デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

Coffee Break : 宿敵

 メルとアダルベルトは学園の同期生で、初等部の頃からの顔見知りだった。
 ライマールが教壇に立つ以前の学園では、通常騎士見習いと魔術師見習いが顔を合わせるなど滅多にないことだったのだが、正義感の強いアダルベルトは、率先して魔術科の教室に度々足を運んでいたため、学園内でもかなり目立つ存在だったのだ。


 見た目はクリクリと目を輝かせた可愛らしい仔犬だったのだが、毎回教室を訪れるたびに毛を逆立てて暴れ回って帰っていくアダルベルトに、昔から誰もが辟易していた。


「帝国に巣食う害虫どもめ! 今日こそは貴様らの企みを暴いてやる!!」
 それが幼少期の彼の口癖だった。


 メルはメルで生まれた頃より運命づけられたその称号のせいで、嫌でも目立つ少年だった。
 故になるべく地味に目立たないようにと学園内ではかなり大人しく過ごしていた。


「ボクって不幸です……」
 それが幼少期のメルの口癖だった。


 対照的な性格ながら、二人はとにかく色んな意味で皆の注目を集めていた。
 メルの日課は、これ以上目立ちたくないと、アダルベルトが教室に来るたびに、机の下やら教室の隅やらに誰よりも先に隠れ回ることだった。
 お陰で顔を知りながらも、思春期を迎えるまではお互い面と向かって話したことなどまるでなかった。


 その状況が変わったのはメルが十三歳の時だった。
 わずかふた月ほどではあったが、飛び級でメルと同じ教室に、まだ前髪が短く、可愛らしい容姿をしていたライマールが通い始めたことで、状況が一変したのだ。


 メルは初め、初等部の子供が迷い込んできたのかと思ったのだが、相手が王子で、しかも飛び級と聞き、王族とは本当に凄い血筋の方々なのだと、生まれて初めて尊敬という言葉の意味を実感した。


 教室にいた同級の生徒達も同じだったようで、まだ六歳で可愛らしい容姿のライマールに、誰もが興味深げになにかと構いたがった。
 ちやほやされるのに慣れていないのか、頬を染めながら終始俯いて恥ずかしそうに受け答えをするのがまた可愛らしいと、気がつけばライマールは常に話題の中心となっていた。


 そんな噂を聞きつけたのか、はたまたただの気まぐれだったのか、思春期を迎えてからめっきり訪れなくなっていたアダルベルトが堂々と魔術科の教室に現れたのだ。
 不運なことに、その時限は担当教員の都合上、自習時間となっていた為、教室内に数人の生徒しか居なかった。


 唐突に開け放たれた入り口のドアの音に誰もが身を竦ませてそちらを見れば、口端を不敵に釣り上げて、幼い頃の可愛らしいクリクリとした瞳の面影も、もはや跡形もなくなくなってしまった、凶悪な狂犬の目をした半獣族が仁王立ちしていた。


「ド、ドラゴ……」
 生徒の一人が青ざめてアダルベルトの名を口にすれば、誰もが同じように顔を青くし、あたふたと教室の隅へ逃げ惑う。


「お前達、殿下を何処へ隠した? 貴様らの魂胆はわかっているぞ! 幼い殿下を懐柔しようなどと恐ろしい!! 今すぐ引き渡せば命迄は取らないでおいてやる。さぁ! 今すぐ殿下をこちらに寄越せ!!」


 何かまた面倒臭い勘違いをしているのだなと、誰もが顔を見合わせ、縮こまる。
 メルも例外なく教壇の裏に隠れてぶるぶると震え上がっていると、話を全く聞いていなかったのか、あどけない少年の声が教室内に響き渡った。


「誰か、ここの術式の解釈について説明してくれ。解る者はいないか?」
 メルが恐る恐る教壇から顔を出し声のする方を覗けば、無防備なライマールが大きな教科書を両手で開き、眉を寄せながら睨めっこしていた。


 誰もがその姿にポカンと口を開けてライマールに注目する。
 齢六歳にして、この騒ぎに動じることなく我が道を行くライマールに、メルは王子の貫禄とはこういうものなのか……と感心したと同時に、昔から隠れるばかりの自分に羞恥心を感じた。


 ライマールは誰も何も反応を返さない事を訝しんで、漸く教科書から視線を外し、教室の中をキョロキョロと見渡す。
 教室の入り口には見慣れない半獣族が立ちふさがり、自身の後ろを振り返れば、生徒達がひと塊りに身を縮めている。
 更に前方へと視線を戻せば、教壇の後ろに隠れていたメルとバチリと視線があった。


