メイドAは何も知らない。

みすみ蓮華

メイドの知らない恋する感情。 2

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 そして昼過ぎ、やはり予想通りセスがリリアを訪ねてやってきた。
 ただ昨日と違ったのは、そこにリリアの従姉妹で、ウォーレンス商会現社長のユリアが付き添っていた事だ。
 熟れたサクランボを思わせる真っ赤な髪を高く編み込んだその姿は、首から上だけみれば妖艶とも取れるほど美しい貴婦人なのだが、羽織った外套の隙間から見え隠れするそれは、どこをどう見ても男性物の商船服を纏っている。
 背は高くないものの、背筋のピンと伸びた姿勢は、軍人かと見紛う程惚れ惚れする立ち姿だった。


 男装をしたユリアと、その後ろでバツが悪そうに項垂れるセスを見て、ナナリーが困惑しながら二人をリリアの自室へと案内すると、部屋に入った瞬間、ユリアはナナリーとセスそっちのけでリリアの元へと駆け寄った。


「リリア!! ごめんね、ほんっっっとごめん!!」
「ユリア姉様?!」


 ベッドの上で繕いものをしていたリリアを抱き締め、ユリアは頬ずりをする。
 まさか従姉妹まで来るとは思っていなかったリリアは、針が刺さらない様に必死に腕をあさっての方向へ伸ばしながら、おろおろとユリアにされるがまま声を掛けた。


「姉様、あの、危ないです。どうしてここに?」
「リリアがこのバカの所為で倒れたって聞いて、飛んできたのよ! 具合は? 大丈夫なの?」
「はい、えっと……大丈夫です。御心配お掛けしました。私の為にわざわざご足労頂いて、ごめんなさい」
「何言ってるの! 謝るのはこっちの方よ。いきなりコイツが押しかけてきたりして、さぞ驚いたでしょう? 貴女が繊細な子だってわかってた事なのに、こんな事になるならもっと前からはっきりさせておくべきだったわ。本当にごめんなさい。ほら、何ぼさっとしてんだい! あんたも謝るんだよ!」
「あ、あぁ……ごめんな、リリア。怖がらせるつもりはなかったんだ。その、もう本当に大丈夫なのか?」


 おずおずと頭を垂れるセスに、リリアは一瞬たじろいだが、蚊の鳴くような声で、「大丈夫です」と、小さく答える。
 その言葉にセスはホッとした様子だったが、リリアは居心地悪く俯いてしまった。
 心配して貰っているのは伝わるのだが、やはりがたいのいい男性はどうしても苦手だと罪悪感を抱きつつも萎縮してしまう。


 そのリリアの態度をどう思ったのか、ユリアは少し難しい顔をした後、くるりとナナリーに向き直る。
 そしてやはり軍人かと見紛う所作で深々とナナリーに頭を下げた。


「挨拶が遅れまして申し訳ない。私はリリアの従姉妹でウォーレンス商会という海運業を主に営んでおります、ユリア・ウォーレンスと申します。この度はうちの者が大変ご迷惑をお掛けしました。その上リリアを看て頂いてなんてお礼を言っていいか。重ね重ね本当に申し訳ありませんでした。こんな物で詫びなどどうかとも思うのですが、手前は主に漁業や貿易を生業としておりますので、あいにく今はこういった物しか用意出来ませんで、心苦しい限りではありますが、どうかお納め頂ければと」


 恐縮した様にユリアがそう言うと、後ろで頭を下げていたセスが何か手土産らしき包みをナナリーに差し出す。
 セスが中を開いてみせると、包みからはシルク地の品の良い刺繍の施された色取り取りのハンカチが折り重なるように入っていた。
 男女問わず使用できそうな淡い色のハンカチは、おそらく帝国の方から輸入した物なのだろう。
 手が届かないというほどではないが、庶民が普段使いに使用するには些か贅沢な逸品といえる。
 当然それを見たナナリーはギョッとして、手と首を殆ど同じように降って慌てた。


「い、いえっ、とんでもないです。私は大した事していませんから、困った時はお互い様ですし、どうか頭をあげて下さい。お気になさらず」
「いや、それでは私共の気が治りませんので、どうか受け取って頂きたい。それで、恥ずかしながら出来ましたら他にご迷惑をお掛けした方について詳しく教えて頂きたいのですが」
「そこまでおっしゃるのなら一枚だけ……ええと、昨日一緒に看病を手伝って下さった洗濯屋のアミリスはこの時間だと集会場の井戸の方に、御用聞きのラルフでしたら、おそらくもう一時間位したらこちらに顔を出すかと思います」
「そうですか。なら、先にその洗濯屋のご婦人に謝罪をしに行ってきます。すぐに戻りますので、ラルフ殿が戻られたら引き止めておいて貰えないでしょうか?」
「もちろん。構いませんよ」
「リリア、戻ったら少し話をしましょう。いいわね?」


 リリアがおずおずと頷くと、それを見たユリアも満足そうに頷いて優しげに微笑む。
 そして踵を返すと、リリアに向ける態度とは打って変わって「ほら、行くぞっ!」と、乱暴にセスの首根っこを掴んで慌しく部屋を出て行った。


