デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

理の外に生きる者 2

 顔を覗き込まれ、おずおずとまた視線を合わせれば、真剣な面持ちのライマールの顔がすぐ目の前に飛び込んでくる。
 互いの鼻先が触れそうな距離まで近づいた時、エイラはこの先、自分の身に起こるであろう事態を理解し、力いっぱい目を瞑り、思わず一歩後ずさった。


(こんな時どうしたらいいの?)


 目の前に迫ってきている気配を辿りながら、エイラは混乱する頭を必死にフル回転させる。


(断るべきなのでしょうか? 確かにそう遠くない未来で伴侶となる方なのでしょうが、今はまだそこまでの覚悟を持つことができそうにありませんっ!! ああ、でもここで断ってしまうのは失礼に当たるのでしょうか? ライマール様を傷つけるのはよくないです。ここで我慢をすべきは私の方……ああ、ですが……)


「あ、の……私…………」
 やっとの思いで、エイラは掠れ震える小さな声を絞り出すと、ライマールの動きがピタリと止まる。
 恐る恐る目を開いて見上げたところで、すぐ横から、風が唸るような大きな音が聞こえてきた。
 おもわずそちらを振り向けば、二つの人影が魔法陣の上に姿を現した。
 その姿がはっきりしたところで、くるりと丸まった茶色い尻尾の、ふさふさとした毛を逆立てた大男が、驚愕の声を森中に轟かせた。


「なっ……これはどういう事だ!! なぜ客室からこのような場所に転送陣が繋がっているんだ!!」
「ライマール様になにも聞かなかったのか? ……って自分から話すような方ではなかったですね……あ! お待たせしました! ん? お二人とも顔真っ赤ですが、どうかしましたか?」
「い、いえ、助かりました」


 不思議そうに首を傾げるメルと、突然森の中へ飛ばされ愕然とするアダルベルトの姿をとらえると、エイラはホッと息をつき、おもわず本音でメルに答えた。
 柔らかい笑顔を浮かべ、メルに答えるエイラを、隣で見下ろしていたライマールは、所在のなくなった手を下ろし、エイラに気付かれぬまま密かに、少し傷ついたような顔をしていた。




 =====




 町や村の中のレンガ造りの路面と違い、森の中の地面は湿気を帯びていて不安定でとても柔らかい。
 エイラはライマールに手を引かれ、おぼつかない足取りで、太くどっしりとした大木の間を縫うように森の中を進んでいく。


 数日前に雪が降ったらしく、所々に雪が残っているせいもあって、踵の高いヒールを履いていたエイラは、何度も転びそうになっていた。
 スカートの裾も湿った土で、既にかなり汚れてしまっていたが、エイラは初めて大地の上を歩く感覚を、一歩一歩噛み締めていた。


 抱えることも提案されたが、雲よりも高い場所上で暮らすエイラにとっては、もう二度と機会はないだろうと我儘とわかりつつも首を横に振ったのだ。
 空気は刺すように寒いというのに、エイラは額にしっとりと汗をかき、口からは白い蒸気が立ち上がっている。
 儀式の前にあまり体力を使わせたくはなかったが、どこか楽しそうに歩くエイラの姿を見れば、ライマールもそれを止めることはできなかった。


 予定の時間より遅れてしまったものの、何事もなく目的地へと辿り着く。
 そこがライマールの言う結界の中だと判ったのは、ライマールの研究室を初めて訪れた際に感じた、澄んだ空気に包まれていたからだった。


 まだ森の中ではあったが、小さな獣道もあり、幾分かは舗装されていたため、先程よりも楽に進むことが出来た。
 じめっと暗かった森が、結界に入ったこの場所では、まるで違う場所へ来たかのように明るく、樹々も生き生きとしていた。


 やがて目の前に現れたのは、メルが身に纏っているローブと同じような、白い色の小さな祠だった。
 大人の男性が腰を屈めて入るのがやっとであろう神殿の形をした祠の近くには、両手を広げたくらいの大きさの小さな池があり、水面は薄っすらと氷に覆われていた。


「なんなんですかここは?」


 訝しげにアダルベルトが呟くと「家だ」と、手短にライマールが答えた。
「誰の」と、聞く前に、ライマールはエイラの手を引きながら、スタスタと祠の中へと入っていく。


 小さな外観とは逆に、祠の中は左右が白い石柱に覆われた長い廊下が続いていた。
石柱の間からは春の木漏れ日のような日差しが差し込み、その奥をみれば、青々とした草花が絨毯の様に広がっている。
 左右どちらも同じような景色に、エイラとアダルベルトは少しだけ違和感を感じた。


「目眩ましになっている。生きて帰りたければ俺かメルから離れるな」


 そう言ってライマールはエイラと繋いだ手に力を込めると、ブツブツと呪文を紡ぎながら一歩一歩慎重に歩みを進める。
 ある程度進んだところで、ライマールはピタリと足を止め、空いた手を目の前に差し出す。
 ライマールの手を中心に波紋のような歪みが生まれ、そのまま一歩踏み出せば、その腕がぬるりとどこかへ埋れて行く。


 思わず身構えたエイラを気遣うように「大丈夫だ」と、ライマールはエイラの手を引く。
 ライマールに握られた自分の手がそこへと引き寄せられると、エイラは思わずギュッと目を瞑り、なんとか足を踏み出した。


 水面から顔を出したような感覚が通り過ぎ、エイラはそっと目を開く。
 その場所はライマールの研究室よりも数倍広く、部屋全体は灰色の壁で覆われ、壁には薄っすらと文字や記号のようなものが隙間なくかかれている。
 天井からは太陽の自然な光が差し込み、空中には大きな白い魔法陣が浮かび上がっていた。
 魔法陣の真下には、メルと同じ真っ白なローブに身を包んだ2人の魔術師が向かい合って立っていた。


 一人はひょろりとした細身の男性で、もう一人は同じくひょろりとした細身の女性だった。
 二人とも歳は二十台後半といったところだろうか。
 男性はオレンジに近い、長い髪を一つに束ね、それを肩に掛けており、もう一人はオレンジとはいかずとも、琥珀のような色の髪をポニーテールにして纏めていた。
 二人とも瞳の色はメルよりも濃い緑色をしていた。


 向かい合って難しい顔をしながら、床と睨めっこしていた二人の内、男性の方がこちらへ気付き、とても嬉しそうな顔で、ゆったりとエイラ達の居る方へと歩み寄ってきた。


「お待ちしておりましたぁ〜ライマール様〜。随分と大所帯なんですねぇ〜。いやいや〜久しぶりですね〜メル君にルベ君に〜……そちらは〜…………どなたでしたっけ〜?」


 思考も行動ものんびりとした男性は、細く垂れ目がちな目をキョトンと瞬かせ、エイラを見るとゆっくりと首を傾げた。
 その後ろから女性がキビキビとした足取りで男性に近づき、呆れたように声を掛けた。
 男性とは対照的に女性は魔術師というよりは、騎士と言った印象を受けるほど快活でハスキーな声をしている。


「阿呆、初対面だガラン。お初にお目に掛かる。私は夢境魔術団副団長のギリファン・ケルスガー、こっちはガラン・ケルスガーだ。弟と殿下が世話になっているようだな」
「ガランです〜。メル君の兄でギリファンの弟です〜」


 ギリファンとガランの挨拶に、エイラはパチパチと目を瞬かせる。
 思わず後ろにいたメルを振り返れば、メルはにっこりと微笑んで「姉と兄です」と、少し照れ臭そうに二人を紹介した。

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