ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

11.召喚士誕生? -兄妹の目的ー

「もう追ってきたぞ!」

 炎を放った後、クマに頼んで炎の熱で塀に穴を開けて脱出を成功させた改斗たちは、まだ薄暗い草むらを走っていた。開けた先が森ではなく、草むらだったというのが盲点だった。

「早く森に隠れろ!」

 飛び込むと同時に、巨大な鋭い圧力が横切る。
 間一髪だった。森に滑り込むのと、改斗たちがさっきまでいた所に緑の魔物が脚を下ろすのとは、わずかに改斗たちの方が早かった。しかし近くに魔物の巨体が飛来したため、強風が二人の体を吹っ飛ばす。

「きゃあ!」

 地面に叩きつけられそうになった明由美を、なんとか庇うことに成功する改斗。クマの傘も無事だ。

「いててて」
「あ、ごめん」

 痛がりながら、大丈夫と改斗が手を振る。それよりも今は見つからないようにすることが優先だ。
 幸い、飛ばされたのは森の中。この暗闇の中、見つけるのは容易ではないだろう。
 もっとも、明かりを点けられない以上、こちらも進むのに苦労するのだが。

 身を屈めながら、二人は辺りを窺った。遠くに松明の光が行ったり来たりするのが見える。

「とにかくここを離れよう」

 足音は禁物。できるだけ音を立てないように慎重に進む。木が密集しているので空を窺うことができず進むべき方角は把握できないが、とにかくあの松明の光から遠ざかれればいい。
 クマの魔物も馬鹿ではない。文句があろうとなかろうと、しゃべろうとはしなかった。改斗たちの判断が妥当だと思ってくれたようだ。

 疲れ切った体に鞭を打って歩くこと約二時間。普通に歩くのと違って森を歩くのは結構しんどい。次第に暗闇には慣れてきたが、足元が完全に見えているわけではないので、時々引っかかったり躓いたりする。それでせいぜい稼げたのは、普通に歩くのと比べて二分の一以下の距離。
 それでも大分離れられた。松明の光はもう見えない。

「なんとか一段落いちだんらくか?」

 先頭で草や木を掻き分けていた改斗が立ち止まって言った。後ろをついてくる明由美が頷く。
 傘の持ち主でピンクの傘に合うのが明由美だからか、クマ持ちの担当はいつの間にか明由美になっていた。

「夜明けまでまだある。ちょっと休むか」
「うん」

 一本の木の幹に背を預け、互いに手の届く位置で腰を下ろす。体の力をようやく抜くことができて、無意識に息を吐き出していた。

「ではそろそろいいな」

 ここでクマが口をきいた。待ちわびたような雰囲気はない。もともと沈黙するのも召喚者の目的を訊くのも、この魔物にはさしたる問題ではないようだ。興味なしと見える。

「えーと、なんで俺たちが追われてるのか訊きたいんだっけ?」

 改斗がクマの声に答える。改斗も忘れていたわけではないようだ。

「それはいい。先ほど、大体の察しはついた。どうせ自分たち人間の規律を破った愚か者だろう」
「愚か者は余計だって」

 皮肉や悪口を言われることに慣れている改斗はレージュ先生の時同様、熱くならずにクマの傘にため息を吐いた。苦笑する。

「じゃあ目的だな。俺たちの目的は一つ。怪物……紫龍を倒すことだ」

 その時にはもう、改斗は苦笑を読み取れる声音を発してはいなかった。

「もう二百年は生きてる、言葉通り、怪物。世界は広いから知らない奴もいると思うけど、襲われたら絶対忘れられない。あんなのたぶん、魔物にもいない。それくらいでかいし、強い奴」

 暗闇が、兄の感情を和らげていると明由美には感じられたことだろう。表情が窺える所でこの言葉を聞いたらたぶん、今以上にあいつに向ける兄の怒りを感じたと思うから。

「何年もハンターが狩ろうとしたけど、駄目だった。召喚士も何人か挑戦したみたいだけど、無理だった。だからって見過ごすなんて嫌だ。誰もやらないなら俺がやる。そのためにあんたの力を借りたいんだ」

 改斗はクマに答えを求めるため、正視した。

「なぜ倒したい? 一流のハンターや召喚士が倒せなかった相手だぞ? 望みは薄い。それでもそこまで言い切るのなら、他に理由があるだろう? 正義感からか? それとも被害者たちへの偽善か?」
「それは!」

 呆れたように非難するクマの声に、明由美が反論しかけた。一流のハンターや召喚士が倒せなかった相手を、そこまでの力を持たない改斗がやれるなどとは誰も思わない。クマもそう考えての呆れた物言いだった。明由美はそれを誤解してほしくないと言いかけたのだ。
 しかしそれは、改斗の力強い次の言葉に簡単にかき消された。

「奴は親の仇なんだ。仇を討つために、俺は奴を倒したい」

 それは迷いなどない真意に満ちた言葉だった。クマを見据える瞳は、まだ暗い中でも眼光強く、色を持っている。改斗の赤い瞳は他者を恐れさせる絶大な強さとなって、その気になれば、見た者に真摯さをぶつける力になる。

「そうか」

 クマはやはり、興味なく言った。嫌だともいいとも言わずに分かったとだけ告げた。

「では、死ぬ覚悟はできているのだな」

 突然の忠告に驚いたのは明由美だけだった。改斗はさらにクマを見据えて答えた。

「できてないよ、そんなの」

 その後は破顔。いつもの改斗に戻る。

「死ぬなんて怖いもん。それに死んだら明由美が一人になる。俺は死ぬ覚悟はできない。けど」

 わざとらしく、しかし誇らしく、改斗はクマに笑いかけた。

「生きる覚悟はしてる」
「……お兄ちゃん」

 明由美はほっと安堵した。もしかしたら死ぬ覚悟があったのではないかという不安が、その言葉で完全にほぐされた。もし自分を残して死ぬなんて言ったら、怒りと悲しみで強く非難していたに違いない。

