ワナビを自称するのをやめてみた

しーとみ@映画ディレッタント

私の頭の中のマツコ・デラックス その2 ――創作で大切なのはマストじゃないわ! ベストよ!――

「実は、前回話した『相談にのる』というセリフなんだけど、『リアルでは通用しない』のであって、小説だと最適解かも知れないの」

「まじか?」

「大マジよ。例えばよ? 上記のシチュエーションが創作内で起きた場合を想定しましょう。そうすると、今後何が起きる?」

「うーん。ヒロインは異性の友人から去って行き、女子に話を聞いてもらう」

「そのケースもあるわ。ただ、その場合は『女性特有の悩み』の場合ね。女性の体質のこととか。もっと他にあるでしょ?」

「誰にも相談できない場合?」

「そうよ。それ」

「なら、『一人で何でも抱え込んで、より落ち込んで、妙な行動を起こしたり』か?」

「そうね。何か深刻な事件の被害に遭ったり。最悪、加害者になるわ」

うわぁ……。

「そうよ。創作ができあがったでしょ?」

なるほど、そうやって話を作っていくと。

相談できなかった少女は、行方不明に。
あるいは、事件に巻き込まれて犠牲になる。
最悪、事件の当事者に、なんてことも。

それで、登場人物は少女の話をするのだ。
「彼女は、何か悩み事を抱えていたみたいだ」と。

そこから、話を膨らませることだって可能である。
言われてみればそうだ。

「正解は確かにあるでしょう。だけど、創作なんだもん。失敗もするでしょ」

創作、小説にトラブル展開はつきものだ。

何もトラブルが発生しない話だと、主人公は葛藤しない。
答えが分かっている人物だと、全部解決できてしまう。
成長も、挫折もしない。

よって、登場人物らは何も学ばない。

「ええ。つまんない作品のできあがりよ」

「そっか。正しくてもダメなんだなー」

「作家なんだもん。そりゃあトラブルを操ってナンボでしょ。『女子の相談にのる、って言っちゃうような朴念仁』は、いい感じにトラブルを起こすキャラになるわ」

時に、キャラの鈍感力も創作には必要なのだ。
キャラには、弱点ありきなのである。
誰かの良い一面が、他の誰かを傷ついてしまうこと。
これを出せたらリアリティが出るのでは。

「つまりね、創作に大切なのは正解マストじゃないの。最適解ベストなのよ」

「マストじゃなくて、ベスト?」

「『相談に乗る』ってタイプを出すなら、災難が起きることを踏まえていれば、出してOKね。小説に『正解マストはない』の。あくまで考え方の一つなのよ。ただ、対象キャラにとっての『最適解ベストがある』だけ。それが作家の頭にある前提で、主人公が何を選択して、正しかったのか、どう間違えたかが問題であって」

マツコ・デラックスは、それを強調した。

「いい? 絶対リアルで『相談に乗ろうか?』なんて言ったらダメよ! 相手に遠慮されてるから! 非モテまっしぐらよ!」

そう言うと、マツコはオレの脳内から去って行った。



●補足:なんで、脳内疑似女子がマツコ・デラックスなん?

太ってるからよ。自分に甘い一面があるからよ。
だから、「正解じゃないかも」って思えるでしょ?

ミッツ・マングローブだとストイックすぎるのよ。
おすピーも達観しすぎてて、ちょっとね。

「正解なんてない」って言えるキャラとしては、マツコ・デラックスは「最適解」と言えるわ。

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