デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

罪深き好奇心 1

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 暗い室内のどこかで、ぴちゃん、ぴちゃん水が滴り落ちる音が規則的に聞こえてくる。
 辺りはゴツゴツとした岩で出来た高い壁で囲まれており、上を見上げれば、辛うじて月明かりや日の光が入ってきている位の明るさだ。
 ロウソクもなく、自然光のみを頼りに入り組んだ通路を、浴室着を羽織っただけのエイラが、おぼつかない足取りで歩く姿がそこにあった。


「痛っ……」


 白い素肌が曝け出された足の裏に、何かが刺さったような痛みを感じ、エイラは思わず顔を顰める。
 その場に蹲って、恐る恐る足元を確認すれば、小さな石のかけらが足の下に一つだけ落ちていた。
 幸い血を流す様な怪我はしておらず、足にくっついてきた小石を取り除きながら、エイラは小さく嘆息を吐き出す。


「迂闊でした……どうしてこう私は足を引っ張る事しか出来ないのでしょうか……」


 我ながら情けないと落ち込むエイラの頭上から、まるでエイラを励ますかの様に薄っすらと暖かい日の光が差し込んでくる。
 銀に近い細く長い金糸の髪は、見事なまでにキラキラと輝き、暗い部屋を自ら照らす存在感を放っていた。


「落ち込んでいる場合ではありませんね。早く出口を見つけなければ……」


 すっと立ち上がり、気を引き締める様に前を見据え、キリッとした表情でエイラはまた慎重に歩き始める。


 浴室で"呪"の塊に襲われたエイラは気を失った後、気がつけば見覚えのない部屋で目を覚ました。
 だが部屋の様子から、少なくとも全く知らない場所ではないことに気がついた。


(ここはおそらく流刑の迷宮……)


 竜の国で極刑となった者は、死罪ではなく流刑の迷宮へと飛ばされる。
 言い伝えによれば、竜の城より遥か南東、聖地にほど近い場所に位置し、地下まで深く掘り下げられた巨大な迷宮は脱出不可能と言われている。
 ここへ落とされた者は、僅かな食料と水を渡され、短い一生をここで過ごすこととなる。


 だが出口がないわけではない。この迷宮には仕掛けがあり、無実の者ならば自ずと出口へ足を進めることができると言われている。
 神が最後に造ったと伝えられる迷宮は、造られた時となに一つ変わらぬ頑丈さと、真新しく切り出されたかのような岩肌を今だに保っていた。


 ひたひたと、ただ一身に歩くエイラの腹から空腹を訴える音が漏れ、誰が聞いているわけでもないのに思わず頬を染め、手で腹をさすった。


 考えてみれば昨日の夜からなにも口にしていない上に、通常持たされる筈の食料と水も手元にないのだ。
 せめて水だけでもと思うのだが、整然と整えられた迷路内には一滴の水すら見当たらなかった。
 壁が特殊なのか、この迷宮自体が特殊なのかは判らないが、唯一助かったのは浴室着一枚でも寒さを感じずにいられるほど、暖かな環境ということだけだった。


 遥か上に設置されている明かり窓からは、風が吹き込んで来ることがあるのか、時折飛ばされた草や小さな塵、はたまた小石がパラパラと落ちてくる。
 お陰でエイラは先程と同じように足の裏に痛みを感じ、顔を歪めるといったことをちょくちょく繰り返していた。


 素足のお陰で前日に出来た靴擦れの痛みからは解放されているものの、じつのところ、慣れない山登りのせいで、筋肉痛もズキズキと尾を引いていた。


「食べるものもありませんし、少しだけ休んでも問題ありませんよね?」


 誰もいないのだから、誰に問うわけでもないのだが、エイラは少しばかり言い訳っぽく呟いて、ペタンとその場に座り込み、近場の壁に寄りかかった。
 今ライマール達はどうしているのだろうかと、天井を見上げながら物思いにふける。
 夕餉に姿を現さなかった事で作戦が中断されているようなことはないだろうか?
 外から日の光が差し込んできているので、今頃はライマール達が動いていてもおかしくないはずだ。
  自分に出来ることはたかが知れている。それでも今その場に居ないことが悔しいと思う。


