ベア・サモナー
36.決着~そして -またねー
凄絶な光と中心からはじき出された衝撃で、改斗と明由美は引き離された状態で地面に倒れた。クマの傘も、二人の手にはない。
先ほどの圧力を欠片も残さぬほどの静まり返った空間。そこから何かが完全に消失した空虚感が、哀愁と畏れをそこに残している。
終わった。さっきまでこの森に圧倒的な威圧感をもたらしていた巨体がない。しゃべって生きていたものがいない。ただそれだけのことなのに、胸にぽっかり穴が空いたような感覚が押し寄せてくる。
起き上がって辺りを確認した改斗と明由美には、そう感じられた。
「……」
二人の手から飛ばされた赤の傘はどこへ行ったのか。改斗は森の中で異質なその色を捜す。すぐに、少し離れた所に無造作に投げ出された赤色を発見した。
明由美とともに上から覗き込んだ傘は予想通り、原形をとどめてはいなかった。骨組みは方向性もなく歪み、折れている。柄の部分もない。あの可愛らしいクマの飾りがない。
傘の上でガラスのように鋭く光る赤い花びらを、無残にも華やかに、そして静かに、咲かせているだけ。
嗚咽が、明由美の喉から漏れ始める。
改斗はスカイベートの残骸に手を振れ、俯いた。
「ベート……」
スカイベートが、いない。ただの傘の器でも魔物を退ける力を持った、ちょっとやそっとじゃ壊れなさそうな強気で尊大な口調の、強く頼れる存在であった仲間が、どこにもいない。さっきまで志も一つになってともに巨大な敵に立ち向かっていたのに、今は、いない。
紫龍がいなくなって感じた虚無感とは違う。強気で覚悟したはずなのに、体の中から何かが流れて力を喪失させるような、そんな脱力感が襲ってくる。
「おーいベート、聞いてるか?」
声に出さず、明由美は口元を両手で押さえ、涙を頬いっぱいに流したまま改斗と同じ方向を見やる。
「絶対に、もう一度呼び出すから。だから、待ってろよ!」
朝日が穴の開いた森を照らしてきた。暖かい陽気が訪れようとしている。
若い緑と朝の白い光の天蓋が、二人の姿を包み込む。二人は日が完全に昇り、鳥たちがさえずりを始めるまで、その場にとどまっていた。
***
「スカ……ベー……」
誰かが呼んでいる。
「……カイベート」
閉じた意識を引き上げる心地よい旋律に、スカイベートは目を開けた。もっとも、体など失ってしまったから、目を開けるというより意識を開くと言った方が正しいか。
「スカイベート」
「クリス……」
そこには、鮮やかな金髪を結い上げた美しい女性、クリスが生前の姿そのままで、スカイベートの前に漂っていた。
その隣にはランザードルクもいる。彼も体を失っているが、クリスを包み込むようにまとわりつく青い風からは、穏やかな視線を感じ取ることができる。
助けることができたのか、よかった。そう思って安堵するスカイベートに、クリスがその白い手を差し出した。
「待たせてすまなかったな。さあ、ともに行こう」
「ああ……」
最後まで心を通わせともに過ごした召喚士と魔物は、死して彩流に溶け込むと、混じり合い、ずっとともにいられるようになる。それは完全な意識をまとって存在できる個体ではないが、最期は二人幸せに逝くことができる。
主と友と一緒に、また心地よかった空間に戻ることができるのだ。
それを欲し、スカイベートは迷うことなくその手を取ろうとした。
『ベー……』
『……ートさん』
その時、遠くの方から声が聞こえたような気がした。誰の声だったか。懐かしさはなく、最近聞いたような身近にあった音だ。
でも、クリスやランザードルクほど心を傾けるには至らない、小さなもの。きっと取るに足らないもので、おそらく幻聴だろう。
止めた手を再びクリスへと伸ばす。しかし気にとめなかったその声が、徐々に大きくなっていった。
『ベートと旅、すること』
『じゃ、じゃあ、この戦いが終わったら私たちと一緒に……? やった!』
旅? 旅すること? それを誰かと約束したような気がする。だが、誰だった?
