デール帝国の不機嫌な王子
ありがとうとさようなら
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気持ちの整理がつかないまま、ギリファンはトルドヴィンに手を引かれて馬車から降り立つ。
屋敷の前では使用人も含め、家族総出でジャミル家の面々が出迎えに来ていた。
侯爵は元より、ギリファンの師である前侯爵から始まり、普段顔を合わせることの無い貴族議員で道場の支部管理をしている長男のゲルハルト、騎士団第二隊長のデーゲン、その部下でベルンハルトの弟のヘルモルトと、更には彼らの妻子までずらりと並んでいたのだからギリファンは思わず後ずさりそうになった。
ギリファンの普段の格好を知っている侯爵は、着飾ったギリファンの美しさに思わずゴクリと息を飲む。
隣にいた奥方が少しムッとした様子を見せたが、更に隣にいた義父や息子達までもが同じ様な反応をしていたので、どうしようも無いと女性陣はこぞって呆れ返っていた。
ギリファンは挨拶もする前から、その中にベルンハルトがいる事に直ぐに気がつき視線を交わす。
向こうも少し困った様子でニコリとギリファンに微笑みかけて会釈をしてきた。
トルドヴィンも二人のやりとりに気がついた様で、そっとギリファンの背を押して侯爵に挨拶をする。
師匠がいた所為か、ギリファンが心配していた突き刺さる様な視線は送られる事もなく、意外にも好意的に侯爵はギリファンを迎え入れた。
侯爵の内心は流石に計り知れなかったが、少なくとも奥方を含める女性陣はトルドヴィンとギリファンを心から歓迎してくれている様子だった。
挨拶もそこそこに談話室へ連れられ、早速とばかりにギリファンは好奇心に目を輝かせた奥方達の質問責めにあう。
主に魔術師副団長としての仕事について聞かれた様な気がしたが、混乱した頭では内容が頭にキチンと入って来ている自信はなく、自分がなんと答えたかまで覚えていられる余裕は無かった。
「皆、ケルスガー殿が困っていますから」と、長男のゲルハルトが窘めるまでその会話は止まらず、そこで漸く気がついたとばかりに、一応見合いの席なのだから本人同士がゆっくり話をするべきだと、ベルンハルトにギリファンを庭へ案内してはどうかと奥方が提案した。
普段のエプロン姿とは違い、貴族らしい黒いフロックコートを着こなしたベルンハルトが、苦笑しながらギリファンに手を差し伸べてエスコートを買って出る。
ギリファンは思わずトルドヴィンへと視線を送ったが、彼はいつも通りの笑顔を貼り付けて「行っておいで」と、手を振るだけだった。
気後れしながらギリファンはベルンハルトの手を取ると、宣告通り広い庭へと案内される。
屋敷は庭程広くは無かったが、それでも会話に困るには十分な程長い廊下を二人で歩いた。
お互い暫く無言で芝生の整った庭を歩いて回る。
何か話さなければと思うのだが、残して来たトルドヴィンの事が気になって会話など思いつかなかった。
「大丈夫ですか?驚いたでしょう?僕も昨日聞かされたばかりで、てっきり家族に職人として認めてもらえたのかと思ってたんですが、まさかこんな話だとは思わなくて……迷惑、でしたよね」
「そんな事!確かに驚いたが、迷惑を掛けたのはこっちの方だろう?あんな別れ方をしてずっと後悔してた。反対されても、そこはちゃんとハルと顔を見合わせて告げるべきだったんだ」
申し訳なかった。と、ギリファンは項垂れる。
ベルンハルトそんなギリファンに嫌な顔一つせず首を振って微笑んだ。
「気にしないで下さい。僕もファンの弟さんにあった後、色々思う所があって、仕方無いのかなと諦めていたんですから」
「ああ、その話なら少し聞いている。弟が迷惑をかけた様ですまなかった。あいつも心にもない事を言ったとかなり後悔している様子だった。何を言ったのか具体的な事は知らないが、あいつはあいつなりに私の事を考えてくれての発言だったんだ。許してやって欲しい」
姿勢良く頭を下げようとするギリファンを、ベルンハルトは慌てて制止する。
そんなつもりで言ったのではないと、困った様子でベルンハルトは話を続ける。