 そしてふと、自分はここから本当に出られるのだろうかと疑問が浮かぶ。
 罪なき者なら自ずと出口へ足を進められる。しかし自分に罪はないと胸を張って言えるのだろうか?
 国を預かる者として自分は何一つ国の為にできることをしていない。
 "呪"に犯され、帝国へ向かった時、逃げ出したいという気持ちも少なからずあった。
 そして今はこうして援助を求めるだけ求めて足を引っ張っている。


「本当に女王失格ですね……」
 罪深いのは自分以外の何者でもないとエイラは嘲笑しながら静かに目を伏せる。


 城に戻ればマウリの姿も見当たらなかった。
 彼らは死人を操る魔術師だ。
 居ないのであればどこかへ逃げ仰せたのかもしれないと思いたい。
 "呪"に侵された原因が浴室にあった紋章であるなら、街の中で暮らしているマウリが汚染されてなかったことにも頷けた。


 大丈夫。きっと手紙を読んでくれたに違いない。
 何度も自分に言い聞かせ、つい悪い方に考えてしまう思考を振り払うように再び立ち上がる。
 マウリの無事を確認するまでは死ねないと、出口に辿り着けることを信じて、エイラはまた足を一歩前へ踏み出した。


(全てが終わったら、先ずは兵士の育成をします。それから魔法も取り入れるようにして……ガッコウも作って……婚姻の準備もしなければいけませんね)


 マイナス思考へと意識が向かないように、この先のことを考えながら壁に手を当て、複雑な分岐を曲がって行く。
 何度目かの角を曲がった所で、奥の方で何か大きな影が横たわっているのがぼんやりと見えた。


 以前エイラが落とした犯罪者の遺体だろうか?
 エイラは思わず身を固くして立ち止まる。
 恐る恐る歩みを進めると、微かにそれが動いているような気がしてドキリと心臓が跳ね上がった。
 もし、こんなところで生きた人間に会ったなら、裁きを与えたエイラは間違いなく殺されてしまうだろう。


 迂回すべきだろうか?
 しかしここに落とされたものが未だに生きている事ことなんてあり得るのだろうか?
 確か最後にここへ落とすと判決を下したのは、一年以上も前のような気がする。


「誰か……そこにおるのか……?」


 不意にかけられた声にエイラはまたドキリと身を竦ませる。
 向こうも警戒しているようで身じろぎをしながらも身を固くしていた。
 エイラが動けずにいると、影は諦めたかのように警戒を解き、身を引きずりながら近くの壁にもたれかかった。


「そう警戒する必要もないか。私は間もなく死ぬだろう。何故お前さんがここに落とされたのか知らぬが、私はお前さんの敵とはなり得んよ。先を行くなら行けばいい。無駄だと思うがね」


 私のことは放っておいてくれとこうべを垂らす男の姿と声に、エイラはまさかと思いながら一歩一歩男に近づく。
 近くまでくれば、その姿が徐々にはっきりしてくる。


 痩せてしまってはいるが、身なりはしっかりしたもので、顔からは以前は整っていた筈の髭がボサボサと不揃いに生えて、人相を別人のように変えてしまっていた。
 だが、それでもエイラには目の前の人物が誰なのかなんとなく判別できた。


「マウリ……?」


 このような場所にいるはずがないと思いつつも、恐る恐る声を掛けると、男性もハッとして顔を上げ、驚愕の表情でエイラを見上げた。


「陛下……? まさか、そこにおられるのは陛下なのですか?」
「マウリ!!」


 足に小さな小石が刺さる痛みも忘れ、エイラはマウリの元へ駆け寄った。
 痩せこけてしまった頬に触れ、シワの寄った瞳を覗き込めば、灰色の瞳が力なくエイラに微笑んできた。


「ご無事だったのですなぁ。お元気そうでなによりです」
「人の事を心配している場合ですか! ……ごめんなさい。ごめんなさいマウリ」


 ポロポロとエイラが涙を流せば、マウリも目の端に涙を浮かべながら「お変わりありませんね」と、力なくエイラの頭を撫でて返した。

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