「どうした、スカイベート?」
「いや……」
何かを忘れている。大切な何かを。胸に引っかかってすっきりしない。
もう一度手を伸ばそうとするが、躊躇われる。
「スカイベート?」
『おーいベート、聞いてるか?』
クリスの気を煩わすのはよくないとその声を振り払おうとしたが、今度ははっきり意識に語りかけてくるほどの鮮明さで心に響き、スカイベートの記憶を揺さぶってきた。
『絶対に、もう一度呼び出すから。だから、待ってろよ!』
「――!」
霧が晴れるように、脳裏に少年と少女の顔が浮かんだ。
(ああ、お前たちか)
クリスの方に伸ばしかけた手が、ゆっくりと下ろされる。
「? どうした?」
「すまない、クリス、ランザー。ともには行けない」
クリスは「なぜ?」と首を傾げ、心配そうな顔をしている。
そんなクリスを見て、スカイベートはこれから自分がすることに、自嘲するしかなかった。
「残る理由がな、できてしまったのだ」
「理由?」
大きく、真剣に頷くスカイベート。
その顔を見て彼の言う理由というものを悟ったクリスは、それがどれだけ不安と苦しみを伴うものか想像して、問わずにはいられなかった。
「いつ呼び出されるかも分からないんだぞ? 何十年と先かもしれない、一生そんな時はやってこないのかもしれない。希望はあまりにも小さい。……それでも?」
「ああ。あなた以外の主を見出したこと、どうか許してほしい」
間髪入れずに答えるスカイベートにクリスは苦笑したが、すぐに穏やかな顔になった。
首を振る。
「スカイベートがそれで幸せなら、意志を持たせて彷徨わせてしまった私には、何も言えないな」
別れを惜しむかのように、クリスは両腕でスカイベートを抱きしめた。
「これまでありがとう、スカイベート」
「ああ、私も。私を生み出してくれたあなたに感謝する。ランザー、クリスをともに守れたこと、誇りに思うよ。クリスを頼む」
ランザードルクも強く頷く。
しばらくして離れ、クリスとランザーの姿が遠ざかる。二人とも幸せそうだ。
それだけで、二人との絆を取り戻せた気がして、スカイベートは満足だった。
「ありがとう」
光の滴を散らしながら消える二人を見送りながら目を伏せ、スカイベートは幼い二人の主を思った。
「さあ、残ってやったぞ、改斗、明由美。これで呼び出せなかったら、承知せん」
言葉とは裏腹に、スカイベートの表情にはこの先会えるだろうその時を想像して、笑みが浮かんでいる。
「待っているぞ」
主を失いともに消えるはずの意志は、意志がある故に消えることを拒み、膨大なこの彩流の一部として再び眠りについた。
先ほどの圧力を欠片も残さぬほどの静まり返った空間。そこから何かが完全に消失した空虚感が、哀愁と畏れをそこに残している。
終わった。さっきまでこの森に圧倒的な威圧感をもたらしていた巨体がない。しゃべって生きていたものがいない。ただそれだけのことなのに、胸にぽっかり穴が空いたような感覚が押し寄せてくる。
起き上がって辺りを確認した改斗と明由美には、そう感じられた。
「……」
二人の手から飛ばされた赤の傘はどこへ行ったのか。改斗は森の中で異質なその色を捜す。すぐに、少し離れた所に無造作に投げ出された赤色を発見した。
明由美とともに上から覗き込んだ傘は予想通り、原形をとどめてはいなかった。骨組みは方向性もなく歪み、折れている。柄の部分もない。あの可愛らしいクマの飾りがない。
傘の上でガラスのように鋭く光る赤い花びらを、無残にも華やかに、そして静かに、咲かせているだけ。
嗚咽が、明由美の喉から漏れ始める。
改斗はスカイベートの残骸に手を振れ、俯いた。
「ベート……」
スカイベートが、いない。ただの傘の器でも魔物を退ける力を持った、ちょっとやそっとじゃ壊れなさそうな強気で尊大な口調の、強く頼れる存在であった仲間が、どこにもいない。さっきまで志も一つになってともに巨大な敵に立ち向かっていたのに、今は、いない。
紫龍がいなくなって感じた虚無感とは違う。強気で覚悟したはずなのに、体の中から何かが流れて力を喪失させるような、そんな脱力感が襲ってくる。
「おーいベート、聞いてるか?」
声に出さず、明由美は口元を両手で押さえ、涙を頬いっぱいに流したまま改斗と同じ方向を見やる。
「絶対に、もう一度呼び出すから。だから、待ってろよ!」
朝日が穴の開いた森を照らしてきた。暖かい陽気が訪れようとしている。
若い緑と朝の白い光の天蓋が、二人の姿を包み込む。二人は日が完全に昇り、鳥たちがさえずりを始めるまで、その場にとどまっていた。
