ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

31.時を経た再会 -紫龍襲来ー

 憎々しげにそう呟いた改斗に並ぶようにして、クライドは魔物に乗り込み迎え撃つ体勢を作る。改斗もスカイベートを抱えて攻撃体勢に入った。
 明由美は駆けながら、宴の準備をしている村人たちにふれて回る。

「みんな逃げて! 来たよ!」

 それだけで何から逃げろと言われたのか分かった村人はさすが、数年前に多大な被害に遭っただけはある、と言える。口々に来たと伝え合い、一斉に避難所へと走り出した。
 奴が来た。その気になれば世界の脅威となることができる存在、紫龍。奴の通った後の村がどうなるか、村人は十分に理解しているが、家は命さえあればまた建てられるのだ。故郷だからここを離れない、と頑固なことを言う者はこの襲撃時には一人もいない。

 紫龍のスピードは凄まじかった。森から村までの距離をもろともせず、龍は十秒足らずで村に降り立った。皮膜のある翼を広げればクライドが駆るリグレーグの四倍、いや五倍はある巨体を持っている。下手をすれば村の五分の一を飲み込むほどの大きさ。
 禍々しい紫の体色が、まるで悪魔のように闇の中で存在していた。
 初めて目にするクライドなど、大き過ぎて声にならない。あまりにも現実とかけ離れている生命体に、畏怖すら感じる。

「でかく、なってる」

 横で改斗が静かに分析した。顔には焦りが見える。
 不可解な顔をしたスカイベートに説明する。

「六年前に見た時より、成長してるんだ。色も紫が濃くなってる気がする」

 召喚士が死してなお、成長を続ける魔物。世界中を圧倒させる大きさはまさに、年月の流れを表していた。二百年もの時間、彩流を取り込んだ結果だ。

 こんなに肥大した姿を見て、六年前はただ憎しみだけが募った心に、改斗は痛みを覚えた。魔物だと知った今は、際限なく彩流を取り込まざるを得なかった姿に、心痛な思いが芽生えてくる。
 しかし、敵は敵。仇は仇だ。怒りが消えることはない。

「ベート!」

 攻撃の合図だった。目の前に降り立った紫龍は咆哮を上げ、先に飛び出したクライドと交戦している。交戦といっても、紫龍にとっては鳥が飛び回るのと大差ない敵でしかない。
 飛び回るクライドは上を、自分たちは下をやらせてもらうと、状況的には判断しやすい戦略なのだが、なぜかスカイベートは動かなかった。

「ベート! 攻撃だ!」

 それでもまだ、動かない。魔物のあり得ない大きさに放心してしまっているのか。スカイベートに限ってそれはないが、そう取られかねないほど、クマは愕然としている。
 そのクマから、かすかに声が漏れた。

「……ランザー」

 恐れ、とは違う震え。驚き、とも違う。スカイベートを奮わせているのは、絶望と怒りが混じった、喪失感だった。

「ベート?」
「ランザー!」

 スカイベートが咆えた。叫ぶように呼ばれた魔物は、一瞬反応を示したようだが、相手にしない。煩わしい小物を払おうと突進してくる。
 改斗が思い切り地を蹴り転がるように避け、隙を見てはクライドが風を起こし、魔物の鋭い爪で攻撃し、注意を引きつけている。

「おい、どうしたんだよベート」
「間違いない……ランザーだ」
「? ランザーって、何?」

 地面を一回転がって膝をついて体勢を立て直し、改斗はクマの頭を紫龍向けて攻撃準備をする。
 その間にもスカイベートは紫龍に向かって叫んだ。周りなどまったく見えていない。

「ランザー、聞こえないのか! ランザー!」

 どうやらスカイベートはあの紫龍のことを名前で呼んでいるらしい。確かに、スカイベートが二百年も前に召喚されたのなら、討伐という形でクリスとともに相見えている可能性は高い。
 しかしこの切迫したスカイベートの訴える姿は、改斗には訳が分からなかった。せっかくの仇討ちのチャンスなのに、こんな状態では満足に戦えない。

 紫龍がまたこちらを見下ろした。豆粒の小さなクマから自分の名を呼ぶ声がしていると、果たして気づいているかどうか。スカイベートが呼ぶ名前を自分の名前だと理解しているかさえ怪しい。人を食った魔物は野生の本能が目覚め、言葉を理解しないから。
 紫龍は大きく咆哮を上げた。またあの、悲しみに満ちた声。その大きな波状音波ともなりそうな風に攻撃され、リグレーグが怯む。クライドもまた、こんな巨大な敵に挑むのは初めてだろう。よくやっている。

