デール帝国の不機嫌な王子
呪の泉 7
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四半刻程仮眠をとった後、ライマールはトルドヴィンとガランを連れて朝風呂へと向かうこととなった。
明らかに足りない睡眠時間に重い頭を抱えながら、のそのそとライマールが起き上がると、ガランは既に目を覚ましており、ギリファン宛に"魔法使い便"と呼ばれる、魔法で送ることの出来る手紙を認めていた。
後発隊になにも言わずに出てきてしまったので、後発隊の陣頭指揮は完全にギリファンとアダルベルト任せとなってしまった。
ガランと背格好の似た騎士から服を借りてガランに着替えさせると、ライマールはトルドヴィンを起こし、二人を伴って浴室へと向かった。
時刻は朝の六時を過ぎていたが、外はまだ夜が明ける様子はなかった。
視界内に魔法文字の痕跡がないかを収めつつ、何気ないそぶりで浴室へとたどり着く。
騎士達の発言通り、特にめぼしい物も見当たらず、浴場の中へと足を踏み入れる。
浴場の扉を開けると、真っ先に神話時代のものと思われる神獣達が描かれたフレスコ画が目を引いた。
雲の上を走り回るその姿は、皆一様に楽しそうな表情をしている。
床は一面白と青のタイルが無造作に配置され、備え付けられている備品には、一つ一つにクロンヴァールの紋章が彫り込まれていた。
トルドヴィンは警戒しつつも湯船へと近づき、中を覗き込む。
湯が乳白色をしているせいで、底の方がどうなっているのか確認はできなかった。
「道中は異常なしっと。室内にも変わった所はなさそうですねぇ。となると、何かあるとしたらこの中ってことになるのかな?」
「そうですねぇ〜とはいえ〜、浴槽の湯を抜くようなことはできませんし〜、確認のしようがないですねぇ〜。……ってライマール様ぁ〜? 何してるんですか〜?」
二人が湯船を覗き込んでいる間に、ライマールは徐に着ていた服を脱ぎ捨てる。
ガランは嫌な予感を覚えながらも首を傾げ、トルドヴィンは顔を青くした。
「判らんなら全部試すしかないだろう。普通の手順で風呂に入れば分かる筈だ」
「殿下っ! 勝手な行動はやめて下さいと私言いましたよね? 試すというのであれば私がやりますから、もう少しご自分の立場を気になさって下さい!」
「五月蝿い。なにかあったところで死ぬほどのことは起こらん。予防薬を飲んでいる今ならガランでも対処できる」
ムッとしながらトルドヴィンの静止も聞かず、ライマールは桶に手を伸ばす。
ぶつぶつと小言を言うトルドヴィンを無視し、湯船から湯を汲みあげたところで、ライマールはピタリとその手を止めた。
「殿下?」
「これだ……クーベ! ガラン! 離れろ!!」
顔色を変え、ライマールは隣にいたトルドヴィンの胸を押し、桶を床に投げつける。
桶と水が叩きつけられる音を浴室内に響かせた後、桶はカラカラと壁際まで転がり、カツンと音を立てて止まると、側面から人一人を汚染するには十分過ぎるほどの"呪"がボロボロと大量に溢れ出した。
"呪"はまるで意思を持っているかのように動きだし、抱えられるくらい大きく黒い塊を形成する。
それはやがて地を這うようにズルズルとこちらに向かって近寄ってきた。
獲物の場所が判っているのか、迷いなく向かってくる"呪"の塊に、トルドヴィンとガランは思わず後ずさる。
ライマールは急いで浄化の呪文を唱えると、その塊めがけて魔法を解き放つ。
白い光の球がパチンと音を立てて塊を包むと、"呪"はあっけなく砕け散った。
「ら、ライマールさまぁ〜、あっちからも来ます〜」
ガランが指を指した方向を見れば、高く積まれた無数の桶から同じように"呪"が溢れ出てきていた。
ガランはヒィヒィいいながら、ライマールと同じく呪文を唱え、浄化していく。
しかし、二人が浄化した直後に、また桶から"呪"が溢れ出てきてしまう。
