デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

“呪”という名の魔法文字 1

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 エイラはドラゴンの背中で意識を失った後、今まで以上に不快な感覚に襲われ真っ暗な闇の中で重たい体を抱えるように縮こまっていた。
 頭を両手で押さえつけられるような感覚の中、何処からか聞き慣れた女性の声が聞こえてくる。


『……ラ…………イラ………………エイラ……』


 風のように耳の周りを行ったり来たりするその声に、エイラは思わず目を瞑り、耳を塞いだ。
『……っておいで…………何処へ………………早く…………帰って……いで……』


(イヤッ! やめて! あっちへ行って!!)


 自分の両手など始めから存在していないかのように、声は塞いだ耳を通り越して、頭の中へと直に木霊する。
 心の中で悲鳴を上げながらも暫く膝を抱えて身を縮こませていると、今度は何か温かな感触が優しく身体に触れるのを感じた。
 それまで感じていた不快感とは別の感覚に驚いて、エイラが思わず目を開けば、白い霧のようなものがエイラを何かから守る様に包み込んでいた。


 よく見れば霧の中から白い小さな光が生まれ、不快な声がする風を攻撃しているのが見える。
 光は風とぶつかると、パチンパチンと音を立てて泡のように弾けて消えていく。
 その光景を呆然として見ていれば、何処からか男性の低い声がハッキリと聞こえてきた。


『すまない……』
「……誰?」


 姿は見えないが、どこか苦しげな声で誰かが確かにそう言ったのがエイラの耳に入ってきた。


『すまない……リータ。俺にはどうしても選べなかったんだ……本当にすまない』
「どこに居るのですか? 一体何の話を……」


 エイラが問えば、エイラを包んでいた霧が先程よりも熱くなるのを感じる。
 まるで誰かに抱擁をされているかのような感覚に、エイラはますます戸惑い、キョロキョロと辺りを見渡した。
 不快な声のする風はもう既に見当たらず、代わりに闇の奥の方に誰かの人影がぼんやりと見える。
 声の主だろうか?
 エイラは立ち上がると恐る恐る人影の方へと足を進める。
 その姿が近づくにつれ、その人影は背中を丸めて蹲っている事に気がついた。


「先程から私を呼んでいたのは、貴方ですか?」


 エイラはおずおずと声を掛けて、広いその背中に手を伸ばす。
 するとまるでそこに始めから誰もいなかったかの様に、目の前の人物の姿が忽然と消えてしまう。
 エイラが困惑して立ち尽くしていると、なぜかふわりと身体が宙に浮き上がり、そこで初めて「ああ、これは夢なのか」と納得した。


 夢の中の出来事だと気がついたすぐ後に、エイラはパチリと目を覚まして意識を取り戻す。
 冬の、澄んだ空の様な青い瞳をパチパチとまばたきをすれば、粗雑な木材で出来た天井が視界に飛び込んできた。


 エイラの額からツーッと一筋の汗が流れる。
 その汗を少し躊躇いがちに拭ってくる温かな手に気がつき、そちらを向けば、黒いローブの見知らぬ青年がジッとエイラを覗き込んでいた。
 黒く長い前髪の隙間からは紫色の瞳が見え隠れしている。


「あの……」
「動くな。今ベッドに移す。まだ"じゅ"は完全に解けてない」


 自分の置かれた状況を把握する間もなく、エイラは青年に横抱きにされ、隣の部屋へと連れて行かれる。
 エイラが困惑する中、青年は迷うことなく、こじんまりとした小さな部屋の簡素なベッドの上にエイラをそっと気遣う様に横たえた。
 寝心地がいいとは言い難いが、先程まで横たえられていた場所に比べればましではあった。
 長い事あの場所に横たえられていたのだろうか、背中からお尻にかけてギシギシとした痛みを感じる。


 男性に、しかも見知らぬ者に抱き抱えられるなど人生の中で一度もなかったエイラは、内心狼狽えつつもなんとか平静を装い、何も言わず部屋を出て行く青年の背中を目で追いつつ、辺りを観察する。


 竜の国では珍しい、木材がふんだんに使われた質素な部屋には扉がなく、部屋の幅ギリギリに備え付けられたベッドの脇には、小さな机がなんとか部屋の中に収まっていた。
 その上には様々な薬品が置いてあり、更に床にはなにやら難しそうな本や図面が散乱していて、狭く小さな扉のない部屋から隣の部屋へとなだれ込みそうな勢いだった。
 ……いや、実際少しばかり部屋の外へとはみ出している。


 とにかく状況を整理しようと、エイラは考えをまとめ始める。
 覚えているのはドラゴンの背に乗って北方にあるデール帝国を目指した事だけだ。
 木材がここまで惜しげもなく使われているのだから、おそらくここは目的のデール帝国国内なのだろう。
 しかし今自分をここまで運んだ青年が何者なのかが判らない。
 敵なのか味方なのか……。
 最近では記憶が飛ぶことが多すぎて、無事に帝国へ着いたという自信もあまり無い。


(とにかく、どうにかして帝都へ向かわないと……)


 あれからどれ位の時間が経ったのだろう。
 マウリは手紙に気がついてくれただろうか?
 国璽が手元にあるとはいえ、あまり長期間城を空ける訳には行かない。
 あの女の魔の手は確実に城の中を侵食している筈なのだ。


 身体を起こし、立ち上がろうとした矢先、先程出て行った青年がまた部屋へと入って来てた。
 青年はエイラがベッドから出ようとしている姿を認めれば、その顔はフードと前髪でよく見えないものの、明らかに不機嫌そうに眉を顰めているらしく、口をへの字にムッと曲げた。
 そして手に持っていた食事を薬の置かれたテーブルへと置くと、エイラの肩を掴んで少々乱暴にベッドへと押さえつけてきた。


「ここから出るな。"呪"はまだ完全に解けてないと言った筈だ。……目を見せてみろ」
 そう言って青年はエイラの顔を両手で挟むと、じっとエイラの目を覗き込んでくる。
 青年の長い前髪の隙間から、闇夜のような紫色の瞳がまたチラリと見えた。


 青年の不思議な色の、真剣な眼差しにドキリとしつつも、髪が邪魔そうだなとエイラは何気なく手を伸ばす。
 しかし青年は不機嫌そうにその手を払い除け、テーブルの上に置いた食事をトレイごとエイラの膝へと押し付けた。


「食え。体力を付けなければ、この先の発作に堪えられないぞ。俺は暫く家を空ける。何か異変があれば俺の召使いにでも言え。部屋の外に控えている」
「あの……」


 エイラが色々聞く前に、青年はスタスタと忙しなく部屋から出て行ってしまう。
 そして入れ替わるように、今度は愛嬌のある金髪の青年がひょっこりと顔を出し、ニコリとエイラに微笑んできた。


「主人がすみません。アレでもかなり喋った方なんですよ。普段はもっと喋らないですから。あ、冷めないうちにご飯食べて下さい。パン粥ですからあまり美味しくはないでしょうが、なんせ四日も目を覚まさなかったんですから、いきなり普通の食事は胃がビックリしてしまうので、我慢して下さいね」


 四日も眠り続けたと言われ、エイラは驚いて目を見開く。
 敵か味方か……の判断はともかく、悪い人達ではなさそうだと、言われるままにエイラは食事を口にした。
 警戒するしない以前に、このままではお腹が空いて正しい判断も出来そうになかった。

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