何度目かのおやすみ

まんまん

ー宿命ー

「おやすみ」
「おやすみなさい_」
8月2日午前1時36分。8歳の少女と17歳の少年が交わした会話は、白い部屋に乾いた声となって広がっていく。夜中に小2女子と話している男子高校生...ロリコンではない。これだけは誤解を解いておこう。
これは強く生きていた少女と強く生きていく少年の、たった1ヶ月の物語だ―。

7月に入り7日目。窓の外から聞こえる声は相変わらず賑やかだ。
「ア゙ア゙部活疲れたあ...!」
「よし、飯食いに行くか!」
部活終わりか...。相変わらず部活はしんどそうだな。
「ぐはっはっひゃっひやあっ、!」
なんだあの笑い方。ほんとに女子か?失礼だけど。
一条宙、高校2年生。やけに広い病室で『俺も今頃はあんな会話してたのかなあ。あれがなければ』なんて考えてしまう自分が情けない。考えても無駄だとは痛いほど分かってる。無駄というか、無意味だ。過去は消せない。戻ってこない。頭では理解していても、体は正直だ。視線は自然と窓の向こう側へ向くし、学生達の賑やかな声にに耳を傾けてしまう。そしてそれと同時に“あの時”のことがフラッシュバックする___。

「宙!一緒に帰ろうぜ」
「おう、もちろん!」
水無月の夕暮れ時に、親友であり良きライバルでもある土井翔太と共に歩く帰り道。翔太とは中学生からの付き合いで、一緒にバスケをやってきた仲だ。会話が絶えることもなく、いつも通り
「またな」
と挨拶を交わし、それぞれの帰路へ着いた。
『翔太寄り道してねえかな?』気になって振り返った。その時だった。猛スピードで向かってきているバイクが__。危険を感じた頃にはもう遅かった。あっという間に視界は闇に包まれ、微かにサイレン音や周りの人の騒ぎ声が聞こえた。ただ、だんだんと遠のいていく意識。
気づけば、病院のベットに横たわっていた。頭にはガーゼが貼られ、包帯が巻きついている。『俺...事故にあった...?』鈍い痛みが体に走る。少し顔をゆがめ起き上がると、何やら母親らしき女性と白衣を着た男性の会話が聞こえる。
「最低でも1ヶ月は入院しなければ...」
「そんな...!リハビリをすればまた歩けるようになるんですか?!バスケ出来るんですか...?!」
「...絶対とは言えません。少なくともバスケはできない可能性が高いです。」
母親の嗚咽。医師の暗い顔。何もかもが夢だと思った。いや、夢だと思いたかった。『この俺が?バスケができない?そんなこと...あるはずがない』心に浮き出た感情は、大勢からかけられた言葉によって、大きく深くそして強くなっていく。
「宙はほんとバスケ1本だよね」
「バスケやってる一条、かっこいいよ」「宙からバスケ取ったら何が残んだよ」
____俺からバスケを取ったら?バスケが出来なくなったら?そんなこと、考えもしなかった。小学生からクラブチームに入り、キャプテンとしてバスケに全力を注いできた。他の子が遊んだり家族と話したりしている間も、俺は必死にボールと向き合ってきた。バスケに対する愛は、情熱は、誰にも負けていないつもりだった。なのに...なぜ?なんでこうなった...?もうみんなと、翔太と練習出来ないなんて嘘だろ?1ヵ月後に控えている県大会にも出れないなんて嘘だろ?ましてや歩ける可能性も低いだなんて...嘘だよな。誰か嘘って言ってくれよ。
「宙はもう1回バスケできるよ」
って言ってくれよ......何度願ったって叶うはずもなく、現実を突きつけられた俺に残ったのは“喪失感”だった。

事故から8日がすぎた。歩くこともままならない俺は、車椅子生活を余儀なくされた。リハビリは数日後に始まるらしい。『自暴自棄ってこういうことを言うんだな。』痛感した。どうでもいい。何もしたくない。見ている景色に色は無い。すれ違う看護師も、花瓶の花も、お見舞いに来てくれた家族も友達も、全部濁って見える。歪んで見える。
「宙からバスケ取ったら何が残んだよ」
どうやらその言葉は本当だったみたいだ。今の俺には、バスケをやってた頃みたいに情熱も無い。ネガティブな感情しか残っていない。
そんな中俺は、1人の少女とすれ違った。同じ車椅子に乗っている。“ひかり”。そう刺繍糸で縫われたバッジを胸につけ、楽しそうに看護師と会話していた。何故だろう。歪んだ俺の世界の中で、その子だけは輝いて見えた。顔立ちからして小学校低学年と予想した。体に沢山繋がれたチューブ。点滴。そんな医療器具をものともしないような、明るい表情。羨ましくもあり、憎くくもあった。『あの子は何で楽しそうなんだろう。俺よりもっと辛そうなのに、苦しそうなのに、あんなにも明るくいられるのは何故だろう』そんな気持ちが渦巻いた。少女はまるで、元気な頃の俺のような表情をしていた。目標に向かって努力する生き生きとした姿。初対面だがそんな風に捉えられた。少女を見ていると昔の自分を見てるようで苦しかった。俺は病室に逃げた。

10日目にもなると、病院生活には大分慣れたが、心に住み着いた負の感情はなかなか離れてくれないようだ。少しでも気晴らしになればと、院内を車椅子で散歩する。少しドアが開いている病室を見つけた。ダメだと分かってはいたが、覗いてしまった。あの子だ___。
「お兄さんはなんで入院してるの?」
澄んだ瞳を俺に向けながら、少女は尋ねた。滴が頬を伝う感覚を感じた。
「交通事故にあったんだ」
淡々と述べる。
「俺はバスケやってて」
考えてもないのに、自分の口から言葉が発せられ、少女へと伝わっていく。
「でももう出来ないんだ、この足じゃ。歩くことも出来ないかもしれないって」
こんな小さな少女に愚痴を吐いても何も変わらないのに。
俺が話している間も、少女は静かに耳を傾けてくれている。
「そうなんだ...。酷いよね、神様って」2人の間に数秒の沈黙が流れた。重い空気を切り裂いたのは少女だった。
「病気とか怪我って、神様が与えてるのかなあ」
素朴な疑問だった。
「もしそうなら、ひかりはちょっと神様に嫌われちゃったかな」
そう発した顔は少し悲しそうだったような気がした。なんと返せばいいのだろうか。情けないが言葉が出ない。
「あ、宿題忘れちゃったからだ。あと寝坊もしちゃったし...」
漫画のように表情が次々と変化していく。その姿は元気で可愛い小学生そのものだった。
「神様からもらっちゃったんだから、頑張るしかないよね」
急に静まりかえる病室に困惑した俺はどうすることもできず、
「頑張ろうね」
と薄っぺらな言葉を残して病室を後にした。その後の少女の様子など考えずに___。
病室を去り中庭へ来ると、頭に1つの疑問が浮かんできた。少女は何で入院しているのだろうか。あの時聞けばよかった。自分の過去を抉られたような気がして逃げてきてしまった自分に嫌気がさす。
「神様に嫌われちゃったかな」
頭から離れない。何度も何度もリピートされる。垣間見せた悲しそうな表情を思い出し、胸が痛む。沢山のチューブから病気だということは勘付いたが、詳しいことは何も分からない。僅か8歳の少女に何があったのだ___。その夜は眠れなかった。

続く

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