デール帝国の不機嫌な王子
諦めと現実と
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一通りの話し合いを終え、クロドゥルフとトルドヴィンが部屋を退出した後、入れ替わりで入ってきたメルと、残ったライマールと共に、明日からの調整について話し合った。
ここの所ずっと様子がおかしかった弟が更に妙だった事が気になったが、調整の方も無事に済み、ギリファンはまた自分の研究室へと戻って行った。
時刻はすっかり遅くなってしまい、今から家に戻るのも流石に億劫だと、寄宿舎から枕と毛布を持ち込んで、出来る限り書類を片付けてしまう事にした。
それを見越していたのか、机の上には軽い軽食と「母さんには伝えておきます」と、ガランのメモ書きが残っていた。
伊達に長年右腕はやってないか。と、ギリファンは苦笑して弟の残した置き土産へと手を伸ばす。
軽食を平らげ、ひたすらペンを走らせていると、不意にコンコンとノックの音がしてギリファンは驚いて顔を上げる。
するとそこに、おずおずと先程まで一緒だったもう一人の弟のメルが部屋の中へと入ってきた。
「驚いた。まだ残っていたのか?あぁ、お前は最近こっちに泊まってるんだったな。どうかしたのか?」
「どうしても謝りたくて……その、少しいいですか?」
「ふむ?適当に座れ。茶を入れてきてやる」
「あ、だったらボクが……」
「いや、いい。最近身体を動かしてなかったからな。少しでも動いておきたいんだ」
実験用のオイルランプで湯を沸かしながら、ギリファンは「はて?」と、首を捻る。
よくよく考えてみれば、ここの所メルとは顔を合わせていなかったので謝られる様な事が何かあっただろうかと思い返す。
最後にあったのは、確かベルンハルトの事で喧嘩をして……もしかしてその事だろうか?
もうだいぶ前になってしまった出来事を思い出し、背後にいる弟に声を掛けた。
「喧嘩の事なら気にするな。お前は私のためを思って言ってくれたんだろう?安心しろ。どうも縁がなかったみたいでな、少し前に別れてしまった。まぁ、だからと言ってトルと付き合えと言われても困るんだが」
サラッと口にして見たものの、やはり気持ちの切り替えは完全にはできていないなと苦笑する。
今まで付き合ってきた男性に比べれば長続きした方だったし、誠実な男だっただけに直接顔を合わせて別れを告げられなかった事も尾を引いている。
かと言って弟に心配をかけるわけにもいかず、ギリファンはいつも通りに振舞った。
時が経てば忘れていく事だ。こうして振舞っていればいつかなんでも無いと思える様になるだろう。
何か言ってくるかと思ったメルは押し黙ったまま特に何も言わずに項垂れている。
さっき会った時からなんだか妙に思いつめた様子なのが気になるが、まぁ、こうしてわざわざ訪ねてきたのだから仲直りさえすれば元気を取り戻すだろうと、ギリファンも何も言わずに湯が沸くのを眺めていた。
暫くして、コポコポと音を立てて湯が沸いた所でポットに茶葉を入れ、雑然とした机の上にカップを並べる。
少し濃いめの茶を注いでメルに渡せば、已然沈んだ様子でそれを受け取りって、メルはギリファンから視線を逸らした。
「兄さんから聞きました。……ボクの所為ですよね。ボクがあんな事言ったから……ボク、今度の休日に間違いだったってベルンハルトさんに謝ってきます!すみませんでした姉さん!ボクの気持ちを押し付けるべきじゃなかったって……今更すぎるかもしれないけど、後悔してるんです」
ギュッとカップを握りしめ、切羽詰まった様子で訴えるメルに、「んん?」とギリファンは眉を顰め首を傾げる。
「ちょっと待て、何の話をしているんだ?お前ハルに会った事があるのか?全然話が見えないんだが」
あんな事を言ったとは一体何の事だろうか?
