デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

幼馴染が気になりまして@トルドヴィン

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 廊下で研究室の中の様子を伺っていた男は、ギリファン以上に落ち込んだメルが部屋から出ていくのをそっと陰から見送ると、入れ替わる様に中へと進んでいく。
 部屋の中では先程までメルと会話をしていたギリファンが書類を手に取り、慣れた手付きでペンをサラサラと走らせていた。
 ランプの明かりが俯いた彼女の真剣な表情を照らし、その凛々しい面立ちに男は僅かに息を飲む。


「なんだ?忘れ物か?手伝いに戻ってきたなら必要ないぞ。私もこれを終えたら仮眠を取るからな。お前も明日は早いだろう。こっちの心配はいいから明日に備えて休んでおけ」


 ギリファンは顔も上げずに、メルが戻ってきたのだと勘違いをして男に声を掛ける。
 男は何も言わずにギリファンの横まで近寄ると、徐に来ていた上着を脱いで、隣の椅子に掛け、近くにあった書類を手に取り文字を追う。
「あぁ、これは酷いねぇ。こんな物まで申請してたら紙が幾つあっても足りやしない。あ、この書類じゃコレは許可出ないよ。専用の書式があった筈だ」


 メルではない、しかし聞き覚えのある声にギリファンは驚いて顔を上げる。
 すぐ横を見れば、真剣な表情をしたトルドヴィンが書類を指差し誤りを指摘していた。


「お前……何でここに居るんだ!?」
 大きく目を見開いて、ギリファンは幽霊でも見ているかの様に思わず仰け反る。
 そんなギリファンの丸々とした緑色の瞳を見つめながら、あぁ、綺麗な色だなぁと、トルドヴィンは目を細め、こっそりとギリファンに見とれていた。


「……夕方君の様子がおかしかったから流石に少し気になって、ね。家に行ったら帰ってないって聞いて城まで戻って来ちゃったよ。そしたらメルが君に重大な告白をしている際中だった。邪魔をする訳にはいかないだろう?」
「お、まえっ!立ち聞きしていたのか!?最低だぞ!!」
「ごめんね?聞くつもりは無かったんだけど、いつ終わるか判らなかったから。つい最後まで聞いちゃった」


 それはどう考えても聞きたかっただけではないか!と、顔を真っ赤にするギリファンを見ながら、やはりトルドヴィンは悪びれもせずに肩を竦める。
 反省する様子のないトルドヴィンを見てゲンナリしたのか、ギリファンは疲れた様にガックリと項垂れた。


 そんなギリファンを見ながら、気が紛れるのであれば今はそれでいいとトルドヴィンは微笑んでみせる。


 ギリファンが抱えていた物は、告白してフラれた時に聞いた話より根が深いものだったのだと、さっきの会話で改めて知る事となってしまった。


 メルの家とは両親よりも前の代からずっと仲良くやって来た所為か、クーベ家の人間は魔術師に対して幸か不幸か偏見を持った事は無かったし、トルドヴィンもそういう環境で育てられて来た故に、その根深さに気が付く事が無かったのだ。
 ただ漠然と、騎士の中にはそういった考えの人間も居るという認識しか持っていなかった。


 ギリファンが語った小さな憧れを耳にして、トルドヴィンは胸が痛むばかりだった。


(あの笑顔は、本当に望んでいた物を手に入れた喜びから来ていたんだね)


 ベルンハルトと楽しそうに話していたギリファンを思い出し、トルドヴィンは笑顔を貼り付けたまま、ごまかす様に書類へと視線を戻す。
 やはり自分では到底あの笑顔を引き出す事は出来なかっただろうなと、ギリファンに気づかれない様に小さく嘆息を漏らした。


「まぁ、君が元気がなかった理由を思わぬ所で知ってしまった訳だけど。大丈夫だよ。ファー、君は幸せになれるさ。私が何とかするから。今は……そうだなぁ、目の前の書類の山を片付けてしまおうか」