「違うんですよ。彼の言った事が直接の原因ではなくて……その、メルさんとあった日、僕は兄に連れられて騎士団で一日だけ訓練を受けさせられたんです。騎士の家に生まれたのに恥ずかしい話ですが、僕にはやっぱり向いてなかったんですよ。兄は訓練を続ければいずれはなんて言ってましたが、続けたいとは思えませんでした」
「当たり前だろう!ハルはヌイグルミを作る職人なんだから。私は騎士になって欲しいなど思った事はない」
思った事はない。でも、それでも自分が副団長を続けるならいつか……とギリファンは俯く。
きっかけは何であれ、結局お互いに気付いてしまったというだけの話だ。
「私が……魔術師を辞めればハルを苦しめる事も無かっただろうな」
「……では、辞めてこのまま僕と正式に婚約してくれますか?」
真剣にベルンハルトに言われ、ギリファンはハッとする。
彼のメガネの奥にある鳶色の瞳は迷う事無く、まっすぐとギリファンを見据えていた。
その言葉に困惑したのはギリファンの方だった。
魔術師を辞めて、ベルンハルトと一緒になる。それはずっとしがらみから抜け出したいと思っていたギリファンが望んでやまない物だった。
少し前のギリファンなら迷いはしても頷いた可能性の方が高かっただろう。
だが、今は何故かそんな気にはなれなかった。
ベルンハルトは今でも素敵な人だと思う。
だが、先程からこの計画を企てた幼馴染の、少し寂しそうな笑顔がチラついてならないのだ。
そんなギリファンの迷いを察したのか、ベルンハルトはフッと肩の力を抜いた。
「いいんです。解ってました。ファンはどんなに迷っても、きっとずっと魔術師を辞めるなんて出来ないだろうなって」
「そんな事……」
「ないって言い切れますか?君はとても面倒見の良い人です。君の下には大勢の魔術師がいるのでしょう?君は何故嫌いだと言った魔術師副団長を今でも続けているんですか?彼らを見捨てられないからじゃないんですか?」
指摘された事は間違っていない。でも、誰かに望まれれば、いつでも辞めるつもりで居たのも確かだ。
そう言おうとして、自分の中の矛盾に気がつく。
なら何故、デーゲンに反対された時、その事を告げなかった?
……簡単な事だ。結局ベルンハルトの言う通り、無意識の中で恋愛より仕事を優先しただけの話だ。
気がついて、ギリファンはもう一つの事実にも気がついてしまう。
(私がハルに向けていた好意は恋愛への憧れでしかなかったのではないか?)
勿論、共に歩んでいれば幸せな家庭は築けただろう。
だが、何よりも優先したいとも思えないのも事実だった。
ライマールがエイラを望んだ様な激しい感情もなければ、諦めろと誰かに言われれば諦めてしまえるだけの、それだけの感情でしかない。
「すまない……ハル。お前は良い奴だが、全てを捧げたいと思える程ではなかった様だ……」
なんて浅はかなんだろうと、ギリファンは自分に嫌気が差す。
この歳になってまで恋愛に憧れていましたなんて道化でしかない。
「気にしないで下さい。僕もそこまでの覚悟があったかと問われれば、君と同じだったんですから。今日はちゃんと会って話が出来て良かったです」
フラれたというのに、つかえが取れた様な晴れやかな笑顔でベルンハルトはギリファンに手を差し出す。
ハッとしてギリファンはベルンハルトの目を見れば、彼もまた自分と同じ様に今まで迷ってきていたのだと思い至った。
家のしがらみを抱えるベルンハルトと、魔術師である事にしがらみを抱えるギリファンが求めた物は同じだったが、寄り添って行くには頼りない感情だった。
(憧れの中にもちゃんと好意はあった。でも、甘えていただけだ。それはハルも一緒だったって事か)
差し出されたベルンハルトの手を取り、ギリファンは少しだけ寂しさを感じる。
同じ悩みを持つ同士はこの手を離してしまえば本当に終わりなのだろう。
名残惜しさにギュッと手を握りしめれば、ベルンハルトも意を理解しているかの様に握り返してきた。
ほんのりと目を潤ませて、それでも愛嬌のある笑顔でベルンハルトはギリファンにお礼を述べる。
「ファンと付き合えて楽しかったです。良い勉強になりました。ありがとう」
「ハル……あぁ、私もだ。ハルのお陰でいい夢をみれた。感謝する」
固い握手を交わして、ギリファンは漸く笑みを浮かべる。
お互いの気持ちを確認して、二人は本当の意味で別れを決意したのだった。
