デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

おやすみ宣言

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 重い気を引きずって、その日は一日中どんよりとした気分で仕事をしていた。
 幸いだったのは、遅刻して来たメルを訝しんだのはアダルベルトだけで、ライマールは特に気にする風でもなく……いや、若干うっとおしそうに口を曲げていたが、何も言わずにただメルを見守っていた。


 家に帰ってからも後悔ばかりが押し寄せて、家族が話に花を咲かせている間もメルは会話に参加せず、ギリファンが帰って来る前に、何となく自分の部屋へと逃げ込んだ。


 ここの所元気がないメルを心配して、兄妹たちが引っ切り無しにメルの様子を見に来ていたが、なんでもないと言い張りメルは布団に包まった。
 しかし目を瞑れば、ベルンハルトが最後に見せた悲しげな表情を思い出してしまい、その日は殆ど眠る事が出来なかった。


 それから暫く、メルは罪悪感からずっとギリファンを避ける様に、必要もないのに城の宿舎で寝泊まりをする様になった。
 仕事は何とかこなしているものの、無理やり元気がある様に見せかけるその姿は誰から見ても流石に痛々しい。
 そんなメルの姿に耐えかねたのか、はたまた只の欲求からなのか……おそらく、いや、十中八九後者なのだろうが、ライマールがまた唐突にメルとアダルベルトに向かって宣言した。


「明日から秋の演習が始まるまで俺は休暇に入る事にする」
「はっ!?ちょっ……急にそんな事言われても流石に無理です!!演習の準備はどうするつもりなんですか!?」
「そんなもの、お前とギリファンで何とかすればいいだろう。俺が目を通さなきゃいけない書類や話はアダルベルトかガランにでも頼んで竜の城に持ってくれば済む」
「それだけで済む筈無いじゃないですか!!騎士団とのミーティングだってまだ全部は済んでないですし、事前の合同演習の予定だって幾つか……」
「五月蝿い。元々お前の姉が団長だったんだから俺が居なくても対応は出来るだろう。今まで長期休暇なんてとってこなかったし、新婚旅行だって行ってないんだ。少し位融通を利かせろ」


 ムッといつも通り口を曲げて腕を組むライマールの宣言に、メルは久々に頭を抱える。
 姉に言えば、間違いなく額に青い筋がくっきり浮かび上がる事だろう。
 ただでさえ顔を合わせづらいのに、ここの所、何もかもがメルにとって悪い方向へしか動いてない気がしてならない。


「確かに団長になられてから今まで、長期休暇は取られておられない様ですが、これまでの唐突な行いでドタキャンになった公務を換算に入れれば、間違いなくプラマイゼロ……む。マイナスですな」


 ペラペラと何やら手帳を開いてアダルベルトが目算をすれば、メルもウンウンと藁にもすがる思いで同意してみせる。
 しかしライマールは譲る気はないらしく、むすっとしたままアダルベルトを睨みつけて目を細める。


「その公務と救われた民の命を天秤にかけてみろ。釣りが来る。それに今は出来る限りリータの側に居てやりたい。つわりが長引いてるからな……」
「そうなんですか?」
「確かに、陛下はここの所不安そうになさっておられる事が多いですな。食欲も無さそうで以前より痩せられた様な気がしますぞ」


 最近のエイラの様子を思い出したのか、表情を暗くしたライマールに釣られる様にアダルベルトまでもがシュンと耳を伏せて難しい顔をする。
 そのアダルベルトの指摘に、ライマールはコクリと頷いた。
「もうそろそろ終わっている時期なんだがな……初産で不安なのかもしれん。気付けば一人で物に当たったり、泣いてる事がある」
「エイラ様がですか?それは心配ですね。ボクがお側につけたらお慰めできたんでしょうが……」


 メルは以前あったエイラの印象とはまるで違う彼女の行動に目を瞠る。
 高潔で毅然とした、それでいて時折女性らしい笑顔を見せていたエイラがそこまで不安を露わにしているとなると、流石に心配にもなるだろうとライマールに同情した。
 それと同時に、自分は何故国を出る事が出来ないのかと、メルという名に縛られている事に悔しさを感じる。


 しかしライマールはそのメルの言葉にムッとして「余計なお世話だ」と呟いた。
「リータを慰めるのは俺だけでいい。だがお前が心配していた事だけは伝えといてやる」
「えっ?あの……はぁ………アリガトウゴザイマス」


 今のは自分の言い方も悪かったかもしれないと、主人のヤキモチにツッコミも入れず、メルはとりあえず素直に礼を述べる。
 そういう事情ならまぁ、仕方ないのかな?と、思い直し、今まで長期休暇が無かったのも確かな事だったので、メルは渋々ながらもライマールに頷いて了承の意を示した。


