デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

Coffee Break : 忠義

 ライマールが泣き疲れ、いつの間にか眠ってしまえば、皇帝とクロドゥルフはアダルベルトに後を任せ、静かに部屋を退室していった。
 アダルベルトは終始黙ってそばに控えていたものの、とても一介の、しかも隊長クラスの人間が聞いていい話とは思えなかった。


 自分も知っておいた方がいいと目の前の王子は言ったが、自分とは全く接点がない上に、皇室を揺るがすような真実を聞かされ、正直胃に穴が飽きそうだと、今まで感じたことのないプレッシャーに押し潰されそうだった。


 はたしてメルはこの話を知っているのだろうか?
 自分に聞かせたということは、常に身近にいるメルが知っていて当然のような気もするが、知らなかった時のことを考えれば、おいそれと尋ねるわけにもいかない。


 一体どういうつもりなのだろうか?
 泣き腫らした目で眠り続ける目の前の王子に、アダルベルトは眉を潜める。
 起きて来るまで寝かせておくようにとクロドゥルフからも指示を受けていたため、アダルベルトは外に控えていたメルに、毛布を手配するようにと声を掛けた。


 一人にするわけにもいかないだろうと再び室内へと戻ると、アダルベルトはそこにいる筈のない人物と出くわし、ギョッとする。


 銀髪に煌びやかな白い騎士服を身に纏い、頬杖をついて険しい顔でライマールを見つめるその額には、小さいながらもねじれた立派な角が生えている。


「ゼイル様!? 何をなさっておられるのですか?」


 年頃は明らかにライマールと同じくらいにしか見えない青年ーーデール帝国の神獣、ユニコーンのゼイルは、アダルベルトを一瞥すると再びライマールへと視線を戻し、半ば独り言のようにアダルベルトに向かって呟いた。


「手のかかる子程可愛いっていうけどよぉ……参るよな、全く」
「はぁ……?」


 唐突に現れた上に唐突に同意を求められ、アダルベルトは曖昧に返事を返す。
 その返事を聞いているのかいないのか、ゼイルはアダルベルトの反応に構わず、溜息をつきながらライマールの額に手を伸ばし前髪を払う。
 整った顔の目の下は泣き腫らした為に真っ赤に染まり、十七歳の青年にしては少々情けない顔で、気持ち良さそうに眠っていた。


 ゼイルはそのあどけない寝顔に思わず苦笑する。


「俺はこの国の成り立ちよりも前から、こいつらの先祖と関わりがあるけどよ、ここまで手がかかる王子は初めてだ。小さい頃から泣き虫だし、運動神経も褒められたもんじゃねぇし、できるのは勉強だけとくる。王子にしては挙動不審で、すぐ顔に出る上に作法なんてまるでなってねぇ。お前なんでか知ってるか?」


「……それは神獣の力を持って産まれた故に、人を避けていたせいということでしょうか?」
「半分アタリで半分ハズレ」


 フフンとゼイルは意地悪そうに笑みを浮かべ、アダルベルトをちらりと見上げる。
 アダルベルトが眉を顰めて首を傾げれば、ピッと人差し指を突き出して、ゼイルは楽しそうに話し続ける。


「理由その一、物心つく頃には乳母に気味悪がられ、キチンと世話する者が居なかったから。理由その二、コイツの行動を咎めても、褒める人間は皆無だったから。理由その三、たまに面倒みてたのが俺だったから」


 ヒョイっと肩を竦めて悪びれずにゼイルがそう言えば、アダルベルトは目を見開いて「馬鹿な!!」と憤慨する。


 誇り高く皇族に仕える身でありながら、職務を放棄するなど言語道断! 自分がもしその現場を見ていたのであれば、騎士団長であるクロドゥルフを通じて、皇帝陛下に然るべき処分を申し出ているところだと、アダルベルトは全身の毛を逆立てる。
 あまりに自由で、常識外れな王子だとは思っていたが、受けるべき教育を受けきれていないのであれば、当たり前だ。


 アダルベルトは正直今でも魔術師という存在が苦手だと感じている。
 ネクロマンサーと彼らの違いがまだイマイチ判らないからというのもあるが、彼らの存在がこの国のためになるという実感も、未だに自信を持って断言することはできなかった。
 しかしそれでも、皇族に対して一定の敬意は持ち合わせていたし、道理から外れていないのであれば、尊敬すべき一族であるという硬い信念で職務に殉じていた。
 ゼイルは神獣で、乳母でもなければましてや人間でもないが、その状況をずっと容認していたなど、一体どういうつもりだったのだろうか?