「何をしているんだ? かくれんぼか?」
 そういってライマールはムッと俯く。
 自分一人だけが勉強していたのが恥ずかしかったのか、はたまた仲間外れにされたと思ったのか、バツが悪そうに教科書を閉じてしまう。


「……自習室に行ってくる」


 ジワリと目に涙を貯めて、ライマールは教室から出て行こうと立ち上がり、そのままアダルベルトの横をしょんぼりと通り過ぎようとする。
 誰もが罪悪感を抱えつつも、引き止めるに引き止められない中、その原因であるアダルベルトがハッとしてライマールを引き止めた。


「お待ち下さい!! 殿下はもうこのような事をなさらなくとも良いのですぞ! さぁ、私と一緒に訓練所へ行きましょう!」


 唐突に手を差し伸べてアダルベルトが膝をつけば、ライマールは不可解なものを見る目で首を傾げる。


「誰だ?」
「これは申し訳御座いません。私、ドラゴ・アダルベルトと申します。ささ、殿下、僭越ながらこのわたくしめが訓練所の方へご案内致しますぞ」
 意気揚々とアダルベルトが笑顔で言えば、ライマールは何かに気がついた様子でアダルベルトに頷き返す。


「アダルベルト……ああ、伯爵のご子息か。すまない。先生は訳あって不在だが、今は治癒術の歴史と時代ごとの術式変化を学ぶ時間なんだ。剣の相手はまた時間を改めて貰えないだろうか?」
 アダルベルトが休み時間と勘違いしたとでも思ったのか、ライマールはアダルベルトに丁寧に断ると、再び自習室へと歩き出そうとする。


 すると、アダルベルトは慌ててその手をガシリと掴んで引き止めた。


「殿下! 忌まわしい魔術の勉強など、もうせずともいいのですぞ! こやつらに何を言われたかは存じ上げませんが、私がいればもう大丈夫です! 殿下の剣となり盾となってこやつらの企みから守って差し上げますぞ!」


 独自の正義を振りかざし、切々と語るアダルベルトに、流石のライマールも何か妙な勘違いをしているなと思い至ったようで、眈々たんたんと説得を試みた。


「アダルベルト殿、俺は誰かになにか言われた訳でも、そそのかされた訳でもない。俺は剣よりも魔法の方に興味があるし、才もそちらに傾いているらしい。俺は出来れば自分の長所を伸ばして、リータ……あ、いや……この国の役に立ちたいと思っている」


 真っ赤になりながらライマールが恥ずかしそうに視線を逸らすと、アダルベルトは驚愕に目を見開いて顔を青くする。
 メルは二人の様子を覗き見ながら、自分が六歳のだった頃、こんな立派な考えを持っていただろうかと、教団の裏でますます己を恥じていた。


「殿下っ! その様なこと……っなりませんぞ!! いいですかな? 魔術など得体の知れない物で国を支えることは出来ないのですぞ! 国を護るのはこの剣のみ! 男児たるもの己自身の力で全てを護るものですぞ!」


(脳筋……)


 メルを含め、ライマール以外のその場に居た人間がその二文字を思い浮かべ、アダルベルトを辟易と眺める。
 一方、ライマールはいまいち解らない様子で、首を捻りながら腕を組んで考え込んでいた。


「己自身の力で全てを護る……?」
「その通りですぞ! その為には日々の鍛錬を欠かさず、常に上を目指し、己をライバルと認め、戦い続けなければなりませぬ! その為にもまずは訓練所へ……」
「ふむ。つまりお前に勝てばいいんだな?」
「はっ……?」


 邪気の感じられない、満面の笑みでライマールは合点がいったと頷く。
 そうして膝を着いているアダルベルトの額におもむろに手を伸ばしてきた。
 子供を相手にすると、割と犬に間違えられて撫でまわそうとされることが多かったせいか、アダルベルトは殿下もやはりまだ幼い子供なのだと思ったらしく、油断していた。


『小鬼のランプ』


 あどけない声が廊下に響き渡ったかと思えば、アダルベルトの額にボッと火が付く音がする。


「あっ、熱っ!! 熱!! も、燃えてる!! で、殿下っ!!」
 額の上の小さな炎はみるみる燃え広がり、アダルベルトは慌ててそれを消そうと額を叩く。
 しかし、その手もふさふさとした毛に覆われているせいで、火を消すどころか両手にまで燃え移ってしまった。


