デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

Coffee Break : 継承

 ドラゴンすらも近寄ることのない竜の城の最上階には、『石碑の庭園』と呼ばれる高空の庭園が存在する。


 庭園の名を冠するも王族でも滅多に踏み入れないその場所には、花などの植物は存在しない。
 その代わり歴代の王の名が刻まれた複数の石碑が、外周を取り囲むように弧を描いて立ち並んでいる。
 庭園の中央と最東には、青い魔法陣と白い魔法陣が一つづつ向かい合う形で描かれていて、中央の青い魔法陣は下階へ、最東の白い魔法陣は竜の城から最南東の方角にある、ハイニアの聖地へと行くことができる。
 竜の山脈の中腹にある聖地には、神や神獣に関する知識を管理する神殿と、歴代の王族達が眠る、クロンヴァール家の墓がひっそりと存在した。


 十三歳の若さで、ただ一人となってしまったクロンヴァール王家の姫君、エイラ・リータ・クロンヴァールは、二年の歳月を経て、国の王となるべく、今まさにその場所を訪れようとしていた。


 規則正しい鈴の音と共に、青いの魔法陣から、神官らしき衣装を身に纏った複数の男女が列を成して現れる。
 彼らは粛々とした面持ちで、鈴と経典を手に、ゆっくりと北にある白い魔法陣へと向かっていた。
 先導が庭園の中央に差し掛かった頃、一行の後ろから少しだけ顔色の悪い少女と、年老いた宰相の姿が姿を現す。


 日の光に照らされれば白金かと錯覚してしまうような、長く繊細な金髪は、その一房が少女の肩越しからサラリと前へ流れ、後ろ髪には薄っすらとした白いベールが掛けられている。
 細く頼りない肩からは、ベールと同じ、レース地のマントが掛かっており、そのマントの下では、品の良いシンプルな白いドレスが揺らめいていた。


 少女は重たそうな長く大きな錫杖を片手に掲げ持ち、吐き気を抑えながらも、必死で神官の一行について行く。
 錫杖を手にしている右手が、グラグラと頼りなく揺れ、後ろに控えていた老宰相は、ハラハラとして思わず小さな声で、目の前の少女に話し掛けた。


「エイラ様……大丈夫ですかのぅ? 歩を少し遅くするように指示を出しましょうか?」
「だい、丈夫です、マウリ。転送の魔法が少し苦手なだけです。いつもみたいにすぐに慣れます」


 あどけない様相の残る少女ーーエイラは、小さく首を振って、掠れてしまう声を誤魔化しながら、心配するマウリに毅然として答えた。
「見ていて下さい。私はもう二年前の、泣いてるだけの私じゃありません。ちゃんと、父様と兄様の意思を継いでみせます」


 具合が悪そうな表情とは裏腹に、エイラの蒼い瞳には、確固たる強い意思が宿っていた。
 眼前にある白い魔法陣をくぐれば、王位を継承するために必要な儀式が待ち構えている。


 通常ならば簡易の形式だけで済まされる儀式も、兄のエディロが失踪したとあって、正式な物を執り行う必要があった。


 神の肉片は王が死んだ場合、自然と次代の王を選び、その身に宿る。
 しかしなんらかの理由で王が存命のまま引退した場合、キチンとした形で儀式を執り行い、肉片を受け継ぐ必要があるのだ。


 本来なら、その場に前王のエディロも居なければならないのだが、結局二年かけても、エイラは兄を見つけることができなかった。
 歩を進めながら、北東にある石碑の一つへと目を向ける。
 そこには父の名前の下に、自らが彫ったのであろう兄の名前も刻まれている。


 見覚えのある筆跡から目を逸らし、エイラはそっと目を伏せる。
 そして再び前を向き、歩き始める。
 最後尾の神官達が白い魔法陣の中へ消えて行くのを見届けると、一拍置いて、エイラもマウリを伴い、魔法陣へと足を踏み入れる。


 収まり掛けていた体が歪む感覚に耐えていると、やがて目の前に複雑な形をした、幾つもの石柱が現れる。
 左右に分かれ、奥へと続く石柱の前には、先程まで先導していた神官達が立っており、経典を開いて静かに目を伏せ、エイラの行く末を見守っている。


 上を見上げれば、天井は見えず、ほんのりと暗く、神官のすぐ後ろでは、昼間にもかかわらず、柱を挟むようにして、至るところで篝火が炊かれていた。


 地の底に迷い込んだかのような錯覚を覚え、身を震わせながらも、エイラは長い廊下を奥へと進んでいく。
 際奥まで到達すると、不自然なほど明るい一画に辿り着いた。


 その場所だけ丸く切り取られたかのように、遠く離れた天井から日の光が差し込んでいる。
 中央には小さな泉が配置され、更にその泉の周囲には、ひんやりと冷たく真っ白な雲が広がっていた。


