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メイドAは何も知らない。

みすみ蓮華

メイドの知らない新たな未来。 (終)

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 王都バルメースの時計塔から、午後を告げる鐘の音が響きわたる。
 仕事にひと段落をつけた人々は、午後のお茶を楽しむために商店街の食堂へと向かい、港では到着したばかりの外国船から、観光客や帰国した人々が各々の目的で右往左往と行き交っている。
 東西の港を繋ぐ続くハトック橋では、大きな物資を積んだ馬車や黒々とした石炭の入ったトロッコが、倉庫や船へと荷を運び、そこから北の方角に見える学生街前の石橋では辻馬車や乗合馬車が、馬車駅や郊外を目指してすれ違う。


 その日、久しぶりに伯父マルスの住む実家へ帰っていたリリアは、新緑色のワンピースを風になびかせ、薄黄色のつば広帽を両手で押さえながら、郊外にある高台の公園で眼下に広がる港をこともなげにぼんやりと眺めていた。


 晩餐会があったあの日の翌日、夕方の新聞にケツァラーとフィランジの大河を結ぶ大橋の建設計画に関する会談の話が正式に発表された。
 計画の中心となったラルフは勿論、ラルフに子爵代理を頼んだ事にされたチェイスの名前まで一面の記事に載せられる形となり、トラステン家の不名誉はあっという間に払拭され、今では一躍有名人となっている。
 お陰で邸の雇用希望者は更に膨れ上がっただけでなく、婚姻目当ての貴族令嬢から、沢山の手紙や使者が送らるようになり、チェイスは結局あの邸から引っ越さざるを得なくなった。


 汚名返上話にしろ、それに付随する後日談にしろ、当の本人は大変不本意そうな様子で、リリアは慰めの言葉も見つけられないまま、再びマルスの元へと戻ってきたのだ。
 新しい住まいが決まったらまた声を掛けてくれるとチェイスは約束してくれたけど、彼の周りがいつ落ち着くのか分からなければ、自分にはその資格ももう無いように思えてならない。


 チェイスはリリアをマルスの元へ送った際、今までのお詫びと、トラステン家に起こった事件についての話を改めて聞かせてくれたのだが、騙す様な形でリリアを雇っていたと知るや否や、マルスは身分の上下も頭から抜け落ち、ものすごい剣幕で二度と来るなとチェイスを追い出してしまった。
 マルスが怒るのも無理はないのかもしれないけど、それ以上に迷惑を掛けたのは自分の方だし、形はどうあれ、彼が雇ってくれたから自分は前を向けるようになったのにと、リリアにしては珍しくマルスに腹を立て、同時に酷く落ち込んだ。
 とうとう一つも役に立てなかった上に、あれだけの無礼を働いてしまったのだ。
 きっともう二度とリリアを雇う気にはならないだろう。
 いや、たとえ彼が許してくれても、これ以上迷惑を掛けるべきではないのかもしれない。


 ギュッと胸を押さえて、リリアは海岸線の奥を見つめる。
 この場所からは何か大きな鉄骨で出来た、人工物の目印らしきものしか見えないが、半島の広がる西の方角では、橋の建設に伴い、ディヤス河の河川整備が行われ始めている。
 ここ最近はずっとこんな感じで、この場所まで散歩に来ては、考え事をして落ち込むのが日課になってしまっている。
 せめて一つでも乗り越えなけばと思うのに、何一つ変えられず、怯えるばかりの自分が嫌になる。
 今だって、聞こえもしない潮風の音が耳の奥で鳴り、海を見るだけで足元が揺れているような錯覚がする。
 展望台の手すりを掴み、リリアはそっと目を伏せると、大丈夫、大丈夫。と、自分へ言い聞かせる。


 目を閉じて、深呼吸をしながら、思い出すのはやはりチェイスの顔だった。
 連れ去られたリリアを助けてくれたチェイスは、晩餐会があったあの日と同じように、無理強いする事なく、リリアを励ましてくれた。


