デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

呪の泉 4

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 騎士達が自室へ戻る中、ライマールはトルドヴィンの部屋に留まり続けていた。
 地図と睨み合いながらなにかを考えこむ王子に、トルドヴィンは首を傾げ、その隣に再び座った。


「なにか気になることでも? ……ああ、もしかして宰相の安否について考えておられたのですか?」


 声を掛けられチラリと横目でトルドヴィンを見た後、ライマールは再び地図へと視線を落とす。


「宰相の居場所も気になるが……それよりもあの女だ」


 ポツリとライマールが呟き、トルドヴィンはリル・シルディジアと名乗った貴婦人の姿を思い浮かべる。
 親戚、と言う割には女王と血縁と思わせる要素はあまりなかった気がする。
 デールから入り込んだネクロマンサーと思えば、そもそも経歴自体が怪しいとは言えば怪しいのだが、表面上は至って普通の貴婦人という印象しかない。


「そうですねぇ〜……私も気になるっちゃぁ気になりますね。ネクロマンサーらしさがまるで感じられない」


 ネクロマンサーとなる魔術師には大きな特徴がある。自らの知的好奇心を満たす為に遺体を漁り使役しようとする者や、失ってしまった家族や恋人を取り戻そうと過去にすがる者が、封印された禁忌に手を付けるのだ。
 それ故に前者の場合はギラギラとした狂気を瞳に宿しているし、後者の場合は陰鬱な影を背負ったような目をしていることがほとんどなのだ。
 あの貴婦人はどう分析しても、そのどちらにも当てはまらない。


「ネクロマンサーらしさか。当然だろうな。あれはネクロマンサーじゃない。ただの遺体だ」
「遺体? まさかっ! あの夫人は生ける死人と?!」


 そんな馬鹿な! と、トルドヴィンは顔を青ざめる。
 もう十五年近くネクロマンサーと対峙しているが、完璧な人間のように振る舞う死体など見たことも聞いたこともなかった。
 通常操られている死体は、この城の兵士達のように呆然とおぼつかない足取りで歩くのが精一杯だ。
 兵士たちはあくまでも生きた人間だからか言葉を発することができるが、本来ならば声を発することすらできないはずなのだ。


 ライマールは思わず大声をあげたトルドヴィンを軽く片手で諌めると、眉を顰めながら小さく頷く。


「間違いない。目が一度濁った跡があった。……そうだな、ただの遺体と呼ぶには相応しくないかもしれん。あれは完全とは言えないが、反魂がなされている」
「はぁ? もっと判りやすく説明願えますかね」
「遺体を動かすために必要な物が魂だということは判るな? 動かすだけならその遺体に生前宿っていた魂でなくても成せるし、転生の門をくぐった後のまっさらな魂でも構わない。その場合、通常は生前の記憶をなくした状態で肉体に宿る。だが、あの女は記憶を維持した状態で生前の肉体に魂を宿している」


 転生の門を潜った魂は、転生後の世界で別人として生きることとなる。
 それは門を潜る前段階の過程で、魂の浄化がなされ、門を潜ることで新たな人格のタネが植え付けられるからだ。
 門を潜ってしまえばどんなに望んでも前世の人格が蘇ることはない。
 それが魂の番人と神が交わした理で、誰もが知っている曲げることの許されない確約だ。


「生前の記憶を宿したまま遺体に魂を……しかしなぜあの夫人がそうだと断定できるんです?」


 俄かには信じられない話にトルドヴィンは首を捻る。
 もしそれが本当なら、遺体を操るのではなく、ライマールの言葉通り反魂ーーつまり死者を本当の意味で蘇らせたことになる。


「言い切れる。まず他人の魂ならば、たとえ記憶を宿していてもうまく話すことはできない。記憶を宿していないまっさらな魂でも同じだ。赤子が肉体に宿るようなものだからな。記憶があり、尚且つ自らの肉体でなければあのような状態で活動はできない。だがその条件だけでは不完全だ」
「他にも何か条件が?」


