デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

Coffee Break : 非業

 リル・シルディジアはデールの旧帝都に住む、中流階級の貴族の娘だった。
 父は厳格な文官であったが、一方で社交的すぎる側面があり、家計は常にギリギリの状態であった。
 それでも不自由なく暮らしてきたリルは、十七の年の社交シーズンに、田舎貴族であったシルディジア男爵と出会い、恋に落た。


 当時二五歳のシルディジア男爵は、温厚で朗らかな男性だった。
 背はあまり高くなかったが、愛嬌のある笑顔とユーモアに飛んだ話はリルの興味を引き、社交シーズンの終わるギリギリの時期まで、二人は頻繁に会うようになっていた。


 遅くに生まれた娘だったというせいもあって、リルの父は娘の婚約を渋ったが、最終的には二人の仲を認め、リルは帝国の北東フルート領で、質素ながらも華やかな婚儀を上げることができた。


 都会と違い、不便な上慣れない習慣に戸惑いもしたが、リルは伯爵の側にさえいられればそれで良かった。
 やがて伯爵との間に娘のソルテが生まれ、家の中は一層華やぎ、目に入れても痛くないほど愛らしいソルテに会いに、文官であったリルの父も母を伴い、頻繁にフルート領へ赴いた。


 絵に描いた様な幸せな一家は、領民との仲も良好で、社交的でいて驕った姿など一つも見せず、困った人がいれば直ぐに手助けをする。そんなシルディジア夫婦を皆が慕っていた。


 娘もスクスクと成長して、そろそろ社交界デビューを考える時期に差し掛かった頃、不幸な事件は起きてしまった。


 親子で乗馬に出かけ、目的地の湖でボートを楽しんでいた三人は、突然の突風に船が煽られ、転覆事故にあってしまったのだ。


 助かったのは男爵のみで、重いドレスを身につけていたリルとソルテは浮き上がる事が出来ずに、そのまま帰らぬ人となった。


 最愛の妻と娘を一度に失ってしまった男爵は出かけた事を後悔し、涙に暮れる日々を過ごすようになる。
 そんな男爵を見兼ねて、周囲の人間は新しい家族をと様々な縁談を持ちかけたが、男爵が首を縦に振ることはなく、世継ぎも居ないため、シルディジア家は没落の一途を歩み始めていた。


 そんな時、男爵の前に一人の少年が現れる。
 燃える様な赤い髪をした少年はフルート領の小さな村の片隅で、男爵と同じように虚ろな目をして一人、座り込んでいた。
 おそらく孤児なのだろう。家族を失ってしまった自分と重ね、男爵は少年に声をかけた。


 少年は手を引かれるままに男爵について行き、やがて懐くようになっていった。
 お互いの心の傷を慰め合うように寄り添う二人は、本当の親子のように仲が良く、徐々に元気を取り戻して行く男爵に誰もが安堵し、喜んだ。


 しかし、奇妙な事に少年は何年経っても成長する気配を見せなかった。
 男爵は少々訝しんだが、自分を慕ってくれる少年にも何か事情があるのだろうと寛容な態度で変わらず愛し続けた。
 少年も男爵がそれを気にしていることに気がついていたが、変わらず男爵に懐いていた。


 だが、周囲の人々はそうは思わなかった。
 何年経っても成長しない少年を不気味がり、悪魔の子ではないか? 死霊の子ではないか? と、少年を疑い始めていた。
 このままでは男爵までもが疑いをかけられるようになると、家令達は男爵を説得しようとしたが、男爵は首を縦に振らず、それどころか少年を正式な家族として、養子縁組を組む手続きを進めてしまう。


 次期男爵位をあの少年が継ぐと聞き、とうとう領民達は男爵邸に押しかけ、屋敷を包囲する。
 男爵はなんとか説得しようと、領民の前に現れたが、逆に拿捕され、少年と引き剥がされてしまった。
 たった一人となってしまった少年は、領民達に追い詰められ、とうとうその姿を人ではないモノに変えてしまう。


 燃える炎の体に、雷を纏わり付かせた、怯えたような小さな狼の姿に変わった少年に、誰もが恐れ慄いた。
 誰かが手にしていた斧を投げると、それを合図に様々な農具や狩猟用の矢が少年に向かって投げられた。


 男爵は悲鳴を上げて、領民達の静止を振り払い、姿を変えてしまった少年を庇うように立ち塞がる。
 突然目の前に現れた男爵に誰もが皆驚愕したが、その時既に遅く、男爵の体に無数の矢が突き刺さっていた。


「ロア……逃げなさい……」


 男爵は小さな狼ーーロアに微笑んでその一言だけを告げると、バタリとその場で崩れ落ちた。
 目を開いたまま動かなくなってしまった男爵の姿に、誰もが皆顔を青ざめさせて立ち尽くす。
 ロアは何が起きたのかわからない様子で首を傾げ、倒れ込んだ男爵の匂いを仕切りに嗅いでいた。


 やがてもう動かないのだと悟ると、なんとも言えない切なげな遠吠えを発し、ロアは領民を見据え、その瞳の色を鋭い物へと変化させた。


 領民はそのゾッとするような怒りを宿した目に怯え、手にしていた農具を放り投げてその場から逃げ出す。
 ロアは立ち尽くしたまま彼らの背中をジッと見つめていたが、その静かなロアの怒りに導かれるように、どこからともなく、逃げ惑う人々の背中に真っ赤な炎が着火した。


 炎は徐々にその数を増やし、逃げ惑う人々のを火種にして、屋敷の周りに火を付ける。
 阿鼻叫喚が響く中、ロアは呼応する様にまた遠吠えを発し、男爵の死を忘れてしまったかのように、その様子をどこかか楽しそうに眺め、屋敷の庭を走り回った。


 炎は瞬く間に燃え広がり、やがて森を巻き込む大火事にまで発展する。
 火事は三日三晩燃え広がり、幾つもの村が地図から消えてしまう羽目になってしまった。


 火事の原因を知る者は誰一人として生き残ってはいなかった。
 やがてそれは原因不明の大火事としてデールの歴史に名を残すこととなる。
 歴史に少年の行方も存在も残されていない。


 ーーそれももう、四百年以上も前の話であった。

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