ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

2.召喚士を目指す兄妹 ー講堂にてー

 テストが明けてもうすぐ三週間が経とうとしていた。今年の合格者は三人。例年に比べれば多い。
 ここ、召喚志学校では。

「召喚士とは、この空気中に漂う採流さいりゅうを器に宿らせ、魔物を生み出し、使役する者のことを言います。では、彩流とはなんですか?」

 先生が教壇に立ち、段になっている講堂には生徒たちが等間隔に座っていて、質疑応答をしている。いつもの授業風景。
 先生は生徒の在籍年数によって問いの質を変えるが、今日は最も基本的なことを生徒に訊いていた。
 指された生徒が立って、大きな声で答える。

彩流さいりゅうはこの世界の息吹であり、命です」

 その答えに頷いて、先生はさらに質問した。

「では、魔物とはなんですか?」

 先ほど答えた生徒とは別の生徒がよどみなく答える。

「彩流をまとう力――魔力を注ぎ込み、命が宿ったものです。私たちにとってはパートナーとなる存在です」

 今度も満足そうに頷く。
 そこまで言わせて、先生は教壇に両手をつくと、声を張り上げた。

「この世界に存在する生命の息吹――彩流は、あなたたちの側を片時も離れず取り巻いてくれています。自分の力を信じなさい。これは合格した三人だけではなく、不合格であった皆さんにも言えることです」

 長い黒髪を後ろで結い上げた、厳しい目を向ける女教師は、講堂に集まった生徒たちを前に堂々と演説するように言い放った。どれだけそれが大事なことか窺える、力の入った言葉だ。
 
 それと同時進行で力の入った雑音が聞こえるのは気のせいではない。
 先生はそれを無視して続ける。

「明日は六会むつあいの日、召喚の儀が行われる日です。合格者三名はしっかりと休息を取りなさい。体調を万全にしておくことも、りっぱな召喚士の務めです」

 一呼吸置く度に同じく止む雑音。つまり、先生が話している時に雑音を発生させているということ。
 わざとらしいそれに、先生の額にはすでに青筋が。
 咳を一つ。また雑音に混ざってしまったために、間を置く効果は半減していたが。

「最後に私からアドバイスです。召喚された彩流の集合体、すなわち魔物は、命の失われたものに宿っているといっても、生きているということを忘れてはなりません」

 返事をするように雑音は続く。

「宿り、動き、温もりを感じられれば自ずと分かることですが、相手も生きているのだということを肝に銘じておきなさい」

 せっかく威厳に満ちた教師を決め込んでいるというのに、雑音のせいでまったく決まらない。しかもその雑音で所々内容がかき消されている始末。
 拳に力を入れてぐっと堪えているが、先生の怒りもそろそろ限界に達しそうだ。

「それが信頼に自然と結びつく手助けとな……」

 気を取り直してまた話し始めたが、今度は一際大きな雑音が講堂を埋め尽くした。生徒たちも堪え切れず密かに笑い出す。
 これにはさすがに、先生の堪忍袋の緒が切れた。

「改斗!」

 講堂に響き渡る何よりも大きい怒号の反響。名前を呼ばれたのはもちろん、今の今までいびきを発し続けていた生徒。
 先生の目はもう授業の邪魔でしかなかった改斗にだけ注がれている。
 しかし当の本人が起きる気配はまったくなかった。怒号が聞こえて一端止まった鼾も再開する、肝の据わりよう。

 改斗の隣に座るルームメイトが、面白がりながら横っ腹を突っついた。

「ほら改斗。お呼びだぞ」

 三、四回突っつくと、大音響でも起きなかった改斗もさすがに目が覚めたようだ。

「んあ?」

 よだれの跡そのままに、改斗は寝ぼけ眼で教壇の方に顔を上げる。突っ伏して寝ていたので、眼鏡が大幅にずれてしまってよく見えていないらしい。
 先生の怒りの形相を目の当たりにしなかったのは、幸いだったかもしれない。凛として鋭い目がさらに睨みをきかせているのだ。笑っていた生徒なんてその形相に口を噤んでしまったくらい。
 これで改斗の席が近くて、先生によだれの跡なんか見えていたらどうなっていたことか。想像に難くない。