以前メルと喧嘩した時の事を思い出し、その後の弟の行動を想定してみる。
まぁ、話ぶりからすればこの弟の事だ。ベルンハルトの所へ行って何かよからぬ事を言ったのだろう。
だが、別れを告げたのは自分からだし、その原因だってあちらの家族に反対されたからであって、メルの所為では全く無い。
「ボク、少し前にベルンハルトさんと城で会ったんです。あ、その前にもお店の方にも行ったんですが、その時は……その、ボクすぐに帰ってしまって何もなかったんですが……」
「城で?ハルが来てたのか?」
まさか自分に会いに来た……わけは流石に無いだろうが、珍しい事もあるものだなとギリファンは首を傾げる。
よくよく考えてみればあの店にデーゲンがいたこと自体不自然だったのだから、もしかしたら家族と和解する為に城に来ていたのかも知れないなとギリファンは想像する。
メルはギリファンの問いにおずおずと頷くと、その予想とは違い、デーゲンに無理やりベルンハルトが連れて来られていた事を軽く説明した。
「騎士団に入れられそうになってて、お兄さんと揉めてたんです。ボク、たまたまそこに居合わせてしまって。仲介をしたんですが、その時最後に、ボク、ベルンハルトさんに姉さんとの事反対ですって……割と酷い事を言ってしまったんです。姉さんを守れないような人に任せられないって。ベルンハルトさん、悲しそうな顔してました……本当は全然そんな事思ってなかったのに、きっとその所為でベルンハルトさん、思いつめて、姉さんに別れを告げてしまったんだと思うんです。だからボク、今度の休日にベルンハルトさんに謝ってきます!姉さん、本当にすみませんでした!」
「いや、ちょっとまて。そもそも私は別にハルにフラれたわけではないぞ?私の方から……まぁ、直接ではないが別れると決めたんだ」
それに聞いていればたいして酷い事を言ったとも思えない。自分を心配しての台詞だと思えば、たとえそれで別れることになっていたとしても、所詮その程度の気持ちだったのだろうと、むしろその方が後腐れなくアッサリ気持ちの整理がついていたような気がしないでもない。
今モヤモヤしているのはベルンハルトがどう思っているのか解らないからだ。
そんな事に今更ながら気がついて、ギリファンはやはりちゃんと顔を合わせて話し合うべきだったなと黙り込む。
そんな姉の発言に、メルは予想外とばかりにキョトンとして、漸く顔を上げてギリファンを見つめた。
「姉さんの方から……?どうしてです?だって、気に入っているって言ってたじゃないですか」
「そうなんだがな。デーゲン殿……ハルの兄君に魔術師ととなると家名に傷がつくとハッキリ言われてしまってな。ジャミル家の道場には昔から世話になっているし、それならばと別れる事にしたんだ」
お茶を啜りながら、至ってなんでもない事の様にメルに話してみせる。
本来なら道場に通わせて貰っている事ですら奇跡なのだから当然だなと、ギリファンは自分に言い聞かせる様に目を伏せる。
しかしメルはその言葉に目を丸くして、手にしていたお茶を机の上にガチャリと置いて立ち上がった。
「そんな!姉さんそれで良いんですか!?そんな馬鹿な話あるわけないじゃないですか!大体ベルンハルトさんを紹介したのって道場のお師匠様だったんでしょう!?それって先代のジャミル侯、ベルンハルトさんのお爺様ですよね?身内に紹介されているのに酷すぎます!」
まるで自分の事の様に憤慨するメルを見上げながら、ギリファンは苦笑する。
あれだけ反対していたのに、いざとなれば姉の肩を持とうとする弟の反応に少しだけ救われた様な気がして、ついギリファンは気を緩めてしまった。
