メイドAは何も知らない。

みすみ蓮華

メイドの知らない彼の奮闘。 5

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 王都近郊の漁船が沖合に姿を見せはじめた真夜中、チェイスは海運組合本部へ赴き、交渉に出る。
 臨時で集められた役員達はやはり難色を示していたが、いつにない粘り強いチェイスの説得により日が昇り始める少し前には組合の協力を得ることが出来た。


 警邏官を集め、配置に着くまでの時間はかなり限られていたが、チェイスが交渉を行っている間にグレンと公爵とで作戦を予め練っていてくれたお陰で、ラルフが姿を現す前には全ての準備が完了していた。
 お陰で長い鉄橋の上にはトロッコどころか猫の子一匹も見当たらない。
 ただ、北へ続く街路と東側の入り口だけは警邏官達が封鎖しており、誰も近寄れない様になっている。
 西の入り口はパッと見ではチェイスとグレンのみが立ち尽くしているだけだ。


「本日快晴、視界は良好。時刻はまもなく鐘九つ、っと。リリアちゃんも、それらしい人物も、まだ見当たらないねぇ」
「警備を厳重にし過ぎたんじゃないか? 西が手薄なのもあからさま過ぎるだろ」
「んー。でもほら、誘拐にありがちな  "警邏官には絶対知らせるな!"  みたいな常套句は無かったし、こっちがある程度網張ってる位は向こうも想定してるんじゃないかなぁ」
「それはそうかも知れないけど……本当に大丈夫なんだろうな?」
「この場に現れないって可能性もないわけじゃないけど、現れるとしたら正面から現れるしか道はないし、馬車とかトロッコを使ったとしても止める用意は出来てるし、なんとかなる……といいね?」
「おいっ!」
「相手がどう来るかも分からなければ、時間も無かったんだし、しょうがないじゃないか。自信なんて流石にないよ。あとは現状で臨機応変に対処するしか……って、チェイス、あそこ!」


 グレンが真っ直ぐ指を指した先には、港の倉庫街を突き抜ける西の通用路が続いている。
 広い路面の中央にあるトロッコの線路を、目を凝らして視線で追っていくと、小さな人影が走ってくるのが見えた。


「子供?」


 ボロを身にまとった五、六歳位の、少年とも少女ともつかない、ボサボサの長い髪の煤で汚れた子供が、何かを手にしてこちらへ真っ直ぐ向かってくる。


「ッチ、代理か」
「なるほどねぇ。そう来たか」
「用が済んだら後を追うぞ」
「それしか選択肢は無い、か……なぁんか嫌な予感するなぁ」


 リーンドーン……リーンドーン……
 街の中心、学生街にある時計塔から、鐘の音が響き渡る。
 その音と共に、丁度チェイスとグレンの元へ到着した子供は、無愛想な顔で、無言のまま手にしていた物をグレンに差し出してきた。
 小さな両手の中に収まりきれてないそれは、鈍色の金属で出来たラッパ状の、何かの器具の様だ。


漏斗じょうご?」


 グレンが首を捻りながらそれを受け取ると、子供はその場から脱兎の如く走り去ってしまう。


「おい待て! くそっ!!」
 舌打ちをしてチェイスが追いかけようとすると、手渡された器具を調べていたグレンが、すぐにチェイスを引き止めた。


「チェイス待って。筒の中に何か入ってる。メモ書き? と、端切れ……かな?えーっと、なになに?  "ウアス島から伸びる柱付近にある、橋の手すりを調べろ"  だって。ウアス島って確か……」
「すぐそこの中州だ」


 グレンの背後を睨みつけ、チェイスは足早に橋の中央をを目指す。
 以前人影はなく、グレンも周囲に警戒をしながらチェイスの後を追う。
 橋の中央付近まで辿り着くと、チェイスが上流側、グレンが河口側の二手に分かれ、橋の手すりを丹念に調べ始めた。


「うーん? 別段変わった所はなさそうだけど……チェイス、そっちは?」
「ちょっと待て。……これか?」
「どれどれ?」


 一見すると何もないように見えたが、周囲の手すりと見比べてみると、手すりの外側に、直径十センチ程度の長い空洞の筒が、手すりの一部に縄でくくりつけられ、固定されている。
 太い柱に沿う形で下へと伸びている筒は、先程子供から受け取った漏斗と同じ鈍色の金属で出来ていた。


「チェイス、あれ! あそこ!!」


 後ろから来たグレンが、手すりから身を乗り出して下方を指す。
 中州の茂みの中から姿を現したのは、背の高い黒髪の青年だ。
 こちらを見上げ、笑顔で何かの合図を送ってくるその顔は、ぼんやりとではあるが、手配書の人物に雰囲気が似ていた。


「やられたね。いつから居たんだろう。……んー? あぁ、伝声管か、これ。多分、この漏斗みたいなのをこの管に付けろって言ってるんじゃないかな?」
「言ってる場合か! クソッ!! どこまでも舐めやがって!!」
「そうだね。チェイス、君、時間稼ぎをしておいて。僕は近場の警邏に声をかけて下に回るよ」
「急げよ。下流も封鎖しろ」
「了解! って、僕伯爵、君子爵だってば! まったく……」


