デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

“呪”という名の魔法文字 5

 半刻程過ぎた頃、まだ何か用事があるのか、またライムがエイラの元に戻ってきた。
 今日は随分とこちらに来る事が多いのだなとエイラが不思議に思っていると、彼はエイラの目の前に、何やら薬品の入ったコップを差し出してくる。


「飲め。全部だ」
「ちょ……」


 エイラは勢いでコップを受け取ると、中の液体を見て、思わずゴクリと唾を飲み込む。
 ドロリとした青緑色の液体は明らかな異臭を放っていて、とても体に良さそうなものには見えない。
 明らかに今まで飲まされていた薬とは違うそれに、エイラが何も言えず硬直していると、同じ様に絶句していたメルが、慌ててエイラを制止してきた。


「だ、ダメですダメです! 飲んじゃダメですよお嬢さん! ライム様! 何ですかこれは!! ボクの薬の中にこんな得体の知れない物はありませんでしたよ!」


 メルが自身の所有しているものであろう薬品が置いてある机の上を指差せば、ライムはチラリとメルを横目で見た後で「ただの試薬だ。問題ない」とさらりと答える。


 試薬、というのは実験中の薬のことではないのだろうか?
 エイラが耳を疑い思考を停止させていると、どうやら聞き間違いではなかった様で、メルが憤慨した様子でライムをギッと睨みつけていた。


「何が問題ないんですか! 試薬って時点で問題大ありです!! ちゃんとした実験結果に基づいて保証が出来た薬以外は人に飲ませちゃいけません!! 何度言えばわかるんですか?!」


 怒りを通り越し、呆れ混じりにメルに窘められたライムは、無言のまま、またムッと口を曲げる。
 口元だけで表情は相変わらず見えないが、どうやら拗ねているらしい。
 少し意外……。と、エイラはライムを見ながらぼんやり思った。


「症例が彼女しか居ない。実験を行うのは不可能だ」
「だったら今まで飲んで貰っていた薬でいいじゃないですか。効果自体はあったんだし……」


 今まで飲んでいた薬で問題ないのなら、得体の知れないこの薬より、自分としても是非そちらの方を飲みたい。
 エイラも内心メル同意し、縋る思いでライムをじっと見つめたが、ライムはすこし気まずそうに首を振って、エイラから顔を背けてしまった。


「症例が彼女しか居ない。実験を行うのは不可能だ」
「だったら今まで飲んで貰っていた薬でいいじゃないですか。効果自体はあったんだし……」
「あれでは根本解決にならない。症状は押さえられるがそれでは一生床から離れる事が出来ない」
「そんな……困ります! 国で私を待っている人が沢山居るんです! 早く帝都へ行かなければいけないのに!!」


 まさか自分がそこまで悪い状態だとは、流石に思っていなかった。
 最近では体調がいい時間も増え、快方に向かっているのだと信じていたのに……。
 もっと早くに城を出るべきだったと、今更ながら激しくエイラは後悔した。


「……なら試薬でもなんでも飲め。出されたものは全部口にしろ。いいな?」
「ライム様!! ダメですって! もし何かあったらどうするんですか!! ドラゴンが言ってた事忘れたんですか?! お嬢さんに何かあれば僕達どころか帝国が滅びますよ?!」


 エイラが渋々ライムに同意する直前、メルが頭を抱えたまま悲痛な悲鳴を上げる。
 ライムはメルを睨み付けると、ハッ……と短く溜息をついて、渋々といった感じで首を振り、フードを深く被る様に引っ張って、再びエイラの方へと向き直る。
 ライムは黙り込んだまま、薬とエイラを、何か探る様に交互に見つめ、何やら思案する。
 そして暫くするとライムは「チッ」と舌打ちをして、エイラからコップを取り上げ部屋から出て行ってしまった。
 訳も分からずエイラがぽかんと唖然とする中、がっくりと肩を落としたメルの大きな溜息が、静かな部屋に一つ、落とされたのだった。


 それから二人が口論する様な場面はなくなったものの、ライムはいつも以上に忙しそうに部屋の出入りを繰り返す。
 ライムは薬を作ってきてはエイラに持たせ、エイラの顔をじっと覗き込んで、飲ませようとはせずに、無言のまま薬を取り上げ、部屋を出て行く。


 そんな事が何度か続くうちに、ライムはとうとうまた「飲め」とエイラを促した。
 ただ、今度はメルも何も言ってくる気配はなく、少しだけ不安そうにジッと主人の様子を伺うだけに留まっている。