「しょうがないですね。解りました。姉さん達と相談して何とかしてみます。ですが、本当に必要な時には参上して下さいね?こちらで仕事を続けると決めた以上はやる事をやってもらわなければ皆困りますから」


「判った」と、ライマールは素直に頷き返事を返す。
 これからギリファンの所に行かなければならない事を思えば気が重かったが、ライマールがホッとした様子で瞼を染めるのを見れば、これは何が何でも休日を勝ち取ってこなければいけないなと、苦笑するしかなかった。


 明日からということもあって、話を聞いた後、直ぐにメルは大部屋の研究室を尋ねる。
 中に入ればいつも以上に皆忙しそうに仕事をしている。


 継続的に行っている研究の管理は勿論、合同演習をするにあたって議会や騎士団に提出しなければならない書類が山の様にあり、規約規約で何をするにしても、持ち出すにしても、いちいち許可が必要になってくるこの惨状はまさに魔術師という職業がどんな物なのかがこの一室で現されていて、なかなかどうして混沌とした部屋に様変わりしていた。


 魔術師の地位が兵士達と対等になれば、はっきり言って7,8割の書類は不要になる筈である。
 当然の事ながら、中心となっているギリファンはかなりイライラとした様子で片っ端から書類と向き合い、部下に指示を飛ばしていた。


 周りの魔術師達も珍しくピリピリとした空気を纏わり付かせていて、メルは話しどころか近寄る事すら躊躇ってしまう。


「メル君〜?どうかしましたか〜?何か御用があるんじゃないんですか〜?」
 扉の前で突っ立っていたメルを見かねたガランが、メルに声を掛ける。
 メルはほんの少しだけ、兄ののんびりとした声にホッと胸を撫で下ろした。
 こういう時の兄の存在は頼りになる物だとメルは実感する。


「兄さん、あの、ライマール様の事でちょっと姉さんに話があるんですが……」
「ライマール様の〜?その言い方ですと〜、あまり良いお話では無さそうですねぇ〜?何かあったんですか〜?」
「ええ。その……ライマール様が、明日から合同演習が始まるまでの間、……あー……産休?に入るので、姉さんと仕事の調整をしなきゃならなくなってしまって」


 モゴモゴと言い淀んだメルの言葉に、室内にいた魔術師達がピタリと動きを止める。
 そして冷んやりとした殺気を放ちながら、ギギギと皆顔を上げ、メルに向かって突き刺す様な視線を送り、一斉に避難を口にし出した。


「このいっそがしい時期に産休だと!?団長はなに考えてるんだ!?」
「てかなんでライム様が産休取るんだよ!!産むのはエイラ様だろう!?それともライム様が妊娠したとでも言うのか!?面白いじゃないか!!ここで産んで見せろってんだ!」
「全く、メルもメルだ!お前がついててなんでそんな話になってるんだよ!毎度毎度、主人の管理くらいちゃんとしてくれ、頼むから!全部こっちに皺寄せが来るんだよ!!わかんだろ?」


 ええ、はい。ごもっともです。と、メルは突き刺さる視線を浴び、恐縮しながら後ずさる。
「皆さんの仰る事も判るんですがね、ライマール様も今まで連休を取るなんて言った事はなかったじゃないですか。その、エイラ様も体調があまり宜しくないみたいですし……そ、それに、本来ならライマール様が今だにデールに留まって仕事してる事自体、あり得ない事なんですから、少し位休ませてあげても良いんじゃないかなぁ〜って……」


 それはそうかもしれないが、今この時期じゃなくてもいいだろうと、言葉にせずとも視線だけで皆がそう訴えているのがありありと解ってしまう。
 しかしずっと黙って書類を捌いていたギリファンが、意外な事にアッサリとそれを了承した。


「要件はそれだけか?ライムには了解したと伝えておいてくれ。今は忙しいから調整は二時間後に。丁度そちらの方に行く予定があるからその時にしよう。お前にも色々手伝ってもらうからな」
「えっ、ええ。ボクはそのつもりでしたから構わないんですが……あの、姉さん、ホントに良いんですか?」
「そういう事情なら仕方ないだろう。お前は知らんかもしれんが、ガランが生まれる前は母さんもかなり辛そうにしていたのを覚えているぞ。メル以降は慣れたものだったがな」
「そうなんですかぁ〜?私は生まれる前から母さんにご迷惑をおかけしていたんですねぇ〜。初めて知りましたよぉ〜」
「ついでに言えばガランの出産は予定日よりも少し遅れていた筈だ。お前は産まれる時からのんびりしたヤツだったって事だな。ああ、メル。エイラ様にお大事にと伝えておいてくれとライムに言っておいてくれ」


