巡り物語

観楽

前語り



 青白い月が雲間を縫って妖しくぼうっと揺らめいていた。虫のさざめく声が遠く聞こえる中を、私は草の根を分けて歩いていた。前日に届けられた手紙に同封されていた地図を見ると、目指す場所はすぐ近くであるらしい。携帯ではなく今時珍しい手紙という連絡方法を主催者が用いたのは雰囲気づくりのためとのことである。やがて、生い茂る低木の隙間からうっすらと浮かび上がるように一軒の建物が見えた。私は知らずほうと息を吐く。何もなかろうとは思っていても、丑三つ時にも至るかと言わんばかりの深夜にひとりで出歩くのはやはりどこか心細い。夏場だというのに不思議と肌寒いのも、それ故であろう。その建物はいかにもな古めかしい寺であった。手紙の送り主の言うところによると、管理人との交渉によって一晩だけ借り受けたという話であったが、遠目に見るとそこはまるで既に放り捨てられた廃寺であるかのようである。仄かな明かりが部屋の中に見受けられなければ、なおさらそう思ったであろう。私は靴を脱ぐと、軋んで泣き喚く縁側を踏んでところどころに穴の開いている障子戸を引き開けた。
 中では四人の人間が円状に顔を突き合わせていた。そのうちのひとりがやあと気さくに手を挙げる。今宵の集まりにおける私の知り合いは彼だけであった。他は知らない顔ばかりである。私はそれに応じつつ、ひとりが開けてくれた円の隙間に腰を下ろした。生来の人見知りが私の心中で暴れ出し、私は少し身を縮こめる。先ほどまでぽつぽつと交わされていた会話が私の闖入のせいで気まずい沈黙に変わったのであろうかと考えてはなおさらに居心地が悪い。私はもぞもぞと畳に押しつけた尻の収まりを直した。

「さて、全員集まったね」

 どうやら、来たのは私が最後であったらしい。最初に手を挙げて挨拶を交わしてきた男が口火を切った。白いシャツの上に黒い上着を羽織っている彼の、普段こそ爽やかな笑顔が蝋燭の灯に照らされて影が差している。それはいっそ笑顔に溢れる好青年めいた明るさすらも不気味の雰囲気に彩っているかのようだった。

「それじゃあ、初対面の人も多いだろうから、まずは自己紹介していこうか。といっても、僕が連絡を取れる人を集めたわけだから、僕の名前は知っているだろうけれども、とりあえず、ね。僕は播磨はじめという。K大学の卒業生で、今は銀行員をしている。映画サークルのOBで、今宵の集まりの主催者だ。よろしく」

 彼は言い終わってにっと笑った。彼は私の先輩である。彼の在学中には随分と世話になった。映画サークルでの彼は大勢の人間を束ねる部長であり、人を動かすリーダーシップと映画に対する情熱は一種特筆すべきものがあった。製作した映画は学園祭でも話題になるほどの大盛況を記録し、今でも語り継いでいる熱狂的なファンが多い。

「二宮希子よ。今日はよろしくね」

 次に口を開いたのは播磨先輩の隣に座っている女性である。彼女の自己紹介によると、播磨先輩の恋人であるらしい。彼女は思わず見惚れてしまうほどの美しさであった。艶やかな黒髪が陶器のように滑らかな肌を白く際立たせ、輝くような胸元が薄暗闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。その女神もかくやとすら思える美貌はしかし、揺らめいた蝋燭の灯りの帳の奥ではどこか美女の姿を偽っている狐狸などの化生の類であるかのようなぞっとする悍ましさを纏うのであった。白いワンピースを纏っているすらりと伸びた肢体は清楚な令嬢とも言わんばかりであるが、長い睫毛の下に隠された瞳はいっそ子供のような好奇心と興奮に満ちており、むしろ彼女の本質が気が強く活発なことを象徴しているかのようである。

