ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

17.先輩召喚士 -召喚士ヤンスクードー

「おーい、おい。君たち」

 揺すられて、明由美は目を開けた。ゆっくりした動作で目を擦り、起き上がる。
 熟睡していたところを起こされたからか、頭が痛い。
 起こしてくれると言っていたスカイベートは、もう飾りのクマを演じていた。体に刺激を与えられるまで起きないほど深い眠りに落ちていたようだから、スカイベートの声も聞こえなかったようだ。

 明由美が起きて、運送の管理人は次に改斗を起こしに行く。仰向けで鼾を掻いていた改斗も、大あくびをしてから頭を起こした。
 動きの鈍い二人を見て、管理人のおじさんは呆れた様子で腰に手を当てる。

「一体どういうつもりだ? これにはまだ人は乗せられない決まりなのに」
「す、すいま、せん」

 まだフラフラしながら明由美が立ち上がって謝った。そうしてやっと、目が覚めてきた。
 改斗はまだぼーっと座っている。

「ま、決まりは決まりだから。罰金な」
「え?」
「あれ? 聞いてないのかい? 他の人にも示しがつかないから、決まりを破ったら罰は受けてもらうんだよ」

 聞かされていない。明由美は今度こそ頭が覚めて、兄を振り返った。

「お兄ちゃん、おばさん、何か言ってたの?」
「おー。そういやなんか、罰金がどうのって言ってたなー」

 人事のように言ってまだ目覚めない改斗に、明由美の青ざめた顔は分からなかったようだ。
 青ざめるのも当然。お金を管理しているのは明由美で、そのお金というのは自分たちで働いて稼いだもの。

 学校に通う者たちのほとんどは親に頼ることができるのに対して、改斗たちにその選択肢はない。両親が残したお金と学校に入る前に一年かけて貯めたお金は、召喚志学校の入学金やら学費やらですべて使い切っているので、その他に学校で必要になる、また、故郷へ戻る時のために必要になる経費は、自分たちで働いてなんとかするしかなかった。
 夏と冬の長期の休みでは働くことが許されているので、その時に働いて稼いで今まで繋いできた。四年間も学校にとどまれたのは、そういった兄妹の努力があったからだ。

 六会の日に召喚の儀を行うのは夏休み一ヶ月前。ということは手持ちのお金は今、底を尽きかけている。故郷までの道のりに必要な経費は最低限持っているが、罰金を払うようなお金ははっきりいってない。ギリギリ足りたとしても、この後の旅をどうするというのか。

「……おいくらですか?」
「運送料込みで、十万だ」
「じゅっ!」

 足りるけど、残るのはわずかだ。宿代とか食費とか交通費とか、絶対に無理だ。交通費と宿代を差し引いても、食費でギリギリ。これから働いて稼ぐ時間も、故郷を思えば取りたくはない。学校からの追手だって、待ってはくれないのだし。

「あ、あの、今、持ち合わせがなくて……必ず払いに来ますから、今回は待ってもらえませんか? 無理を承知で、お願いします!」
「と、言われてもねぇ」

 必死に頭を下げる少女に、おじさんは胸を打たれるものがあったが、渋った。こちらも仕事だ。私情を挟んで勝手に判断はできない。

「ヤンさんに訊かないことには……」

 悩んでいる間に改斗もやっと目が覚めたようだ。明由美の隣に立った。

「罰金は、必ず払います」

 頼み込んだ明由美に倣って真剣に言ってのける。さっきまでぼーっとして締りのなかった人に言われても、説得力はない。
 おじさんはさらにうーんと唸って、ヤンさんに訊きに行こうかと下へ続く階段に首を向けた、そのほんの一瞬。

 改斗が突然、明由美の手を握った。握るといっても一方的に手首を掴んだような格好。
 明由美はおじさんの目を盗んで駆け出した改斗に手を引かれ、訳も分からないまま走り出す。立ち止まって驚く暇もない。

「ど、どうしたの!?」

 大急ぎで階段を下りる改斗。ほとんど一段抜き。引っ張られる格好になっている明由美を配慮する暇さえ惜しいとばかりに、とにかく下りる下りる。
 引かれるままに階段を下り、下りきってもなお止まらない改斗の足を止める術もなく、明由美はやっと平地に足をついたところで一つの答えに辿り着いた。

「お兄ちゃん、まさか最初からこのつもり……!」
「ご明察」

 そういう改斗の顔には苦笑が浮かんでいた。悪いなと思いつつも己の都合で逃亡を正当化している自分に向けてのものだ。しかしちょっと楽しそうなのは隠せていない。

「だめだよ! ちゃんと訳を話して、それで納得してもらわなきゃ」

 明由美の正論はもっともだ。

「それで駄目だったらどうする? 俺たちには時間がないんだ。こんな所で立ち止まってたら追手に追いつかれて終わりだ!」

 おじさんも必死で追いかけてきた。向こうも自分の矜持と信頼のために走っている。こっちにはこっちの、向こうには向こうの信念がある。たがえば仕方ない、強行突破するしかない。
 といっても改斗は元々こうなることを予想していたのか、最初から強硬手段を取るつもりだった模様。利用手段に重点を置いて罰を重要視しなかったのはこのためだ。

 街の喧騒は走り抜ける改斗と明由美を避けていった。無理矢理雑踏の中を走っている二人を止める道理がないため。
 なんだなんだとざわめく中、後ろから追いかけてくるおじさんの声が響く。

