ベア・サモナー
番外編.クライドとカナ その後
召喚士というのは、彩流の色を瞳に強く宿す、つまり彩流に対して感応力の高い者でなければなることは叶わない。さらにその中でも才能がなければ、召喚を許される能力がなければ就くことを許されない、狭き門の職業だ。
クライドはこの学校に入ってその年の召喚士最終試験に合格して召喚士になった、秀才だった。これまで召喚士として職についた者のほとんどが二、三年学んでようやく合格してきたのだから、その秀逸さが伺える。
召喚士といっても魔物を使役する者の総称であるだけで、その仕事内容は実に様々だ。器にする魔獣によっても得手不得手は分かれる。
どれだけ魔物の力を引き出す仕事を見つけ、選べるかは召喚士の力量にかかっている。
そんな中でクライドが選んだのは召喚志学校の警備員という仕事。規律や教えの前に厳しくある姿勢、自らを律する心、加えて生徒を守る意志も必要なこの仕事は自らに合うものであり、ワイバーンを器とした魔物も最大限にその力を振るうことができる職だと判断し、就いた。
そしてもう一つ。クライドよりも二年先に学校へ入り、三年目の合格者にも名前の上がらなかった妹のこと。彼女をそばで見てやれる。
そう思ったが、合格の日を境に妹のカナがクライドへの態度を一変させた。
会話をしていても視線が交わらない。交わってもすぐに逸らして、笑顔はいつしか苦笑に変わった。
その理由が分からないまま、クライドも妹に対するしかなかった。
そしてクライドは警備員として約一年弱の見習い期間を終え、正警備員として独り立ちを許されるまでになる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「じゃあ私、カナ呼んできますね」
「待て、明由美」
「はい?」
ほんの二ヶ月前に正警備員となったクライドはつい先日、禁じられた二人召喚を行った生徒の片割れと共にいた。昨日まで自室で謹慎を受けていた彼女だが、今日はそれが解ける日。だというのにその女生徒は自由になるや否や真っ先にクライドに会いに来たのだ。
『あれからまだカナに会ってないんですか!? 会いに行きましょう!』
と言って半ば強引に中庭に連れて来られ、カナを呼びに行くと言うから呼び止めた。明由美の、顔に似合わないお節介な強引さを体感したクライドは、焦る様子もなく疑問を告げる。
「あれから考えたが、笑いかけることでカナは、俺への意識を本当に変えるのか?」
「はい、変わります、きっと」
明由美は自信に満ちて即答した。カナとはルームメイトなのだから、そう言わしめる根拠が彼女にあるのだろうとクライドは予測するも、やはり素直に実行に移すには説得力が足りない。
クライドの要領を得ない顔を見て、さらに明由美がつけ加える。
「クライドさんは、いつも目を合わせてくれないカナが笑顔を向けてくれたら、嬉しくないですか?」
「嬉しくはあるだろうが、まず驚くだろうな。突然どうしたのかと」
「カナも同じだと思いますよ。普段厳しい表情を向ける兄さんが微笑してくれたらびっくりして……もしかしたら泣いちゃうかも」
「泣かせたくはないのだが」
「嬉し泣きです」
「?」
「まぁ、それは置いといて。カナはクライドさんに負い目を感じているようなんです。四年間学校で学んでも召喚士になれないことをよく思われてないんじゃないかって。だから笑顔を向けられたら、それだけで許された気持ちになる、そう思います」
負い目に感じるほどの接し方をした覚えはなかったが、相手が自分と同じ感覚を抱くわけではないのは先日の明由美との会話でクライドは悟っている。
カナが感じていたのならそれは改めるべき。
明由美がさらにつけ加える。
「表情って鏡なんですよね。こちらが警戒すれば相手も警戒しちゃう。でもこっちが笑顔になれば向こうも気を許すことができるようになる。そういう効果があると思っています。私と梨花さんの例みたいに相手に嫌われていたら一概には言えないですけど、お二人はそうじゃないですよね? 歩み寄りたいって思ってる兄妹です。だからこちらから歩み寄ればきっとうまく行くはずです!」