 パサリ、と音を立てて手にしていた書類を束の上に乗せると、その山ごと抱えて向かいの席へと移動する。
 徐にペンをとったかと思えば、パラパラと書類をめくり、ギリファンがしていたのと同じ様に流れる様にペンを走らせた。


 そのトルドヴィンの行動に、ギリファンは眉を顰めてトルドヴィンを睨みつける。
「何とかするって……何を考えている?余計な事はするな。もう済んだ事だし、お前には関係無い事だ。その書類も!お前は騎士なんだからこっちを手伝っても一銭の足しにもならんぞ!ましてや時間外労働だ。とっとと帰れ!」


 書類を取り上げようと手を伸ばしたギリファンから逃げる様に、トルドヴィンはヒョイっと書類を手にしたまま後ろに仰け反る。
 キッと睨みつけてくるギリファンを見ながら、信頼はまだ得られないかな?と内心苦笑し戯けてみせた。


「酷いなぁ、この時間に帰れだなんて。いくら私でも丸腰で襲われたら絶対に勝てるなんて言い切れないよ?どうせ明日こっちからも助っ人をよこそうと思ってた所だったし、ある程度現状を知っておきたかったんだ。それに給与だってこれ以上増えた所でどうせ使う時間なんてないんだし、別にタダ働きでも私は構わないよ。ファーが一日でも早く元気になるならそれで良いさ」


 そう、せめて彼女が幸せでありさえすれば良いと今は心からそう思うのだ。
 これ以上、気ばかり張って、大事な物を失ってしまわない様にと、トルドヴィンは願って止まなかった。
 たとえこの先彼女の隣に立つ事がなくとも、ギリファンが口にした小さな幸せを叶えてやりたい。
 彼女を守ってやる事は出来ずとも、それくらいの事ならきっと出来る筈だ。


 だが悲しいかな、そんなトルドヴィンの想いもギリファンには届いていない様で、彼女はますます眉間のシワを深くしてしまった。


「何故だ?無償で働いてもお前に返ってくるものなんて何も無いぞ。お前だって明日は明日の仕事があるだろう。助っ人の件はありがたいが、今ここで私を手伝っても無駄に疲れるだけだぞ」
「なんでそれをファーが決めるかなぁ?得る物ならあるかも知れないじゃないか。やってみなければ判らない。それに少なくとも私は君が笑ってさえくれれば、それで十分報われた気になれるよ。金貨を得るより実に価値がある物だと思わないかい?」


 ニッコリ微笑んで言えば、ギリファンは少しだけ頬を染めて目を見開く。
 そして呆れた顔で大きな溜息をつかれてしまった。


「そんなわけあるか。笑顔で腹は満たされないぞ」
「でも胸は満たされる」
「……お前、さっきっからそういう事サラッと言ってるが、恥ずかしくないのか?」
「別に?私が君を好きな事実は変えようがないし、君が幸せになれば良いと思ってるのも事実だ。怒った顔も可愛いけど、笑顔の方がもっと可愛らしいってこの間気がついたからね」


 サラッと思った事をまた口にすれば、ギリファンはますます顔を真っ赤にして口をパクパクとして絶句する。


(そういう顔をされると今は非常にマズいんだけどなぁ……)


 まぁ、眼福眼福。と、トルドヴィンはやはり見惚れながら、触れたくなる気持ちをグッと抑えてニッコリ笑顔を貼り付けギリファンを見上げる。


「お……かっ……か、勝手にしろっ!!」
 言葉を失い、呆れたと言わんばかりにまた椅子に座り直すと、ギリファンは顔を赤くしたまままた書類と格闘し始めた。
 その様子を見て、少しだけホッとして、自分も同じ様に手にしていた書類と向き合い始める。


「うん。勝手にさせてもらうよ」


 ギリファンに聞こえるか聞こえないかの声で呟いて、トルドヴィンは密かに計画を練り始めていた。

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