巡り物語

観楽

スレンダーマン


 これは私が子どもの頃に経験した話よ。実は私、小さい頃はアメリカに住んでいたの。ええ、そう、いわゆる帰国子女ね。あら、かっこいいだなんて、うふふ、ありがとう。でも、そんなに大層なものじゃないのよ、本当に。アメリカに住んでいたのは四歳くらいまでで、引っ越して日本に来てからはずっと日本育ち。ほとんど日本で育ちましたって言ってもいいくらいよね。もうちょっと暮らしていた期間が長かったら私の英語の成績も、もっと良くなったのかしら。

 子どもの頃、私、絵本が大好きでね、中でも特に好きだった絵本があるの。ジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』。タイトルだけならあなたたちも知っているんじゃないかしら。なにしろ名作文学だしね。孤児院の女の子が資産家の男性に才能を見込まれて、彼と手紙のやりとりをして、やがて成功するっていう話なんだけど、ええ、まあ、ありがちなシンデレラストーリーよね。でも、幼い頃の私はもちろん、そんなストーリーなんてわかっていなかった。ただ、『あしながおじさん』っていう言葉の響きが好きだったのね。母に買ってもらった絵本をいつも抱えて、鼻歌混じりにページを開いて読んでいたらしいわ。それで、私はいつも母にこう言っていたの。『あしながおじさんと会ったよ!』って。母は私が近所のおじさんのことを『あしながおじさん』って呼んでいると思ったみたい。でも、私は本当に会ったことがあるの。本物の『あしながおじさん』に。

 あなたたち、『スレンダーマン』って、聞いたことあるかしら。ええ、そうよ、都市伝説。海外のね。背がひょろりと高い、黒いスーツを着た男で、顔はのっぺらぼうっていう、ね。『暗くなるまで外で遊んでいると、スレンダーマンに攫われるぞ』って。今にして思えば、ほら、ナマハゲとかと同じで、つまりは『言うこと聞かないとひどい目に遭うぞ』っていう、まあ、言うなら、大人たちが子どもに言うことを聞かせるための、都合のいい怪談みたいなものね。私が子どもの頃もよく言われていたものだわ。アメリカではとにかく定番だったのよね。

 なにせ子どもの頃の記憶だからはっきりとしないところもあるのだけれど、あれは私が三歳くらいの頃だったと思うわ。私の両親は共働きで忙しくて、親がいない間、私はよく近所の子どもたちに面倒を見てもらっていたの。住んでいたところが住宅街で、年齢の近い子たちが多かったからね。アレンとナンシー、ジョン、トニー、それと私。私が一番年下だったわ。ジョンとナンシーが十歳で、アレンが七歳、トニーが六歳よ。トニーはよく嫌がらせをしてきたから私は嫌っていて、アレンとは仲が良かった。ジョンとナンシーは当時の私からすればまさにお兄ちゃんとお姉ちゃんって感じね。私たちはいつも近所にあった公園に集まって遊んでいたの。

 ある日のことよ。みんなでかくれんぼをしていたの。アメリカにもあるのよ、かくれんぼって。ハイドアンドシークっていうんだけどね。もう夕方くらいの時間になっていたわ。あの時は、そう、ジョンが鬼だった。みんなといっしょにわあっと散らばった私は、ナンシーに手を引かれて木陰に隠れたの。それで、じっと息をひそめて、身体を小さく丸めていたの。ナンシーはみんなを探しているジョンの様子をちらちら見ていて、私は彼女に抱っこされたまま、じっと前を見ていた。そうしたらね、俯いていた私の視界に、奇妙なものが映ったの。痩せていて、ひょろりと長い影。身体と比べて、足がとても長かった。私はジョンに見つかっちゃうと思っていたから顔を上げられなくて、ずっとその影だけを見ていた。そうしたら、その影は足音もないまま、ふっと消えたわ。なに、足が長いのは、それが影だからじゃないかって? もちろん、そうかもしれないわ。『あしながおじさん』みたいに、私が影を見て、足が長い人だと思った。ただ、それだけの話なのかもしれない。見つかった後、ナンシーに影のことを聞いてみたのだけれど、彼女は見ていないみたいだった。ナンシーはジョンのことを見張っていたから、それも仕方がないことなのかもしれないけれど。

 私とナンシーはあっさり見つかって、アレンも私たちの後にすぐ見つかったわ。でも、トニーが見つからない。降参だって大きな声で叫んでも出てきてくれなかった。仕方がないからみんなで手分けして探すことにしたの。公園といっても大きな敷地じゃない。それなのに、どこを探してもトニーは見つからなかったわ。公園の外に出たとしか思えなかった。それで、みんなトニーは家に帰ってしまったんじゃないかと思ったの。もう夕方も暗くなりかけていたから、私たちはそのまま家に帰ったわ。みんなと家に帰っている時、私はふと、道の向こうに歩いていく人影を見た。細くて長い人影と、手をつないだ子ども。人影が振り向いて、私たちの方を見たような気がした。けれど、すぐにその影は夕焼けの中に溶けていくように消えていったわ。

 その晩、トニーのママから電話がかかってきた。トニーがまだ帰っていないって。ジョンとナンシーが説明して、かくれんぼでトニーが見つからなかったってわかると、大騒ぎになった。警察も出動する事態になって、近所の大人たちみんなで公園や近所を探し回ったわ。でも、とうとうトニーは見つからなかった。

 私が引っ越したのは、それから一年と経たない頃。近所で、しかも娘と一緒に遊んでいた子どもがひとり、行方不明になったのだから、親としては不安になって当然ね。今でも彼らとは連絡を取り合っているわ。一年に一回くらい。ジョンと、ナンシーと、アレン。トニーは、まだ見つかっていない。遺体すらもね。誰もトニーのことを話題には出さない。まるで、何かを怖れているように。

 人影のこと? もちろん、伝えたわよ。私が見たことは全部。私だけじゃなくて、ジョンも、ナンシーも、アレンも。帰る時に、夕日に吸い込まれていったその人影を見ていた。私たちが見たありのままのことを伝えたわ。でも、大人たちは誰も信じてくれなかった。私たちがいたずらで言っていると決めつけたの。

 あの頃の思い出は随分と薄れてしまったけれど、あの茜色の帰り道の光景だけは、まるで写真でも撮ったみたいに鮮明に頭に残っているのよ。手をつないだ子ども。逆光で顔に影が差していたけれど、あれはたしかにトニーだった。私はそう、確信を持っているわ。どうして大人たちは信じてくれなかったのかって? 簡単な話。私たちが伝えた男の特徴が、大人たちにいたずらだと思わせたの。同じことを言ったのだから、私たちが口裏を合わせていると思ったんでしょうね。みんながあの時、同じ光景を見ていた。痩せていて、ひょろりと長い身体。振り向いたその頭には、顔が、なかった。

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