最後は熱を込めてまた自信を口にした。当人でもないのにうまくいった時の希望に目を輝かせて。
クライドはそんな明由美にため息混じりに苦笑する。
「あ、それです!」
「なんだ?」
突然食いつかれて眉根を寄せるクライド。
「ああ……その顔じゃなくてさっきの顔ですよ」
「?」
訳が分からずさらに眉根が寄ってしまう。
途端に明由美の顔が若干怯えを含んで窺う態勢になった。
「クライドさん、今……怒ってます?」
「いや、お前の言動の意味を図りかねていただけだが」
「……やっぱりクライドさんは自分が思っている以上に表情が厳しくなりますね」
「そのようだな。今、お前の怯えがなんとなく見えた」
「分かりましたか」
苦笑して照れたように笑う明由美。
そのまま苦と照れを除いて明るく微笑む。
「だから逆に、ちょっと破顔するだけで相手に穏やかな印象を与えられると思うんです。すぐに大きく笑えなんて言いませんから、自嘲するみたいに笑うだけでも効果覿面だと思いますよ」
自分の顔にそんな効果を期待することはできないが、客観的にアドバイスしてくれる明由美の言を信じ、クライドは心を決めた。
「言い分は分かった。やってみよう。カナに会わせてくれ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
クールで落ち着いていて強くてなんでもそつなくこなす。他人に厳しいところもあるけど、それ以上に自分に厳しいから、それもいつしか信頼に置き換わる。私の兄は故郷の町でも評判が高かった。凄く自慢に思ってた。
妹の私に対しても涼しげな厳格さは健在で、幼い頃は少し苦手だった。子供ってそういうの、敏感でしょ?
でも、無表情ながらも幼い私の手を引いてくれたり、守ってくれたり。ちゃんと見ててくれている、気遣ってくれている、そう思えるだけで、多少の冷たさも全然気にならなかった。
でもそれは召喚志学校に来て兄が先に試験に受かったことで、変わった。
私の落ちこぼれぶりが兄の厳格さを刺激して、きっとよく思われていない。あの厳しさと冷徹さを見せる瞳の奥にある優しさを感じられなくなってから、私は兄の目を避けるようになった。
自分の思い込みで自ら蓋をしたのかもしれない。厳しく見られがちの兄だけど、聞いてみると思ったほど怒っていないのがほとんどだったし。
分かってはいる。きっと私の思い込み。でも、私は兄から出る厳しい言葉に恐れをなして、歩み寄る一歩が踏み出せないんだ。
「カナ」
肩上でそろえられた栗色の髪を優雅に揺らして、明由美は部屋に帰ってくるなり顔だけひょこっとドアから出して、カナを呼んだ。
「おかえり……どうしたの?」
一向に部屋に入ってこない明由美を見兼ねて、カナは椅子に座ったまま身体を向ける。
可愛らしく手招きされる。元々顔も仕草も可愛らしいので、本人に自覚はないと分かっていながらも様になるなぁ、なんてカナは思ってみる。
思いながら、カナは手招かれるまま素直に外へ出た。
「カナに会いたいって人がいるの。ついてきて」
「いいけど……」
このパターンは改斗が女子に告白される状況でよくやっていたから、既視感がある。生徒は異性の寮に入ることができないため、改斗と話しをするためには誰かが呼びにいかなければならなかった、その状況に。
もちろん、状況は似ていても告白なんかではないと分かっているから、誰が何の用で訪ねてきたのかまったく予想できなかった。
「驚かないでね」
ますますわけが分からない。頭にハテナをつけたままとりあえず明由美の後ろをついて行き、中庭到着した。
若干紺寄りの青い制服が威厳を持つように正された姿勢と、首に少しかかる茶髪が目に入る。まだ距離があるにも関わらず、カナにはそれが誰なのか分かってしまった。ここ一年、顔を上げて視界に入れることができたのは後ろ姿だけだったから。
「なんで……」
――兄さんが何の用?