『ここは酷く揺れるな。甲板の風も強かったし、揺れであの大きな積荷が倒れて来るかもしれないと思うと気が気じゃない。だから俺が君を連れて船から降りる戻る間、俺が怯まないように歌でも歌っていて貰えると助かるんだが』


「ダマリン……町の、洗濯女、洗濯、抱えて……」


 いつだったかグレンが皆を従えて歌ってくれた歌を、リリアはチェイスの言葉を思い出しながら、ポツポツと口ずさむ。
 あんな風に励まされたのは初めてだった。
 本当に頼りにされていたわけじゃない事くらいは流石にわかっている。
 でも凄く嬉しかったのだ。歌が止まれば一緒になって歌ってくれて……晩餐会の時だって、ラルフの姿や王様の言葉に戸惑っていたら、話をするフリをしながらも自分の背中を叩いてくれた。
 小さい頃からユリアやマルスの後ろに隠れ、自分が困れば誰かが必ず護ってくれていた。時々しか会えなかった父や母だって例外じゃない。
 でも、一緒に乗り越えようと励ましてくれたのは彼だけだ。


 だから尚更あんな風に、きちんとお礼もお別れも言えないまま追い出す形で別れてしまったのは、悔やんでも悔やみきれないと感じてしまう。
 過ぎてしまって、取り返しのつかない事をいくら考えても仕方ないと分かってはいるのだけれど、それだけ彼の存在はもう、自分の中で大きくなってしまっている。
 一緒に過ごした時間は僅かなのに、すぐにでも会いたいとつい考えてしまうのは、一番世話になったナナリーやアミリスよりも、ずっと怖いと思っていたあの青年子爵ばかりだ。


「くるっと、回って……」
「その歌、気に入ったのか?」


 不意に隣から聞き覚えのある低い声が聞こえて、リリアは驚いて目を開ける。


「準男爵と喧嘩したんだって? 君でも怒る事があるんだな。少し意外だった」
「えっ……あ、あの……えっと……な、なん、で……え……?」


 いつからいたのか、声のした方を見上げれば、確かにそこにチェイスがいて、混乱するリリアに苦笑しながら軽く貴婦人への挨拶をしてきた。
 あまりに彼の事を考えすぎて、とうとう幻覚を見てしまったのかと思ったが、彼に取られた指先に伝わる温もりは、紛れもなく真実で、微かにかかった彼の吐息にリリアは真っ赤になって硬直する。


「館を訪ねたら、君はここにいると聞いて。あれから君が全く口を聞いてくれなくなったと準男爵が酷く落ち込んでいた。また追い返される覚悟で来たんだけどな」
「あ……ご……申し訳ありません!!」
「うん?」
「ず、ずっと、謝らなきゃって、お、思ってて……お、伯父が、失礼を……」
「気にするな……って言うのは君には無理なんだろうな。だが、先に礼を欠いたのも、巻き込んだのも俺の方だ。君や準男爵が謝るような事は何もないよ。許しを請うのは俺の方だ」
「そんな……っ、私も、ご、ご迷惑だって、いっぱい……」


 かけて……とリリアが謝罪の全てを口にする前に、チェイスがリリアの肩に腕を回す。
 訳も分からず目を白黒とさせるリリアを他所に、チェイスは眼下に望む広い港を眩しそうに目を細めて眺めていた。


「あ、あのっ……!?」
「ここは風が強いから帽子が飛んでいってしまいそうだな。晩餐会でのあのドレスも良かったが、今君が来ているワンピースもよく似合っている。そうだ、ひとつ報告があるんだ。正式に発表されるのはもう少し先になりそうだが、イザドール殿下とエオーネ姫の婚姻が決まった」
「え……えっ?! そ、そうなん、ですか?」


 帽子が飛ばされそうだったのかと、慌てて帽子を外しながら、リリアはどぎまぎとチェイスに返事を返す。
 あの姫君とイザドールが一緒に話をしている所は、晩餐会の後の歓談でしかその様子を見ていないが、その時は別段彼らが親しげな印象は受けなかった。
 とても儀礼的でそんな雰囲気はまるでなかったのにと驚くリリアに、チェイスも苦笑して頷いた。