「改斗! ここにいる一握りの生徒は、一年に一度しかない明日に臨むのです。一握りだからといって妨げていいというものではありません! あなた以外の生徒は真面目に話を聞いているのですよ! それは、いつか自分もという強い意志を持っているからです。あなたは何もないのですか! これからまた頑張ろうという気は皆無なのですか!」

 ここで背筋を伸ばして息を呑んでくれれば先生としては言い甲斐もあるのだが、改斗はまだ完全に目覚めていないらしく、耳から入った言葉は脳を素通りしている模様。
 それがまた神経を逆撫でするのだが、先生は怒りをぐっと抑え、怒気をため息とともに吐き出した。自分でもよく抑えられたと思う。

「あとで前に下りてきなさい。はぁ……もう。少しは妹さんを見習いなさい」

 ねえ明由美さん、と右中段手前に座ってちょっと驚いた表情を向けているであろう改斗の妹に同意を求める視線を送る。
 あくまでもそういう彼女に向けた、共感を求める苦笑だったのに。

「せんせー。明由美さんも寝てまーす」

 バキ。教鞭の折れた音。
 一瞬にして先生の顔が雷雲のように暗転した。

「二人とも廊下に立ってなさい!」





 ほどなくしてチャイムが鳴り、廊下に立たされていた改斗と明由美は講堂に入ってくるよう言われた。
 廊下へ出る生徒数人にすれ違いざま声をかけられる改斗。これから説教が待っているというのに、それを茶化す友達の言葉を笑って返すものだから、これから戦いに赴く同志を見送っているの図、になっている。

 女教師は目を細めて二人を迎えた。細めた奥に光る青い双眸が物語っているものは怒りと呆れ。特にそれを放たれているのはもちろん改斗。
 先生は前に立った二人を交互に見て、改斗にまず説教を始めた。

「改斗。この頃居眠りが多いですね。以前から怠惰な生徒だとは思っていましたが、この頃は顕著過ぎます。もっと他の生徒のことを考えなさい」
「ってことは考えれば居眠りオッケーですか?」
「そういう問題ではないでしょう? 居眠り自体本当はいけないのです。授業に集中すれば眠る暇なんてないでしょう? 真面目にやりなさい」

 改斗は腰の部分から側面が切り分かれている長衣の制服を押し上げ、灰色のズボンのポケットに手を突っ込んでやる気なさそうに立っている。
 説教する甲斐がない。

「こういう時くらい真面目に聞きなさい。はぁ……三週間前の試験まではまだやる姿勢を感じたのに。いいですね、邪魔だけはしないように。騒音だけはやめてちょうだい」
「へーい。努力します」

 まだ寝ているのか、欠伸混じりの気のない返事。聞いていないように見えて、実はちゃんと耳に入っている改斗だ。
 そう思いたい。
 先生はまたため息を吐いて、今度は明由美に向き直った。

「それから、明由美さん。熟睡していたようですけど、どうしたの? 珍しいですね。夜更かしですか? それとも授業がつまらないですか?」

 改斗と違って、明由美に対しては心配する口調だった。説教というより問いかけだ。

「すみません」

 明由美は本当に申し訳なさそうに頭を下げた。首の辺りで切りそろえられた栗色の髪が、頬にかかって揺れる。
 明由美の謝罪は心からの反省が見て取れるため、先生はそれ以上問い詰める気になれなかった。なんたって普段は真面目な優等生なのだ。一度居眠りをしたからといって怒りたくないのが本音。