カナは叱られることばかりを想像してそれ以上近づけなくなってしまった。気配に気づいてか、クライドがこちらに振り向く。カナは反射的に目線を下げ、クライドの目から逃げた。
歩み寄って来る気配に億しながらも、兄の用件を聞かなければとその場に踏みとどまる。
「カナ、顔を上げてくれ」
言葉の節々に表れる厳しさがこのときは感じられず、カナは困惑しながら恐る恐る顔を上げた。
クライドの、自分と同じエメラルド色の瞳を正面から受け止めたのは一年ぶり。今度も鋭い目を向けられている、それを覚悟して対したが。
目の前にいる厳格さが代名詞の警備員は目元を和らげ、何故だか少し自嘲したように微笑していた。
「カナ、今までお前に負い目を感じさせていたこと、すまなかった」
やはり、見間違いではない。涼しげな鋭い声音にも穏やかさが含まれている。
「俺は自分のまとう雰囲気というのか、自覚がなさ過ぎたんだ。それがお前を苦しめていたとは思わなかった。すまない」
何がどうしてクライドがそんなことを言うのか分からず困惑し、カナは言葉を返すことができない。
「すぐには無理だろうが、改めるよう努力する。だからお前も、俺に気兼ねする必要はない。怖がらずになんでも言ってほしい」
疑問はたくさんあった。その言葉が出てくる経緯だとか、兄の変化だとか。しかしそんな疑問などではカナの心を止めることはできなかった。顔はその心を隠せず、クライドのその言葉を聞いた途端に泣くのを堪えるように歪み、目にいっぱい涙を浮かばせた。
その目を思い切りつぶり、カナは首を左右に大きく振る。
「ち、違うっ、私が、私が勝手に思い込んで、兄さんを避けてたの。兄さんは、悪くない」
「そう思わせた俺の態度にも原因がある。俺はすれ違った今の関係を修復したい。だから、これからは思っていることは伝え合おう」
溢れてくる涙を見られまいと顔を伏せ、カナはそんなことない、とまた首を振る。でもカナにとってはずっとほしくて、でも絶対に得られないと思っていた言葉。自分から行動しなければ兄との関係はこのままだと思っていたのに、兄の方から歩み寄ってくれるなんて。
こんなに嬉しいことがあるだろうか。
「カナ」
クライドが返事を待っている。
カナは腕で乱暴に涙を拭って、今できる精一杯の笑顔で答えた。
「兄さん、私も、同じ。私も兄さんとの関係を直したい。故郷にいたときみたいに、話したいよ」
クライドが頷く。魔物を慈しむ以上の穏やかな微笑をたたえて。
(よかったね、カナ)
クライドとカナの仲を取り持った立役者は、二人のやり取りを遠くで見守り、もう大丈夫という頃合いを見計らって踵を返した。
(それにしてもクライドさん、あんな穏やかに笑えるんだ。ちょっと意外でびっくりした)
戦いの後クライドと話をしたとき、笑うという行為に対して健闘すると本人が言っていたのだ。そしてもう一度明由美に笑うことがどういう効果をもたらすのか聞いてきた。だから、きっと容易くはできないのだろうと思って自嘲という形でハードルを下げたのだが、杞憂に終わったようだ。
(本人も自分がちゃんと笑顔になれてること、気づいてないよね……。でもこれから笑顔が増えればあの厳格さも少しは和らぐかな)
あ、と思い至る明由美。
(クライドさんがこれから変わっていったら女子が黙っていなさそう。カナも私と同じでお兄ちゃん大好きだから、きっと大変だよ~)
改斗の件で身に覚えのある明由美は苦笑しつつ、そんな日常もきっと楽しいだろうなと想像を膨らませて目を閉じ、笑った。
〈完〉
クライドはこの学校に入ってその年の召喚士最終試験に合格して召喚士になった、秀才だった。これまで召喚士として職についた者のほとんどが二、三年学んでようやく合格してきたのだから、その秀逸さが伺える。