「ベート、どうしたんだよ! しっかりしろよ!」

 クマの顔を自分に押しつけるように間近に持ってきて強く言い、正気を取り戻させようとする。苛立ちが、改斗の言に怒りを込める。

「ちゃんと説明してくれ。なんなんだ? あいつのこと、知ってるのか?」

 改斗の顔を見てようやくスカイベートも我に返った。切迫した表情が消え、荒い呼吸が後に残る。

「あれは……」

 説明しようとしても、やはり信じられなかった。スカイベートも何がなんだか分かって叫んでいるのではなかった。体色も違う、大きさも違う、そんな目の前にいるドラゴンに、どうして同士を重ねて叫んでいたのか。
 だがスカイベートの直感がそう告げていた。紫龍のまとう彩流に懐かしさを覚えた瞬間、自分でも理解しないまま名を叫んでいた。

 ランザー、ランザードルク。スカイベートとともに召喚された、もう一匹の青い魔物を。

「どうして……!」

 スカイベートが失意にうな垂れる。改斗はそんな彼を立ち直らせるために傘を揺することしかできない。

「お兄ちゃんっ」

 村人に知らせ終わった明由美が戻ってきた。両膝をついてスカイベートに活を入れている兄の様子がおかしいことに気づき、全力で駆けてくる。

「ベートが気落ちしちゃって」
「え?」

 スカイベートの胸の内は二人には伝わっていない。なぜこんなにも打ちひしがれているのか、見当もつかない状況。

「とにかく、ここで迎え撃ったら村が全滅しちゃうよ。森に追い返さないと」
「ああ、そうなんだけど……」

 攻撃の要がこんな状態では牽制しようにもできない。
 明由美は強引に改斗の手に自分の手を重ねて、無理矢理立たせると、攻撃の姿勢を作った。

「ベートさん、今は余裕がないの。無理矢理にでも攻撃してもらいます。お兄ちゃん」

 スカイベートに流されて動揺していた改斗も、明由美の真っ直ぐな声にやらなければならないことを思い出す。魔力を集めるのが改斗の役目だ。
 意識を集中する。ベートの周りに集まった赤い彩流を、明由美が改斗の気を辿りながら力を調節し、クマの傘に送り込む。小さな体に入りこむ強大な彩流は、無理矢理にでもスカイベートから炎を吐き出させる状況を作り出す。

 薄い暗闇を吹き飛ばすように放たれる炎の渦が、紫龍の腹に直撃した。紫龍はその炎になんの抵抗も出来ないまま熱さと勢いに呑まれ、叫び声を上げた。一歩、二歩と後退する。
 それに乗じて上空で戦っていたクライドも大技を繰り出した。後ろから、紫龍の翼と背を狙って竜巻を起こし、その中に口から吐いた衝撃波を乗せ、かまいたちを起こす。
 硬そうな紫龍の皮膚には擦り傷にしかならなかったが、それも数が多ければ攻撃として十分な成果を上げられた。

 しばらくそれを続ける。森の中へ足を踏み入れた紫龍の体が、木々をなぎ倒して後退していく。
 紫龍が苦しみにもがく咆哮を上げた。大きな体を揺さぶり、尻尾を振り回し、翼を広げ、邪魔な鳥を叩き落とそうと、ただ暴れ出す。
 突然暴れ出した紫龍の攻撃は不規則ででたらめだった。何がどこから振り回されるのか分からないような、戦略性などまるで皆無の攻撃。
 上空のワイバーンは咄嗟に判断してかわすが、一瞬という短い時間では翼と尻尾の長さにまで判断が及ばなかった。片方が避けられても次に振られた尻尾が鞭のように直撃し、森の中に鉄球を落とされるような勢いでなす術もなく墜落する。

「クライドさん!」

 明由美が攻撃を止めた。近くに落ちた仲間に炎が接触するのを恐れて。
 明由美が止めれば、いくら改斗が魔力を込めようとも炎は止まる。スカイベートが自身で攻撃しているわけではなかったから、さっきまでの業火が嘘のように消えた。
 それを紫龍が見逃すはずもない。

 クライドに当てた尻尾を繰り出し、地上の虫も一掃する。尾に手応えを感じたのか、二匹の虫の骸を確認せず、紫龍は焼かれた腹の痛みに咆えながら山へ去っていった。




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