ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

13.迷子の子猫 -行方不明の飼い猫ー

「あのね、ミーを捜してたの」
「ミー?」

 少女が泣きやんだ後、どうしてこんな朝早くから森にいるのか尋ねた改斗に、彼女はそう答えた。乱れた髪も砂だらけの服も、明由美が直してくれたので綺麗になっている。服の汚れが完全に落ちないのは仕方ないとして。
 少女は麻衣というらしい。黒髪と大きな黒いくりくりした目が印象的だ。

「ネコなの。おうちで飼ってるネコちゃん。でも昨日からいなくなってて、いつもここで遊んでたから、いるかなって思って」
「それでこんな奥まで捜しに来たって?」

 麻衣は二つに結んだ髪を揺らして、素直に頷いた。

「お父さんやお母さんは知ってるの?」

 明由美が訊く。歩きながらも改斗のズボンをギュッと握って、麻衣は首を振った。

「知らない。いつも森に行っちゃダメって言ってるから」
「でも、だからってこんなとこまで。危ないんだぞ? 野獣とかいて、食われたらどうすんだよ」

 麻衣の大きな目にまた涙が溜まる。助けてくれたお兄ちゃんに突き放された気がして、不安になったのだろう。

「お兄ちゃん、もっと優しく言ってあげてよ」
「だってそうだろ? 何も知らないじゃすまされないし」
「この子はまだ小さいんだから、理解できなくて当たり前だよ。ごめんね、麻衣ちゃん。お兄ちゃん、怒ってないから」

 人を安心させる笑顔で明由美は、ね、と笑いかけた。唇をへの字に曲げて泣くのを堪えていた麻衣は、改斗の服を放して明由美の後ろに隠れてしまった。

「なんだよ」

 さっきまで自分に懐いていた子供が明由美に乗り換えてしまって、すねた様子の改斗。

「振られたな」
「こんな子供に興味ないよ」
「ほう。子供くらいにしか好いてもらえない男が?」

 知ったように言うスカイベートに、改斗は得意そうににやけた。

「お前知らないだろ? 学校ではモテモテだったんだぞ、俺」

 スカイベートはまたほう、と相づちを打ったが、まるで信用していない。麻衣と手を繋いだ明由美が、スカイベートの小顔を自分に向けてから会話に入ってきた。

「お兄ちゃん魔力強いから、魅せられて好きになっちゃう人が結構いたんだよ」

 スカイベートの後ろで改斗が口に人差し指を立てて大振りに静止を要求しているが、もう遅い。

「偽りの恋か。罪な男だ」

 偉そうなスカイベートに何かあっと言わせて優越感に浸りたかったが、改斗は諦めて前を歩き続けた。少しふて腐れたように頭の後ろに手を組む。

「好きで罪作ったんじゃないよ」
「罪と認めるのか?」
「認めない。でも女の子悲しい目に遭わせてんのは確かだから」
「意外と男なのだな、お前は」
「意外と、は余計だ!」

 二人の会話に、明由美が横でくすっと笑う。これはこれでいいコンビかもしれない。

「お話してる! クマさんがお話!」

 明由美の横を歩いていた麻衣が、手を握る明由美の反対の手にあるピンクの傘に興味をそそられ、おねだりして爪先立ちした。
 傘の飾りでついているクマがしゃべるのは確かに珍しい。子供だからこんな反応をしてくれるが、大人が見たらかなり驚かれるかもしれない。
 スカイベートと話す時は周りに気を配ろう、と明由美は肝に銘じた。

「ね、クマさん持っていい? お話したい!」

 せがまれたので、明由美は少しスカイベートを見つめると、簡単に麻衣に渡してしまった。

「おい、明由美っ!」

 これもまた面白いものが見られるかもしれないと、焦るスカイベートに笑顔を返す明由美。意外と鬼だ。

「クーマさん、クーマさんっ」

 自分なりに音をつけて口ずさみ、ご機嫌の麻衣。

「一番子供に人気があるのはベートだったな」

 皮肉を言えて、改斗は満足げ。

「元はといえばお前たちが失敗などするからだ。本来ならもっと威厳のある器がふさわしいというのに……覚えておけ」

 恨みがましく言うものの、今クマの傘を持っている子供に罪はないので、スカイベートは無愛想になりながらも会話をしてやることにした。

「クマさん、どうしてしゃべれるの?」
「私が魔物だからだ」
「まもの? それってみんなしゃべれるの?」
「私は特別だ。他の者はしゃべらない」
「じゃあクマさんはすごいんだね」
「……クマさんではない。スカイベートだ」
「わたし、麻衣だよ。クマさん今度あそぼーね。クーマさん、クマさん」
「……何を笑っている」

 改斗は後ろを向きつつ、腹を抱えながら笑いを堪えていた。俯いている明由美も口を押さえて堪えている。

「これだから人間は嫌いだ」

 ふて腐れたスカイベートを宥めて、明由美が屈みながら麻衣に質問した。

「麻衣ちゃん、何か覚えてない? この辺りは見覚えある?」

 一行は、早く森から出て野獣の恐怖から脱するために、休まず歩き続けている。どの方角に何があるのか分からない以上、森に入ってきた麻衣に道案内をしてもらうのが一番の近道だ。
 しかし相手は五歳の子供。さっきも道を訊いたが、覚えていないようで、今回も分からないと首を振って答えた。

