デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

Coffee Break : Tow weeks ago

 長い歴史の中でデールは幾度か首都の場所を変えているが、現在の場所に落ち着いたのは二百年程前になる。
 ノイデールと呼ばれる様になった現在の首都は、旧首都よりも東に位置し、デール建国当時は、瘴気によって侵入が阻まれていたとても過酷な土地だった。


 瘴気を一掃できたのは、皮肉にも今は蔑まされている魔術師達の血の滲むような努力のおかげだったが、三五〇年前の戦争の所為で、その記憶も失われつつある。


 今は少なくなってしまったが、それでも魔術師を目指す人は、このノイデールにある帝国立の学園へと集まる。
 幼い頃から城に住むライマールも例外ではなく、元より頭の良かったお陰で、学園創立以来最年少で卒業するという栄誉を得ていた。


 ……最も、彼の両親を含め、周りの人間はそれを手放しで喜びはしなかったのだが。


 一台の豪奢な馬車が学園の前に立ち止まると、中から長い金髪の青年が出てきて、煉瓦造りの風格ある学園の校舎を見上げながら大きな溜息を吐き出す。


「ご卒業されたのが八才の時だったから、もう九年も前になるんですねー。ボクが卒業する二年前で、ついでにライマール様が教壇に立たれるようになったのがその翌年で……って事は、ライマール様の小間使いになって……もう七年も経つのか?! ボクの七年ってなんだったの!? 普通恋人とかいてもおかしくないですよね!?」
 馬車の前で御者相手に思い出話を一方的に語り、青い顔で頭を抱える青年に、御者は慣れた様子でウンウンと適当に相槌を売っていた。


「まぁだ七年だべや。オラがらすっど、メルざまはまだまだはなたれ・・・・小僧だべな。わげぇうぢの苦労ぐろうってでもじろち、かーちゃんさが良ぐ言うどったべなや」
 何処かの地方の訛りが強いのか、御者の受け答えの内容は半分程度しか聞き取れなかったが、言わんとする事はなんとなしに理解し、金髪の青年ーーメルは涙混じりに御者に話続けた。


「若いうちで済むならまだましだよ! そりゃあボクも神童と言われた方のお付きになると決まった時は、嬉しくて嬉しくて、姉さんや兄さんや弟や妹に自慢したよ? でも姉さんも兄さんもなんか同情的な目でボクを見るし、後輩や先輩は目を逸らすし、挙句両親は泣き出すし……今ではみんなの危惧はこの苦労の事だったんだと自覚せずにはいられないというか……ボク、この仕事向いてないんじゃないかなぁ……」
 ガックリと項垂れながら、メルはこれまでの半生を振り返る。


 思えば七年前から、我が主人は城の中で奇行を繰り返し、研究に没頭していたかと思えば、いつの間にか辺境の村にいたりと、とにかく目が離せない少年だった。


 いや、「だった。」というより、「である。」と、現在進行形で言わざるを得ない。
 全ての行動に理由がある事をメルは理解していたが、七年経っても成長しないのは、もしかして付き人である自分が甘い所為なのではないだろうか。


 なまじ頭が良いのと、あの、人知を超えた力を持っている所為で、自分の主人に対して、力及ばず敵わない所があった。


「いや、でも、素直な良い所もあるんですよ? あるんだけど、こう毎回毎回人使いが荒い上に、居場所が分からなくなって探し回るボクの身にもなって欲しいっていうか……判ってます。仕事ですからね。仕事!」


 一方的に話して一方的に結論付たメルに、御者はまたウンウンと適当に相槌を打ってくる。
 それ以降、メルはまた自分の主人の愚痴から自慢までを、御者を相手にとめどなく話し続けた。
 そしてとうとう御者が船を漕ぎ始めた所で、校舎の方から終業の鐘が鳴り響く音が聞こえてくる。


 程なくして、校舎からは学生に混じって、前髪の長い陰鬱な空気を漂わせた、黒髪の青年が馬車の方へと近づいてきた。


「待たせたな。荷物の準備は出来ているか?」
「勿論ですよ。ボクを誰だと思ってるんですか! たとえライマール様が今朝になって唐突に殴り書きのメモを寄越して無理難題な注文をつけた上で旅支度を命じて、更に、"講義が終わったら内密に学校まで迎えにこい"とか無謀な事を言いだしたとしても、メルの名にかけて一式揃ってますし、スケジュールだって調整してきましたし、騎士団の目も誤魔化してきましたからね。万事滞りありませんよ」


 メルに胸を張ってまくしたてる様に嫌味を言われてしまったライマールは、少々バツが悪そうに「すまん……」と呟くと、そそくさと馬車の中へと移動する。
 少しばかり言い過ぎたかな?とメルは気まずそうに後頭部をポリポリと掻くと、心なしか背中が小さく丸まっている主人の後を追いかけた。


「ところでライマール様、今回はどちらへ向かわれるんですか?」
 メルは主人の後に続いて馬車に乗り込み、目的地に着いて尋ねる。
 すると、ライマールはムッと俯いてそれに答えた。
 ヤバい、少し落ち込んでる。と、メルは内心密かに冷や汗をかく。