「なぜ知っていながら陛下やクロドゥルフ殿下に仰らなかったのですか! 早い段階で知らせていれば、ライマール殿下が社交の場で恥をかくことなどなかった筈ですぞ!」


 憤りを感じ、思わず目の前の人物が神獣であることも忘れたかのように、アダルベルトはゼイルに訴える。
 するとゼイルはやはり面白そうにニヤニヤとしながら、悪びれた様子もなくそれに答えた。


「それは俺がコイツに王子らしさなんてこれっぽっちも求めてねぇからだ。言っただろ? たまに面倒みてたって。それは俺が・・コイツを好きにしていいってことと同義だ。実際誰も気づかないほど、コイツに関心を抱かなかったじゃねえか。俺に言わせりゃ、今更どのツラ下げてコイツに皇族の在り方を語りやがるって感じだけど?」
「それは……ッ!」


 先日のライマールとのやりとりを見ていたのかとアダルベルトは喉を詰まらせる。
 誰も気づかないほどに関心がなかった。
 否、確かに誰も関わりたがらなかったのだ。
 唯一近くで仕えているメルですら、ライマールに仕え始めたのは数年ほど前からに過ぎない。
 今まで何も言ってこなかったのだから、ゼイルはおそらくメルに関しては不満はないのだろう。


 しかしエイラが現れたことで急激にライマールの周りが変わり、目の前の神獣は、我が子のように育ててきたライマールに、突如として手のひらを返して、興味のなかった者達がちょっかいを出し始めた今の状況が面白くないと、暗にそう言っているような気がした。
 口元はニヤついているものの、ゼイルの瞳をよくよく観察すれば、その目は全く笑っていないように思える。


 そう気がついて、アダルベルトの背筋がゾクリと凍りつく。
 なんとも言えぬ威圧感を感じ、アダルベルトが反射的に耳を伏せると、ゼイルはすぅっと目を細めた。


「なぁ、お前がコイツに構おうとするのはなんでだ? あの女王に叱られたから渋々か? それともこいつを矯正することで、自己満足を得られるからか? ……ああ、今のままではバルフ・ラスキン家の名誉に関わるからか。ホント身勝手な話だな」


 辟易と嘲笑しながらゼイルが言えば、アダルベルトは言い返すこともできずに、拳を握り俯く。


 否定のしようがない。
 エイラが来る以前より、騎士になり、隊長としてクロドゥルフに仕え、その手腕を目の当たりにし、アダルベルトはクロドゥルフに心酔すると同時に、その足を常に引っ張っているライマールへ、嫌悪感を抱いていたのは確かなことだったからだ。


 噂を信じ、常に疑い、ライマールの人となりを、中立の立場で見ようとすら思いもしなかった。
 ーーこれを機会にライマールに王子としての教育をし直せば、クロドゥルフの、ひいては皇族の地位向上になる。
 ゼイルの言った通り、アダルベルトはそう考えていた。


「……確かに私はライマール殿下個人の都合より、皇族の地位を重んじております。今まで殿下に目を向けてこなかったのも確かです。ゼイル様からすれば身勝手に映るのやもしれませぬ。しかし、だからと言って、このまま何もせずにいるのがライマール殿下ご自身のためになるとは思えませんぞ!」


「なんでそう言い切れるんだ? 言っておくが、コイツは望めば神獣として生きていくこともできるる存在なんだぜ? ずっと蔑ろにしてきた人間の世界で生きるより、俺達のことわりの中で生きた方がよっぽど幸せだと思わねぇか? 限にお前ら人間は、神獣以外の異質な存在を受け入れようとしないじゃねぇか。やたら祀り上げると思ったら、小さな子供ですら得体が知れないと怯えて避けようとしやがる。それで? コイツが皇族の教養とやらを身につけて? その後はどうなるってんだ? 神獣と同じように祀り上げて、コイツの力を政治に利用させるってのか?」


