ましろ・ストリート

しーとみ@映画ディレッタント

茜、改名する

女子高生総合格闘技戦 第一試合が始まる。

場所は、プロレス会場だ。
スケジュールの都合上、興業の前座で戦うことになった。

弦楽の旋律に乗せて、照明が星のように瞬く。
厳かなヴァイオリンが奏でられる中、長谷川 茜はリングを目指す。

『さて、長谷川茜選手、ドヴォルザーク『新世界より』の第四楽章に載せて、花道を一歩一歩突き進みます』

大物アーティストによる楽曲も提供されたが、茜はこの曲の使用を頑なに貫き、譲らなかった。
自分にはコレが合っている。格闘のリングは、自身にとってまさに新世界なのだ。このメロディは、再出発にふさわしい。

選手は全て、女子高校生だけで構成されている。とはいえ、ベテランに負けない実力派揃いだと聞く。

「茜ちゃあん、応援に来てあげたわよ」
「ジゼル南武……」

もっとも見たくない人物が、アリーナ最前列に座っていた。
茜はジゼル南部を睨む。

「プロレス転向だってね。どう?」
「ご心配には及びません。ワタシはワタシの前に立つ相手を蹴散らすまで。あんたを稼がせるために動いてるわけじゃないから」

「ひっとーい。もっと優しい言葉はないのん?」
「ないわね。スポンサーを無理やり降ろしてまで私を引き抜いて。何が目的なの?」

茜の問いかけに、ジゼル南武は少しも堪える様子もない。
「そりゃあ、高校生格闘王のベルトを私の元に置くことよん」と言ってのけた。

この女はいつもこうだ。何でも自分の思い通りになると思っている。

ジゼル南武の隣では、クローディア・ピサロが、両手に持ったむき出しのバナナを頬張っている。こちらなど気にも留めていない。

「特等席で見させてもらうわん。手を振り替えしてねん」

ジゼルはそう言うが、茜は首を振った。今すぐにでも、この女の側から離れたい。

「ぶー、せっかくアリーナまで用意したのにー」

不愉快な女だ。どこまで本気なのか見せようともしない。

「そんな怖い顔しないでよん、茜ちゃん。せっかくの美人が台無しよん」

「余計なお世話です。それじゃあ」
入場テーマに乗って、歩を進める。

「悪いね、昨日の今日で声をかけさせてもらった」
既にリング上では、対戦相手であるカレイドスコープの選手が、腕を組んで仁王立ちで待ち構えている。確か、プロレストーナメントのファイナリストだったか。
仮にも藤代銀杏と戦った相手だ。どうなるか。