 クマは少し拍子抜けをしていた。表情の乏しいクマの器ではその変化は細微なものだったが。

「……駄目かな?」

 なかなか答えないクマに、ねだるように改斗。少々自信なさげである。

「クマさん……」

 明由美の視線も注がれる。

 クマはたぶん自嘲したのだろう。フンと鼻を鳴らして、いつもの厳しい物言いをした。

「クマさんではない。私にはスカイベートという名前がある」

 すかさず改斗がそれに順じて手を上げた。

「俺、改斗!」
「あ、私は明由美です」
「じゃあスカイベートじゃ長いから、クマさんはベートな」

 いい返事をもらえたと思ったらこれだ。

「おい、調子に乗るな。私はまだお前たちを主と認めたわけではない。それにこんな器で怪物に挑もうなど、愚の骨頂だ」
「俺と明由美とベートならできるって! よっしゃっ、やるぞー!」

 改斗が腕を振り上げ、拳を突き出した。相手の了承も得ずに勝手に決めて、勝手に決意を新たにして、逞しいことこの上ない。
 スカイベートは何か言おうと口を開いたが、何も言わずにため息を吐いた。その仕種がぬいぐるみを思わせて可愛らしい。

 明由美は嬉しそうな改斗をしばらく見てから、クマの顔を自分に向ける。

「よろしくお願いしますね、ベートさん」
「いい娘だなお前は。あいつにはもう少しお前のような礼儀が必要だな」

 本人が近くにいるというのにしれっと言い切るスカイベートの言葉に、明由美はくすっと笑った。

「そんなことしたらお兄ちゃんじゃなくなっちゃいますよ。お兄ちゃんはこれでいいんです。それから、あいつじゃなくて改斗。お前じゃなくて明由美です、ベートさん」

 うんうん、と改斗が隣で嬉しそうに頷いている。
 仕方ない、とまた息を吐き、クマの魔物は一つ咳払いをすると名を口にした。

「……分かっている、明由美」

 名前を呼んでもらえて、明由美が満遍な笑みをこぼした。例のあの、微笑みの中に隠れた照れ笑い。

「なあベート、俺は?」

 明らかに妹を羨んでの発言に、スカイベートは明由美にした反応とは異なる冷たさを改斗に向けた。

「今呼ぶ必然性がどこにある? 無駄なことはしないぞ」
「なんだよ、ケチ」
「ほう、どうやら一生呼ばれたくないようだな」
「うわ、ひでえ!?」

 そんな傍から見れば微笑ましいやり取りをしばらく続けた後、改斗と明由美は召喚で疲れた体にしばしの休息を与えることにした。







 改斗たちを見失ったクライドは状況を報告するため、一度学校へ戻っていた。男女二人が規律を破って召喚を行い、学校を出ていったこと。そして召喚はおそらく成功したこと。

 上司に報告後、クライドは追跡に向かう役を買って出た。新米にはまだ荷が重い任務だが、一年足らずで正警備員の職に就いた実力を認められている秀才は、その任を持つことを許された。

 命令は二つ。学校を出た二人の生徒を連れ帰ること。そして召喚された魔物を捕獲すること。壊された塀の修復や、生徒がいなくなった混乱を沈めるために追跡に向かわせる人員は少数に絞れ言われたが、クライドは一人の方が動きやすいと断った。

 彼がなぜ改斗たちの追跡を買って出たのか、それには理由がある。
 情報を得るために同室の生徒に事情を訊くことになるためだ。

 脱走した生徒はもう確認済みだった。その同室で生活をしていた二人に関しても。
 男子生徒と同室だったルームメイトは、どんなに尋問しても間の抜けた声で知らなかったの一点張り。クライドの隙をつく質問にも、底知れぬ狡猾さでしらを切りとおしていた。

 そして女子生徒と同室だった妹のカナ。クライドはこのカナに直接話を訊くために任を買って出たと言ってもよかった。妹が間接的にも関与していたとなれば、自分の手で処置したかったのだ。

 カナはクライドと久しぶりに面と向かっても、あまり目を見ようとはしなかった。質問には答える。しかしその声は兄に向けるような親しみではなく、尋問員に向ける緊張の声だった。クライド自身、兄として妹を尋問しているわけではないから、それが正しいといえば正しい。しかしそこには冷え切った絆しか見えてこない。

 クライドが自分よりも苦労している妹に、苛立ちを感じているのは否めない事実だ。しかしそれだけでは説明できない溝が、二人にはいつの間にか広がっていた。
 その彼女でさえ、緊張しながら知らないと答えた。唯一訊けたのは、その逃走した二人の出身地くらい。

 クライドはすぐにまた学校を後にした。目指すは西にある村カムラ。あそこの山には今、紫龍と呼ばれる巨大なドラゴンが棲みついているという。最近の話だ。そしてカムラは一度、その紫龍に襲われた経験を持つ。
 それが関係しているのかは分からないし、そんな所に戻るとも思えないが、召喚を強行した理由に村を救う目的があるのなら、時期は一致する。故郷へ戻るという線も外せない。

 クライドはそんな少ない情報を頼りに緑の魔物を駆り、追跡に向かった。




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