとファーが苦しんでいた事に気付きもしないで、調子に乗って、からかってばかりだった。私の側に居て欲しいと願いたいのは山々だけど、私では君を幸せには出来ない。きっとまた気付かない内に君を傷付けるだけだ」


 願ってしまえば、ギリファンの心が欲しくてたまらない。
 彼女に対する気持ちが特別なものだと意識した時から、長い間ずっとそれは変わらない願いだった。
 だからこそ、それ以外の事に目がいかなかったのだ。
 ギリファンが目にしているものすら目に入らず、自分に向けてくる視線にだけ夢中になっていた。


 それが全てだ。と、根拠のない信頼を勝手に寄せ、彼女の気持ちを確かめる事もしなかった結果が今だ。
 この先自分がまた彼女への気持ちを抑えずにぶつけ続ければ、また同じ様な結果を生み出してしまう気がしてならない。何よりそれが恐ろしいと、トルドヴィンはまた寂しげに微笑む。


「お前は馬鹿だ……ライム以上に大馬鹿者だ!」
 気付けば目尻を赤く染めて、ギリファンがトルドヴィンをこれまで以上に睨みつけてきていた。


「ファー……泣いてるの?私はまた君を傷付けてしまったのかい?」
「馬鹿者!!泣いてるのではない!!怒ってるんだ!!このっ分からず屋!!もういい!お前がその気なら私は決めたぞ!お前が誰かと結婚する気になるまで私は誰とも付き合わない!」


 とんでもない決意を固める幼馴染にトルドヴィンは目を丸くする。
 誰かと結婚する気など起きるわけがないのは自分が一番よく知っている。
 なんせギリファンが幸せになって、それを近くでひっそりと見守って過ごそうと思っていた位なのだから。


「待って、ファー。私は誰とも結婚する気は無いよ?この先もファー以上に好きになれる人が現れるなんて思えないし。……ね、ファー、私の事は良いんだよ。君が幸せになって、それを近くで見守る事さえ出来れば私は満足出来るんだから」
「そこまで自分で言っといて、何でその矛盾に気付かないんだ!?……と、とにかく!お前が何と言おうと私は決めた!お前が結婚する気が無いならそれでも構わん。私もずっと誰とも付き合わないでいれば良いだけの話だ。話はこれで終わりだ!私はもう行く!ちゃんと侯爵に伝えておいてくれよ!」


 とうとう呆れた様子でギリファンは捨て台詞を吐いて、トルドヴィンの部屋の扉を乱暴に開けて出て行ってしまった。


 残されたトルドヴィンはギリファンの怒りの理由が解らず、ただただ困惑したまま左右に揺れるポニーテールを眺めていた。

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