「ぬおぉぉぉ!! 誰かっ!! み、みず!!」
 パニックになるアダルベルトを前に、ライマールは顔を青くしてアダルベルトを見上げている。
 おそらくそこまで酷くなると思っていなかったのだろう。


 誰もがオロオロと狼狽する中、このままでは流石にマズいと、気が付けばメルは廊下に飛び出していた。
 呆然とするライマールを引き寄せて背にすると、メルは左手を掲げてアダルベルトに向かって魔法を放つ。


『清流の憂い!』


 メルの声が廊下に響くと、アダルベルトの頭上から、バケツをひっくり返したような水の塊がバシャリとひとつ、落ちてきた。
 結果、火は消え、誰もがホッと息を着く。
 暫くすると、今度はメルの背後からしゃくりあげる様な声が聞こえてくる。
 メルが振り向けば、ライマールがボロボロと涙を流し、嗚咽を漏らして俯きながら震えていた。
 どんなに頭が良くて、立派な考えを持っていても、彼はやっぱりまだ子供だったようだ。


「ああ……怖かったですね。もう大丈夫ですよ」
「す、す……すまっ……ない……」
 喉を引きつらせながら何とか謝罪するライマールを、メルは苦笑しながら抱きしめ、背中をポンポンと叩いて慰める。


(うちの弟や妹もこれくらい素直だったら楽なんだけどなぁ……)


 ……などと考えていると、更に背後からわなわなと怒りに震えるアダルベルトの怒鳴り声が聞こえてきた。


「きっ、貴様っ!! さ、さては貴様が殿下を悪魔に売り払ったのだなっ!? か様な禍々しい術を吹き込んで、いったいなにを企んでいる!?」


 メルはとうとう絡まれたな……と嘆息を吐き出しつつも、ライマールがいるせいか、不思議とアダルベルトを恐ろしいと思う気持ちは消え去っていた。
 それどころか、助けてやったというのに何故そこまで言い掛かりをつけられなくてはならないのだろうかと、だんだん腹立たしい気持ちがむくむくと湧き上がってくる。


「お前! 毎度毎度なんでそう俺達に難癖つけてくるんだよ!! 教室に勝手に入ってくるわ、授業妨害するわ、教材壊すわ……良い加減にしろよ!! ライマール様を焚きつけたのだってお前自身だろう!! 自業自得って言葉を知らないのか?! 礼を言われても、文句を言われる筋合い……は………………っぶ……」


 メルが振り返りながらまくし立てるように不満を爆発させると、ずぶ濡れで額と両手の毛が見事に禿げてしまったアダルベルトの哀れな姿が目に飛び込み、メルは思わず吹き出してしまう。
 額の禿げは、小さいながらも綺麗な手形を描いて、両手の甲も剃り落とした様にツルツルとしている。
 そんな姿を見てしまえば、流石に腹立たしさなんて一瞬で吹っ飛んでしまった。


「あははははははは。ご、ごめん、でも、ドラゴ、お、お前早く早退した方が良いぞ。あ、頭、ハゲ……ぶはははははは! ひーー、く、くるしい……っ」


 普段大人しく地味なメルが激昂したかと思えば、腹を抱えて爆笑しだし、皆唖然としてメルを凝視する。
 アダルベルトもメルの反撃を予期していなかったのか、暫く唖然としていたが、額を指差し笑われた事で、ハッと意識を取り戻して、近くの窓に駆け寄った。


 反射して映し出された自分の姿にアダルベルトは目を見開いた。
 そこにあったふさふさとした柔らかい毛は見当たらず、代わりにライマールの手の平と同じ位の範囲で赤い地肌が痛々しく顔を覗かせていた。


 ゲラゲラと笑うメルを恨めしげに睨みつけると、アダルベルトは耳を伏せながら禿げてしまった額を押さえ、後ずさる。


「き、貴様! 覚えていろよ!! この借りは必ず返してやるっ!!」


 見事な捨て台詞を放って慌ただしく走り去るアダルベルトを、教室にいた生徒達は信じられないといった面持ちのまま視線で追う。
 そして長年の恨みを晴らしたメルへと視線を戻すと、誰もが顔を見合わせて歓声を上げながらメルへと駆け寄った。


 この日からメルは地味な生徒ではなく、密かに英雄として称えられる立場にまで昇格してしまう。
 結果、アダルベルトはなにかとメルに突っかかるようになり、ライマールの小間使いとなった今でも辟易とした関係が続く羽目になるのだった。

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