召喚士といっても魔物を使役する者の総称であるだけで、その仕事内容は実に様々だ。器にする魔獣によっても得手不得手は分かれる。
どれだけ魔物の力を引き出す仕事を見つけ、選べるかは召喚士の力量にかかっている。
そんな中でクライドが選んだのは召喚志学校の警備員という仕事。規律や教えの前に厳しくある姿勢、自らを律する心、加えて生徒を守る意志も必要なこの仕事は自らに合うものであり、ワイバーンを器とした魔物も最大限にその力を振るうことができる職だと判断し、就いた。
そしてもう一つ。クライドよりも二年先に学校へ入り、三年目の合格者にも名前の上がらなかった妹のこと。彼女をそばで見てやれる。
そう思ったが、合格の日を境に妹のカナがクライドへの態度を一変させた。
会話をしていても視線が交わらない。交わってもすぐに逸らして、笑顔はいつしか苦笑に変わった。
その理由が分からないまま、クライドも妹に対するしかなかった。
そしてクライドは警備員として約一年弱の見習い期間を終え、正警備員として独り立ちを許されるまでになる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「じゃあ私、カナ呼んできますね」
「待て、明由美」
「はい?」
ほんの二ヶ月前に正警備員となったクライドはつい先日、禁じられた二人召喚を行った生徒の片割れと共にいた。昨日まで自室で謹慎を受けていた彼女だが、今日はそれが解ける日。だというのにその女生徒は自由になるや否や真っ先にクライドに会いに来たのだ。
『あれからまだカナに会ってないんですか!? 会いに行きましょう!』
と言って半ば強引に中庭に連れて来られ、カナを呼びに行くと言うから呼び止めた。明由美の、顔に似合わないお節介な強引さを体感したクライドは、焦る様子もなく疑問を告げる。
「あれから考えたが、笑いかけることでカナは、俺への意識を本当に変えるのか?」
「はい、変わります、きっと」
明由美は自信に満ちて即答した。カナとはルームメイトなのだから、そう言わしめる根拠が彼女にあるのだろうとクライドは予測するも、やはり素直に実行に移すには説得力が足りない。
クライドの要領を得ない顔を見て、さらに明由美がつけ加える。
「クライドさんは、いつも目を合わせてくれないカナが笑顔を向けてくれたら、嬉しくないですか?」
「嬉しくはあるだろうが、まず驚くだろうな。突然どうしたのかと」
「カナも同じだと思いますよ。普段厳しい表情を向ける兄さんが微笑してくれたらびっくりして……もしかしたら泣いちゃうかも」
「泣かせたくはないのだが」
「嬉し泣きです」
「?」
「まぁ、それは置いといて。カナはクライドさんに負い目を感じているようなんです。四年間学校で学んでも召喚士になれないことをよく思われてないんじゃないかって。だから笑顔を向けられたら、それだけで許された気持ちになる、そう思います」
負い目に感じるほどの接し方をした覚えはなかったが、相手が自分と同じ感覚を抱くわけではないのは先日の明由美との会話でクライドは悟っている。
カナが感じていたのならそれは改めるべき。
明由美がさらにつけ加える。
「表情って鏡なんですよね。こちらが警戒すれば相手も警戒しちゃう。でもこっちが笑顔になれば向こうも気を許すことができるようになる。そういう効果があると思っています。私と梨花さんの例みたいに相手に嫌われていたら一概には言えないですけど、お二人はそうじゃないですよね? 歩み寄りたいって思ってる兄妹です。だからこちらから歩み寄ればきっとうまく行くはずです!」
最後は熱を込めてまた自信を口にした。当人でもないのにうまくいった時の希望に目を輝かせて。
クライドはそんな明由美にため息混じりに苦笑する。