「お前、ハルとの仲を反対してたんじゃなかったのか?妙なやつだな。しょうがないじゃないか。師には恩があるし、その家族が反対だと言うのならやはり迷惑はかけたくない。世間で魔術師がどう思われているのかはよく判っているだろう?世間の目が気になるという気持ちは、私には痛い程判ってしまうんだよ。メル、私はな、お前やガラン程この職業を誇りに思う事は出来ないんだ。どちらかと言えば……そうだな。出来ればすぐにでも辞めてしまいたいとさえ思うよ」
寂しげに笑って、ギリファンは心の内にひた隠しにしていた事実をメルに告げる。
話すつもりなんて全くなかったのだが、もしかしたらずっと誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
それだけ今回の事は自分が思っていた以上に辛い事だったのだと改めて自覚する。
魔術師を目指したきっかけは、トルドヴィンが学校に通うから自分も行きたいという、とても些細な動機からだった。
女の身で騎士を目指すわけにもいかず、必然的に魔術師学科へ通うことになり、入学してからはいじめがあった所為で、いつの間にか意地になって、ただひたすら勉学に打ち込み、気が付けば後戻りもままならない場所に立っていた。
成長するに連れて騎士と魔術師の隔たりは大きくなる一方で、恋をしても避けられる事の方が多かった。
そしてギリファン自身が、いつの間にか魔術師という職業を呪わしいものの様に感じる様になってしまったのだった。
姉の衝撃的な告白に、メルは目を見開いて硬直する。
凛として、ギリファンが最年少で初の女性魔術団長に就任した時、メルは誰よりも姉に憧れ、誇りに思っていたのだ。
それをあっさりライマールに譲った時も、姉の寛大さが成せるものなのだと関心すらしていた。
「じゃあ姉さんはずっと嫌々ながら団長をしていたっていうんですか?嫌だから……ライマール様に団長職を押し付けたんですか?」
某然とする弟を見ながら、ギリファンは苦笑する。流石に告げるのは酷だったかと弟の心情を推し量るものの、嘘偽りを告げる気もなく、ギリファンは小さく頷く。
「勿論ライムが王子だったから上に立つわけにもというのもあったし、誰よりも頭の冴えるやつだからだというのも考慮した上で移譲した。でもその中にそういう想いもあったという事は否定出来ないな。と言っても、ライムがあんな奴だからな。やってる事は対してあの頃と変わってない」
ライマールに本来なら団長がやるべき仕事を押し付けられても文句を言わないのは、ライマール自身にしか出来ない事があるからと言うだけではなく、ギリファン自身に後ろめたさもあったからだった。
だからライマールがやりたくないと言い出せば、いつでも甘んじてそれを受け入れる覚悟ぐらいは持っていた。
「でも、本当は嫌いなんですね……魔術師……」
低い声で、唸る様にメルは呟く。
ギリファンはそんなメルを見つめながら、表情を変える事なく「ああ、そうだな」とハッキリと宣言する。
「私の夢をずっと否定してきた忌まわしい職業だからな……好きにはなれない。お前達には悪いと思っているが、な。だからせめて、ツィシーが私と同じ思いをせずに済む様にと、今はそれだけを支えに仕事をしている。なかなかまだ難しいのかも知れんがな」
下の弟達は魔術師が嫌で騎士学科へと通っているが、ただ一人の妹のツィシーは上の兄弟と同じ様に魔術師学科に通っている。
ライマールのお陰で今の学園は随分過ごしやすい場所の様だが、城の中は今漸く動き出したばかりだ。
せめてツィシーがここに勤める様になる迄には顔を上げて歩ける様な職場にと、ギリファンは密かに思っていた。
「姉さんの夢?なにか望みがあったんですか?」
魔術師が好きではないと告げた姉に、メルは激怒するでもなく、ただぼんやりと不思議そうに疑問を投げかけてきた。
その問いの答えに、ギリファンは少しだけ躊躇したが、何処か遠くを見つめる様に、自分の中のささやかな夢を弟に語った。
