俺の描く理想のヒロイン像は少なくともお前じゃない
Ⅱ.マスコットと転校生
ー6月29日(月)ー
紫陽花坂 恋…。綺麗だったけど、面白い…というか不思議な奴だったな。
昨日の唐突な出会いの余韻に浸りながら俺は『私立 夜桜高校』と書かれた校門をくぐる。
ここ梢枝市の中じゃ学力的に見れば中の上あたりの高校で、弓道部とテニス部が全国常連の強豪校なんだとか。
教室に入るとやけに騒がしくなっていた。
俺が教室に入るなり1人の小柄な男子が俺の下まで急いでやってきた。
「おい、シノ!」
シノ、本名の詩乃からそう呼ばれている。
「おぉ、どうしたハッチー?」
炬燵原 八太、通称ハッチー。最初の席が隣だったことから友達になった。
小柄で瞳が大きく、まつ毛が長い。更に声変わりも本人はしたと行っているが高1の男子にしては明らかに高い声。
ハッチーは総じて愛くるしい見た目に、名字からも連想される温厚な性格と持ち前の明るさで、瞬く間に人気者の地位を確立した。
うちのクラスのちょっとしたアイドルというか、マスコットだ。
まぁ、本人はそんな見た目があまり好きではないらしいんだけど。
「聞いたか?今日、転校生が来るんだってさっ!それも、めちゃくちゃ可愛い娘が!」
ちなみに、女子を見る目はしっかり高1男子だ。煩悩なら108万くらい持ってるんじゃないか?
「知ってるよ。昨日、会ったからな」
俺は何食わぬ顔で返答する。
「マジかよっ!?どうだった?やっぱ可愛かったか?」
ハッチーは目を輝かせ、期待の眼差しで俺の方に迫ってくる。
俺はそのキラキラした視線を横目に自分の席へ向かう。
「うーん、そうだな。顔は確かに可愛かった…いや、綺麗だったけど、ハッチーが思っているような娘とは多分違う」
そう言って俺は窓際の一番後ろの席に座る…はずだったのだが、なぜか俺の席の後ろに更に1つを新しい机と椅子が置かれていた。
嫌な予感がする。
「でも可愛かったんだよな?」
食い気味でハッチーは聞いてきた。
俺は“可愛い”という言葉に違和感を覚えつつ首を縦に振る。
「楽しみだなぁ〜」
キーン コーン カーン コーン…
俺たちの会話はチャイムの音に阻まれた。
「おっ、お待ちかねのHRだっ!またな、シノ」
「おう」
ハッチーはいつもより軽い足取りで自分の席に戻った。
「おはよー、みんな!」
いつもの様に満面の笑みを振りまきながら先生が入ってきた。担任の猫倉 先生だ。
ちなみに、今年で30歳を迎えるらしく絶賛婚活中&彼氏募集中なんだとか。
そして、HRが始まった。
クラス中が明らかにソワソワしていた。
すると、猫倉 先生は遂に言った。
「今日はこのクラスに1人、転校生が来ています!」
先生はドアの方に視線をやる。
ガラガラ
木製のドアが音を立てて横に流れる。
一歩。見覚えのある黒いニーソックスの足がドアの奥から伸びる。
一歩。肩甲骨まで伸びた癖のある髪がフワフワと揺れる。
一歩。凪いだ翡翠の瞳が鋭く俺を一瞬、貫く。
え?今、俺の方を見た?まぁ、一度だけとはいえ顔を見合わせた仲なのだから見られても当然といえば当然か。
教室中に優しい風が流れ込む様な錯覚。クラスの空気が一瞬の内に変わる。
昨日は夕陽とかで分からなかったが彼女の髪は純白というわけではなかった。
それは淡い桃色を帯びていた。
ビスクドールを思わせる日本人離れした容姿にきっとクラスの野郎どもは興奮していることだろう。それは周りを見れば一目瞭然であった。
神に感謝の気持ちを述べるかの様に天を仰ぐ者。
隣の奴と頬をつねり合い夢か現実かを確かめる者。
デタラメに体を震わせ喜びの気持ちを表す者…というか、ハッチー。
初見の時ほどの衝撃はやはり、俺にはなかった。とはいえ、容姿端麗な少女が同級生となるのは嬉しかった。
「それじゃあ自己紹介よろしくねっ!」
先生が元気よく話を彼女にふる。
「紫陽花坂 恋です」
誰もがその後、彼女が何を口にするのか期待の眼差しで見守った。
「………」
ん?