***
「スカ……ベー……」
誰かが呼んでいる。
「……カイベート」
閉じた意識を引き上げる心地よい旋律に、スカイベートは目を開けた。もっとも、体など失ってしまったから、目を開けるというより意識を開くと言った方が正しいか。
「スカイベート」
「クリス……」
そこには、鮮やかな金髪を結い上げた美しい女性、クリスが生前の姿そのままで、スカイベートの前に漂っていた。
その隣にはランザードルクもいる。彼も体を失っているが、クリスを包み込むようにまとわりつく青い風からは、穏やかな視線を感じ取ることができる。
助けることができたのか、よかった。そう思って安堵するスカイベートに、クリスがその白い手を差し出した。
「待たせてすまなかったな。さあ、ともに行こう」
「ああ……」
最後まで心を通わせともに過ごした召喚士と魔物は、死して彩流に溶け込むと、混じり合い、ずっとともにいられるようになる。それは完全な意識をまとって存在できる個体ではないが、最期は二人幸せに逝くことができる。
主と友と一緒に、また心地よかった空間に戻ることができるのだ。
それを欲し、スカイベートは迷うことなくその手を取ろうとした。
『ベー……』
『……ートさん』
その時、遠くの方から声が聞こえたような気がした。誰の声だったか。懐かしさはなく、最近聞いたような身近にあった音だ。
でも、クリスやランザードルクほど心を傾けるには至らない、小さなもの。きっと取るに足らないもので、おそらく幻聴だろう。
止めた手を再びクリスへと伸ばす。しかし気にとめなかったその声が、徐々に大きくなっていった。
『ベートと旅、すること』
『じゃ、じゃあ、この戦いが終わったら私たちと一緒に……? やった!』
旅? 旅すること? それを誰かと約束したような気がする。だが、誰だった?
「どうした、スカイベート?」
「いや……」
何かを忘れている。大切な何かを。胸に引っかかってすっきりしない。
もう一度手を伸ばそうとするが、躊躇われる。
「スカイベート?」
『おーいベート、聞いてるか?』
クリスの気を煩わすのはよくないとその声を振り払おうとしたが、今度ははっきり意識に語りかけてくるほどの鮮明さで心に響き、スカイベートの記憶を揺さぶってきた。
『絶対に、もう一度呼び出すから。だから、待ってろよ!』
「――!」
霧が晴れるように、脳裏に少年と少女の顔が浮かんだ。
(ああ、お前たちか)
クリスの方に伸ばしかけた手が、ゆっくりと下ろされる。
「? どうした?」
「すまない、クリス、ランザー。ともには行けない」
クリスは「なぜ?」と首を傾げ、心配そうな顔をしている。
そんなクリスを見て、スカイベートはこれから自分がすることに、自嘲するしかなかった。
「残る理由がな、できてしまったのだ」
「理由?」
大きく、真剣に頷くスカイベート。
その顔を見て彼の言う理由というものを悟ったクリスは、それがどれだけ不安と苦しみを伴うものか想像して、問わずにはいられなかった。
「いつ呼び出されるかも分からないんだぞ? 何十年と先かもしれない、一生そんな時はやってこないのかもしれない。希望はあまりにも小さい。……それでも?」
「ああ。あなた以外の主を見出したこと、どうか許してほしい」
間髪入れずに答えるスカイベートにクリスは苦笑したが、すぐに穏やかな顔になった。
首を振る。
「スカイベートがそれで幸せなら、意志を持たせて彷徨わせてしまった私には、何も言えないな」
別れを惜しむかのように、クリスは両腕でスカイベートを抱きしめた。
「これまでありがとう、スカイベート」
「ああ、私も。私を生み出してくれたあなたに感謝する。ランザー、クリスをともに守れたこと、誇りに思うよ。クリスを頼む」
ランザードルクも強く頷く。
しばらくして離れ、クリスとランザーの姿が遠ざかる。二人とも幸せそうだ。
それだけで、二人との絆を取り戻せた気がして、スカイベートは満足だった。
「ありがとう」
光の滴を散らしながら消える二人を見送りながら目を伏せ、スカイベートは幼い二人の主を思った。
「さあ、残ってやったぞ、改斗、明由美。これで呼び出せなかったら、承知せん」
言葉とは裏腹に、スカイベートの表情にはこの先会えるだろうその時を想像して、笑みが浮かんでいる。
「待っているぞ」
主を失いともに消えるはずの意志は、意志がある故に消えることを拒み、膨大なこの彩流の一部として再び眠りについた。
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