「先日あの男にあってな。あいつ、この事も視野に入れて姫君を代表として据えたらしい。ケツァラーは彼女しか直系が残っていないらしくて、最終的にフィランジとの併合を目指していると言っていた。ああいう食えない奴はもう敵に回したくないな」


 あの男というのはおそらくラルフなのだろう。
 詳しく聞けば、ケツァラー公国の貴族の間ではかなり前からそんな提案が議題に挙がっていたらしく、ラルフは自分の目的の賛同者を得る為に、それも利用したのだという。
 要するに恋愛感情のない完全な政略結婚となるわけだが、他の周辺諸国がどういう反応を示すのかはまだ解らないが、当人達の印象はそれ程悪くなかったらしい。


「えっと……その、お幸せになれると、良いですね……あ、その、機会があれば、お、お祝いを、お伝え頂ければ……」
 肩に置かれたチェイスの手が気になりながらも、身を縮めてリリアがもごもごと言えば、チェイスは「そうだな」と、どこか楽しそうに笑う。
 なんだか視線が痛い気がするし、どことなくいつもと彼の様子が違う気がするのは、気のせいなのだろうか?


「あの……もしかして、それをわざわざ伝えて下さる為に……こ、こんな所まで……?」
 居た堪れなくてリリアがおずおずと尋ねると、チェイスは少し考えてから「いや」と答える。


「俺の周りもだいぶ落ち着いてきてはいるんだが、実は少し悩んでいてな。君に相談したくってここに来たんだ」
「私に、ですか……?」


 何かまた問題があったのだろうかとリリアが不安げに見上げると、チェイスは一つ咳払いをして、落ち着かない様子でリリアに頷く。


「俺の家……トラステン家が特殊な事情を抱えている事は知っているか?」
「えっと……はい。確か、お父様のクレイトリー辺境伯様が、モトム公国で公子様の後見人をなさっておいでなんですよね?」


 以前父から聞かされた話を思い出しながら、リリアがそう答えると、チェイスは頷いて肯定する。
 クレイトリー辺境伯家はモトム公国の公爵家の遠戚で、チェイスやオリバーの父系に当たる。
 チェイスの父である現クレイトリー辺境伯は元々クレイトリー家の三男坊で、爵位を継ぐ予定もなく、チェイスの母であるトラステン家の婿養子となり、トラステン家を継いでいたのだが、歳の離れた兄二人が立て続けに亡くなったことにより、チェイスの父は妻を連れて実家へと戻ることとなったのだ。
 その際にオリバーがトラステン伯爵を引き継ぎ、チェイスもその当時まだ学生だったこともあり、フィランジに残ることにしたのが、チェイスの母であるクレイトリー辺境伯夫人は息子を二人とも置いてモトムへ渡るのは反対だと、チェイスの父とかなり揉めたらしい。


 リリアも幼かった頃の話で、その辺の事情は流石に知らなかったが、とにかく、前トラステン伯爵は、モトム公国の現クレイトリー辺境伯だという事だけは頭に叩き込んでいた。
 加えて今では、まだ幼いモトム公子の後見人までこなしているのだから、フィランジではそれなりに有名な人と言えるだろう。


「可愛い子には苦労をさせろというのがあちらの習慣らしくてな。放って置かれていたという意味では俺もモトムの公子と変わりないんだが……まぁ、その、今回の事件がとうとううちの母の耳にも届いたようで、辺境伯をオリバー……兄ではなく俺に継がせるといって、家を飛び出したらしい」
「えっ?!」


 辺境伯といえば伯爵よりも地位が高く、実質侯爵位に該当する。
 だから順序で言えば嫡男のオリバーが辺境伯を継ぎ、後々チェイスがトラステン伯爵位を継ぐのが妥当なのだが、オリバーのあまりの情けなさに頭にきた母親が、今度という今度はと単身でモトムからそちらに向かっていると、父親から連絡が寄越されたのが昨日の事だとチェイスは肩を竦める。