「望みという程大層なものではないが……人の目を気にせず着飾って、女友達と買い物に行ったり、お茶を飲んだり、恋の話をしたり、時に男性にエスコートされたり、だな。普通の貴婦人が普通に過ごす事を経験したかったな。その点でハルには良い夢を見させて貰った。……はははっ、忘れろ。ガラじゃないな。気味悪いだろ?いや、しかし、口にすると照れ臭いものだな」
「姉さん……」
ほんの少し頬を染めてニッとギリファンは笑って見せる。
子供の頃の我儘であれ、意地で勉学に励んだ事であれ、自分が選んだ道なのだ。ましてやベルンハルトと別れると決めたのもキッカケはどうあれ、それも自分が言い出した事だ。八つ当たりでメルを責める様な事だけはしたくない。
この先ベルンハルトの様な人物と出会う機会は無いかもしれない。
でも、それで良いのかもしれないとギリファンは思う。
魔術師副団長として自分があり続ける限り、内からも外からも背中を狙われ、女として、魔術師として、蔑まされても、敬われる事は無いだろう。
結局の所、メルがベルンハルトに指摘した事は正しい事なのだ。
共に歩むならば、ギリファンに負けず劣らず強い者でなければ、いつかとんでもない出来事に巻き込み、その人を不幸にしてしまう筈だ。
魔術師で、副団長と言う立場である限り、好きだと言う気持ちだけではどうしよも出来ない事の方が多いのだ。
この先また、誰かに期待をして落胆させられるなら、誰とも出会わない方が幸せなのかもしれない。
そんなことを考えつつ、色々と思いもよらなかった事を聞かされてショックを受ける弟の肩を叩く。
「すまないな。こんな姉でガッカリしたか?皆を偽っている自覚はあるが、でもこれが私なんだ。……本当に、なんでこんな女が副団長なんてやってるんだろうな?」
自分の身を守れるだけで良かった筈なのにと思いながら、ギリファンは少しおどけて肩を竦めてみせる。
メルは怒るでもなく、落胆するわけでもなく、ただブンブンと首を振って、小さく謝罪を口にし、ポタリと一雫の涙を流した。
広い研究室で姉弟がそんな会話をしているのを、廊下の向こうでジッと佇んで聞いていた一つの影があった事に、この時ギリファンは気がついていなかった。
一通りの話し合いを終え、クロドゥルフとトルドヴィンが部屋を退出した後、入れ替わりで入ってきたメルと、残ったライマールと共に、明日からの調整について話し合った。
ここの所ずっと様子がおかしかった弟が更に妙だった事が気になったが、調整の方も無事に済み、ギリファンはまた自分の研究室へと戻って行った。
時刻はすっかり遅くなってしまい、今から家に戻るのも流石に億劫だと、寄宿舎から枕と毛布を持ち込んで、出来る限り書類を片付けてしまう事にした。
それを見越していたのか、机の上には軽い軽食と「母さんには伝えておきます」と、ガランのメモ書きが残っていた。
伊達に長年右腕はやってないか。と、ギリファンは苦笑して弟の残した置き土産へと手を伸ばす。
軽食を平らげ、ひたすらペンを走らせていると、不意にコンコンとノックの音がしてギリファンは驚いて顔を上げる。
するとそこに、おずおずと先程まで一緒だったもう一人の弟のメルが部屋の中へと入ってきた。
「驚いた。まだ残っていたのか?あぁ、お前は最近こっちに泊まってるんだったな。どうかしたのか?」
「どうしても謝りたくて……その、少しいいですか?」
「ふむ?適当に座れ。茶を入れてきてやる」
「あ、だったらボクが……」
「いや、いい。最近身体を動かしてなかったからな。少しでも動いておきたいんだ」
実験用のオイルランプで湯を沸かしながら、ギリファンは「はて?」と、首を捻る。
よくよく考えてみれば、ここの所メルとは顔を合わせていなかったので謝られる様な事が何かあっただろうかと思い返す。
最後にあったのは、確かベルンハルトの事で喧嘩をして……もしかしてその事だろうか?
