デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

呪の泉 1

 =====




 貴婦人は自らをエイラの叔母、リル・シルディジアと名乗り出た。
 夫人は早速帰城したエイラと、来賓であるデールの騎士達を先導し、王宮内へと案内する。


 空中庭園から王宮門を通り、建物の中へ入ると、足元が透けている不思議な長い廊下が目に飛び込み、トルドヴィンや後ろを歩いていた騎士達は驚いて目を見開く。
 おそるおそる下を覗けば、帝都ノイデールに負けないほどの賑わいを見せる城下街が奧まで広がっていた。
廊下の東西には魔法陣があり、おそらくここから城下へ降りることができるのだろうと容易に想像がついた。


 長い廊下を南へ進み、王宮門と呼ばれる中央の白い階段を登っていく。
 すると沢山の花々が周りに植えられた、煌びやかな噴水が一行を出迎えた。
 頭上からは天窓から陽の光が差し込んでおり、その噴水を囲うように、半円状の白い螺旋階段が伸びている。
 おそらく謁見の間に続いているであろう大きな扉が、階段を登った中央の場所に鎮座していた。


 噴水の前には大きな魔法陣があり、その左右へ目を向けると、奥の方に続く廊下と、いくつかの部屋の扉が廊下を挟んで奥まで続いている。


 夫人は魔法陣の前で立ち止まると、エイラたちを出迎えた二人の虚ろな目ををした兵士達に、デールの第一部隊の騎士たちを部屋に案内するように指示し、一行が移動したのを確認した後、エイラ達を三階の応接室へと案内した。


 三階の中央の魔法陣から十字を切るように伸びた長い廊下を東へ進む。
 床一面を琥珀と朱色のモザイクタイルで装飾された廊下には、巡回兵が二人ほど常駐しており、やはりどちらも覚束ない足取りで、その役割をキチンとこなせているようには見えなかった。


 北東棟の、ほぼ中央付近にある扉を開き、応接室の中へ入る。
 室内の白い壁の下部には、金箔で横一線に花の模様が描かれており、床には色違いの大理石を互い違いにはめ込み、壁の模様に合わせるように小さな花が孤になって描かれている。


 部屋の北西に目を向けると、デールから輸入したであろう、マホガニー製の緩やかな波曲線をした四角いコーヒーテーブルと、朱色の座り心地の良さそうな、品の良いソファーが目を引く。
 部屋の東側には小さなフラワーテーブルの上には、竜の国らしく小さな野花が飾られていて、上品さの中に素朴さを兼ね備えた、竜の国の文化の一端を垣間見ることができた。


 トルドヴィンとエイラがソファーに座ると、向かい側にシルディジア夫人が座り、ライマールはエイラの左後ろにさり気なく控えた。


「あの、やはり私が女王などと、何かの間違いではないのですか?」


 席に着くと、エイラは早速困惑した様子で夫人に訴える。
 トルドヴィンはそんなエイラをチラリと見た後、改めてエイラを保護した時の状況と、まだ記憶を失っている状態であるとシルディジア夫人に説明する。
 トルドヴィンの説明に耳を傾けるシルディジア夫人は、目に涙を浮かべて心底エイラを憐れみ、終始エイラを気にかけている様子だった。


「陛下……お可哀想に……一体なにがあったというのでしょう。ひと月程前、忽然と陛下が居なくなってしまわれて……箝口令を敷きながらも、国中必死で捜索しているところだったんですよ。エディロ殿下のことも記憶に新しいですから、それはそれは皆心配していたのですが……まさかそんなことになっていたとは……」


 話しながら、ジッと視線を向けてくる夫人に、エイラは困った風に俯いてみせる。
 しかし内心、"呪"を身に宿していた時の感覚に似た心を見透かすような視線に、エイラは小さく不快感に身を震わせていた。