「ベートって鼻きかないのか?」
「この器では無理だな」
「じゃあ……麻衣ちゃんはどこから来たの?」

 質問を変える。

「えっとね、ロームって町」
「ローム!?」

 この答えには、明由美の驚きを通り越して、改斗が驚愕の声を上げた。

「ロームって言ったら、カムラの方角と完全に反対方向だ。嘘だろ。追って撒いてから北か南に進んでるもんだと思ってた」
「私も……」

 改斗たちが向かっているのは故郷の村、カムラ。召喚志学校から西に位置する小さな村だ。ロームは学校から北東に位置する小規模の町。当然目的地は西になるが、ロームから来たという幼女に出会ったということは、ロームが近くにあるということ。幼女の足ではロームからそんなに遠くへ歩いて行けるはずがないから、改斗たちが進む方角を間違えていたと考えた方が妥当だ。

 予想を上回る大誤算に、二人のテンションが一気に下がっていくのが分かる。
 スカイベートは気にした様子もなく涼しい顔。

「しょうがないよ。結局は森を抜けないと正確な方角も分からないし。麻衣ちゃんも送ってあげないと」
「そうだな……」

 言わずともそれは分かっているが、内心は一刻も早く故郷に着きたい気持ち。現実と理想を比べると、ため息もこぼれる。

「ベートさんも、それでいい?」
「好きにしろ」

 相変わらず興味なさそうに言う。好きにさせてくれるだけでありがたいと思うべきなのだろうが、もう少し気を許してほしいと思ってしまうのはさて、傲慢だろうか。

 気を取り直して進む一行に、光が差した。少し遠いが、明らかに森の暗さとは違う明かりが木々の間から見える。

「出口か?」
「ミーは?」

 改斗が外に出るのを察して、麻衣が不安そうに見上げてきた。麻衣の当初の目的はミー捜しだ。見つけられないまま帰そうとする大人の意見に、それをもみ消されることを恐れている。

「あっとそうか、ミー……」

 頭を掻く。この広い森の中を捜すのは骨が折れる。それに麻衣の両親も、朝早くにいなくなった娘を心配して捜しているかもしれない。麻衣の意思を汲みたいのと、常識を考える狭間で、改斗の心が揺れた。
 助けを求めて明由美に視線を送る。受け取った明由美も、困った表情。その思いを知識の豊富な魔物にも向けたが、スカイベートは目を閉じて知らん顔。人間のことは人間で片づけろということらしい。

「どうする?」
「麻衣ちゃんの手伝いもしてあげたいけど……」

 紫龍が最近カムラにまた戻ってきていると職員室で立ち聞きし、居ても立ってもいられず無茶でも召喚を行った二人だ。村が襲われる前になんとしても着きたい思いは強い。両親の仇を討ちたい思いの中には、故郷を救いたい思いもあるのだから。
 それに、学校からの追手も気になる。追われる身でもたもたしていたら、捕まって連れ戻されるのがオチだ。
 他人に構うほどの余裕など、この兄妹には実は、ない。
 それでも即、決断しないのは生来のお人好しが邪魔をしているため。

「麻衣ちゃんの両親に訳を話して捜してもらう?」
「でも承諾するか? 森に行くの反対してるんだろ?」

 いつの間にか歩みも止まっている。

「それに……野獣もいるし」

 言って直後、改斗は麻衣が手に持っていたクマの傘を取り上げると、明由美に差し出した。
 二人で傘を持つことが意味するものは、戦闘体勢。

「来たぞ」

 何が来たのか、改斗の言動で明由美も察する。野獣だ。しかもさっき追い払ったはずの豹型の野獣。よく見ると、豹より少し小柄なようだ。

「頼むぞ、ベート」

 また炎で追い払ってもらうために、クマの顔を野獣の方に向かせる。
 しかしスカイベートはというと、息をつくような表情で目を閉じ、警戒態勢を取る気配はまるでなかった。

「断る」
「は?」
「無駄に力を使いたくはない」
「は!?」

 場違いなスカイベートの言葉にありきたりな反応。気のきいた反論など、この状況で思いつくはずもない。

「お兄ちゃん来る!」
「ベート!」
「麻衣」

 兄妹の焦りを無視し、スカイベートは後ろに隠れている少女を焦った様子もなく静かに呼ぶ。
 突然呼ばれて恐怖に張り詰めていた少女の体が、びくっと震えた。

「……なに?」
「呼んでやれ」
「?」
「お前の飼い猫の名前だ」
「ミー?」
「そうだ」
「ベート!」

 間近に襲いくる野獣が、地を蹴った。高い。軽々と、野獣は敵の攻撃の要を通り越し、背後へ回った。
 狙いは幼い人間の女の子。
 麻衣と野獣の間に、遮るものは何もない。麻衣が恐怖で泣き出しそうになった。

「呼べ、麻衣!」

 スカイベートの厳しい口調が引き金になった。今度こそ獲物を捉えようと猛然とダッシュする野獣を拒むように、麻衣は声を張り上げた。

「ミィィィーー!」

 地を蹴り、宙を舞った野獣の勢いは距離を感じさせない速さで降ってきた。
 麻衣の小さな体を押し倒す。

「麻衣!」

 駆け寄り、引き剥がそうとする兄妹には目もくれず、野獣はその鋭い牙を剥き出しにして、麻衣に襲いかかった。





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