もうだいぶ前になってしまった出来事を思い出し、背後にいる弟に声を掛けた。
「喧嘩の事なら気にするな。お前は私のためを思って言ってくれたんだろう?安心しろ。どうも縁がなかったみたいでな、少し前に別れてしまった。まぁ、だからと言ってトルと付き合えと言われても困るんだが」
サラッと口にして見たものの、やはり気持ちの切り替えは完全にはできていないなと苦笑する。
今まで付き合ってきた男性に比べれば長続きした方だったし、誠実な男だっただけに直接顔を合わせて別れを告げられなかった事も尾を引いている。
かと言って弟に心配をかけるわけにもいかず、ギリファンはいつも通りに振舞った。
時が経てば忘れていく事だ。こうして振舞っていればいつかなんでも無いと思える様になるだろう。
何か言ってくるかと思ったメルは押し黙ったまま特に何も言わずに項垂れている。
さっき会った時からなんだか妙に思いつめた様子なのが気になるが、まぁ、こうしてわざわざ訪ねてきたのだから仲直りさえすれば元気を取り戻すだろうと、ギリファンも何も言わずに湯が沸くのを眺めていた。
暫くして、コポコポと音を立てて湯が沸いた所でポットに茶葉を入れ、雑然とした机の上にカップを並べる。
少し濃いめの茶を注いでメルに渡せば、已然沈んだ様子でそれを受け取りって、メルはギリファンから視線を逸らした。
「兄さんから聞きました。……ボクの所為ですよね。ボクがあんな事言ったから……ボク、今度の休日に間違いだったってベルンハルトさんに謝ってきます!すみませんでした姉さん!ボクの気持ちを押し付けるべきじゃなかったって……今更すぎるかもしれないけど、後悔してるんです」
ギュッとカップを握りしめ、切羽詰まった様子で訴えるメルに、「んん?」とギリファンは眉を顰め首を傾げる。
「ちょっと待て、何の話をしているんだ?お前ハルに会った事があるのか?全然話が見えないんだが」
あんな事を言ったとは一体何の事だろうか?
以前メルと喧嘩した時の事を思い出し、その後の弟の行動を想定してみる。
まぁ、話ぶりからすればこの弟の事だ。ベルンハルトの所へ行って何かよからぬ事を言ったのだろう。
だが、別れを告げたのは自分からだし、その原因だってあちらの家族に反対されたからであって、メルの所為では全く無い。
「ボク、少し前にベルンハルトさんと城で会ったんです。あ、その前にもお店の方にも行ったんですが、その時は……その、ボクすぐに帰ってしまって何もなかったんですが……」
「城で?ハルが来てたのか?」
まさか自分に会いに来た……わけは流石に無いだろうが、珍しい事もあるものだなとギリファンは首を傾げる。
よくよく考えてみればあの店にデーゲンがいたこと自体不自然だったのだから、もしかしたら家族と和解する為に城に来ていたのかも知れないなとギリファンは想像する。
メルはギリファンの問いにおずおずと頷くと、その予想とは違い、デーゲンに無理やりベルンハルトが連れて来られていた事を軽く説明した。
「騎士団に入れられそうになってて、お兄さんと揉めてたんです。ボク、たまたまそこに居合わせてしまって。仲介をしたんですが、その時最後に、ボク、ベルンハルトさんに姉さんとの事反対ですって……割と酷い事を言ってしまったんです。姉さんを守れないような人に任せられないって。ベルンハルトさん、悲しそうな顔してました……本当は全然そんな事思ってなかったのに、きっとその所為でベルンハルトさん、思いつめて、姉さんに別れを告げてしまったんだと思うんです。だからボク、今度の休日にベルンハルトさんに謝ってきます!姉さん、本当にすみませんでした!」
「いや、ちょっとまて。そもそも私は別にハルにフラれたわけではないぞ?私の方から……まぁ、直接ではないが別れると決めたんだ」
それに聞いていればたいして酷い事を言ったとも思えない。自分を心配しての台詞だと思えば、たとえそれで別れることになっていたとしても、所詮その程度の気持ちだったのだろうと、むしろその方が後腐れなくアッサリ気持ちの整理がついていたような気がしないでもない。