 チラリとメルを見た後、ギリファンはヒラヒラと手を振りながら、また書類へと視線を移す。
 皆も副団長の決定には逆らう気はないらしく、一分一秒でも惜しいとまた仕事を再開し始めた。
 メルはホッとして頭を下げると、「失礼しました」と言って部屋から出ようとする。
 するとガランが珍しく、パタパタとメルの後を追いかけて来た。


「そこまで送りますよ〜。少しお話があります〜」
 ニコニコと細い目を下げながら、ガランはメルの隣に立ってのんびりと廊下を歩き出す。
 廊下のガラス窓からは、空まで伸びる長い竹が整然と並んで風に揺らいでいる様子が、まだほんの少し残る夏の暑さを慰めていた。


「メル君最近家に帰って来ませんが〜、そちらの方も忙しいんですか〜?」
「仕事の方は別に……なんていうか、ちょっと一人になりたくて。家だと皆心配して落ち着かないですし」
「ふむ〜。メル君も難儀な恋をしてしまいましたねぇ〜。私が探してあげられれば良いんでしょうが〜。今は忙しいですからねぇ〜」


 気の毒そうにガランは目尻を下げてメルの肩を叩く。
 そう言えばそっちの方でも悩んでいたんだったと、メルは今更ながらに思い出す。
 家に帰らないのはギリファンと顔を合わせたくないからなのだが、そちらの事も突っ込まれるのも確かに気が重い事だった。


「心配かけてすみません兄さん。でも大丈夫です。縁が無かったんですよ。もう少し落ち着いたら家にもちゃんと帰りますから。母さん達にも心配いらないって言っておいて下さい」
「そうですか〜?何か出来る事があったら言って下さいね〜。メル君も姉さんも悩んでてもいつも口に出しませんから〜。私では頼りないかもしれませんがね〜。ふふふふ〜」
「姉さんもですか?……姉さんはそもそも何でも自分で解決出来るじゃないですか。頼られても頼るなんてなんか姉さんらしくないです」


 よくよく考えて見れば、姉が泣いている所も落ち込んでいる所も見た事はない気がする。
 笑ったり怒ったりは勿論するが、そもそも女々しく泣くという姿がまず想像出来ない。
 なんとなくそれは姉らしくない……というか正直気持ち悪いなとメルは顔を顰める。


「ふふふ〜。そうですねぇ〜。まぁ、メル君はそう思うかもしれませんねぇ〜。でも姉さんは気を張っているだけで普通にか弱い女性なんですよ〜。今だってメル君程ではありませんが落ち込んでますよ〜。私はメル君より姉さんと付き合い長いですから〜。よーく判りますよぉ〜」
「落ち込んでる?姉さんがですか?何故ですか?」


 さっき見た限りでは別段普段と変わらない印象しか受けなかったし、ギリファンが落ち込んでいるなんて珍しいこともあるものだとメルは首を捻った。
 すると、ガランは「おや?」という顔をする。


「メル君知らないんですか〜?……ああ、最近家に帰ってきてないから知らなかったんですねぇ〜。姉さん、どうも数日前に別れたらしいんですよ〜。仕方がなかったって笑ってましたが〜、結構落ち込んでますよアレは〜」
「えっ……わ、別れたって……ね、姉さんが?ベルンハルトさんと?ど、どうしてですか!?」


 メルはその場で立ち止まって顔色を悪くする。
 ガランも首を捻りながら同じ様に立ち止まると、様子のおかしいメルを不思議に思いながらもメルに答えた。
「さぁ〜?詳しくは聞いてませんが〜。確かみたいですよ〜。メル君も姉さんも顔は悪くないと思うんですがね〜。縁が無いんですかねぇ〜?……って、メル君〜?おおおう?大丈夫ですか〜?」


 まさか……本当に……?と、メルは目の前が真っ暗になる。
 確かに望んでいた事だ。なのにいざとなると、ここまで衝撃的な事だったのかとその場にフラフラと蹲ってしまう。
 顔色を無くし、呆然と青ざめるメルに、ガランは優しくメルに声をかけてきた。


「大丈夫ですよ〜。また直ぐにいい人が見つかりますよ〜。元気だして下さい〜」
 何も知らずによしよしと慰めてくる兄の優しさに、メルはジワリと目頭に熱いものを浮かべる。
 そして青い顔のままブンブンと首を振って、もう耐え切れないとばかりに兄に縋り付いた。


「違うんです。兄さん。ボク、とんでもない事をしてしまったんです。あんな事言わなければ……姉さんはきっと別れてなんかなかったんだ……でも、ボク、やっぱりクーべ副団長の事を思えばやり切れなくて……どう……どうしよう…………」


 緑色の瞳を潤ませて小さく震えるメルをキョトンとガランは見つめると、やがていつものペースで「何があったんですか〜?」と、のんびりとメルに声をかけてきた。
 そのいつもと変わらないガランの様子にホッとして、メルはポツポツと自分の犯した罪を自白した。

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