ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

14.迷子の子猫 -採流が及ぼすものー

「……へ?」

 改斗は目の前で起きている変事が初め、理解できなかった。麻衣に野獣が襲いかかった時、「やめろ!」と叫んでいたあの切羽詰った自分がいない。目の前の信じられない光景にどこかへ行ってしまって、抜け殻と化しているようだった。ただただ呆然。
 明由美など、間に合わなかった時の惨状に目を背けていたので、今やっと、異変に気がついた。

 野獣は少女を完全に覆っている大きな体を丸くして、甘えるように少女の桃色の柔らかな頬を舐めていた。頬全体が上下するくらい大きな舌で舐める姿は、獲物を味わっているようにも見えるが、そういう雰囲気ではない。

 麻衣は目を閉じて体を強張らせていたが、やがて野獣に敵意がないことを感じ取ったのだろう。頬を舐められるのがくすぐったくて、笑い声を漏らした。
 これでは野獣が麻衣にじゃれているようにしか見えない。現に獰猛さは欠片もなく、野獣は嬉しそうだ。

「何が、どうなって」

 かろうじて出た言葉に、ベートがしれっと答える。

「あれがミーだ」
「え!?」

 更なる衝撃。猫と言われたから、てっきり小柄な普通の猫だと思っていた。

「ミーって野獣だったのか?」

 まだ信じられない顔で改斗。

「で、でも麻衣ちゃん、怖がってたよ?」

 明由美もにわかには信じられない。

「馬鹿かお前たちは」

 妙な勘違いを疑問視している二人に、一人冷静なスカイベートが呆れ口調で言った。

「野獣を飼う幼い人間がどこにいる。あれは猫だったものが彩流の影響で巨大化しただけだ」
「きょ、巨大化? そんなこと、あるのか?」
「あ、そういえば授業で聞いたことある。動物が彩流を過剰に摂取すると、まれに体が変化するって……あ、そっか。昨日は六会の日だったから、たまたまミーに強い影響が出ちゃったんだ」

 スカイベートに問う改斗に、腕を組んで思い出しながら明由美がフォローした。
 自分で導き出した答えの解答を求め向けた明由美の視線が、クマの満足した頷きを捉える。
 スカイベートは明由美に続いた。

「昨日ここではぐれたのだろう。体の異変はミーにも苦痛を与える。気を失い、森で目を覚ました時には、飼い主はもういなくなっていた」
「で、今日森に来た麻衣ちゃんを見つけたんだ。麻衣ちゃんはミーの姿が変わったことを知らないから、野獣と勘違いして」

 明由美とスカイベートがどんどん疑問を解消していく中、改斗だけが取り残されていた。

「えーと、つまり?」
「あの野獣がミーってこと」
「あ、いや、だからなんで」
「聞いていなかったのか? 彩流が過剰に流れ込んだからだ。六会の日は召喚に有利な状況だが、そればかりではない。生命に影響を与えることもある。その影響をミーは受けたんだ」
「……」

 改斗は急に難しい顔をした。

「まだ分からないのか? 明由美は気づいたというのに」

 褒められて照れる明由美だったが、兄の深刻そうな顔に首を捻った。

「どうしたの?」

 改斗は迷っていたのか、意を決したかのように明由美の手に握られているクマの顔を凝視する。

「ベート、あのさ……」

 言おうと神妙な空気が流れた直後、麻衣の笑い声が大きくなって遮った。そろそろ引き剥がさないと麻衣がよだれまみれになってしまう。
 明由美はスカイベートを改斗に預けて、麻衣とミーを宥めに行った。

 妙な沈黙が流れる。改斗の深刻さはクマの魔物にも伝わったようだ。促してやる。

「なんだ、改斗」

 また少し迷って、改斗は切り出した。

「それってさ、人間にも影響出たりする?」
「そうだな……」

 考える語調。

「理論上は考えられる。しかし動物よりも発現は低いだろう。過去に一度だけ、六会の日を迎える度に弱っていく人間を見たことがあるが、それだけだ」
「そっか……」

 改斗にしては珍しく憂いを含んだ表情で、出会って間もないスカイベートにさえ違和感を覚えさせたが、それはすぐにいつもの明るさが取って代わってしまい見えなくなった。

「ん? ベート、今、過去に弱っていった人見たって言ったよな?」

 気になりはするが、本人から消えたものをわざわざ掘り返すこともない。スカイベートは頭を切り換えて改斗の問いに答えた。

「ああ、言ったな」
「それってさ、前にも召喚されたことあるってことだよな?」
「そうだ」
「おかしくないか? その、前にベートを召喚した人と俺が同じ色の彩流をまとってなきゃ、ベートを呼ぶなんてできないよな?」
「ほう、よく気づいたな」
「……なんか馬鹿にされてる?」

 横線を引いた目でどこ吹く風を装っていたベートの顔が、微妙に呆れを含んだ。

「私をこんな器に宿したことさえ奇跡に近いのだ。もう一つ奇妙な奇跡を起こしたとしても不思議ではあるまい」
「そういうもんなのか?」

 本当はあり得ないと言っても過言ではないが、スカイベートは言及しなかった。意志を持つほどに膨大な彩流が集まって誕生した魔物にも、説明できないことはある。それに、彼らとは復讐という目的を達成すれば別れる関係でしかない。深く追求するほどの謎でもないだろうと、スカイベートは気楽に構えて、意識を別のものに向けた。

 改斗の持つ色に酷似した、また改斗が言うように人間からは同色に見えるその、類まれなる真紅の瞳。
 スカイベートはその瞳を別の人のものに重ね、しばし過去を回顧していた。



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