「ニューズだ」
「ニューズ? また随分辺鄙へんぴな場所ですね。帝都からかなり離れてるじゃないですか。直通の転送陣、使えないの判ってますか?」


 魔術師は魔術を使用する仕事を行う際、騎士による監視が必要となる。
 ライマールはその騎士の監視を嫌う為、大抵の場合お忍びでの行動を余儀なくされていた。
 お忍びともなれば、公に顔を知られているライマールやメルは、騎士の管理下にある町々を繋ぐ転送陣を、容易に使う事も出来ないのがほとんどだった。


「叔父上を尋ねる名目で、旧帝都まで行ければなんとかなる」
「まさかまた古い転送陣を使うおつもりなんですか? 確かにあそこにはもう使われていない転送陣がゴロゴロありますけど……旧式の転送陣使うのボク抵抗あるんですが……」


 ゴニョゴニョとメルがいい淀めば、ライマールはムッとしてメルを睨みつけてくる。
「別に留守番でも構わない。今回のネクロマンサーは魔法に慣れてない一般人だ。俺一人でどうとでも出来る」
「馬鹿言わないで下さいよ! お一人で行かせるなんて出来るわけないじゃないですか!! お願いですから、立場を少しは考えて下さい。と言うかそれ、ライマール様がわざわざ出向く必要ないですよね?!」


 地方に派遣されている魔術師でも手に負えない様な相手ならばまだしも、そんな誰でも捕縛できそうな素人を相手にするのであれば、ライマールがわざわざ出向く必要はないはずだ。
 物理的な別の危険が発生するという発想がないライマールにむかって、涙混じりにメルが訴えると、ライマールは鬱陶しげにメルを見つめた後、腕を組みながら考え事をする仕草をして首を捻った。


「多分、ネクロマンサーが本当の目的ではない。……気がする」
「な、なんですかそれ? 随分あやふやなんですね。珍しい」


 ビクビクしながらもメルはライマールの様子を観察する。
 こういう要領を得ない物言いをライマールがする時は、何かしら確信を持って断言する事が常なのだが、断言しないとなると何とも言えない不気味さを伴って、不安がメルをジワジワと襲う。
 ……とは言え、断言されたらされたで、経験上、ロクな事は起きないのだが。


(きっと何年経っても、この方の"力"には慣れないんだろうな)


 漠然とそんなことを思っていると、ライマールはメルから何か感じ取ったのか、プイと顔を背けて俯いた。
 育った環境がそうさせたのか、ライマールは特に人の感情の機微に敏感だ。
 その上一旦落ち込むと手が付けられない。
 実に手が掛かる厄介な主人なのだ。


 しまったなと思いながらも、メルはフォローの言葉も浮かばずジッとひたすら主人の言葉を待ち続ける。
 幸いライマールは酷く機嫌を悪くしたわけではなかった様で、どうも思い悩んでいる様子でまたポツポツと話し始めた。


「……判らない。何かが阻害していて、黒い靄がかかった様にハッキリと視えない・・・・。"呪"が関わっているのは確かなんだが……対象が死んでいるのか? それとも何か別の原因が……」
 俯きながら物騒な呟きを口にするライマールの顔を見れば、前髪の隙間からキラリと金色に光る瞳が覗く。
 その瞳を見た瞬間、メルの心臓が跳ね上がり、背中にジワリと嫌な汗が伝っていく。
 悟られると絶対に厄介だ。
 メルは細く小さく深呼吸を行い、なるべく平静を装いつつ、主人を刺激しない様にと、一言一言噛みしめる様に口を開く。


「判りました。よく解らないですが判りましたから。まずは旧帝都に向かって、とにかくニューズへ行けば良いんですね? ……オジさん! ああ!? 寝てる!? オジさんオジさん! 旧帝都のキグニス公爵邸に向かって下さい!」
 座席後ろの小窓を開けて、御者台に向かってメルが怒鳴れば、御者は「んぁ?」と寝ぼけ眼で涎を拭いて、飛び起きる。




 その後ろではメルの声が五月蝿いとばかりに、ライマールは真っ黒なローブのフードを深々と被り、身を縮ませていた。
 ライマールは座席の上で膝を抱え、顔を伏せて、思案する。


 時間が経つに連れ、徐々にハッキリしてくる目の奥に映る光景に、胸がざわめいて落ち着かない。
 視えるのは黒いドラゴンと、その後ろにある黒い靄のかかった何か。だ。
 朝方視た時はドラゴンすら靄がかっていた。


 ハッキリ視えないなんて、滅多にあることじゃない。


(何か、嫌な予感がする)


 落ち着かない気持ちを何とか落ち着かせようと、ライマールは長いローブの袖口から徐にキャラメルを三つ取り出して、全て口へと放り込む。
 口の中でまったりとした後引く甘さのキャラメルを転がしながら、走り出したばかりの馬車の揺れに逆らうように、ライマールは身を固くした。

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