「……………」
…え?以上ですか?
紫陽花坂の合理を追求しきった無駄のない返答に教室内は静まりかえる。
感情の読めない、感情を感じさせない表情でジーッと、どこかを…俺を見ていた。
みんなの目が彼女の視線を追う様に俺の方をチラチラと見る。
「えーっと、紫陽花坂さんはお父様の都合でこちらに数日前、引っ越してきたばっかりなの。みんな仲良くしてあげてね。それじゃあ紫陽花坂さんの席は一番後ろの窓際ね!」
先生が指差した席はやはり、俺の後ろの席だった。
紫陽花坂は少しも軸がぶれることのない洗練されたウォーキングで静かに席についた。
俺たちは、そのウォーキングの一部始終をただただ眺めることしかできなかった。
放課後。
ガタッ
その日、初めて後ろの席で大きな物音がした。
椅子が動いた音。
ちらりと見ると、彼女は起立していた。
そして、彼女は俺の方を光のない目で見つめている。
俺は不覚にもその静かな視線にドキッとしてしまった。
問題なのはクラス中の視線がまばらにだが、こちらに向けられているということだ。
目立つのは慣れてないんだよな。
“見られている”ということを意識するだけで耳が熱を帯びていくのを感じる。
「行くわよ」
聞き覚えのある声。というよりも、印象的な透き通った静かな声はもはや聞き慣れた声になりつつあった。
しかし、それは俺にとってであってクラスの奴らからしたら彼女の初めて人に向けて発せられた声だった。
それは休み時間のこと。
分かっていたことではあったが、彼女はクラスの主に女子からキャーキャーと奇声まじりで質問攻めにあっていた。にも関わらず彼女はそれを全てスルーしていた。
正確には『えぇ』や『そうね』などといった適当な返事をしていた。
だが、不思議なことに誰一人そのぶっきらぼうな返事にキレたり愚痴を吐くことはなかった。
さて置き、そんな彼女が人に、それも男子に自分から話しかけるなんて。驚かれて当然だ。
静かな視線がクラス中から注がれていた。
「話したいこともあるし」
その一言で視線は一斉にザワザワという話し声に切り替わった。
その話というのは『あの2人ってどういう関係かな?』とか『もしかして告白か?』とか、そういった系統のものだ。
ハッチーは何がなんだか分からずポカンとした顔でこちらを見ている。
「え?」
唐突に言われた彼女の一言に俺は思考が回らなかった。
「忘れたとは言わせないわよ」
「忘れた」
実際、俺は覚えていた。学校案内だ。でも、今日行くなんて聞いてなかったし俺にも予定があるから無理だ。
「どうやら私の蝸官に害虫が入り込んでしっかりと今のあなたの戯言が聞こえなかったみたいなの」
その貶し文句は、やはり、全く起伏のない平坦な物言いだ。それが逆に言葉から角を取り除いている。
それにしてもマニアックな表現だな…。
「もう一度、ゆっくりとハキハキと言ってくれないかしら?」
紫陽花坂はギラっと殺気を帯びた眼光を俺に向ける。
目は口ほどに物を言う。まったくもってその通りだな。
ここで断ったら大変なことになりそうな気がした。でも___。
「今日は予定があるだ。外せない用事なんだ。だから、学校案内は明日する。約束する」
俺は紫陽花坂の目を真っ直ぐ見て言う。本当のことだから。
「……そ」
一言。そして、彼女は教室を出て行った。
意外と呆気なかったな…。
俺の中の何か張り詰めていたものが緩んだ気がして深くため息をつく。
俺は時計を見ると少し急ぎ目で教室を出た。
階段を降り始めようとした時。うちのクラスのものであろう騒めきと、その中からハッチーの悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「シノの裏切り者ぉぉぉぉーー!!」
紫陽花坂 恋…。綺麗だったけど、面白い…というか不思議な奴だったな。