「錫杖をこちらへ。靴を脱いでそのまま前へお進み下さい。中央まで進んだ後は、私の方を向かれますようにお願い申し上げます」


 神官長と思しき男性に促され、エイラは言われた通り錫杖を預け、前へと進み出る。
 雲に床が覆われているせいで、足元が見えず、空から落ちてしまうのではないかという錯覚に陥ってしまう。
 それでもエイラは毅然とした面持ちで、ドレスやマントが濡れてしまうのも構わず、泉の中央まで進み出た。


 振り返り、神官長へと向き直ると、視界の端で心配そうにこちらを見るマウリの姿が目に入った。
 エイラはぎこちなくマウリに向かって微笑を浮かべると、そっと目を伏せる。


『古の〜盟約によりて〜、ハイニアの〜ぉ〜、安寧秩序を守護せし一族〜……』


 独特の抑揚のある、歌声に似た神官長の読経が響き渡る。
 それに習い、柱の前に立っていた神官達も同じ言葉を復唱し、経典を読み上げる。
 祈りにも似たその声に呼応するように、エイラの足元の泉の水が微かに振動し、無数の水滴が跳ね上がった。


 水滴は神官達の読経と共に、跳躍する勢いを増し、やがてエイラの全身を覆ってしまう。
 まるで雲から雨が吹き上がるような不思議な光景を、マウリは祈るように手を組んで見つめていた。


 エイラはその中で、水の音だけに耳を傾け、不思議な心地で立ち尽くしていた。
 儀式の最中だというのに、思わずそれを忘れそうになってしまうほど、居心地が良い。


(なんだかすごく気持ちいい……儀式の最中なのに寝てしまいそうです……)


 このままではいけないと、エイラはパチリと目を開ける。
 そして何気なしに天井を仰ぎ見た。
 すると頭上の方で、小さな何かが、ぼんやりと輝いた気がした。


(今、なにか……?)


 そう思って、声を出そうとほんの少し口を開くと、ポトンと、エイラの口の中にそのなにかが落ちてきた。
 驚いて、反射的にそれを飲み込んでしまうと、喉元がほんのりと暖かくなるような感覚に包まれる。


(ど、どうしましょう!? 何か飲み込んでしまいました! ああ、でも、儀式の最中に吐き出すわけにもいかないですよね……?)


 内心狼狽えながら両手で喉元を抑えていると、しぶきを上げていた泉は徐々に静けさを取り戻す。
 神官達も読経を読み上げるのを止め、中央に立っていた神官長は恭しくエイラにお辞儀をした。


 呆然と喉を押さえて立ち尽くすエイラの様子を見て、なにかあったのかと、マウリが慌てて駆け寄ってくる。


「エ、エイラ様!何かございましたかの? やはり体調が思わしく……」
「…………今……えっと、……体調…………いえ、多分、大丈夫……? です」


 漠然とした違和感を感じながらも、なぜか思い浮かんだ言葉は、不思議と確信し、感じたままの言葉だった。
 受け継いだ者だけが、身の内に感じることができる存在だと、儀式が始まる前に神官長が口にした言葉を、エイラはぼんやりと思い出す。


(多分これが……でも、飲み込んでしまって良かったのでしょうか?)


 不安に駆られ、神官長へ目配せをすれば、神官長はエイラの身に起こったことを知ってか知らずか、ニコリと微笑んで「おめでとう御座います。女王陛下」と、挨拶をした。


 神官長に続いて、神官達も祝いの言葉をエイラに述べる。
 神殿内に神官達の声が響き渡ると、マウリはほんの少しだけ目を赤くして、エイラに手を差し出し、「陛下、おめでとう御座います」と、少しだけ悲しそうに微笑んだ。
 マウリに手を引かれ、エイラがドギマギとしながらも泉から出れば、マウリは少しだけ後ろめたそうにエイラに声を掛けた。


「私は少し今後のことについて神官長殿とお話があります故、陛下は先に戻っていて貰えますかのぅ?」
「判りましたマウリ……あっ! ……カレン宰相」


 まだ慣れない様子で、エイラが呼び名を改めると、マウリは苦笑しながらそれに頷く。
 神官長から錫杖を受け取り、またよろめきながら、元来た道を歩いていくエイラの頼りない背を見つめ、マウリはそっと溜息を漏らした。