気づけば、四方囲まれた状態で逃げ場はなくなっていた。
「キリがないな……クーべ、活路を開く。突っ込んで桶を叩き壊せ」
少しも焦った様子を見せずに、ライマールは淡々とトルドヴィンに命令する。
トルドヴィンは頷いて一歩前へと進み出る。ライマールはそれを確認すると、いままで唱えていた呪文とは別の言葉を口にする。
『神の浄化を』
刹那、ライマールを中心に突風が駆け抜ける。
それは一瞬の出来事で、トルドヴィンは背後から物凄いプレッシャーに気圧された。
竜の山脈でライマールが見せたあの力が使われたのだと、理解するのに時間など必要なかった。
本能的に感じる恐怖ですくみ上がりそうになり、騎士として情けないとトルドヴィンは柄を握る手に力を込める。
呪文とも呼べない短く聞きなれない言葉は、"呪"を喰らうかのように光を放ち、黒い塊を巻き上げ、霧散して行く。
「ぼーっとするな! 突っ込め!」
ライマールの怒声にトルドヴィンはなんとか気力を振り絞り、桶めがけてタイルを蹴る。
滑りやすい床を物ともせずに巻き上げられた"呪"を避けながら、トルドヴィンは一直線に桶へとめがけて剣を振り上げた。
ガシャンと木の割れる音が響き渡る。
まずは一個。と身を翻し、今度はそのままガランが対応している方向へと駆け抜ける。
「ガラン!!」
トルドヴィンの怒声に、ガランはゆったりと振り返り、ニヤリと薄気味悪く口端を上げた。
「はいはい〜。えーと〜、『祝福の炎』〜」
口調はのんびりとした印象は受けるものの、しかし的確にガランが呪文を唱えると、トルドヴィンの剣に黄色い炎がまとわりつく。
トルドヴィンは変化した自身の剣には目もくれず、桶の山を見据えたまま、下から剣を振り上げ、桶めがけて更に剣を振り下ろす。
すると刃先から二つの炎の刃が生み出され、引っ掻き傷の様な形をした炎は唸りを上げて、桶の山に衝突した。
桶は一瞬にして崩れ落ち、炎に巻かれながら木屑へと形を変える。
すると今まで泉のように湧き出ていた"呪"はピタリと止まり、トルドヴィンはホッと息を撫でおろした。
ライマールは元の姿に戻り、ガランと共に、消し損ねた残りの"呪"を一つ一つ消していく。
時間にして数分間の出来事であったが、全ての作業を終える頃にはライマールとガランはグッタリとその場に座り込んでいた。
一人平然としているトルドヴィンは、剣を鞘に収めながら、室内にまだ何か細工は無いかと警戒し視線を配る。
「……終わり、ですか。しかし作戦前にその状態で大丈夫なんですかねぇ? 常々思ってましたが、魔術師達にはもっと体力をつけてもらわないと、このような合同作戦で毎度バテられていては、我々兵士のお荷物でしかありませんよ?」
「ははははは〜。義兄さんは手厳しいですね〜。姉さんが聞いていたら張り倒されますよ〜。こう見えて我々もかなり鍛えてはいるんですけどねぇ〜?」
肩で息をしながら参ったなぁとガランはぽりぽりと頭を掻く。
チラリとライマールへ視線を送れば、ライマールは我関せずといった態度で、のろのろと湯船の中へ入っていった。
かけ湯なしで入った為か、ライマールは熱そうに顔を顰めながら腰を落とす。
はぁ〜……っと、大きな溜息をついて、ひと心地着いた様子のライマールを見て、トルドヴィンは飽きれながら肩を落とした。
「このような時までご入浴とはいいご身分で。……ああ、本当にいいご身分でしたね。まったく、浴槽の下は確かめていないというのに。殿下が騎士団長じゃなくて本当助かりましたよ」
「五月蝿い。裸のままでは風邪を引く。それに原因は判った。この浴槽自体には問題ない」
「それは桶が全て壊れたから問題ないということですか〜?」
なんとなく釈然としない様子でガランが首を捻ると、ライマールは顔を拭いながら「違う」と答える。
そして最初にトルドヴィンが壊した桶を指差した。
「あれをよく見てみろ。側面に細工がある」
