ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

10.召喚士誕生? -魔物?誕生ー

 取った手ごと万歳をする。改斗の背の方が高いので、明由美はつま先で立つはめになった。

「召喚士になれたって……じゃあまさか、この子が?」

 地面に放り出されて横たわっている傘をまじまじと凝視する。確かに召喚の器は魔獣の死骸でなくても可能だが、こんな小さなものを器にして成功した例など聞いたことがない。それ以前に、こんな小さなものを器にする人なんていないに違いない。
 だから明由美はこのクマに宿っているものが彩流で、魔物となった結果を、すぐには導き出せなかった。

 それにこの魔物。

「……しゃべってるよ?」
「しゃべってるな」

 改斗は明由美の心中を表す驚愕と緊張の声を気にもとめずに、さらっと返した。今の改斗はとにかく召喚できたことが至極嬉しいのだろう。魔物がしゃべるということがどういうことなのか、頭から完全に抜けている。

「普通、魔物ってしゃべらないよ?」
「そうだな、しゃべらないな」
「意志があるよ?」
「しゃべってるんだから当たり前だろ? ……ん?」

 やっと改斗も事の重大さが分かったらしい。

「意志がある!? ちょっと待て、それって」

 その意味を理解していくとともに、改斗の表情が再び嬉々として明るくなっていった。

「すごいじゃん俺たち! 意志を持つ濃さの彩流を集めて宿らせるなんて、あのクリス以来じゃないか!」

 嬉しさでうずく体を縮める改斗をよそに、明由美はまだ伝説の大きさを現実と繋げられずにいた。

 器はただ選べばいいというものではなく、適した大きさがある。呼び寄せる彩流の大きさに合ったものを選ぶのが普通だ。器がその集めた彩流の大きさに合えば、魔物は最大限の力を振るうことができるし、召喚士も力を与えやすくなる。集めた彩流より器が大きければ、魔物が体を重く感じてしまうし、逆に彩流より器が小さいと魔物に急激に力を与えた時、砕けてしまう可能性がある。あまりにも差がありすぎると召喚した時点で消滅することもある。
 器選びは、自分の力をどこまで深く理解しているかが問われるものだ。

 明由美はそれを考える限り、意志を持ったそんな濃い彩流を集めて魔物にできてしまった、強大なものを極小のものに宿せてしまったことを安易に認めるわけにはいかなかった。常識を考えれば、宿すこと自体が初めから無理なのだ。強大な彩流と掌のサイズしかない木の素材では、宿る前に器が支えきれずに壊れる。夢のまた夢である意志を持った魔物の力が入る大きさではない。絶対に無理なはずだ。

 しかし現実はそれを証明するどころか、否定してしまった。

「どうなって……?」
「不思議そうだな、娘」

 はしゃぐ改斗は完全無視で、クマは座り込んで難しい顔をしている明由美に話しかけた。
 ドキッとする。それと同時に夢ではないことを思い知らされる。

「その反応は正しい。現に今、私は窮屈でたまらない」

 不愉快極まりないと、クマの表情がまた変化した。線の口をむすっとさせて……ちょっと可愛い。

「あの、じゃあどうして宿っていられるんですか? 意志があるほど強い彩流なら普通、こんな小さなものには宿れませんよね? どうして? それともあなたは魔物とは違うんですか?」
「私は魔物だ、紛れもなく」

 クマの威厳に満ちた間違いなどないという言葉は、明由美の疑問をそれだけで晴らしていくようだった。
 クマは一呼吸置いて言った。

「この傘に呼ばれたのだ。あの男が暴走させ、また空中に還ると思った時、とても強い何かに引き寄せられた。うまくとどまれたのはその強い力と、お前の操術のおかげだろう」
「あ……」

 意識を失う前に傘を握り締めた時、明由美はなんとか彩流を器に宿そうとして傘に念じていた。

『お父さん、お母さん、力を貸して』

 その願いが届いて成功したのかは分からないが、少なくとも明由美はその時、傘に意識を集中してしまったのだ。結果、魔獣に宿すはずの彩流が、この傘の方に動かされ、宿ってしまったらしい。

「……ごめんなさい」
「まったくだ」

 窮屈な思いをさせているのは自分のせいだと素直に謝ったのに対して、クマの魔物は許してくれたのか許さないのか分からない調子で吐き捨て、睨みつけてきた。可愛いクマなので、迫力はあまりない。

「早く起こせ」
「あ、はいっ」

 言われるままに傘を持つ。傘の柄の方ではなく、差す先端の部分を持ったのは、まだ少し怖いからだ。噛みつかれたら嫌だし。

「召喚されてしまったのは仕方ない。お前たちもこのまま私を還すつもりはないのだろう? ならば話は一つだ。さっさと目的を果たし、還らせてもらうぞ」
「ちょ、ちょっと待てよ!」

 浮かれていた改斗が話に入ってきた。

「お前は俺たちに召喚されたんだぞ? どうしてお前に物事を決める主導権があるんだよ? 主に逆らうっていうのか?」

 うるさい蝿を見るような目で、クマは改斗を見据えた。といっても雰囲気だけで、目は小さい丸のくりくりした可愛い目のままだが。

「無論だ。私はお前たちを主とは認めていない」

 うっ、と口ごもった。二人で召喚したことで、魔物に認めてもらえないかもしれないのは初めから覚悟していたことだ。小さいから喰われないだけで、もし大きい器に入れていたら大変なことになっていたかもしれない。
 それを思い出して、明由美が少し身震いした。