今モヤモヤしているのはベルンハルトがどう思っているのか解らないからだ。
そんな事に今更ながら気がついて、ギリファンはやはりちゃんと顔を合わせて話し合うべきだったなと黙り込む。
そんな姉の発言に、メルは予想外とばかりにキョトンとして、漸く顔を上げてギリファンを見つめた。
「姉さんの方から……?どうしてです?だって、気に入っているって言ってたじゃないですか」
「そうなんだがな。デーゲン殿……ハルの兄君に魔術師ととなると家名に傷がつくとハッキリ言われてしまってな。ジャミル家の道場には昔から世話になっているし、それならばと別れる事にしたんだ」
お茶を啜りながら、至ってなんでもない事の様にメルに話してみせる。
本来なら道場に通わせて貰っている事ですら奇跡なのだから当然だなと、ギリファンは自分に言い聞かせる様に目を伏せる。
しかしメルはその言葉に目を丸くして、手にしていたお茶を机の上にガチャリと置いて立ち上がった。
「そんな!姉さんそれで良いんですか!?そんな馬鹿な話あるわけないじゃないですか!大体ベルンハルトさんを紹介したのって道場のお師匠様だったんでしょう!?それって先代のジャミル侯、ベルンハルトさんのお爺様ですよね?身内に紹介されているのに酷すぎます!」
まるで自分の事の様に憤慨するメルを見上げながら、ギリファンは苦笑する。
あれだけ反対していたのに、いざとなれば姉の肩を持とうとする弟の反応に少しだけ救われた様な気がして、ついギリファンは気を緩めてしまった。
「お前、ハルとの仲を反対してたんじゃなかったのか?妙なやつだな。しょうがないじゃないか。師には恩があるし、その家族が反対だと言うのならやはり迷惑はかけたくない。世間で魔術師がどう思われているのかはよく判っているだろう?世間の目が気になるという気持ちは、私には痛い程判ってしまうんだよ。メル、私はな、お前やガラン程この職業を誇りに思う事は出来ないんだ。どちらかと言えば……そうだな。出来ればすぐにでも辞めてしまいたいとさえ思うよ」
寂しげに笑って、ギリファンは心の内にひた隠しにしていた事実をメルに告げる。
話すつもりなんて全くなかったのだが、もしかしたらずっと誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
それだけ今回の事は自分が思っていた以上に辛い事だったのだと改めて自覚する。
魔術師を目指したきっかけは、トルドヴィンが学校に通うから自分も行きたいという、とても些細な動機からだった。
女の身で騎士を目指すわけにもいかず、必然的に魔術師学科へ通うことになり、入学してからはいじめがあった所為で、いつの間にか意地になって、ただひたすら勉学に打ち込み、気が付けば後戻りもままならない場所に立っていた。
成長するに連れて騎士と魔術師の隔たりは大きくなる一方で、恋をしても避けられる事の方が多かった。
そしてギリファン自身が、いつの間にか魔術師という職業を呪わしいものの様に感じる様になってしまったのだった。
姉の衝撃的な告白に、メルは目を見開いて硬直する。
凛として、ギリファンが最年少で初の女性魔術団長に就任した時、メルは誰よりも姉に憧れ、誇りに思っていたのだ。
それをあっさりライマールに譲った時も、姉の寛大さが成せるものなのだと関心すらしていた。
「じゃあ姉さんはずっと嫌々ながら団長をしていたっていうんですか?嫌だから……ライマール様に団長職を押し付けたんですか?」
某然とする弟を見ながら、ギリファンは苦笑する。流石に告げるのは酷だったかと弟の心情を推し量るものの、嘘偽りを告げる気もなく、ギリファンは小さく頷く。
「勿論ライムが王子だったから上に立つわけにもというのもあったし、誰よりも頭の冴えるやつだからだというのも考慮した上で移譲した。でもその中にそういう想いもあったという事は否定出来ないな。と言っても、ライムがあんな奴だからな。やってる事は対してあの頃と変わってない」