 トルドヴィンが質問すれば、ライマールは少し考えた後コクリと躊躇いがちに頷く。


「幾つかあるが禁忌に触れる話だ。詳しくは言えん。だがあの女は完璧な反魂の条件を満たしていない。その証拠が目の濁り跡だ。生前はもっとはっきりとした茶色だったはずだ。あの色具合からするといつ暴走してもおかしくない」


 エイラの話から少なくとも半年以上あの遺体は動き回っていることになる。
 完璧でない反魂は肉体にキチンと魂が定着することができない。
 故に定期的に呼び戻す必要がある。
 そして呼び戻す度に形成されていた自己は少しづつ崩壊して行くのだ。
 シルディジア夫人の瞳の色はかなり白濁した薄茶色だった。


 "暴走"と言う言葉に、トルドヴィンの背筋に寒いものが駆け抜ける。
 ネクロマンサーの操る遺体は何度も目にしてきた。
 だが三五〇年前の戦争で起こったような死人の暴走に出くわしたことなどない。
 ドラゴンの炎と焔狼の犠牲によってようやく食い止められたという伝説をトルドヴィンは思い出していた。


「暴走してしまった場合、我々で対処し切れるんでしょうかねぇ? あの夫人が遺体である以上ネクロマンサーは別にいるということでしょう?」
「対処してみせる。ネクロマンサーなどに遅れをとってたまるか」


 トルドヴィンの言葉に反応するかのように、ライマールの瞳が微かに金色を帯びる。その目はまるで獲物を狙う獣のような鋭さを帯びていた。




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 ライマールがトルドヴィンの部屋から出て行った直後、トルドヴィンは夕餉の会食に呼ばれることとなった。
 ライマールに指摘されたように、シルディジア夫人を観察すれば、確かに目の色が濁っている印象を受けた。
 会食には夫人の子供達も出席し、一通りの挨拶を済ませる。


 二人の子供の目もちらりと確認したが、姉のソルテだけが夫人と同じ様な印象を受けた。対して弟のロアは瞳の色が灰色だった為、断言できる自信はなかった。三人のうち一人がネクロマンサーとすれば、ロアが一番怪しいということになるが、どう見ても幼さの残る少年に、そのようなことができるのかという疑問も拭えなかった。


 最後にエイラが席につけば、夫人は嬉しそうに談笑を始める。
 ソルテも大事な家族が戻ってきたかのようにエイラに話し掛けていた。
 ロアは時折同意するように頷くが、それ以上の反応は見られなかった。
 エイラはエイラで戸惑いつつも、嬉しそうに彼らに受け答えをしている。


 一見普通の光景に見えるが、トルドヴィンはそこで奇妙な違和感を覚えた。


(おかしい。でも何が……)


 受け答えをしつつもトルドヴィンはジッと彼らを観察する。
 仕草から表情の些細な変化まで事細かに分析していく。
 そして不意にエイラとパチリと目があった。
 エイラはトルドヴィンに向かって微笑を浮かべると、恥ずかしそうに俯いて食事を再開する。
 一見何気ない行動だったが、トルドヴィンは心臓を貫かれたような衝撃を受けた。


 何かの間違いだともう一度エイラの顔をジッと観察する。
 するとまた、エイラは恥ずかしそうに微笑を浮かべ、モジモジとトルドヴィンに向かって口を開く。


「あの、私の顔になにかついてますか……?」


 エイラの言葉にゾクリと背筋が凍る。
 間違いないと確信しながら、トルドヴィンは平静を装いエイラに向かって笑顔で答えた。


「いえ、そのドレスとてもお似合いですね。つい見とれてしまいました」
「えっ!? あ、有難う御座います」


 真っ赤になって答えるエイラのその蒼い瞳は、微かに白い濁りを帯びていた。

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