昨日の唐突な出会いの余韻に浸りながら俺は『私立 夜桜高校』と書かれた校門をくぐる。
ここ梢枝市の中じゃ学力的に見れば中の上あたりの高校で、弓道部とテニス部が全国常連の強豪校なんだとか。
教室に入るとやけに騒がしくなっていた。
俺が教室に入るなり1人の小柄な男子が俺の下まで急いでやってきた。
「おい、シノ!」
シノ、本名の詩乃からそう呼ばれている。
「おぉ、どうしたハッチー?」
炬燵原 八太、通称ハッチー。最初の席が隣だったことから友達になった。
小柄で瞳が大きく、まつ毛が長い。更に声変わりも本人はしたと行っているが高1の男子にしては明らかに高い声。
ハッチーは総じて愛くるしい見た目に、名字からも連想される温厚な性格と持ち前の明るさで、瞬く間に人気者の地位を確立した。
うちのクラスのちょっとしたアイドルというか、マスコットだ。
まぁ、本人はそんな見た目があまり好きではないらしいんだけど。
「聞いたか?今日、転校生が来るんだってさっ!それも、めちゃくちゃ可愛い娘が!」
ちなみに、女子を見る目はしっかり高1男子だ。煩悩なら108万くらい持ってるんじゃないか?
「知ってるよ。昨日、会ったからな」
俺は何食わぬ顔で返答する。
「マジかよっ!?どうだった?やっぱ可愛かったか?」
ハッチーは目を輝かせ、期待の眼差しで俺の方に迫ってくる。
俺はそのキラキラした視線を横目に自分の席へ向かう。
「うーん、そうだな。顔は確かに可愛かった…いや、綺麗だったけど、ハッチーが思っているような娘とは多分違う」
そう言って俺は窓際の一番後ろの席に座る…はずだったのだが、なぜか俺の席の後ろに更に1つを新しい机と椅子が置かれていた。
嫌な予感がする。
「でも可愛かったんだよな?」
食い気味でハッチーは聞いてきた。
俺は“可愛い”という言葉に違和感を覚えつつ首を縦に振る。
「楽しみだなぁ〜」
キーン コーン カーン コーン…
俺たちの会話はチャイムの音に阻まれた。
「おっ、お待ちかねのHRだっ!またな、シノ」
「おう」
ハッチーはいつもより軽い足取りで自分の席に戻った。
「おはよー、みんな!」
いつもの様に満面の笑みを振りまきながら先生が入ってきた。担任の猫倉 先生だ。
ちなみに、今年で30歳を迎えるらしく絶賛婚活中&彼氏募集中なんだとか。
そして、HRが始まった。
クラス中が明らかにソワソワしていた。
すると、猫倉 先生は遂に言った。
「今日はこのクラスに1人、転校生が来ています!」
先生はドアの方に視線をやる。
ガラガラ
木製のドアが音を立てて横に流れる。
一歩。見覚えのある黒いニーソックスの足がドアの奥から伸びる。
一歩。肩甲骨まで伸びた癖のある髪がフワフワと揺れる。
一歩。凪いだ翡翠の瞳が鋭く俺を一瞬、貫く。
え?今、俺の方を見た?まぁ、一度だけとはいえ顔を見合わせた仲なのだから見られても当然といえば当然か。
教室中に優しい風が流れ込む様な錯覚。クラスの空気が一瞬の内に変わる。
昨日は夕陽とかで分からなかったが彼女の髪は純白というわけではなかった。
それは淡い桃色を帯びていた。
ビスクドールを思わせる日本人離れした容姿にきっとクラスの野郎どもは興奮していることだろう。それは周りを見れば一目瞭然であった。
神に感謝の気持ちを述べるかの様に天を仰ぐ者。
隣の奴と頬をつねり合い夢か現実かを確かめる者。
デタラメに体を震わせ喜びの気持ちを表す者…というか、ハッチー。
初見の時ほどの衝撃はやはり、俺にはなかった。とはいえ、容姿端麗な少女が同級生となるのは嬉しかった。
「それじゃあ自己紹介よろしくねっ!」
先生が元気よく話を彼女にふる。
「紫陽花坂 恋です」
誰もがその後、彼女が何を口にするのか期待の眼差しで見守った。
「………」
ん?