「母と離れて暮らすようになったのが、俺がまだ中等部に入って間もない時期だった所為か……母は何かと俺に構いたがるんだ。公子の後見人になった事で子離れしてくれたかと思ったんだが……あ、いや、失礼。これは愚痴だな。まぁ、それで新居の引越しを考える以前の問題が発生してしまったんだよ」


 嘆息を吐き出しながらチェイスは心底ゲンナリした様子で首を振る。
 もし本当にそれが現実となるならば、チェイスは王都どころか、フィランジという国自体から移住するという事になる。
 そうなってしまえば、流石にリリアも簡単にお伴しますなどとは言えないだろう。


「辺境伯様に……なられるんですか?」


 親の爵位とはいえ、今の子爵の地位を考えれば大出世だ。
 おめでとうございますと言うべきなのだろうが、もう本当に会えなくなると思うと、素直にそう口にする事が出来ない。
 リリアがシュンとして項垂れると、リリアの肩を抱くチェイスの手に、ほんの少しだけ力がこもった。


「正直、俺は今の子爵位だけで十分なんだ。トラステン家もオリバーがとっとと結婚して子供を沢山作って継がせればいいと思ってる。……けど、上手くいかないものだな。母の要望が通るか通らないかは抜きにしても、最終的にどっちかは継がないといけなくなるだろう。だったら俺はオリバーの後を継ぐ方がまだ性に合ってると思わないか?」
「えっと……ト、トラブル様はしっかりしていて……えっと……立派な方なので……ど、どちらもお出来になると、思います……」
「そうか? それは買い被りすぎだと思うが……もしかして、君は俺と離れても平気?」
「えっ?! あ、あ、あ……あのっ………えっと…………えっと……」


 首を傾げて聞いてくるチェイスに、どういう意味だろう? どういう意味だろう? と、リリアは耳まで真っ赤に染めながら狼狽える。
 自分があまりに情けないから心配してくれているだけだ。別にきっと深い意味はない。
 そう必死になってリリアが自分に言い聞かせる中、チェイスはさらりと 「俺は無理だ」 とリリアに言った。


「ここ暫く君と離れて、本邸に帰るたびに物足りなさを感じていたよ。人は沢山いるのに、帰ってきて食卓に着いた時、君の日誌がないことが酷く寂しくて……だから、君が嫌じゃなければなんだが、俺がここに留まれるように協力してもらえないだろうか?」


 照れくさそうに苦笑して言うチェイスの言葉は、またリリアに力になって欲しいと乞い求める。
 それは船から救出された時や、晩餐会の時と同じような言葉でいて、何かが少し違う様な微妙な違和感をリリアは感じた。
 それが何か答えを見つけ出せないまま、リリアは力になれるならばと、おずおずとチェイスに頷く。
 するとチェイスも嬉しそうにリリアに頷き返して、辺りをキョロキョロと見渡すと、声のトーンを一層落とした。


「良かった。少し……いや、それなりに大変かもしれないが、君にも悪い話じゃないと思うんだ。迷惑じゃなきゃ、だが」
「迷惑だなんて、そんなっ! わ、私に出来ることなら何でも、が、頑張りますっ!!」


「本当に?」 とチェイスが問うと、リリアは必死になって何度も頷く。
 それを見たチェイスはほんの少しだけ意地悪そうに片眉をあげて、リリアの耳に唇を寄せる。
 海から吹き上げてくる強い風に煽られながら、チェイスはひそひそとリリアに計画を打ち明ける。
 その内容が明らかになるにつれ、リリアは帽子を押さえるのも忘れて、驚いた顔でチェイスを見上げ、瞼を染めた。


「あ、あの、あの………っ」


 またみるみるうちに首まで真っ赤になっていくリリアを見つめ、チェイスはどこか満足そうにクスリと笑う。
 そのまま軽く額に落とされた彼の唇が、そう遠くない未来に二人の日常へと変わることを、この時彼女はまだ知らずにいた。

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