「あ、それです!」
「なんだ?」
突然食いつかれて眉根を寄せるクライド。
「ああ……その顔じゃなくてさっきの顔ですよ」
「?」
訳が分からずさらに眉根が寄ってしまう。
途端に明由美の顔が若干怯えを含んで窺う態勢になった。
「クライドさん、今……怒ってます?」
「いや、お前の言動の意味を図りかねていただけだが」
「……やっぱりクライドさんは自分が思っている以上に表情が厳しくなりますね」
「そのようだな。今、お前の怯えがなんとなく見えた」
「分かりましたか」
苦笑して照れたように笑う明由美。
そのまま苦と照れを除いて明るく微笑む。
「だから逆に、ちょっと破顔するだけで相手に穏やかな印象を与えられると思うんです。すぐに大きく笑えなんて言いませんから、自嘲するみたいに笑うだけでも効果覿面だと思いますよ」
自分の顔にそんな効果を期待することはできないが、客観的にアドバイスしてくれる明由美の言を信じ、クライドは心を決めた。
「言い分は分かった。やってみよう。カナに会わせてくれ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
クールで落ち着いていて強くてなんでもそつなくこなす。他人に厳しいところもあるけど、それ以上に自分に厳しいから、それもいつしか信頼に置き換わる。私の兄は故郷の町でも評判が高かった。凄く自慢に思ってた。
妹の私に対しても涼しげな厳格さは健在で、幼い頃は少し苦手だった。子供ってそういうの、敏感でしょ?
でも、無表情ながらも幼い私の手を引いてくれたり、守ってくれたり。ちゃんと見ててくれている、気遣ってくれている、そう思えるだけで、多少の冷たさも全然気にならなかった。
でもそれは召喚志学校に来て兄が先に試験に受かったことで、変わった。
私の落ちこぼれぶりが兄の厳格さを刺激して、きっとよく思われていない。あの厳しさと冷徹さを見せる瞳の奥にある優しさを感じられなくなってから、私は兄の目を避けるようになった。
自分の思い込みで自ら蓋をしたのかもしれない。厳しく見られがちの兄だけど、聞いてみると思ったほど怒っていないのがほとんどだったし。
分かってはいる。きっと私の思い込み。でも、私は兄から出る厳しい言葉に恐れをなして、歩み寄る一歩が踏み出せないんだ。
「カナ」
肩上でそろえられた栗色の髪を優雅に揺らして、明由美は部屋に帰ってくるなり顔だけひょこっとドアから出して、カナを呼んだ。
「おかえり……どうしたの?」
一向に部屋に入ってこない明由美を見兼ねて、カナは椅子に座ったまま身体を向ける。
可愛らしく手招きされる。元々顔も仕草も可愛らしいので、本人に自覚はないと分かっていながらも様になるなぁ、なんてカナは思ってみる。
思いながら、カナは手招かれるまま素直に外へ出た。
「カナに会いたいって人がいるの。ついてきて」
「いいけど……」
このパターンは改斗が女子に告白される状況でよくやっていたから、既視感がある。生徒は異性の寮に入ることができないため、改斗と話しをするためには誰かが呼びにいかなければならなかった、その状況に。
もちろん、状況は似ていても告白なんかではないと分かっているから、誰が何の用で訪ねてきたのかまったく予想できなかった。
「驚かないでね」
ますますわけが分からない。頭にハテナをつけたままとりあえず明由美の後ろをついて行き、中庭到着した。
若干紺寄りの青い制服が威厳を持つように正された姿勢と、首に少しかかる茶髪が目に入る。まだ距離があるにも関わらず、カナにはそれが誰なのか分かってしまった。ここ一年、顔を上げて視界に入れることができたのは後ろ姿だけだったから。
「なんで……」
――兄さんが何の用?
