夢奪われた劣等剣士は銀の姫の守護騎士となり悪徳貴族に叛逆する

水都 蓮

流れる血の色は(7)

 全身から出血したエルドであったが娘の治癒術により傷はすっかり塞がっていた。


「ひとまず外傷は塞ぎましたが、身体の内側の傷までは完全に癒えていませんので、しばらくは安静にしてくださいね」


「ありがとう。おかげで助かったよ」


 絞り出すようなか細い声でエルドが礼を言う。カイムもその様子を見て安堵する。


「それにしても伝承の獣に酷似した魔獣か。守備隊の話じゃ元人間ってことらしいが……」


 カイムは恐る恐る獣に近づいてみる。しかし、獣はぴくりとも動かずまるで石像のように硬直していた。


「やったか?」


 脳みそまで筋肉でできたエルドの一撃をくらって果たして無事なのかという別の危惧こそあるが、少なくともカイムの目から見て命を奪わずに無力化させるということには成功しているように見えた。


「カイム、何か失礼なこと考えてない?」


「とんでもない」


 しかし、一瞬背中を見せたカイムの隙を突くように突如獣が目を覚ました。


「なっ!?」


 獣は翼をはためかせて勢いよく跳躍してカイムに襲いかかる。


「しまっ――」


 カイムは完全に背後を取られた形となり、防御が間に合わない。エルドも即座に大剣を拾い上げ立ち上がろうとするが極度の疲労から思うように身体が動かない。


 それでも何とか剣を届かせようと気力を振り絞ろうとしたその刹那、青白い光芒がエルドの肩をかすめる様に無数に放たれ獣を貫いた。


「ガァッ……」


 その一撃に完全に魔力が尽きたのか、今度こそ獣は倒れ伏して動くことはなかった。


「みんな、大丈夫?」


 声の先には二挺の拳銃を構えたフィリア、そしてキシュワードが立っていた。どうやら先程の銃撃を放ったのはフィリアの様であった。


「最後まで油断するなってカイムの口癖でしょ? しっかりしてよ」


 カイムの元へと詰め寄ったフィリアが小言を浴びせかける。しかし、こればかりはカイムも反論のしようがなかった。


「いや、面目ない。まさか、フィリアに助けられるなんてな……」


「もしかして馬鹿にしてるの? いい? もう少しで命がなかったかもしれないんだよ? 反省して」


 普段はおどおどしたものだが、こうしてカイムらが無茶をしたときのフィリアは強気である。
 だが、それも彼女なりにカイムらを思いやるあまりの言動であることはカイムも十分理解していた。そうした彼女の必死な想いに触れて思わず、頭に手が伸びた。


「いや、感謝してるよ。ほんと助かった」


「そ、そう? それなら良いけど。でも恥ずかしいからやめて……」


 言動とは裏腹にフィリアはそれを払いはしなかった。


「ちょっとカイムー、見てるこっちが恥ずかしいよ」


 しかし、それを茶化すエルドの声にハッとなり即座に手を引っ込める。フィリアは一瞬名残惜しそうな表情を浮かべたが、すぐに咳払いをして何事もなかったように気を取り直す。


「でもキシュワードさん無事で良かったです。先程あんな風に別れてしまったから……でも、どうしてフィリアと?」


「彼女とはいとこ同士でして。でも店にいらしたお二人がフィリアの友人だとは思いませんでした」


「不思議な巡り合わせってやつだな」


「それにしても、まさかこんな恐ろしい魔獣を倒すなんて。素晴らしい腕ですね。でもどうしてこれほどの獣を使役して……」


「ああ、それはだな……」


 カイムが獣へと視線をやる。つられてキシュワードも視線を向けると、やがて獣の身体から黒い靄のようなものがにじみ出始め、霧散していった。それに連れて獣は異様にやせ細った男の形へと変化していく。


「な、これはどういうことですか……?」


 キシュワードが驚嘆の声を上げる。無理もないだろう。獣に変貌していたのはイシュメル人の男であった。エルドたちもまた目の前の光景を目の当たりにしてもなお信じられなかった。
 人も魔獣も共通の祖先に持つとは言われているが、それでも分化した両者が互いの姿に変化するという現象は聞いたことがない。
 それも今回の変身は聖典に記された獣の姿である。仮にも女神の加護を受けた生命に起こりうる現象とは到底思えなかった。


「こうして目の当たりにすれば、これが視覚や認識を操作する幻惑魔法の類じゃないってことはよくわかる。間違いなく何らかの原因でこの男が肉体を変質したんだろうな。だがエルド、そんな魔法聞いたことあるか?」