四半刻程仮眠をとった後、ライマールはトルドヴィンとガランを連れて朝風呂へと向かうこととなった。
明らかに足りない睡眠時間に重い頭を抱えながら、のそのそとライマールが起き上がると、ガランは既に目を覚ましており、ギリファン宛に"魔法使い便"と呼ばれる、魔法で送ることの出来る手紙を認めていた。
後発隊になにも言わずに出てきてしまったので、後発隊の陣頭指揮は完全にギリファンとアダルベルト任せとなってしまった。
ガランと背格好の似た騎士から服を借りてガランに着替えさせると、ライマールはトルドヴィンを起こし、二人を伴って浴室へと向かった。
時刻は朝の六時を過ぎていたが、外はまだ夜が明ける様子はなかった。
視界内に魔法文字の痕跡がないかを収めつつ、何気ないそぶりで浴室へとたどり着く。
騎士達の発言通り、特にめぼしい物も見当たらず、浴場の中へと足を踏み入れる。
浴場の扉を開けると、真っ先に神話時代のものと思われる神獣達が描かれたフレスコ画が目を引いた。
雲の上を走り回るその姿は、皆一様に楽しそうな表情をしている。
床は一面白と青のタイルが無造作に配置され、備え付けられている備品には、一つ一つにクロンヴァールの紋章が彫り込まれていた。
トルドヴィンは警戒しつつも湯船へと近づき、中を覗き込む。
湯が乳白色をしているせいで、底の方がどうなっているのか確認はできなかった。
「道中は異常なしっと。室内にも変わった所はなさそうですねぇ。となると、何かあるとしたらこの中ってことになるのかな?」
「そうですねぇ〜とはいえ〜、浴槽の湯を抜くようなことはできませんし〜、確認のしようがないですねぇ〜。……ってライマール様ぁ〜? 何してるんですか〜?」
二人が湯船を覗き込んでいる間に、ライマールは徐に着ていた服を脱ぎ捨てる。
ガランは嫌な予感を覚えながらも首を傾げ、トルドヴィンは顔を青くした。
「判らんなら全部試すしかないだろう。普通の手順で風呂に入れば分かる筈だ」
「殿下っ! 勝手な行動はやめて下さいと私言いましたよね? 試すというのであれば私がやりますから、もう少しご自分の立場を気になさって下さい!」
「五月蝿い。なにかあったところで死ぬほどのことは起こらん。予防薬を飲んでいる今ならガランでも対処できる」
ムッとしながらトルドヴィンの静止も聞かず、ライマールは桶に手を伸ばす。
ぶつぶつと小言を言うトルドヴィンを無視し、湯船から湯を汲みあげたところで、ライマールはピタリとその手を止めた。
「殿下?」
「これだ……クーベ! ガラン! 離れろ!!」
顔色を変え、ライマールは隣にいたトルドヴィンの胸を押し、桶を床に投げつける。
桶と水が叩きつけられる音を浴室内に響かせた後、桶はカラカラと壁際まで転がり、カツンと音を立てて止まると、側面から人一人を汚染するには十分過ぎるほどの"呪"がボロボロと大量に溢れ出した。
"呪"はまるで意思を持っているかのように動きだし、抱えられるくらい大きく黒い塊を形成する。
それはやがて地を這うようにズルズルとこちらに向かって近寄ってきた。
獲物の場所が判っているのか、迷いなく向かってくる"呪"の塊に、トルドヴィンとガランは思わず後ずさる。
ライマールは急いで浄化の呪文を唱えると、その塊めがけて魔法を解き放つ。
白い光の球がパチンと音を立てて塊を包むと、"呪"はあっけなく砕け散った。
「ら、ライマールさまぁ〜、あっちからも来ます〜」
ガランが指を指した方向を見れば、高く積まれた無数の桶から同じように"呪"が溢れ出てきていた。
ガランはヒィヒィいいながら、ライマールと同じく呪文を唱え、浄化していく。
しかし、二人が浄化した直後に、また桶から"呪"が溢れ出てきてしまう。
気づけば、四方囲まれた状態で逃げ場はなくなっていた。
「キリがないな……クーべ、活路を開く。突っ込んで桶を叩き壊せ」