 次に自己紹介をしたのは私であった。人前で話すことに慣れていない私は大層緊張しており、ぽつりぽつりと零すように吐き出した言葉も彼らもさぞ聞きづらかったであろう。ようやく短いながらも永遠の如き感じられた自己紹介を話し終えて安堵の息を吐くと、気づけば播磨先輩と二宮先輩がどこか生暖かい目線を私に向けており、私は思わず頬を赤らめて小さくなった。私は播磨先輩と同じ映画サークルに所属している。とはいえ、映画の出演は隅っこを通り過ぎる端役が精々といったもので、私はもっぱら裏方として彼の指示に奔走していた。しかし、要領の良くない私はしばしば失敗を繰り返し、それが逆に多くの人間と関わる彼に私の存在を印象付ける結果となったようである。我ながらなんとも情けない覚えられ方ではあるが、その縁でこうして卒業後も連絡を取るような間柄になったのだと考えると、世の中何があるのかわからないものだと思わざるを得ない。播磨先輩が言うには、私は彼が昔飼っていた猫にそっくりなのだという。それを聞かされて微妙な面持ちになったのも、もう一年以上以前の話である。

 「四条恭弥。よろしく」

 淡々とそう言ったのは私の隣に座っている男であった。自己紹介している最中すらも口角を上げることはなく、ごっそりと表情の抜け落ちたような冷たさを貼りつけている。男性にしては長めの前髪が額を隠し、黒縁の眼鏡の奥に光る鋭い視線が彼の怜悧さを湛えているかのようだった。長身痩躯を白いワイシャツの内に包み、袖からは意外と筋肉のついている腕がすらりと伸びている。自分のことを語る声色からは何の感情も窺うことができず、彼の人となりは語る内容から覗き知ることをおいて他に方法がなかった。彼は播磨先輩と十年来の付き合いのある親友同士であるらしい。見るからに活発なスポーツマンのような風情を持つ播磨先輩と、対して運動の一切できない病弱の美少年と言わんばかりの四条先輩の組み合わせは誰から見ても不思議に思うようなものであるが、彼らはそんな周りの声など些事として受け取らず、親交を深めていたとのことである。実際、二人が話しているところを見ると、明るい冗談や内面から溢れ出るバイタリティで人間を動かすことに長けるも暴走しがちな播磨先輩と、それを冷静沈着な落ち着いた物言いで軌道修正していく四条先輩はこの上なく相性のいい相棒といった様子であった。大学を卒業した彼は大企業に就職し、営業職として活躍しているらしい。彼のような不愛想で果たして営業職が勤まるのかと思いはしたものの、若手ながら業績は極めて優秀であるとのことである。

 「灰谷吾郎」

 四条先輩と播磨先輩の間に座る男に視線を遣った。実のところ、私は部屋に入ったその時から彼におのずと視線を引き寄せられていたのである。その異様な存在感は他の三人が自己紹介をしている最中にも私を煩わせた。まず彼は縦に線の入った紺色の着流しを着ていた。合わせられた下から覗く胸元は青白く、空に浮かぶ月を見ているかのようだった。その衣服は時代錯誤的でありながら、しかし、あまりにもこの雰囲気には合致している。他の参加者も浴衣であったならばさぞかし絵になったであろうが、彼らが涼しげな若者らしい服装であるからこそ、より一層浮きだって見えるのだった。よほど今宵の集いに気合を入れてきたのだろう。口元は隣に座る四条先輩とは対照的に常に妖しげな笑みを湛えており、色の薄い唇の隙間からは歯が覗いていた。肌は胸元と同じくして青白く、蝋燭の灯りの内にぼんやりと浮かぶ有様は見るだに不気味である。しかし、何よりも異様に思えるのは彼のその瞳だった。虚空を覗き込むかのような暗い眼差しは蝋燭の灯りに照らされてもなお光が灯らない。どんよりと澱むようなその視線は、さながら沼地の底に沈む怪物のようであった。そんな彼の目線はどういうわけか、播磨先輩が話している時も、二宮先輩や四条先輩が話している間も、始終私にだけ向けられているようなのである。彼と知り合いであるはずはなかった。私が今宵の集まりで知っているのは播磨先輩だけで、他の人間はどれだけ記憶を辿っても知らない。もしや入ってきた時に何やら粗相をしたのだろうか。しかし、私の行動を思い返してみても思い至る点などなく、となれば、私はより一層彼が私を見ている理由がわからないのだった。彼は自分の名前を言ったきり口を閉ざして黙り込んでしまった。そして、再び私に視線を投げてはにやにやと気味の悪い笑みを浮かべているのである。

 「それじゃあ始めようか、夏の夜を彩る余興、百物語を」

 播磨先輩は蝋燭を一本、手元に引き寄せる。灯りが彼の顔を下から照らし、暗闇の中で普段の彼からはかけ離れた凄味のある凄惨な笑みを浮かび上がらせた。

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