気持ちの整理がつかないまま、ギリファンはトルドヴィンに手を引かれて馬車から降り立つ。
屋敷の前では使用人も含め、家族総出でジャミル家の面々が出迎えに来ていた。
侯爵は元より、ギリファンの師である前侯爵から始まり、普段顔を合わせることの無い貴族議員で道場の支部管理をしている長男のゲルハルト、騎士団第二隊長のデーゲン、その部下でベルンハルトの弟のヘルモルトと、更には彼らの妻子までずらりと並んでいたのだからギリファンは思わず後ずさりそうになった。
ギリファンの普段の格好を知っている侯爵は、着飾ったギリファンの美しさに思わずゴクリと息を飲む。
隣にいた奥方が少しムッとした様子を見せたが、更に隣にいた義父や息子達までもが同じ様な反応をしていたので、どうしようも無いと女性陣はこぞって呆れ返っていた。
ギリファンは挨拶もする前から、その中にベルンハルトがいる事に直ぐに気がつき視線を交わす。
向こうも少し困った様子でニコリとギリファンに微笑みかけて会釈をしてきた。
トルドヴィンも二人のやりとりに気がついた様で、そっとギリファンの背を押して侯爵に挨拶をする。
師匠がいた所為か、ギリファンが心配していた突き刺さる様な視線は送られる事もなく、意外にも好意的に侯爵はギリファンを迎え入れた。
侯爵の内心は流石に計り知れなかったが、少なくとも奥方を含める女性陣はトルドヴィンとギリファンを心から歓迎してくれている様子だった。
挨拶もそこそこに談話室へ連れられ、早速とばかりにギリファンは好奇心に目を輝かせた奥方達の質問責めにあう。
主に魔術師副団長としての仕事について聞かれた様な気がしたが、混乱した頭では内容が頭にキチンと入って来ている自信はなく、自分がなんと答えたかまで覚えていられる余裕は無かった。
「皆、ケルスガー殿が困っていますから」と、長男のゲルハルトが窘めるまでその会話は止まらず、そこで漸く気がついたとばかりに、一応見合いの席なのだから本人同士がゆっくり話をするべきだと、ベルンハルトにギリファンを庭へ案内してはどうかと奥方が提案した。
普段のエプロン姿とは違い、貴族らしい黒いフロックコートを着こなしたベルンハルトが、苦笑しながらギリファンに手を差し伸べてエスコートを買って出る。
ギリファンは思わずトルドヴィンへと視線を送ったが、彼はいつも通りの笑顔を貼り付けて「行っておいで」と、手を振るだけだった。
気後れしながらギリファンはベルンハルトの手を取ると、宣告通り広い庭へと案内される。
屋敷は庭程広くは無かったが、それでも会話に困るには十分な程長い廊下を二人で歩いた。
お互い暫く無言で芝生の整った庭を歩いて回る。
何か話さなければと思うのだが、残して来たトルドヴィンの事が気になって会話など思いつかなかった。
「大丈夫ですか?驚いたでしょう?僕も昨日聞かされたばかりで、てっきり家族に職人として認めてもらえたのかと思ってたんですが、まさかこんな話だとは思わなくて……迷惑、でしたよね」
「そんな事!確かに驚いたが、迷惑を掛けたのはこっちの方だろう?あんな別れ方をしてずっと後悔してた。反対されても、そこはちゃんとハルと顔を見合わせて告げるべきだったんだ」
申し訳なかった。と、ギリファンは項垂れる。
ベルンハルトそんなギリファンに嫌な顔一つせず首を振って微笑んだ。
「気にしないで下さい。僕もファンの弟さんにあった後、色々思う所があって、仕方無いのかなと諦めていたんですから」
「ああ、その話なら少し聞いている。弟が迷惑をかけた様ですまなかった。あいつも心にもない事を言ったとかなり後悔している様子だった。何を言ったのか具体的な事は知らないが、あいつはあいつなりに私の事を考えてくれての発言だったんだ。許してやって欲しい」
姿勢良く頭を下げようとするギリファンを、ベルンハルトは慌てて制止する。
そんなつもりで言ったのではないと、困った様子でベルンハルトは話を続ける。
「違うんですよ。彼の言った事が直接の原因ではなくて……その、メルさんとあった日、僕は兄に連れられて騎士団で一日だけ訓練を受けさせられたんです。騎士の家に生まれたのに恥ずかしい話ですが、僕にはやっぱり向いてなかったんですよ。兄は訓練を続ければいずれはなんて言ってましたが、続けたいとは思えませんでした」