「竜に変身した賢者の話なら本で読んだことあるよ。だけどあれは先史文明時代の出来事なんだよね」


「世界が割れる前の、まだ人が獣に近い容姿をしていた頃の魔法、先史文明魔法か。今でも先史文明文字は現代魔術の起動に使われたりもするが、当時開発された魔術の方は世代を重ねて霊子の経脈が変化した俺らじゃまともに扱えないって話だが」


 先史文明魔法は、生涯を魔道の秘蹟探求に捧げ、遍く存在する霊子に近い存在へとその身を変質させた賢者がようやく会得できるものである。並の人間が扱えるものでは到底ない。


「彼がそれほど魔道に造詣が深いっていう可能性もなくはないけど……」


 人智を超えた賢者というものは身にまとう空気が常人とは異なる。だが、目の前の人物からはそのような超越者然とした雰囲気は感じられなかった。むしろ素朴な若者といった雰囲気だ。


「別に術を施した存在がいるのか、はたまた人知を超えた古代遺物によるものか……」


「それも気になるんだけど、僕はどうして彼らがこんなことをしたのか気になる」


 エルドが地面に倒れ伏したイシュメル人に視線を移す。


「そうだな。今回の件はあまりにも手が込んでる。わざわざ騎竜を持ち出すなんて、仮にも一市民に出来ることじゃない」


 一般的に人が騎乗するのに適した竜は、飛竜種と呼ばれている。
 竜種の中でも翼がエラの様に両腕に備わった、馬よりも一回り大きい程度の中型種である。


 この国にも生息はしているが、アルビオン種は非常に気性が荒く、手懐けるのは困難である。そのため騎乗用の竜は輸入に頼っており、国内でも一部の騎士団でしか運用されていない。


「キシュワードさん、イシュメル人は竜を足として使う機会は多いものなんですか?」


「いえ、砂漠には生息しない生き物ですので。馬や乾燥に強いラプトル種ならよく乗り回してはいたのですが」


「そもそも今アルビオンで騎竜を手に入れるのは難しいよ。北方最大の産地である東のシュネーヴァイスとは現在交易していないし、帝国産は言わずもがなだし」


 商人の娘であるフィリアが言うのであれば間違いなくそうなのだろう。


「だがその困難を乗り越えてまで連中は用意したってわけだ。確かに空からの奇襲は効果的だ。国境付近なら天馬騎士団が最大限に警戒しているが、内陸では過去空から奇襲された例はないからな。防空のために天馬騎士も配備こそされているが、対応できないのは今回の通りだ。一体何が連中にそうまでさせたのやら」


 カイムは思案げにあごをさする。その様子を見て、フィリアは気まずそうにキシュワードを見やる。


「あ、あのね、カイムもエルドも誤解しないでほしいんだけど、本来イシュメルの人は穏やかな人達ばかりで他民族に対して攻撃をするってことは殆どないの。身を守るときや傭兵として雇われた時は別だけど……」


 フィリアは必死な様子で弁明をする。イシュメルの血を引くものとして他人事ではないのだろう。


「カイムも僕もわかってるよ。歴史を学べば、イシュメル人が平和を愛してきたことは明らかだ。それに、入植以来国内各地の治水事業に従事して大規模で精巧な下水施設を完成させたのは彼らだ。だからこそ不可解なんだ。どうしてこんなことになってしまったのか、こんな大勢の罪の無い人に犠牲を強いるようなやり方、どうして? 彼らに一体何が起こったんだ……」


「エルドさん……」


 エルドの言葉には多くの人々が傷付けられたことへの怒りと、それを実行した相手への葛藤が籠もっていた。その言葉を聞き、キシュワードは申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「すみません。別にキシュワードさんを責めるつもりじゃないんです……ただ頭の中がごちゃごちゃして」


「いえ、我々のことをそこまで理解していただけて嬉しいぐらいです。私もなにか分かったことがあれば、お伝えします」


「まあ、全ては今後の捜査の進展次第か……」


 カイムはちらりと守備隊に視線をやった。臆病なことに彼らはこちらと獣化の解けた人間の様子を遠くから伺っているだけであった。どうやら辺りのイシュメル人の制圧に当たっていた者たちがたどり着くまではこちらに任せて監視に徹するようだ。


「心情的に連中に引き渡すのは気が引けるな。せめてハルフォード少佐の部隊だったら安心して引き渡せたんだが」


「そうは言ってもこのアーケードはハーゲン大佐の管轄だ。仕方がないよ」


 今のエルド達に守備隊に口を出す権限など無い。
 たとえ相手が貴族におもねり平民を軽視する者たちであっても、引き渡すほか選択肢はなかった。


「ならば私がこの場を引き継ごう」


 どうしたものかと悩む二人であったが、その時一人の女性が声をかけた。

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