『さて、この長谷川茜改め覇我音(はがね)選手、モデルでありながら、総合格闘の選手であります。その実力は、格闘トーナメントでどのような花を開くのでしょうか?』

ゴングが鳴った。ただ、茜は棒立ち状態のままで、相手の様子を窺う。

『さあ、長谷川選手、横向きで突っ立ったまま動きません。ただ、相手を睨みます』

対戦相手も動けばいいのに、フットワークを繰り返し、牽制している。

その行為が無駄だとわからせてやろう。
腕を曲げて、一歩踏み出す。それだけで、相手には自分が蛇のような動きに見えたろう。

防御をかいくぐるように、相手の顎に手刀をヒットさせた。

『おっと見えない! 死角からのアッパーカット!』

より深く、懐へ飛び込む。安全策など取らないし、相手にも取らせる気はない。前方に攻め手を集中させる。

ジャブに対抗して、相手レスラーが防御を固めた。

だが、こっちは別の手を加えてみる。脇腹への執拗な打撃だ。手の平で相手の腹に一撃を入れた。

身体をくの字に曲げ、相手選手が膝を崩して倒れた。

観客席では、対戦相手を呼び覚ますように、ギャラリーが歓声を上げる。

まるでゾンビのように、対戦相手が生き返った。
やはり立ち上がるか。これでこそプロレスだ。
しかし、もう終わらせる。

幽鬼のごとく眼差しをこちらに向け、相手が低空で飛びかかる。

とっさに飛び出した茜の膝が、相手を蹴り抜く。

アゴにクリーンヒットして、相手が大きく仰け反って転倒。
今度こそ、動かなくなった。

『ボマイエ! カウンターでのボマイエが決まりました!』

なるほど、アゴへのヒザ蹴りは、プロレスでは「ボマイエ」と言うのか。

『前回のプロレストーナメント準優勝者が、まったく何もできずに脱落! 女子高生格闘技トーナメント、超新星の覇我音選手が、誰よりも早く勝利を手にしました!』

相手を起き上がらせ、退場を手伝う。
勝ち名乗りもそこそこに、マイクを握る。

「私は、血を欲している。だが、対戦相手がいなくなってしまった。だから新天地を求める」

移籍を嫌がっているのか、ブーイングが飛び交う。

「ノーフューチャーなら、私を満足させてくれる相手がいる。長谷川茜は、本日をもって死にました。これからは、格闘家『覇我音はがね』として生きていく。花道は我が産道。マットは我が揺りかご。私は、今日から生まれ変わります!」

リングネームは自分で考えた。
あの女にリングネームまで決められたら、たまったものではない。
こっちはスポンサーを外されたのだ。遠慮はしない。

◇ * ◇ * ◇ * ◇

第二試合も、プロレス大会の前座である。

茜はジャージに着替えた。ピサロのセコンドに立つ。

入場から、ピサロはふざけていた。観客にアメを配り、対戦相手にも差し出す始末。

「なめてるって意味かい?」
相手の悪役レスラーは、ピサロの手を払う。
ピサロの持っていたアメの束が、リング上に散らばる。

「それより、長谷川茜、あんた、社長のお気に入りだからってあたしを差し置いて大会に出ようなんて、一〇年早いんだよ!」
悪役が、ピサロではなく茜に因縁をつけてきた。

「だったら、この子に勝ってから相手してあげるわ」
「なんだと!」

「やめたまえ。相手はミーね」
ピサロはのっそりと割って入ってきた。ショートヘアにちょこんとついたツーサイドアップが可愛らしく揺れる。
けれど、立ち居振る舞いには王者の風格さえ漂わせていた。

彼女がどういったプロレスをするのか。

◇ * ◇ * ◇ * ◇

しかし、期待外れもいいところだった。
長身の敵から、ドロップキックやラリアットの応酬をまともに受け、ピサロはいい所がない。

悪役は、一旦場外へ。客席に手を突っ込み、パイプイスを手にとった。リングに戻って、ピサロの身体にイスを叩き付ける。
ジゼル南武の秘蔵っ子などこんなものなのか?
茜は落胆していた。期待した自分がバカだったか?

イスを叩き込まれているにもかかわらず、ピサロは笑っていた。

「何、笑ってんだテメエ!」
イスを持って、悪役が迫ってくる。

振り返ったピサロが、悪役の顔に、何かを吹き付けた。

悪役の手からイスがこぼれ落ちる。霧状の赤い塗料を浴びせられ、悪役が手で目を拭く。

『あっと毒霧! ピサロ選手、お得意の毒霧を吐いた!』

いったい、どこでそんなモノを?

客席で、子どもが舌を出しているのが見えた。
子どもの舌が、緑色に変色している。

そういえば、彼らはピサロからアメをもらっていた。
アメの中に、塗料を仕込んできたのか。

ピサロは相手を、パイプイスの上に投げ落とす。
コーナーポストを階段のように駆け上がり、ピサロが相手に向かって飛んだ。尻から落ちていく。

落下の衝撃と重量で、敵が押し潰される。
マシュマロのような身体とはいえ、落下のダメージは相当なモノらしい。

『ジャンピングセントーン! トップロープからのセントーン!』

なんて、きれいに飛ぶんだろう。
宙を舞う茜が最初に感じた感想が、それだった。

『ピサロ選手の勝利です! 覇我音選手に続いて本戦出場決定です!』

勝ち名乗りもそこそこに、ピサロは倒れている悪役にアメを含ませた。

突然、悪役が暴れ出す。

スリーパーを決めて、ピサロは悪役の口を押さえ込む。アメを吐き出させない気だ。

『おっと、対戦者が悶絶しているぞ! 何を食べさせたのか?』
悪役は顔を真っ赤にして、汗をかいている。だんだん涙目になっていく。

タバスコ系を食べさせられたと、匂いでわかった。

ノーフューチャーの面々に身体を引き剥がされ、ピサロは退場していく。
ピサロ、どこまでもふざけたレスラーのようだ。

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