デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

Coffee Break : 精霊

 デール帝国の北西に位置するウイニー王国がまだ健在で、夢幻魔術団と呼ばれていた時代の魔術師たちは、ライマールたちとは違い、多くの貴族から援助を受け、自由に魔法を使うことができた。


 今でいう旧帝都には魔術師の機関が専科毎に複数立ち並び、海外からの研究者達も多くこの地に集まって、今よりも大規模な魔法やマジックアイテムを作り、使役していた。


 給与も今とは比べ物にならない位の大金が支払われ、誰もが皆幼い頃より魔術師を目指し、帝国の発展に拍車をかけた。


 中でも精霊ロアの研究が注目を浴び、精霊が発見され研究が始まった当初は連日トップ記事となる程の期待がかかっていた。


 諸外国には研究の詳しい内容をしられないようにと厳重な警戒体制の元行われてきた研究は、次第に陰りを見せ始める。
 精霊の成長が芳しくなかったのである。
 ある程度の成長は確認できるものの、それを維持する事が困難を極めた。


「ほーら、P一号、これがなんだか判るか? オ・レ・ン・ジ、オレンジだぞ?」


 メガネをかけた若い男の研究員が緑色の小さな子供の様な精霊に話しかける。
 若葉の様な色をした精霊は、キョトンと首を傾げながら指を咥え、ジッと研究員の男を見上げていた。


「無駄よ。その子、いくら話し掛けても自分から喋ろうとしないもの。しかも何? そのP一号って」


 羊皮紙を抱えて忙しそうにしている髪の短い若い女性の研究員が、呆れた様子で男に声を掛ける。
 男はよく聞いてくれたと言わんばかりに振り返ると、胸を張って彼女に説明を始めた。


「子供ってのはまっさらなもんでしょ? 根気よく話し掛けてれば、他の子みたいにこの子もいつか自分から話すようになるかもしれないじゃないか。それに名前があれば便利だ。一番最初のピエルトネールだから、こいつはP一号」
「ップ。なんだよそれ。じゃあこいつはP四号か? 単純すぎるだろ」


 メガネの男の向かいにいたウェーブがかった髪をした男が、くつくつと笑いながらP四号の首根っこを摘み上げる。
 手のひら程の大きさのP四号は澄み渡った水のように、見事な青い色をしている。


『P四号、P四号!』
「お? なんだ、お前その名前気に入ったのか? 変わったやつだな」
『P四号! P四号!』
「ちょっと! 止めてくれない?! その子、一旦喋り出すと止まらないんだから、変なこと教えないで!」


 P四号が自分の名前を連呼する中、奥の方から髪をアップにした女性が苛立たしげに金切り声を上げる。
 ウェーブがかった髪の研究員は、ヒョイっと肩を竦めて他の二人に目配せをした。


「五月蝿くしてごめんなさい。そっちの新しい子は順調?」
「生息域が異なる精霊を掛け合わせたのが良かったのかしらね。その子達と比べれば恐ろしい程のスピードで物覚えが早いわ。でも、忘れてしまうのも早いわね。なにがきっかけなのかサッパリだけど、与えた本をスラスラ読み上げたかと思うと、翌日には文字すら読めなくなってることもあるし。正直お手上げだわ」


 その結果を聞いて、誰もがはぁ〜……っと嘆息を漏らす。
 しかし、メガネをかけた研究員だけがP一号を相手に諦める様子を見せなかった。


「でもさ、この子達、僕らの顔だけは憶えてるみたいなんだよねぇ〜。P一号は朝僕が来ると真っ先に僕に目を向けるし、P二号や三号は君には絶対懐かないだろ? それにほら、こないだの結果。少しづつではあるけどやりたいことや、やりたくないことといった自我が芽生え始めている」
「言われてみれば確かに。あいつら俺には懐かないな。ってか四号以外懐いた試しがねぇ。あっちの新参者に至ってはこないだ雷魔法ぶっ放してきたからな。なにがそんなに気に入らないんだか」
「ああ、私は何となく判るわ。貴方女性に節操なさそうだもの」
「ひっで! 俺こんなに真面目なのに。なぁ? 四号?」


 羊皮紙を抱えた女性が冷めた表情でウェーブがかった髪の彼にそう言えば、彼は大袈裟にリアクションを返し、P四号のお腹を人差し指で擽って同意を求める。
 P四号はケラケラと笑いながら『P四号!P四号!』と、また自分の名前を連呼した。


「遊んでる場合じゃないでしょ! 新しい子にしたってこの結果じゃ、とても軍事利用なんて無理。相手の顔を覚えてようがいまいが、人と同じ知識レベルに到達する迄の時間が掛かり過ぎるんだったら、まるで意味がないわ!!」


 髪をアップにした女性がまた、苛立たしげにそう言って、目の前にいた小さな赤毛の仔犬の頭をパシリと叩いた。
 炎の様に真っ赤な毛に、時折パリパリと音を立てて小さな静電気が身体中を走り抜ける。
 仔犬は悲しげに耳を伏せると、「キューン……」と小さく鳴いてみせた。


「なにするんだ。可哀想じゃないか。その子は悪くないだろう? 研究費打ち切りの話が出始めて苛立つ気持ちは判るけど、だからって八つ当たりはよくないよ」
「打ち切り……打ち切りか。その方がいいのかもしれねぇな。俺この研究あんま乗り気じゃなかったし」
「えっ? そうなの? 意外だわ。貴方こういうの好きそうなのに」
「んー、まぁ、こいつらは嫌いじゃねえよ。でもさ、目的は愛玩じゃなくてあくまで兵力だろ? 手塩に掛けて育てたこいつらが人殺すって思うと……な」


 ウェーブがかった髪の男の言葉に、一同しんと静まり返る。
 彼の言うように、彼らもまた精霊に愛着が湧き始めていたのだ。
 無邪気に首を傾げながら見上げてくるP一号に、メガネの男はグッと息を飲み込む。


「……確かに、打ち切った方がこの子達のためなのかも」
「はぁ!? バカ言わないでよ! この子を作るために、わざわざウイニーの焔狼えんろうの森とダールの森まで行ってきたのよ?! どれだけ費用がかかってると思ってるの? 私は嫌よ! 貴方達がどんなに感情移入しようと、これは人でもなければ生き物として存在しているものでもないのよ。上から研究中止の命令が下るまでは足掻いて見せるわよ。……たとえこの子達が処分される運命にあってもね」


 半ば自分に言い聞かせるように髪をアップにした女性が言えば、彼らもまた、精霊達が生き残る可能性があるのは、いい結果を出すしかないのだと気付かされる。
 打ち切られればそこで処分。成功すれば兵器として生かされる。


 やりきれない思いを抱えながら、ウェーブがかった髪の男は拳を握り、歯噛みする。
 他の二人も同様で、始めてしまったばかりにどうすることもできない苛立ちが胸に渦巻いていた。


『オレ……ンジ』


 その場の空気がピリピリとしている事に気がついたのか、P一号が不安そうにテーブルの上にあったオレンジを手に取り、メガネの男を見上げる。


 始めて言葉を発したP一号に、メガネの彼はぎこちなく微笑んで、P一号の頭を撫でた。

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