 改斗はクマの言葉に頭を掻く。本人は気づいていないが、明由美はそれが困った時に出る癖だと知っている。何かを考えているようだ。
 その頭を掻いていた手が無造作に頭上を指した。何かを閃いたらしい。

「じゃあ友達は? 意志があるなら対等な立場がいいよな。友達。うん、いい響き」
「断る」

 即座に却下され、悦に入っていた改斗が、えー、と嫌そうな顔をした。
 クマはしれっと言い放つ。

「私は人間と馴れ合うのは嫌いなのだ。それでも召喚された身だから一つだけつき合ってやると言っている。それ以上のことにはつき合わん」
「そんなわがままな……」
「むしろ感謝してほしいものだな」
「クマさん……」

 三人とも沈黙。こんな信頼関係では召喚士も何もあったものではない。魔物と心を通わすにはまず、生まれたばかりの魔物に優しく接してあげること。と授業では習ったが、初めからなんでも知っていて向こうにこっちの優しさを拒否されたら、どうしたらいいのか。これでは授業で習ったことすべてが通じない。

「分かったよ。とりあえず目的に協力してくれるなら、今はよしとしよう」

 な、と明由美の悩む顔を見て肩を叩く改斗。
 とにかく進もうとしている改斗には明由美も賛成だ。

「じゃあ早速で悪いんだけどさ。……警備員をまこうか」

 暗闇がいつの間にか、月明かりではない明かりに消されていた。ぱちぱち燃えて草木を照らす松明は、改斗と明由美の姿もくっきりと照らし出している。

 林から現れた青の制服を着た三名と、馬のような魔物一匹に、手足を発達させたワニような魔物が一匹。その中央には今朝、あの冷たい目を明由美に向けたカナの兄、クライドがいた。

「間に合ったようだ」

 焦った様子は微塵もない。規律に反して召喚を行った違反者を、初めから予想していたかのような落ち着きよう。唯一、額ににじむ汗が、探し回り急いで駆けつけたことを物語っているだけ。クライドには大きな息の乱れはない。

「おとなしく学校へ戻れ。素直に従えば、処分は軽くなる」

 甘い言葉に聞こえない厳格さを含んだ抑揚。どんなことをすればこの男は感情を剥き出しにするのか。

「……魔物はどうした? 召喚できなかったのか?」

 辺りに魔物が召喚された痕跡がないことを見ての言葉。二人が召喚を行うことはやはり読まれていたようだ。

 改斗はクライドに負けない落ち着きようで、挑発するように言った。

「教えてやんないよ。学校へも戻らない。誰がお前の言うことなんか聞くか!」

 単にこの前明由美の話に出てきたこの男のことが気にくわなかっただけかもしれない。
 明由美は逆に大慌てだ。

「お兄ちゃん、早く逃げなきゃ!」

 急かして腕を取るが、改斗は明由美の焦りなど構わずその手から傘を奪った。

「というわけで先生、頼みまっす」
「仕方ないな。私も捕まりたくはない。後で事情を説明してもらうぞ」
「りょーかい! 明由美!」
「え?」

 突然手を引かれ、明由美も傘を持たされる。
 二人で持って、二人で構える姿勢。

「俺が集めるから、明由美はクマに注いでくれよ」
「あ、うん」

 そういうことか。召喚しても魔物に力を与えるには、やはり二つの力が必要不可欠だ。

 明らかに攻撃態勢に入った二人を、警備員たちは不思議に思った。無理もない。彼らにはそれが、傘一本で立ち向かうように見えたのだから。
 もちろんクライドだってそう取った。しかしあまりにも不自然すぎる姿に、逆に疑問を抱いた。
 傘は傘でもあれには何か別の意味が隠されていないか?

「取り押さえてくれ!」

 咄嗟の判断は正しかった。しかし遅かった。叫んだと同時に、赤い光が視界を焼いた。
 炎だ。前方から大きな炎が闇を退けて渦を巻き、襲いかかってきた。

「リグ!」

 大きな翼を広げ、緑の巨体が舞い降りた。呼んですぐの反応は、昨日の夜見せた身のこなしで証明済みだ。
 着地前の翼の一振りで炎の勢いは止まり、こちらには届かなかった。
 いや、初めから届かないようにしていた?

 クライドの魔物、リグレーグが完全に着地したのを見計らって、クライドが慣れた身のこなしで相棒に乗り込む。

「俺は奴らの後を追います。後は任せます」

 魔物は主の言葉が終わるのを待って、翼を羽ばたかせた。一振りで浮き上がる巨体はまるで重力など関係ないかのように飛び上がる。今度は容赦ない風の乱舞を巻き起こし、飛んでいく。
 高い塀を飛び越えて、瞬く間にクライドと魔物の姿は塀の向こうに見えなくなった。

 目まぐるしく変わる状況に、やっと他の警備員たちが我に返る。前方に目標なし。学校を囲う分厚い塀は、ドロドロに溶けて穴が開いていた。
 二人はそれを可能にした犯人が、クマの形をした魔物の仕業だとまだ気づいていなかった。
 だから、報告しようにも何をどう説明したらいいか、見当もつかなかった。




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