デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

不器用な思いやり 9

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 その後、程なくしてエイラは目覚めたものの、今度は待ちくたびれたライマールが眠っているという絵に描いたような状況が展開された。
 アダルベルトはどうしたものかと眉を顰めたが、ここで起こさず寝かせたままにしていたら、後で文句を言われるのだろうと思い至り、ライマールを起こした。


 少々寝ぼけた様子ながらも素直に頷き、大きなあくびをした後、ふらふらとエイラの元へと歩き出せば、扉の前でピタリと止まり、ノックをしようとしたまま硬直する。
 先程までの勢いが嘘のように、真っ赤になって俯き立ち尽くす王子に、アダルベルトはまた呆れながら代わりにノックを叩き、少々乱暴にライマールを部屋へと押し入れた。


 何が起こったのかわからずライマールがポカンとしていれば、右手奥の部屋から「ライマール様?」と、清流の様に澄んだ心地のよい声が聞こえてくる。
 おそるおそる奥の部屋へと進んで行くと、ホッとしたように肩をなで下ろし、思いのほか元気そうなエイラの姿がそこにあった。


「わざわざ待ってくださっていたとお聞きしました。随分待たせてしまったみたいで申し訳ありません。お身体はもう大丈夫なのですか?」


 どこか嬉しそうに目を細めるエイラを目にして、直前まで眠っていたせいもあって、ライマールはすっかり毒気を抜かれてしまった。
 その上先に言うべき台詞をまた先に言われてしまったとあって、気まずさを抱えながら「問題ない」と、ぼそりと呟くしかなかった。


 恥ずかしさを隠すように、ムッと口をへの字に曲げてベッドの横に椅子をつける。
 座り込む前に、なにも言わずにエイラの額に手を伸ばし熱を確認すると、いつかのようにジッとエイラの瞳を覗き込む。
 しばらくすると、「大丈夫なようだな」と、ホッとした様子でぼそりと呟き、ようやくライマールは椅子へと腰掛けた。


「明日には動いても問題ないだろう。すぐに帰国させてやりたいところではあるが、昨日の今日で病み上がりとあっては周りが黙ってないだろうからな……明後日には帰国できるように手配する」
「なにからなにまで本当にありがとう御座います。他になにか私にできることがあればなんでも仰って下さい。ライマール様にばかり負担をお掛けするのは心苦しいですから……」


 エイラはまたライマールが一人で全て背負ってしまうつもりなのではないかと、蒼い瞳を揺らめかせライマールをじっと見つめる。
 その不安げな視線を受け止めて、ライマールはズキリと胸を痛めた。
 居た堪れなくなり、視線を外し俯くと、先程のことを思い出し、ライマールはぼそりと呟く。


「俺ではやはり……頼りないか?」
「えっ?」


 思いもよらないライマールの一言に、エイラは首を傾げる。
 ここに来るまで頼りないどころか、ライマールが一人で全てなにもかもやってくれている状態だというのに、何故そのようなことを思ったのかと、エイラは困惑を露わにする。


「なぜそのようなことを? ライマール様がいらっしゃらなければ、私は今頃どうなっていたか分かりません。私の方が厄介事を持ち込んでいるというのに。感謝こそすれ頼りないだなんて思ったことは一度もありません」
「……ならばなぜ皇帝やクロドゥルフに話した。俺の助けでは心許ないと思ったからじゃないのか?」


 信じて欲しかった。と、絞り出す様な声が聞こえ、エイラはハッとする。
 怒っているというよりも、悲しそうな表情を浮かべているライマールに、エイラは慌てて「違います!」と、ライマールの手を両手でギュッと握りしめた。


「違うんです。そうじゃないんです。私はただ、本当に誤解を解きたかっただけなんです。勝手なことをしたのは謝ります。ですが、やはりライマール様があのような嘘をついたままでいいはずがないんです。デール皇帝も、クロドゥルフ様も、ライマール様の敵ではありません。大切な家族です。家族が……私のせいで……大事な家族が、バラバラになるなんて……そんなの、もう、耐えられません!」
「っ!」


 蒼い瞳から小さな雫が静かに頬を伝う。
 父も母もこの世を去り、王位を継いだ筈の兄もエイラの元を離れていった。
 あの時もっと早くに気がついていればと、何度思ったかわからない。
 今ではもう城に家族と呼べる人は、宰相のマウリくらいしか居なかった。
 そのマウリも無事だと断言できる自信などない。


 とうとう本当に一人になるのかもしれないと、嫌な考えがよぎり、エイラは握りしめる手に、無意識のうちに力がこもる。


「お願いです。どうか家族と歩み寄っては頂けませんか? 失ってしまってからでは遅いんです。自分を犠牲にして、誰かを護ることが正しいと私は思いたくないんです。その人の身は守れるかもしれませんが、心は……決して報われません」
「リータ……」


 同じように顔を歪めるライマールを見て、エイラは力を込め過ぎていたのだと気がつき、慌てて「すみません!」と手を引っ込めようとする。
 しかし、ライマールはその腕を掴み、ぐっとエイラを引き寄せた。
 エイラは抵抗する間もなく、ライマールの腕の中にすっぽりと収まる。


 驚いて見上げようとすれば、ギュッと頭を押さえつけるように抱きしめられ、ドクドクというライマールの心音が耳に響いた。
 頭上からは温かい吐息が落とされ、少しくぐもった刹那げな低い声が聞こえてくる。


「すまない。浅慮だった。お前を苦しめるつもりなどなかったんだ。……すまない。頼む、泣かないでくれ」


 竜の国を守るために、クロンヴァール家の人間が犠牲になったは俺のせいだ。
 ライマールは自身を責めた。
 ツェナの時と同じで、それ以外に方法がなかったのだ。


 どちらの未来もエイラは助かる。
 だが、竜の国の命運だけは、一度婚約を無効にすることでしか助けることはできなかった。
 あるいはーー


「初めから……クロドゥルフとの婚約の時から……根本から・・・・妨害するべきだったのかもしれない。たとえ帝国と竜の国の関係が悪化したとしても……それならば、お前は家族を失わずに済んだかもしれない……」


 ライマールのその言葉に、エイラがハッと目を見開く。
 僅かに力の抜けた手から逃れるように、ライマールを見上げれば、紫色の瞳が難しい顔でジッとこちらを見下ろしていた。


 知っているのだ。竜の国の国民すら知らない真実を。
 なぜ、両親が死に、兄が失踪したのかを。


「ライマール様、それは違います! 例え帝国との盟約を違えたとしても、父も母も、そして兄も同じことをしていたと思います。お願いです。そうやって全て抱え込んで、ご自分を責めないで下さい。私が家族を失ったのは、ライマール様のせいだと責めたいわけではないんです。家族を失ったのも、国が今危機に瀕しているのも、全て私が至らなかったためです」


 どんなに他人の未来が見えたとしても、例えそれに干渉できたとしても、最終的にその道を選ぶのは本人以外の何者でもないとエイラは思う。
 ライマールの言わんとするこがなんなのかは判ったが、たとえエイラが帝国へ嫁がずに、国内に留まったとしても、間違いなく結果は同じだったと、エイラは確信を持ってライマールの言葉を否定した。


 ーー何故ならば、エイラの婚姻の話自体が、両親がエイラを救おうとした結果だったからだ。

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