「もしかして改斗がくだらないことで振り回しているのではないでしょうね?」

 先生の視線が座り、再び改斗へ向けられたので、明由美は慌てて否定した。

「ち、違います、兄は関係ありません。今年の……今年の試験にも落ちてしまって、いろいろ考えていたら眠れない日が続いてしまって。本当にすみませんでした」

 再び頭を下げる。礼儀正しくて真面目で、自分に非があれば素直に謝る。なんてできた生徒なのか。
 先生は改斗に向けた睨みを哀愁に変えて、明由美を見つめた。

「そう。あまり気にしないようにね。間違ってもお兄さんのようにはならないでね」
「はい」
「せんせーい。扱いがまったく違うんですがー」

 コホン。一つ咳払いをして、先生は少し明由美から距離を取ると、背筋を伸ばした。

「二人とも、テストがうまくいかないからといって悲観してはいけませんよ。合格しなかったとはいえ、あなたたちもいつかは召喚をする日が来ると思っています。その日のために努力は怠らないように。明日の召喚の儀はしっかり見ておきなさい」

 最後に改斗にまた鋭い視線を向け。

「邪魔だけはしないように」

 そして笑顔になり。

「以上です。戻っていいですよ」

 明由美はまた頭を下げた。改斗はまた生返事をして、ポケットに手を突っ込んだまま講堂を出る。
 明由美が後ろから駆け足で追ってきた。
 妹が追いついたところで、改斗が話し始める。

「レージュ先生ひどいよなぁ。嫌みったらしい」

 口を尖らせてはいるが、改斗の表情は楽しそうだ。

「もっと言われてもバチは当たらないと思うな、私」
「ひっでぇ」

 二人は講堂沿いの廊下を歩きながら雑談で盛り上がり、寮へと分かれる廊下で立ち止まった。

「じゃ、またな」
「うん。……零時に」

 互いに手を上げ、手を振り、兄妹は左右に分かれた。残されたのは突き当たりにある掲示板だけ。

 と思ったら、数秒して廊下から消えた改斗の頭が顔を出し、掲示板の前まで戻ってきた。
 六芒星の形をした画鋲で四隅をとめられた白いプリント。テストの採点が終わってすぐに張り出されたものだ。
 その一部にはこう書かれていた。

 魔力値 一位 改斗
 操術値 一位 明由美
 総合値 ………………………………………………九十五位 明由美  九十七位 改斗 百名中

 その順位を見る改斗の顔には、いつもはない、じっと見据える真剣さがあった。
 各能力値の順位――魔力は改斗が学校に来てから三年間ずっと、操術は明由美が二年間、二人とも一番を保っている。総合値はまったく同じというわけではないが、九十番台を常にキープするような状態だ。
 二人の特徴をこれほど端的に表したものは他にはないだろう。

 召喚に必要とされる、彩流を集める力「魔力」と、それを器に宿す力「操術そうじゅつ」。これは召喚時もさることながら、その後生まれた魔物に力を与えるのにも必要不可欠な力だ。どちらかがいかに優れていようとも片方が欠けていては、まぐれで召喚できたとしても魔物を制御していくことはできない。
 合格するのにどちらも九十以上の値が必要となるのは、このためだ。

 しかしこれでは二人は一生かかっても正規に召喚を行うことはできない。双方に足りないものを正規ではないやり方で埋めるしかない。
 その最も単純な方法が、二人召喚。

「明日、か」

 いつもはない、言葉に含まれる重さ。現実を再確認することが、自分たちが選んだ道を改めて教えてくれる。
 この道を選ばなければならない理由。選んだことで負わなければならなくなった覚悟。そしてそれらを反映した思い。改斗は改めて教えられるだけでなく、再確認することでこれらの意識を高めようとした。
 初心に帰ることは冷静に自分を見つめ直すきっかけを与えてくれるから。
 改斗はその順位表に軽く拳を叩きつけた。

「やってやる。見てろよ」

 毅然と、進むべき道を改斗はまた歩き始めた。


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