少しも焦った様子を見せずに、ライマールは淡々とトルドヴィンに命令する。
トルドヴィンは頷いて一歩前へと進み出る。ライマールはそれを確認すると、いままで唱えていた呪文とは別の言葉を口にする。
『神の浄化を』
刹那、ライマールを中心に突風が駆け抜ける。
それは一瞬の出来事で、トルドヴィンは背後から物凄いプレッシャーに気圧された。
竜の山脈でライマールが見せたあの力が使われたのだと、理解するのに時間など必要なかった。
本能的に感じる恐怖ですくみ上がりそうになり、騎士として情けないとトルドヴィンは柄を握る手に力を込める。
呪文とも呼べない短く聞きなれない言葉は、"呪"を喰らうかのように光を放ち、黒い塊を巻き上げ、霧散して行く。
「ぼーっとするな! 突っ込め!」
ライマールの怒声にトルドヴィンはなんとか気力を振り絞り、桶めがけてタイルを蹴る。
滑りやすい床を物ともせずに巻き上げられた"呪"を避けながら、トルドヴィンは一直線に桶へとめがけて剣を振り上げた。
ガシャンと木の割れる音が響き渡る。
まずは一個。と身を翻し、今度はそのままガランが対応している方向へと駆け抜ける。
「ガラン!!」
トルドヴィンの怒声に、ガランはゆったりと振り返り、ニヤリと薄気味悪く口端を上げた。
「はいはい〜。えーと〜、『祝福の炎』〜」
口調はのんびりとした印象は受けるものの、しかし的確にガランが呪文を唱えると、トルドヴィンの剣に黄色い炎がまとわりつく。
トルドヴィンは変化した自身の剣には目もくれず、桶の山を見据えたまま、下から剣を振り上げ、桶めがけて更に剣を振り下ろす。
すると刃先から二つの炎の刃が生み出され、引っ掻き傷の様な形をした炎は唸りを上げて、桶の山に衝突した。
桶は一瞬にして崩れ落ち、炎に巻かれながら木屑へと形を変える。
すると今まで泉のように湧き出ていた"呪"はピタリと止まり、トルドヴィンはホッと息を撫でおろした。
ライマールは元の姿に戻り、ガランと共に、消し損ねた残りの"呪"を一つ一つ消していく。
時間にして数分間の出来事であったが、全ての作業を終える頃にはライマールとガランはグッタリとその場に座り込んでいた。
一人平然としているトルドヴィンは、剣を鞘に収めながら、室内にまだ何か細工は無いかと警戒し視線を配る。
「……終わり、ですか。しかし作戦前にその状態で大丈夫なんですかねぇ? 常々思ってましたが、魔術師達にはもっと体力をつけてもらわないと、このような合同作戦で毎度バテられていては、我々兵士のお荷物でしかありませんよ?」
「ははははは〜。義兄さんは手厳しいですね〜。姉さんが聞いていたら張り倒されますよ〜。こう見えて我々もかなり鍛えてはいるんですけどねぇ〜?」
肩で息をしながら参ったなぁとガランはぽりぽりと頭を掻く。
チラリとライマールへ視線を送れば、ライマールは我関せずといった態度で、のろのろと湯船の中へ入っていった。
かけ湯なしで入った為か、ライマールは熱そうに顔を顰めながら腰を落とす。
はぁ〜……っと、大きな溜息をついて、ひと心地着いた様子のライマールを見て、トルドヴィンは飽きれながら肩を落とした。
「このような時までご入浴とはいいご身分で。……ああ、本当にいいご身分でしたね。まったく、浴槽の下は確かめていないというのに。殿下が騎士団長じゃなくて本当助かりましたよ」
「五月蝿い。裸のままでは風邪を引く。それに原因は判った。この浴槽自体には問題ない」
「それは桶が全て壊れたから問題ないということですか〜?」
なんとなく釈然としない様子でガランが首を捻ると、ライマールは顔を拭いながら「違う」と答える。
そして最初にトルドヴィンが壊した桶を指差した。
「あれをよく見てみろ。側面に細工がある」
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