 それが返ってよかったのか、夫人は全くエイラを疑う様子はなかった。
 トルドヴィンは警戒しつつつも、シルディジア夫人に同情の意を表しながら更に話を続ける。


「医師の見立てでは、おそらく何らかの精神的なショックからではないかと。精神がもう少し安定すれば記憶が戻る可能性もあるとのことでした。まぁ、あまり焦らない方がいいみたいですよ」
「なにからなにまで有難う御座います。その……お医者様はどういった処置を陛下になさったのでしょうか? 今こちらにお見えに?」
「いえ、生憎ですが付き添いには来ていないんですよ。説明のために同行させるべきだったんでしょうが、なにぶん名医でしたし、彼も他に仕事がありましたから。すみませんねぇ」
「いいえ、そんな! そういったご事情でしたら仕方のないことですわ。見ればお元気そうですし、よくして頂いたことは明らかですから。本当に……ご無事で良かったですわ」
「……ところで、宰相殿はご不在なのでしょうか? 我々も陛下を保護した手前、失踪当時の状況など、色々とお話を伺いたいのですが」
「え、ええ……そうですわよね。それが今、カレン宰相は陛下を探しながら国内を視察なさっている状態でして、恥ずかしながら、今王宮で取り次ぎを行える者がわたくし以外、他に居ない状態でして……」


 困惑した様子で答えるシルディジア夫人へ、エイラはチラリと視線を送ると、出された紅茶に手を伸ばす。
 一口だけ紅茶を口にした後、そっと目を伏せ、心の内でまだマウリが無事なのかもしれないという可能性があることに、小さく息を吐き出した。


 そんなエイラの心中を察するかの様ように、トルドヴィンは更にシルディジア夫人に探りを入れる。


「そうですか……では宰相殿がご帰還されるまでこちらに滞在しても? 不躾とは思うんですが、我々も手ぶらで帰るわけにはいかないもので」
「もちろんですわ。陛下がお戻りになったとあれば、カレン宰相も飛んで帰ってくるに違いありませんもの。それまでは私が知っている限りのお話をさせて頂きますわ。私も陛下がどのように過ごされていたのか気になりますし、お礼も兼ねて、是非おもてなしをさせてくださいませ。構いませんわよね? 陛下」


 微かに逡巡した節を見せたものの、シルディジア夫人はトルドヴィンの提案を快諾する。
 連絡を取る手段があるということは、やはりマウリは既に"呪"に侵されてしまっているのだろうか?
 それともただのハッタリで、とりあえずはそう答えるしかなかっただけなのだろうか?


 エイラは胸騒ぎを必死に隠しながらも、オドオドと演技を続け、「は、はい……」と、身を縮めながらシルディジア夫人に返事を返す。


 ワンテンポ遅れて返された自信なさげなエイラの返事に、シルディジア夫人は悲しげな表情を浮かべながらジワリとまた涙を浮かべエイラを見つめてきた。


「陛下……まるで別人のようですわ。よほど恐ろしい目に遭われたのでしょうか? とても聡明な方でいらしたのに、本当においたわしい限りです」
「心中お察し致します。我々も発見当時の様子などできうる限りお話し致しますので、そうあまり気を落とさないで下さい」
「お心遣い有難う御座います。あぁ、嫌だわ私ったら! 長旅でお疲れでしょうに、こんな長々と! 詳しいお話はまた後日と言うことで、どうか今日はゆっくりとおやすみになられて下さい。お部屋を用意させて頂きますわ。陛下もお疲れでしょう? お部屋の方は私の娘と息子が、いつ陛下が帰ってきてもいいようにと、きちんと管理していましたから、きっと陛下も落ち着かれると思いますわ」


 笑顔で告げるシルディジア夫人の言葉に、エイラは思わず身を硬くする。
 ソルテとロアがエイラの部屋を管理していたということは、やはりあの香も部屋にまた設置されているということなのだろう。
 ライマールから渡された薬を飲んでいるとはいえ、あの部屋にまた戻るのはかなり気が引けた。
 なにより周りに誰も居ない状態であの二人と一緒に過ごすことに抵抗があった。


 なにか理由はないだろうかとエイラが俯いていると、後ろに控えていたライマールが、シルディジア夫人には見えないようにそっとエイラの背中に触れる。
 それはとても短い時間だったが、微かに触れた指先からライマールの気遣いがしっかりと伝わってきた。


 たったそれだけではあったが、今のエイラを勇気付けるには十分効果的だった。
 エイラは再びなにも判らないといった様子で、戸惑いながらシルディジア夫人に向かって、静かに頷いてみせた。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品