「驚いたぁ。随分活気のある方ねぇ。こんなにいい品まで頂いてしまって、なんだか悪いわぁ。それにしても、リリアちゃんってもしかして、物凄く良いところのお嬢様だったりするのかしら? あら? そういえばウォーレンス商会って確か……」
「ええとっ、そんな事はないかと……なんかすみません」


 どこかで聞き覚えがあるような? と首を傾げるナナリーに、リリアはますます居た堪れなくなって恐縮する。
 今貴族の間で流れてる自分の噂をナナリーが知っているのかどうかは分からないが、出来れば何も知らずに今みたいに変わらず接して欲しいなとリリアは思った。


 ユリアとセスがアミリスの元へ向かっている間に、いつもより早くラルフが現れる。
 リリアが昨日の事を謝ると、ラルフは困ったように曖昧に微笑んで、リリアを逆に心配してくれた。
 やがてユリアとセスが戻ってくると、やはりユリアが最初にラルフに謝罪をし、セスはと言えば、少し不服そうに頭を下げる。
 そしてそのまま話が終わるはずもなく、困った様に身を竦めたラルフを難しい顔をしたユリアと苦々しい顔のセスが無言で凝視していた。


「あのぉ……?」
「ええーっと、私は少し席をはずすわね。何かありましたらお呼び下さい」
「えぇっ?!」


 そそくさと笑顔を貼り付けてナナリーが退出すると、その言葉を受けてラルフが悲壮な声を上げる。
 その姿を見てリリアが「ごめんなさい、ごめんなさいっ」と、声にも出せず心の中でラルフに祈った。
 二人の心境など知らないユリアは、やはり難しい顔のまま「ラルフ殿」と、彼を呼ぶ。


「は、はいっ?!」


 謝罪は確かに受けたのに、何故こんなに凝視された上唸る様な声で呼ばれなければならないのか訳のわからないラルフは、やはり訳のわからないまま完全に相手の雰囲気に飲まれ、肩をびくりと揺らす。


「失礼を承知で確認するのだが、貴殿はリリアと結婚を前提に交際されているのだろうか?」
「へっ?」
「ね、姉様! 誤解です!! ラルフさんは、たまたま御用を聞きに訪ねてくださっただけですっ」
「リリア、今私はラルフ殿と話をしているのよ。でも、本当に? 彼に好意があるのを隠しているわけではなく?」
「特別な好意を持つほどお話しした事はありません……」


 困った様に項垂れてリリアが言うと、ユリアはすかさずラルフへと視線を向ける。
 すると、呆気に取られていたラルフはハッと正気を取り戻し、必死になって首を揺らして肯定した。


 確かにラルフは珍しい黒髪で、背も高くてスラリとしていて、一般的に見ても素敵な男性かもしれないが、リリアと会話を交わすとしても日に一回、二言三言だけで、大抵社交辞令と挨拶と要件のみだ。
 勿論それだけで恋に落ちる人もいるのかもしれないが、リリアは元々誰かと話をするのは苦手だし、相手が男性であれば尚の事萎縮してしまう。
 そんな事はユリアもよく知っている筈なのに、なんでわざわざ確認するのだろうか。


 ラルフとリリアの微妙な反応を見て納得したのか、ユリアはどこかホッとした様な顔をした後、後ろで控えていたセスに振り返り、物凄い形相で睨みつける。
 睨まれたセスはガタイに似合わず、やはり真っ青になって後ずさった。


「何がリリアに悪い虫が付いてしまっただ! お前はそれでも船長の二の腕を務める副船長か!! ラルフ殿には、ほんっっっっっっとうに重ね重ねなんとお詫びしていいか。確か御用聞きをなさっているのでしたね。それでしたら、入り様になる様な物や手助けが必要になった際は是非私共を頼って頂きたい。手前で用意した品では詫びにはならないでしょう。本当に申し訳ありませんでした!!」
「い、いえ、やっ、そんな、女性に頭を下げられては……こ、困っちゃったなぁ」
「いや、俺もとんだ早とちりで、迷惑を……あー……お掛けした。この落とし前はきちんとさせて、頂きたい」
「うー。だから、気にしてませんってー。お願いですから頭上げて下さい。あー、リリアちゃーん」


 二人から深々と頭を下げられ、本当に心底困った顔で、ラルフはとうとうリリアに助けを求める。
 それを受けたリリアも苦笑して、ごめんなさいと、言葉にせず、ラルフに小さく頭を下げた。
 リリアからまで頭を下げられたラルフは、諦めた様にガックリと肩を落とす。


「あー、じゃあ、今度船に乗せて下さい。僕実は行きたいところがあって御用聞きをやってるんですよ。船に乗るとなるとお金が掛かりますから」
「そんな事で良ければ幾らでも。丁重にもてなさせて頂きます」
「えっ、嘘……ほんとに?」


 きっとかなり投げやりに言ってみたのだろうラルフの願いは、あっさりユリアに聞き届けられる。
 夢じゃないだろうかと放心するラルフがなんとなくセスを見れば、セスが深く頷き返す。
 それを受けたラルフが今一度目を見開いたまま「うっそ……」と、漏らせば、それを見ていたリリアも思わず笑みを漏らしたのだった。

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