ライマールに本来なら団長がやるべき仕事を押し付けられても文句を言わないのは、ライマール自身にしか出来ない事があるからと言うだけではなく、ギリファン自身に後ろめたさもあったからだった。
だからライマールがやりたくないと言い出せば、いつでも甘んじてそれを受け入れる覚悟ぐらいは持っていた。
「でも、本当は嫌いなんですね……魔術師……」
低い声で、唸る様にメルは呟く。
ギリファンはそんなメルを見つめながら、表情を変える事なく「ああ、そうだな」とハッキリと宣言する。
「私の夢をずっと否定してきた忌まわしい職業だからな……好きにはなれない。お前達には悪いと思っているが、な。だからせめて、ツィシーが私と同じ思いをせずに済む様にと、今はそれだけを支えに仕事をしている。なかなかまだ難しいのかも知れんがな」
下の弟達は魔術師が嫌で騎士学科へと通っているが、ただ一人の妹のツィシーは上の兄弟と同じ様に魔術師学科に通っている。
ライマールのお陰で今の学園は随分過ごしやすい場所の様だが、城の中は今漸く動き出したばかりだ。
せめてツィシーがここに勤める様になる迄には顔を上げて歩ける様な職場にと、ギリファンは密かに思っていた。
「姉さんの夢?なにか望みがあったんですか?」
魔術師が好きではないと告げた姉に、メルは激怒するでもなく、ただぼんやりと不思議そうに疑問を投げかけてきた。
その問いの答えに、ギリファンは少しだけ躊躇したが、何処か遠くを見つめる様に、自分の中のささやかな夢を弟に語った。
「望みという程大層なものではないが……人の目を気にせず着飾って、女友達と買い物に行ったり、お茶を飲んだり、恋の話をしたり、時に男性にエスコートされたり、だな。普通の貴婦人が普通に過ごす事を経験したかったな。その点でハルには良い夢を見させて貰った。……はははっ、忘れろ。ガラじゃないな。気味悪いだろ?いや、しかし、口にすると照れ臭いものだな」
「姉さん……」
ほんの少し頬を染めてニッとギリファンは笑って見せる。
子供の頃の我儘であれ、意地で勉学に励んだ事であれ、自分が選んだ道なのだ。ましてやベルンハルトと別れると決めたのもキッカケはどうあれ、それも自分が言い出した事だ。八つ当たりでメルを責める様な事だけはしたくない。
この先ベルンハルトの様な人物と出会う機会は無いかもしれない。
でも、それで良いのかもしれないとギリファンは思う。
魔術師副団長として自分があり続ける限り、内からも外からも背中を狙われ、女として、魔術師として、蔑まされても、敬われる事は無いだろう。
結局の所、メルがベルンハルトに指摘した事は正しい事なのだ。
共に歩むならば、ギリファンに負けず劣らず強い者でなければ、いつかとんでもない出来事に巻き込み、その人を不幸にしてしまう筈だ。
魔術師で、副団長と言う立場である限り、好きだと言う気持ちだけではどうしよも出来ない事の方が多いのだ。
この先また、誰かに期待をして落胆させられるなら、誰とも出会わない方が幸せなのかもしれない。
そんなことを考えつつ、色々と思いもよらなかった事を聞かされてショックを受ける弟の肩を叩く。
「すまないな。こんな姉でガッカリしたか?皆を偽っている自覚はあるが、でもこれが私なんだ。……本当に、なんでこんな女が副団長なんてやってるんだろうな?」
自分の身を守れるだけで良かった筈なのにと思いながら、ギリファンは少しおどけて肩を竦めてみせる。
メルは怒るでもなく、落胆するわけでもなく、ただブンブンと首を振って、小さく謝罪を口にし、ポタリと一雫の涙を流した。
広い研究室で姉弟がそんな会話をしているのを、廊下の向こうでジッと佇んで聞いていた一つの影があった事に、この時ギリファンは気がついていなかった。
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