 冗談じゃねぇぞ……と、ゼイルの瞳にギラギラと怒りの炎が見え隠れする。
 それは間違いなく子を守ろうとする親の愛情と何ら変わりない感情であることを物語っていた。
 道具のように扱われるなど許せるわけがないとばかりに、ゼイルはアダルベルトを威嚇する。


 アダルベルトはその殺気に畏怖を感じつつも、それを悟られまいと声を張り上げゼイルに反論した。


「っ畏れながら! どんなに神獣に近い存在であったとしても、ライマール殿下は人間であり、殿下が望まれているのはエイラ様の隣に立つこと! ならば人として、皇族として、伴侶の恥とならぬ人間であるように務めるのはライマール殿下の責務でありますぞ! 皇族としてのキチンとした教養が身につけば、自ずと利用などされぬだけの力量が備わる! 自分にどうこう言う資格はないのやもしれませぬが、それでもやはり必要なものだと私は考えますぞ!」


 背筋を伸ばし、冷や汗を流しながらもアダルベルトが宣言すれば、ゼイルはまた面白そうに目を細め、ニヤニヤと笑みを浮かべながら「ふぅん」と返事を返してくる。


「へぇ〜? まぁ一理あるって認めてやるけどよ、じゃあさ、皇族としてコイツに生きろってんだったら、誰がコイツの背中を守るってんだ? 今んとこコイツが信用してる部下なんて、魔術師くらいなもんだろう? 逆もまた然りで、今いる騎士どもは形ばかりでどちらかといえば監視役。コイツが信頼できる騎士なんていやしねぇ。一番信頼してるだろうメルは国から出ることを許されちゃいないし、出れたとしてもあの小間使いは戦力にならねぇ」
「それは……」


 身の安全を問われ、皇族としての力量が身につけば……とは、流石に言い切ることができない。
 たとえ奇行の多い王子というレッテルが剥がれたとしても、魔術師であることには変わりない。
 自ら志願して近衛を買って出る騎士がいるなどと断言できるわけがなかった。


 ライマールに皇族であることを望みながら、御身を守る騎士はいませんなどと、あまりにも無責任ではないかと、アダルベルトは自責の念に駆られる。


 ライマールに王子としての振る舞いを望むのであれば、それ相応に自分も覚悟をしなくてはならない。
 ……いずれはクロドゥルフの隣に立つことを目標として、騎士を目指していた。
 だが、全てを知ってしまった今となっては、目の前のこの王子を見捨てることが果たして自分にできるだろうか?


「私は……今までの振る舞いから、殿下の信頼を得るに相応しい人間ではないやも知れません。しかし殿下が皇族としての道を歩まれるのであれば、私が責任を持って生涯殿下の剣となり、盾となることを誓いましょうぞ!」


 決意に満ち満ちた真剣な眼差しでアダルベルトが宣言すれば、ゼイルは頬杖を付いたまま、楽しそうにライマールの額をビシリと中指で弾いてみせる。


「だってよ。良かったな狸のクソガキ。お前も晴れて近衛騎士持ちの立派な王子だ」


 アダルベルトがゼイルの行動にギョッとしていれば、いつから起きていたのか、「痛い」と、額をさすりながらライマールがむくりと起き上がってきた。


「余計な事を……リータではなくお前が原因だったのか……」
「さぁな? ホント手のかかるガキだなお前は」


 ムッとするライマールの都合を構わずに、ゼイルはグシャグシャとライマールの頭を楽しそうに撫で回す。
 ライマールはその手を鬱陶しそうに払いのけると、後ろを振り返りアダルベルトを一瞥する。
 そして小さく溜息をついた後「すまん」と、小さく呟いた。


 アダルベルトはゼイルに発破をかけられたのだと遅れて気がつく。
 それと同時に、ライマールはアダルベルトが将来自分の近衛になることを承知の上で、先程同席を許したのだと思い至るのに、そう時間はかからなかった。

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