デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

呪の泉 5

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 トルドヴィンの部下として隊の中にいたライマールは、夕餉を他の騎士と一緒に済ませていた。
 周りの騎士が目を白黒と王子の対応に困る中、ライマールは黙々と食事を済ませ、自室へ戻り計測の準備を始める。
 途中、城の従者から騎士達に共同風呂を勧められたが、準備もまだできていなかったので、気分が優れないからとそれを断った。


 予定時刻の二時近くになれば、ライマールはトルドヴィンの部屋へと移動する。
 彼らと合流し、騎士達の顔を見るなり、ライマールはなぜか呆れた顔で「後にするか」と、ポツリと呟くと、彼らと共に西の魔法陣へと向かった。


 南西の外周に当たる廊下は、屋外に面していて、警備はかなり手薄だった。
 もしかしたら建物の構造上、エントランスホール以外の場所から王宮に入ることができないためにこの国の警備は甘いのかもしれないと、先頭を歩きながらトルドヴィンは苦笑する。
念のため明かりは灯さず、壁伝いに進んでいく。
 月明かりが廊下に隣接する庭園の花をボンヤリと幻想的に照らし、それだけを頼りに目的地へと向かった。


 西の空中庭園へたどり着くと、ライマールは早速魔法陣の前に座り込んで荷物を広げ始める。
 その後ろ姿を見つめながら、トルドヴィンは会食での出来事を報告すべきか否か逡巡していた。


 普通に考えればすべきなのだろう。
 しかし目の前の王子は女王のことになると冷静さを失う節がある。
 ここで勝手な行動をされては全てが台無しになってしまう。
 かと言っていざという時報告しなかったがために手遅れになる可能性もある。
 そうなった場合、目の前の王子はどうなってしまうのだろうか?


「クーべ、暇ならそこの鈴を取ってくれ」


 トルドヴィンの心中を察する様子もなく、ライマールはトルドヴィンの足元まで転がっていった小さな鈴を指差した。


 気づけばそこかしこに物が散乱している状態で、短時間によくこれだけ散らかした物だとトルドヴィンは呆れを通り越して感心する。


「殿下、これではいざという時逃げられませんよ?」
「いざは来ない。始めるぞ」


 鈴を受け取りながらライマールはムッとした顔で確信を持ってそう答える。
 転送用の魔法陣の前でどかりと胡座をかいて座り込むと、地べたに羊皮紙を広げ、風に飛ばされないように四隅を小石で固定する。
 近くにあった小瓶を三個指の隙間に挟み込むと、呪文を唱えながら器用に一つ一つの蓋を開け、羊皮紙の上にパラパラと中身を広げていった。


 粉上の物から液体の物、そして最後に砂利程の小石をばら撒くと、全てを混ぜる用に左手で円を描く。
 最後に小さな山を作ると、先程の鈴をその上でかざして、チリンチリンと小さな音を響かせた。


 山の形をしていた混ぜ物は、ドロドロと溶け合うように混ざり合い、やがてそれは手の平程の人の形を形成する。


『ガラン・ケルスガー』


 囁くようにライマールがそれに話しかけると、人型はみるみるうちに膨れ上がり、等身大のガランへと姿を変える。
 まるで亡霊がそこにいるかのように薄っすらとした姿のガランは、パチパチと何度か瞬きをして、ライマールを見下ろしながら、へらりとした笑顔を向けてきた。


「あー、殿下〜。随分遅かったですねぇ〜。寝てしまうところでしたよ〜」
「すまん。手薄な時間がこの時間帯しかなかった。通信のズレも考慮して〇六マルロク、レギを計測しろ」
「了解です〜」


 のんびりとどこか眠そうに返事をするガランに、大丈夫か? とライマールは眉を顰める。
 計測自体は至ってシンプルだ。
 同じ時間に各々の場所から同じ星を観測し、そこから互いの位置を計算する寸法だ。
 だが星は動く為、わずかな時間差で誤差が生じる。
 その微修正も含めて魔法陣の改修を行うと、かなりの時間がかかってしまうのだ。


 二時六分を回ったところで、ライマールは地べたに這いつくばる形で器具を覗き込み、星の角度を測る。
 羊皮紙付近ではガランの幻影が同じように星を計測し、その結果をライマールに口頭で伝えた。
 互いに計測結果を報告し、手近にあった別の羊皮紙にサラサラと数字を書き込み計算していく。
 真っ白だった羊皮紙が文字で埋め尽くされて行くさまを見ながら、そのペンの速さにトルドヴィンは思わず感嘆の溜息を漏らす。