 漏斗と端切れをチェイスに押し付けて、グレンはぼやきながらも東の入り口に見える警邏官の元へと走っていく。
 チェイスが受け取った漏斗を筒に嵌めると、下にいたラルフの声が筒を通して伝わっていた。
『あーあー。聞こえますか?』と、なんとも呑気そうな声が癇に触る。


『聞こえている。お前が御用聞きのラルフか? リリアは何処だ? そこにいるのか? お前が一連の事件の犯人だな? 一体何が目的でこんなふざけた真似をする!! あいつに何かしてみろ。ただじゃおかないからな!!』
『やだなぁ、トラブル子爵。一気に言われても僕だって困っちゃいますよ。一連の事件の犯人って言われれば、まぁ……そうですね。あ、後、リリアちゃんはここには居ないですよ。別の場所で待ってもらってます。僕も捕まるわけには行かないんで。居場所は貴方のユリノス勲章と交換ですよ。そこに端切れがありますよね? それに包んで伝声管に落として下さい』
『無事を確認してからだ。それに目的をまだ聞いてないぞ。偽の文書と俺の爵位、一体何に使うつもりだ』
『あー。確認は無理ですねぇ。交渉決裂ならそれはそれでしょうがないかな。別の手を考えるまでだし、リリアちゃんもかなり怯えて可哀想だったけど、諦めてもらうしかないね。貴方方が時間稼いで、もたもたしている間に、リリアちゃん、二度とここに帰ってこられなくなりますよ?』
『何?! あいつは今一体何処に居る! あいつに何をしたんだ!!』
『知りたかったら、勲章を。十数える間に落とさなければ、僕はこのままここを去ります。そうなれば僕とも二度と会うこともないでしょう。では、ご決断を。一……』


 二……三……と、規則的なラルフの声が、筒の中から聞こえてくる。
 取り付く島もなく、ちらりと東の方角を見れば、ようやくグレンが警邏官達のところへ辿り着いたばかりだった。
 とてもじゃないが、間に合わない。


『六……七……八……』
「……っ! くそっ!!」


 予め襟元につけていたピン型の勲章を乱暴に外し、端切れで包むと、チェイスは筒の中にそれを投げ入れる。
 程なくして、トスンッと軽く、くぐもった金属音が響き、ラルフのカウントも十を数える前にピタリと止まった。


『……確かに受け取りました。良かった。僕もリリアちゃんをこのまま放置して去るのは、気が引けてたから』
『勝手ば事ばかりっ! 約束だ! あいつは今何処にいる!!』
『貿易船の中ですよ。昨日入港待ちだった、鐘九つ半出航の帝国籍の大型船です』
『なっ……』


 まさかの居場所に、出航が鐘九つ半と聞いて、チェイスは北の時計塔を仰ぎ見る。
 時刻は出航まで残り半分を指し示しており、今から急いでギリギリ見つけられるかどうかという瀬戸際だ。


『沖合いの船にリリアちゃんを担いで忍び込むのには苦労しました。僕が出て行く時にまた眠らせましたが、急いだ方が良いですよ。流石に起きてるだろうし、彼女、海と船乗りが苦手でね。最初も過呼吸起こしてたし、パニックになってたら大変ですよ』
『お前っ……!!』


 大変といいつつも、ラルフの平然とした物言いは何処か他人事で、危機感が全く感じられない。
 チェイスの腸はとうに煮えくり返っているのに、相手が眼下にいる所為で殴りつけることも出来ない。
 鉄製の手すりに拳を叩きつけ、チェイスは伝声管を睨みつける。
 ガンッ! という派手な打撃音と、地を這うようなチェイスの剣吞とした声が、底の知れない空洞の中へと落ちてゆく。


『……覚えてろよ。例え地の果てまでになろうとも、何処までも追いかけて、絶対に捕まえてやる!』
『それは怖いなぁ。でも、またすぐに会えると思いますよ。その時はお預かりした勲章もお返ししますので、ご安心を。じゃあ、僕はこれで』


 手すりから身を乗り出して、チェイスが下を覗き込むと、ラルフは深々とこちらにお辞儀をして、橋の陰に隠していたらしい小型の蒸気ボートに乗り込んで、手際よくその場を離れ始める。
 それを見送るわけにもいかず、チェイスは悔しげにまた一つ舌打ちをして、グレンに向かって一言叫ぶ。


「っ……グレン!! 時間稼ぎは出来なかった! 奴が逃げる!! ここはお前に任せて、俺は西の港へ行く! リリアが危ない!!」
「え?! 何だって?! って、ちょ、ちょっと、チェイス!!」


 大型の貿易船なら間違いなく西の港に着岸している筈だ。
 本籍と出航時刻が分かっていれば後は組合の人間に話を聞けばすぐに判るだろう。
 問題は間に合うかどうかにかかっている。


 グレンの返事も聞かずに、チェイスはそのまま踵を返し、倉庫街の奥を目指し、全力で駈け出す。
 微かに視界を掠めた時計塔の針は、先程よりも更に斜めに傾いでいた。

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