 先程の話から察するに、きっとこれも試薬なのだろう。
 エイラは縋る思いでメルを見つめると、メルもこちらに気がついて、控えめながらエイラに頷いてぎこちなく微笑を返してきた。
 二人のそのやりとりに、ライムが少しムッとした様子を見せていたが、エイラはそれに気付かないまま、手元の薬を注視する。
 マウリが待っているんだからと、なんとか自分に言い聞かせ、恐る恐る薬を口にする。
 すると想像していた様な酷い味はせず、今まで飲まされていた薬に近い、ミントの様な爽やかな清涼感が口の中に広がっていく。
 味は苦いというよりも酸味が強い気がしたが、それでも飲めない程ではない。
 なんとか全て飲み終わり、暫く横になっていると、半刻過ぎた辺りから、唐突に全身が熱くなるような感覚に襲われ、エイラは思わず悲鳴を上げた。


「あ……?イヤァ!!あつ……いっ!!」


 ジワジワと全身に炎を突きつけられた様な、酷い痛みを伴った熱は、瞬く間に熱さを増していく。
 あまりの熱さに堪えられず、エイラがもがき、暴れ様とすれば、ライムがすかさず押さえつけてきて、何か呪文を口にしだした。


「メル!」
 ライムが叫んでメルを呼び、メルは心得ているかの様にライムに変わってエイラを押さえつける。
 ライムはメルの対応にも目もくれず、エイラの顔を覗き込むように頭を押さえて、再び呪文の続きを詠唱し始める。
 彼の妖しく低い声が、エイラの頭の中に直接響く様な錯覚を覚えたが、あの女の様な嫌な感じは全くしない。
 全身は依然として辛いけれど、彼の声は心地良く、辛そうにするエイラを励ましている様な気がした。


(神の……祝福の呪文……)


 苦しげに涙を流しながら、エイラは縋る気持ちで視線を巡らせ、ボンヤリと考える。
 まるでライムの言葉だけが頼りとなって、自分の意識を繋ぎ止めてくれているみたいな感じがした。


 不意に、前髪の隙間から微かに覗いた、ライムの瞳と視線が重なる。
 その瞳は見慣れた紫ではなく、まるでドラゴンが吐く炎の様な、眩い金色に輝いていた。


 その色に気がついた瞬間、エイラの中に流れる竜の血が騒ぎ、身体の中で暴れ回る。
 更に喉の奥から火酒を飲んだかのような熱さが生まれ、エイラはまるで自分がドラゴンになってしまったかの様な錯覚をに陥り、懸命にそれを吐き出そうとした。
 ライムはエイラの喉にジワリと黒ずむ影を確認すると、そっとエイラの喉元を手で覆い、呪文を紡ぐ。
 喉を覆った手を徐々に顎へ、口元へとライムが動かせば、やがてエイラの口元から角砂糖程の塊がポロリとライムの手の平へと漏れ出てきた。


「とれたぞ」
 そう言ってライムが摘まんで見せたのは、漆黒の薔薇の実だった。
 のたうち回り、ぐったりとしたエイラの頭を撫でながらライムは手のひらにある実をジッと凝視する。
 メルはそれを横から覗き込んで、訝しげに主人に尋ねた。


「何ですか? そのいかにもおぞましそうな物は……。もうそれ魔法文字でもなんでもないですよね……」
「調べてみないとわからん。だがこれが元凶だ。これ自体が"呪"を生み出している。振ってみろ。ボロボロ出て来るはずだ」
「ひいぃ!!」


 ライムは実をメルに向かって粗雑に投げる。
 信じられないことに、投げたそばから見覚えのある黒い棘が、ボロボロと辺りに散らばった。
 投げて寄越されたメルは思わず手を引っ込めてしまい、実は床下に落ちてしまったが、やはり棘を吐き出し続けていた。
 意識を朦朧とさせて、寝台に横になっていたエイラにはその一連の様子は見えていなかったが、メルが鳥肌を立てて仰け反った様子から、あまり見ないほうが良いものだというのは伝わってくる。


 ライムはムッとした様子で実を拾い上げると、今度はメルの手を握ってしっかりと実を握らせる。
握らされたメルは心底泣きそうな顔をしていて、エイラは倦怠感を抱えながらも、こっそりメルに同情した。


「ひぎゃあぁ!! 何ですかこれっ! 気持ち悪っ! 気持ち悪いです!!」
「そういう事を言うな。体内にまだ少し"呪"は残っているが、ソイツが取れたから残りの"呪"を通常通り消してしまえば回復する筈だ。……体力が戻ったら話を聞かせてもらうぞ。いいな?」


 こちらに振り返ったライムにボーッとした状態でエイラが頷けば、ライムはエイラの涙を拭って、ふわりと柔らかく彼の口元が弧を描く。
 初めて見るライムの笑顔に、エイラの心臓がどきりと一つ、跳ねあがった。


 (彼は今、どんな顔で微笑んでいるんでしょうか?)


 やっぱり前髪が邪魔だなぁと思いながら、ライムの暖かな手の感触に安心感を得て、やがてゆっくりと目を伏せた。

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