「本当にこれで良かったのですかのぅ……」


 エイラが魔法陣の上から消えるのを見届けながら、マウリが不安そうに呟けば、近くの石柱の陰から、灰色の髪をした青年が、くつくつと笑いを堪えながら姿を現した。


 青年は神官服に身を包んでいるものの、その整顔な面立ちからは神官らしさは感じられず、どこか人を惹きつけるような、そんな輝きを放っていた。


「ご苦労だったなマウリ。……いや、これから苦労をかけるな。というべきか。これまで長かったが、これで俺もようやく安心できるよ」
「さて、老い先短い年寄りの身でどれほどお役に立てますか……殿下はこのまま神官として、ここで過ごされるおつもりなのですかのぅ?」
「おいおい、殿下はよしてくれよ。俺はもう王でもなければ王子でもないんだからさ。ただのエディロか、ルフとでも呼べばいい」
「……私にとっては、殿下はいつまでも殿下ですよ」


 マウリが寂しげに微笑むと、青年ーーエディロ・ルフ・クロンヴァールは、肩を竦めて苦笑する。


「まぁ、いいけどさ。儀式も見届けたし、このまま神官に……ってのも悪くはないけど、うっかりここに来たリータと鉢合わせしないとも限らないからね。ここからだと結構遠いけど、ベルン連邦の方に行ってみようかなと思ってるよ」
「なんと! ベルンですと!? いくらなんでもそれは無謀というもの。今の貴方様では、竜の助力はもう得られないのですよ?」
「いや、一回だけなら一応呼べるんだな、これが。まぁ、貴重だから使わないで済むなら使わずに行こうとは思ってるけどね。幸いここは聖地だし、巡礼用の道や転送陣も完備されてるから、移動に不自由はしないでしょ」


 そういってエディロは首元からなぬやら紐を引き出して、マウリにチラリとそれを見せる。
 紐の先には虹色に輝く、細く小さな枝がぶら下がっていた。
 それを見て、マウリは呆れたように嘆息を吐き出す。


「竜の角笛などいつの間に……数は多くないのですから、おいそれと使われても困るのですがのぅ……」
「まぁまぁ、退職金代わりだと思ってさ。見逃してよ。それにここにいたら、いつか俺の方が我慢出来なくなって、リータの前に出て行っちゃいそうだから。あいつはしっかりしていそうで抜けてるところがあるからなぁ……ックックック! さっきのアレも予想外だったな! 見たか? アレ。まさか飲み込むとは思わなかった!!」


 身から剥がれた神の肉片の行く末を、エディロは陰からじっと見守ってはいたが、後にも先にも、飲み込んでしまった王は、おそらくエイラだけだろう。
 そう思えば笑いを堪えようとしても、堪えることはできなかった。


 エディロは更にエイラの唖然とした顔を思い出して、いよいよもって腹を抱えて笑い出す。
 そんなエディロの姿を、神官長とマウリが呆れた様子で眺めていた。


「殿下……笑い過ぎですよ。それはそうと、ベルンに行かれた後はどうなさるおつもりですかのぅ? 出立はいつ……」


 マウリが質問をしている途中で、エディロはスッと笑いを納め、片手でそれを制止する。
 腹を抱えていた体勢から、背筋を伸ばしてマウリに向き直ると、王子らしい微笑を浮かべ、エディロは首を横に振った。


「その先を、果たして聞く必要があるか? 俺はもうここに戻ってくるつもりはない。父や母が眠るこの場所に俺が眠るべき墓はないよ」
「殿下……そう、ですな……聞けばいつか探しに行きたくなりますからのぅ……ですが城はともかく、この場所はいつでも開かれていることを忘れないでくだされ」


 同意を求める様に、マウリは神官長へと視線を送る。神官長もその通りだと無言で頷いて、エディロに微笑んで返した。
 二人の気持ちを汲み取って、エディロはまた小さく苦笑する。


「気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとうな。っはー……さて、マウリ。もう行くといい。宰相殿には宰相殿の仕事が待っている。油売ってる場合ではないだろう? とはいえ、無理はするなよ? マウリには俺の代わりに、リータの孫の面倒も見てもらわないといけないからな」


 ポンポンとマウリの背を叩きながら、エディロが冗談を言えば、マウリも苦笑しながら肩を竦めて魔法陣へと向かう。


「やれやれ……私は百を越えるまで死ねないようですのぅ。……エイラ様のことはお任せ下され。殿下もどうかお達者で在られますように」


 魔法陣の上で深々とマウリが頭を下げると、エディロは無言でそれに手を振って返す。
 互いにそれ以上言葉を交わすことなく、マウリは魔法陣の光と共にその場から姿を消した。


 マウリを見送ると、エディロはくるりと踵を返し、柱の奥へと神官長と共に消えていく。


「うーん。ラハテスナもいいけど、やっぱ、ルドベキアかなぁ〜?」


 暗い神殿の奥の方から、最後にどこか楽しげなエディロの声が響き渡った。

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