カナは叱られることばかりを想像してそれ以上近づけなくなってしまった。気配に気づいてか、クライドがこちらに振り向く。カナは反射的に目線を下げ、クライドの目から逃げた。
歩み寄って来る気配に億しながらも、兄の用件を聞かなければとその場に踏みとどまる。
「カナ、顔を上げてくれ」
言葉の節々に表れる厳しさがこのときは感じられず、カナは困惑しながら恐る恐る顔を上げた。
クライドの、自分と同じエメラルド色の瞳を正面から受け止めたのは一年ぶり。今度も鋭い目を向けられている、それを覚悟して対したが。
目の前にいる厳格さが代名詞の警備員は目元を和らげ、何故だか少し自嘲したように微笑していた。
「カナ、今までお前に負い目を感じさせていたこと、すまなかった」
やはり、見間違いではない。涼しげな鋭い声音にも穏やかさが含まれている。
「俺は自分のまとう雰囲気というのか、自覚がなさ過ぎたんだ。それがお前を苦しめていたとは思わなかった。すまない」
何がどうしてクライドがそんなことを言うのか分からず困惑し、カナは言葉を返すことができない。
「すぐには無理だろうが、改めるよう努力する。だからお前も、俺に気兼ねする必要はない。怖がらずになんでも言ってほしい」
疑問はたくさんあった。その言葉が出てくる経緯だとか、兄の変化だとか。しかしそんな疑問などではカナの心を止めることはできなかった。顔はその心を隠せず、クライドのその言葉を聞いた途端に泣くのを堪えるように歪み、目にいっぱい涙を浮かばせた。
その目を思い切りつぶり、カナは首を左右に大きく振る。
「ち、違うっ、私が、私が勝手に思い込んで、兄さんを避けてたの。兄さんは、悪くない」
「そう思わせた俺の態度にも原因がある。俺はすれ違った今の関係を修復したい。だから、これからは思っていることは伝え合おう」
溢れてくる涙を見られまいと顔を伏せ、カナはそんなことない、とまた首を振る。でもカナにとってはずっとほしくて、でも絶対に得られないと思っていた言葉。自分から行動しなければ兄との関係はこのままだと思っていたのに、兄の方から歩み寄ってくれるなんて。
こんなに嬉しいことがあるだろうか。
「カナ」
クライドが返事を待っている。
カナは腕で乱暴に涙を拭って、今できる精一杯の笑顔で答えた。
「兄さん、私も、同じ。私も兄さんとの関係を直したい。故郷にいたときみたいに、話したいよ」
クライドが頷く。魔物を慈しむ以上の穏やかな微笑をたたえて。
(よかったね、カナ)
クライドとカナの仲を取り持った立役者は、二人のやり取りを遠くで見守り、もう大丈夫という頃合いを見計らって踵を返した。
(それにしてもクライドさん、あんな穏やかに笑えるんだ。ちょっと意外でびっくりした)
戦いの後クライドと話をしたとき、笑うという行為に対して健闘すると本人が言っていたのだ。そしてもう一度明由美に笑うことがどういう効果をもたらすのか聞いてきた。だから、きっと容易くはできないのだろうと思って自嘲という形でハードルを下げたのだが、杞憂に終わったようだ。
(本人も自分がちゃんと笑顔になれてること、気づいてないよね……。でもこれから笑顔が増えればあの厳格さも少しは和らぐかな)
あ、と思い至る明由美。
(クライドさんがこれから変わっていったら女子が黙っていなさそう。カナも私と同じでお兄ちゃん大好きだから、きっと大変だよ~)
改斗の件で身に覚えのある明由美は苦笑しつつ、そんな日常もきっと楽しいだろうなと想像を膨らませて目を閉じ、笑った。
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