「捕まえてくれ! そいつら無賃乗車だ!」

 と突然言われてもこう走られていては、咄嗟に捕らえようとしても逃げられるのがオチだ。その声に反応しても捕まえる姿勢ができていなければ、振りきられる。
 前方の長身の人物もまた右に同じ。改斗の進行方向を完全に塞いでいるが、改斗は振りきることなど容易いと思った。

 そのまま横をすり抜けようとする。思った通り、体を横に流して避けてくれた。巻き込まれるのを恐れるのは誰もが持つ、自己防衛の一端だ。
 そのまま止まらない改斗はぐんぐん――バランスを崩して転倒した。派手に砂煙を上げて転がる。手を引かれていた明由美も同時にバランスを崩して転倒――する前に抱きかかえられた。
 改斗だけが犠牲。

「大丈夫?」

 抱えられて転倒を免れた明由美に降ってきたのは、意外にも優しい声音だった。

「ヤンさん!」

 向こうから走ってくるおじさんが息を切らしながら叫んだ。どうやら今、明由美を抱えている人物の名前らしい。前のめりの体勢を立て直し、明由美はその人物を見上げた。明由美の頭一個分以上高い。

(ヤンさんって……)

 この人が、管理人のおじさんがさっき言っていた人だと、明由美は瞬時に理解した。

「どうしたんだい?」

 おじさんが追いついて息を整えるのを待っている間、明由美は隣で悠然と立っているヤンの腕に収められていた。犯人を捕まえるというより、馴れ馴れしい態度。
 明由美は少し体を畏縮させた。

「た、助かりました。この悪ガキどもが運送料金と罰金支払わないで逃げたもんですから」

 足をかけられて地面に転がり呻く改斗をちらりと一瞥して、ヤンは明由美を少し驚きの表情で見下ろした。

「運送って、君たち、あれに乗ってきたのかい?」

 ヤンの視線が、ハーピーのいる高台に送られる。振り向くように動いた軌跡から逃れるように、ヤンの濃い紫色の髪が背中に流れ、落ちた。

「あ、はい……すいません」

 視線を再び明由美に戻した時、ヤンは怒るどころか目元に優しさを湛えて微笑んだ。鼻筋の通った相貌は、笑うとまるで大人の女性だ。

「人を乗せるのはまだ試験段階なんだよ。落ちなくてよかった」

 この綺麗な微笑みに、明由美は薄っすらと頬を赤らめる。

「こいつら、どうします?」

 転がったままの改斗を乱暴に起こして、管理人のおじさんは首根っこを掴むようにして前に突き出した。改斗も観念したようで、こけた際にぶつけたらしい顎をのんきに擦っている。
 ヤンはやっと明由美から手を放して、顎に手を当てて考えた。

「無賃乗車か……一応運送分の料金はもらおうかな」
「あの……」

 不安をいっぱい溜めた瞳で見上げてくる明由美に、ヤンはまた微笑んだ。

「君たちが払えないのは罰金の方だろう? 初めからトンズラするような子には見えないし、あっちの少年が悪いのかもしれないし」

 するとヤンは自然な態度を装って、また明由美の腰に手を回した。

「この子たちは僕が引き受けるよ。もう今日の仕事は終わりだし、おじさんはリーフィを解放してくれる?」
「あ、そうですか? じゃあお願いしますわ」

 被っていた帽子を浮かせて会釈し、おじさんは高台へ戻っていった。

「話は僕の家で聞こう。理由によっては考えてあげるから」
「本当ですか?」
「君のお願いとあらばね」

 さらに明由美に近づこうとするヤンに、改斗の『妹につく悪い虫センサー』が反応しないわけがなかった。
 明由美の腕を引いてヤンの魔の手から救い出す。

「ホント、お願いしますね、お兄さん」

 明由美と位置を入れ代わって笑顔を向ける改斗。頭に浮かび上がっている青筋は隠せていない。
 それに対してヤンは、虚勢を張る改斗を身長差でことさら見下ろし、微笑み返した。自分の容姿と改斗の容姿、どちらが上か分かりきった冷笑で。
 改斗の青筋が一つ増えた。

「お兄ちゃん、抑えて」

 ぐいと顎を突き出してガンをたれる改斗を妹が宥める。宥めるが、ヤンから身を守ってくれたことには正直ほっとしている。
 ヤンはもう改斗の相手などしていなかった。上を、高台を見上げている。

「……来るよ」

 西日を受けて、影が頭上に落ちてきた。薄い闇をまとった桃色の羽が舞い降りてくる。
 町に散らばる砂が舞い上がって埃を立てた。

「おかえり、リーフィ」

 明由美の瞳を一瞬で奪ったあの魔物に、ヤンはこともなげに優しく言った。簡単に寄り添い、赤み帯びた菫色の羽毛を撫でる。
 魔物の方も、脚を曲げて羽を畳み、長身の男に甘えるように肩をすぼめる。
 まるで恋人同士みたいだ。

「さすがに二人も乗せて疲れてるね。ご苦労様。帰ろう」

 寄り添ったまま、ヤンは二人に体を向ける。魔物と並ぶと、桃色と菫色を持つ羽毛と紫の髪色がいい色合いを醸し出し、端正な二人がますます似合いに見えてくる。

「あの魔物の召喚士があいつってわけか」
「すごいね」

 素直に称賛を口にする明由美に並んで、改斗も頷く。少々気にくわない面もあるが、魔物は悪くない。

「僕の家に招待するよ。ついてきて」

 こうして二人と一匹は結局、歓迎しない歓迎を受けることになった。





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