「……………」
…え?以上ですか?
紫陽花坂の合理を追求しきった無駄のない返答に教室内は静まりかえる。
感情の読めない、感情を感じさせない表情でジーッと、どこかを…俺を見ていた。
みんなの目が彼女の視線を追う様に俺の方をチラチラと見る。
「えーっと、紫陽花坂さんはお父様の都合でこちらに数日前、引っ越してきたばっかりなの。みんな仲良くしてあげてね。それじゃあ紫陽花坂さんの席は一番後ろの窓際ね!」
先生が指差した席はやはり、俺の後ろの席だった。
紫陽花坂は少しも軸がぶれることのない洗練されたウォーキングで静かに席についた。
俺たちは、そのウォーキングの一部始終をただただ眺めることしかできなかった。
放課後。
ガタッ
その日、初めて後ろの席で大きな物音がした。
椅子が動いた音。
ちらりと見ると、彼女は起立していた。
そして、彼女は俺の方を光のない目で見つめている。
俺は不覚にもその静かな視線にドキッとしてしまった。
問題なのはクラス中の視線がまばらにだが、こちらに向けられているということだ。
目立つのは慣れてないんだよな。
“見られている”ということを意識するだけで耳が熱を帯びていくのを感じる。
「行くわよ」
聞き覚えのある声。というよりも、印象的な透き通った静かな声はもはや聞き慣れた声になりつつあった。
しかし、それは俺にとってであってクラスの奴らからしたら彼女の初めて人に向けて発せられた声だった。
それは休み時間のこと。
分かっていたことではあったが、彼女はクラスの主に女子からキャーキャーと奇声まじりで質問攻めにあっていた。にも関わらず彼女はそれを全てスルーしていた。
正確には『えぇ』や『そうね』などといった適当な返事をしていた。
だが、不思議なことに誰一人そのぶっきらぼうな返事にキレたり愚痴を吐くことはなかった。
さて置き、そんな彼女が人に、それも男子に自分から話しかけるなんて。驚かれて当然だ。
静かな視線がクラス中から注がれていた。
「話したいこともあるし」
その一言で視線は一斉にザワザワという話し声に切り替わった。
その話というのは『あの2人ってどういう関係かな?』とか『もしかして告白か?』とか、そういった系統のものだ。
ハッチーは何がなんだか分からずポカンとした顔でこちらを見ている。
「え?」
唐突に言われた彼女の一言に俺は思考が回らなかった。
「忘れたとは言わせないわよ」
「忘れた」
実際、俺は覚えていた。学校案内だ。でも、今日行くなんて聞いてなかったし俺にも予定があるから無理だ。
「どうやら私の蝸官に害虫が入り込んでしっかりと今のあなたの戯言が聞こえなかったみたいなの」
その貶し文句は、やはり、全く起伏のない平坦な物言いだ。それが逆に言葉から角を取り除いている。
それにしてもマニアックな表現だな…。
「もう一度、ゆっくりとハキハキと言ってくれないかしら?」
紫陽花坂はギラっと殺気を帯びた眼光を俺に向ける。
目は口ほどに物を言う。まったくもってその通りだな。
ここで断ったら大変なことになりそうな気がした。でも___。
「今日は予定があるだ。外せない用事なんだ。だから、学校案内は明日する。約束する」
俺は紫陽花坂の目を真っ直ぐ見て言う。本当のことだから。
「……そ」
一言。そして、彼女は教室を出て行った。
意外と呆気なかったな…。
俺の中の何か張り詰めていたものが緩んだ気がして深くため息をつく。
俺は時計を見ると少し急ぎ目で教室を出た。
階段を降り始めようとした時。うちのクラスのものであろう騒めきと、その中からハッチーの悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「シノの裏切り者ぉぉぉぉーー!!」
コメント