 これでもう少ししっかりしてくれれば王子として申し分のない才覚が現れるだろうにと、この背を見た者ならばおそらく誰もが口にするだろう。
 トルドヴィンが苦笑している中、ライマールは計算を終えたのか、腰丈まである長い棒を手に取り魔法陣へと近づいていく。棒の中には青い液体が入っており、棒の先はチョークの様な形をしている。
 魔術師が古くから使っている魔法陣用の記述具だ。


「東の数字を七三六六、その下に雄牛、北西の数字を一〇四八一、北の中央二列目§から∂に変更だ」
「ん〜。西中央は二六二の方が精度が上がる気がしますが〜」
「そこは微調整が終わってからでいい。誤作動はまず起きないはずだ。高度調整を優先する」
「了解です〜」


 指示を飛ばしながらも、的確に目の前の魔法陣に修正を加えていく。
 よく見れば口にしていた数字や記号とはまるで違う記述をライマールは施していた。
 不思議に思いトルドヴィンが首を傾げていると、ガランがそれに気がついたようで、手を動かしながらもその疑問に答えてくれた。


「あー、ライマール様は私の方の記述の修正を指示しているんですよ〜。対になるそちらの魔法陣はまた別の計算が必要なんです〜。凄いですよね〜。どちらを先に計算しているのか解りませんが〜。頭の中どうなってるんですかね〜。私は常にライマール様の頭を割ってみたいと思ってるんですよ〜」
「……これくらいなら同時に計算できる。面倒ではあるが難問というほどではない。人の頭など割ろうとするな」
「やだなぁ〜、冗談ですよ〜殿下じゃあるまいし〜人体実験はしませんよ〜」
「……俺はそんな事した覚えはない」
「そうですか〜? 私達姉弟は散々得体の知れない物を飲まされた記憶がありますが〜……。こちらは準備出来ましたよ〜」


 反論することもできず、ライマールはバツが悪そうに「分かった」とだけ答えて、袖の中から時計を取り出して片手に持つ。
 同時に反対側の手で手近にあったリンゴを魔法陣の上に放り投げる。
 するとリンゴは風を切る音と共に何処かへと消えていった。


 僅かばかりにライマールは驚いた顔をしたが、すぐに時計へと目を移し、ガランの方の結果を待つ。
 程なくしてガランの幻影が、「痛っ」と声をあげてうずくまる。
 トルドヴィンがガランの幻影の方へと視線を動かせば、足の上にリンゴが落ちてきたらしく、つま先を労わるようにさすっていた。


「高度と距離と位置が微妙にずれてますぅ〜。殿下〜、物は投げないで下さい〜」


 涙目になりながらガランはリンゴを拾い上げると、そっと魔法陣の上に乗せ、リンゴをライマールの方へと送り返す。
 戻って来たリンゴは、少し表面が傷ついた状態でコロコロとライマールの方へと転がって来た。


 ガランの訴えが耳に入っているのかいないのか、ライマールは計測結果を書き留め、なにやらブツブツと呟きながら、右往左往と動き回る。


 書いては消して、魔法陣を起動してを繰り返し、漸く人が通れる様になったのは四時近くなった頃だった。
 その頃には魔法が切れかかっているのか、ガランの幻影はだいぶ薄くなっていた。
 ライマールは手にしていた道具を適当な場所へ投げて腕を組むと、満足気に笑顔を浮かべた後、ガランの方へと向き直る。


「こんなものだな。ガラン、試しにこっちへ来い。ついでにリムニリムスも何本か持って来い」
「行くのは構わないですが〜。リムニリムスですか〜? 今必要なんですか〜?」
「必要だから言っている。クーべ、お前はイグルーとウェストンをここへ連れて来い。見張りはもういい」
「了解しました」


 ライマールの支持にガランもトルドヴィンも首を捻りながら、それに従う。
 その間にライマールはその場に広げていた道具を無造作に掻き集め、袋へと押し込めていく。


 リムニリムスはエイラも飲んでいた浄化剤だ。
 ネクロマンサーを相手にしていれば、時折微量の"呪"が体内に入り込むことがある。
 勿論通常ならば生きた人間に対して"呪"が長期間体内に留まることはないのだが、だからと言って放置していてもあまり体にいい影響は与えない。
 取り込んだ量や潜伏期間にもよるが、倦怠感や気力の喪失等、鬱状態に近い症状が現れる。
 故にネクロマンサーと対峙する際、リムニリムスは魔術師達にとって常備薬となっている。


 それが何故今必要なのか?
 不可解に思いながらも、ガランは薬を手に魔法陣へと足を進めた。

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