「当たり前だろう!ハルはヌイグルミを作る職人なんだから。私は騎士になって欲しいなど思った事はない」
思った事はない。でも、それでも自分が副団長を続けるならいつか……とギリファンは俯く。
きっかけは何であれ、結局お互いに気付いてしまったというだけの話だ。
「私が……魔術師を辞めればハルを苦しめる事も無かっただろうな」
「……では、辞めてこのまま僕と正式に婚約してくれますか?」
真剣にベルンハルトに言われ、ギリファンはハッとする。
彼のメガネの奥にある鳶色の瞳は迷う事無く、まっすぐとギリファンを見据えていた。
その言葉に困惑したのはギリファンの方だった。
魔術師を辞めて、ベルンハルトと一緒になる。それはずっとしがらみから抜け出したいと思っていたギリファンが望んでやまない物だった。
少し前のギリファンなら迷いはしても頷いた可能性の方が高かっただろう。
だが、今は何故かそんな気にはなれなかった。
ベルンハルトは今でも素敵な人だと思う。
だが、先程からこの計画を企てた幼馴染の、少し寂しそうな笑顔がチラついてならないのだ。
そんなギリファンの迷いを察したのか、ベルンハルトはフッと肩の力を抜いた。
「いいんです。解ってました。ファンはどんなに迷っても、きっとずっと魔術師を辞めるなんて出来ないだろうなって」
「そんな事……」
「ないって言い切れますか?君はとても面倒見の良い人です。君の下には大勢の魔術師がいるのでしょう?君は何故嫌いだと言った魔術師副団長を今でも続けているんですか?彼らを見捨てられないからじゃないんですか?」
指摘された事は間違っていない。でも、誰かに望まれれば、いつでも辞めるつもりで居たのも確かだ。
そう言おうとして、自分の中の矛盾に気がつく。
なら何故、デーゲンに反対された時、その事を告げなかった?
……簡単な事だ。結局ベルンハルトの言う通り、無意識の中で恋愛より仕事を優先しただけの話だ。
気がついて、ギリファンはもう一つの事実にも気がついてしまう。
(私がハルに向けていた好意は恋愛への憧れでしかなかったのではないか?)
勿論、共に歩んでいれば幸せな家庭は築けただろう。
だが、何よりも優先したいとも思えないのも事実だった。
ライマールがエイラを望んだ様な激しい感情もなければ、諦めろと誰かに言われれば諦めてしまえるだけの、それだけの感情でしかない。
「すまない……ハル。お前は良い奴だが、全てを捧げたいと思える程ではなかった様だ……」
なんて浅はかなんだろうと、ギリファンは自分に嫌気が差す。
この歳になってまで恋愛に憧れていましたなんて道化でしかない。
「気にしないで下さい。僕もそこまでの覚悟があったかと問われれば、君と同じだったんですから。今日はちゃんと会って話が出来て良かったです」
フラれたというのに、つかえが取れた様な晴れやかな笑顔でベルンハルトはギリファンに手を差し出す。
ハッとしてギリファンはベルンハルトの目を見れば、彼もまた自分と同じ様に今まで迷ってきていたのだと思い至った。
家のしがらみを抱えるベルンハルトと、魔術師である事にしがらみを抱えるギリファンが求めた物は同じだったが、寄り添って行くには頼りない感情だった。
(憧れの中にもちゃんと好意はあった。でも、甘えていただけだ。それはハルも一緒だったって事か)
差し出されたベルンハルトの手を取り、ギリファンは少しだけ寂しさを感じる。
同じ悩みを持つ同士はこの手を離してしまえば本当に終わりなのだろう。
名残惜しさにギュッと手を握りしめれば、ベルンハルトも意を理解しているかの様に握り返してきた。
ほんのりと目を潤ませて、それでも愛嬌のある笑顔でベルンハルトはギリファンにお礼を述べる。
「ファンと付き合えて楽しかったです。良い勉強になりました。ありがとう」
「ハル……あぁ、私もだ。ハルのお陰でいい夢をみれた。感謝する」
固い握手を交わして、ギリファンは漸く笑みを浮かべる。
お互いの気持ちを確認して、二人は本当の意味で別れを決意したのだった。
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