すわんぷ・ガール!
68話 沼少女
沼男。
また、それか。
以前にも言われたその謎の言葉に、俺はうんざりとする。
以前言われたときも感じたが、それを言われるたびに、自分自身を否定されたような、ひどく不快な気持ちになった。
事実、前回はルシアンは俺に言った。「ここに居るべきでは無い。君は誰だ」と。
確かに、俺はここに居るべきでは無いのかも知れない。
俺の本当は、別にあって、この身体は仮初めでしか無いのだから。
ルシアンの目的は、この身体を空っぽにすること。そしてそこにテトラを封じ込める。そうやって、テトラの心臓の暴走を食い止めるという話だった。
ということは、ルシアンは俺をこの身体から、追い出す手段があるということなのだろうか。
だから俺を、こうして拘束している。
―――だとしたら、もしかしてルシアンは、俺の本当の身体のありかを、探し当てたのだろうか。
もしそうなら、それは何も問題は無いどころか、俺の本懐が期せずして成し遂げられるということになる。
元の身体に、戻る。
この身体になってから、それはずっと渇望してきた事だった。何時か、元に戻ると思って、ここまでやってきた。そうであるならば、本当は頭を下げてもいいはずだ。
ふと、ビレルワンディの一幕を思い出す。
ギルドでアルクは、「軍がアートルを封鎖している」と言った。それはもしかして、ルシアンの指示で、俺の身体を探していたのかもしれない。
目の前の男を見る。
一体、こいつはどこまで知っているのだろう。
はっきり言えるのは、俺が『クリス』ではないことを、間違いなく知っているということだけだ。それは前にここで会ったときの台詞からもわかる。
だが、沼男とはなんだ。
幾ら考えても、それが何なのかがわからない。
「……一体、沼男っていうのは何なんだよ」
考え倦ね、結局俺はルシアンにそう問うた。
そうすると、ルシアンはそれを待っていたと言わんばかりに、ニヤッと笑った。その笑顔は、今まで見せていた飄々としたそれでは無く、本当に嫌らしい笑みだった。
俺は一瞬、聞いたことを後悔したが、もう、遅い。
それに、きっとそれを聞かなくても、この男は、それについて語っただろう。それは最早、確信に近かった。
「先に、言っておくよ。僕はね、君の正体を知っている。その上で、君に言っておく。僕は、君が探しているその身体を、既に手に入れている」
心底楽しそうに、ルシアンはそう言った。笑いが抑えられない、そういう顔をしている。
それは俺が聞いた答えには全くなっていなかったが、その言葉の内容は、ある意味俺が聞きたかったもう一つの答えだった。
やはり、ルシアンは俺の事を知っている。そして、更に俺の身体を既に手中に収めている。
「君は元の身体に戻りたい?」
戻りたいに決まってるだろ。
俺の内心を見透かすように、のぞき込んで囁くその言葉に、俺は……そう即答することが出来なかった。
戻りたいに決まっている。戻るために、こうして生きてきた。
この身体から出ていって、男に戻るんだ。
それが、俺の望みだった。
だけど―――それで終わってしまう。
きっとそうすれば、レオンと、もう会うこともないのだろう。
そして『クリス』はどうなるんだろうか。テトラの入れ物に使われるこの身体は、『クリス』に戻されるのだろうか。
―――多分、戻らない。
そうだとしたら、レオンはどう思う?
再び、『クリス』を失うことになるだろうレオンは。
いや、そうじゃない!俺は、俺は!?
俺はどうしたい?
レオンに、会いたい。でも、会ってはいけない。今もし、元の身体に戻ることができるのなら、そうするべきだ。でも、俺は。
俺は、レオンに―――
でも、戻るべきなんだ!
俺の為にも、レオンの為にも、俺は消えなければならない!
「戻り、たいに、決まってるだろ!」
考えがまとまらないまま、俺は叫んだ。
ずっと、それを望んできた。だから、それを否定するのは、俺自身を否定する事だ。
だから、俺は戻らなきゃならない。それが正しい!
「うん、じゃあ、君に身体を返そう」
葛藤の中叫んだ俺の答えに、満足げにルシアンは頷き、そして指を鳴らした。
その行為を、俺は呆然と見る。
本当に、戻ってしまうのか。あんなにはっきりと答えたのに、自分でもどうかと思うぐらい、心が揺れている。
果たして、俺の背後から、コツコツと靴音が響いてきた。それが少しずつ、大きくなってくる。
「ああ、そうだ。さっきの質問に答えてなかったね」
後ろを振り返ろうとする俺に、ルシアンは声を掛けてきた。
今更、何を言いたいのか。殆ど意識が後ろにいってしまっている俺は、それを聞き流しながら背後を振り返った。
「沼男っていうのはね、知らないかな?ある男が、沼の側で雷を受けて死ぬ。だけど、その雷の力で、沼から男が発生するのさ。男は死んだ。では、生まれた男は?仮に、記憶からなにから全てが死んだ男と同じように作られたら?きっと、生まれた男は死んだ男だと勘違いしたまま、生きるだろう。そして周囲も同じように思うに違いない。でも、死んだ男と、生まれた男は別の存在だよね」
何を言われているのか、わからない。ルシアンの声は、耳に、心に入ってこない。
―――そこに居たのは舞踏会の夜、俺とパルミラが追いかけた、あの謎の男だった。
ぞわっと、全身が総毛立つのを感じた。俺の本能が、最大限の警告を上げる。
何故、気付かなかったのだろう。
その特徴のある赤毛。体つき、その目。その動作。気になるのも当然だった。
何故ならそれは『俺』だった。
「今度は何ですか。ルシアン王子。随分と趣味の悪いことをしているんですね」
そして、俺の声で、俺を見ながら『俺』は言った。
「あ……あぁ……」
目の前にある現実に、ガクガクと体が震える。
何かを言うべきなのかも知れない。
でも、声が上手く出てこない。何を考えるべきなのかも、わからない。
頭の上で、ガシャッと鎖が音を立てる。それが無かったら、俺はその場にへたり込んでいただろう。
足に、身体に、力が入らない。
「やあクリス、教えて欲しいんだ。君の、名前をさ。契約したとき言ってくれた本名だよ」
やめろ。やめてくれ。もう、それに何もしないでくれ。
「……?クリストファー・カーゾンですが?」
それを凝視しながら震える俺を訝しみながら、『俺』は答えた。
息を飲む。
だったら……だったら俺は一体誰なんだ。
目の前に居る『俺』が、クリスなのだとしたら、ここにいる俺は一体。
「お、おい、この子大丈夫なのかよ」
『俺』が俺に近付いてくる。
やめろ。来るな。
動悸が早まる。息が苦しい。
『俺』が、俺に迫る。
「凄い汗だな。大丈夫か?」
その手が、『俺』の手が、俺に近付く。
やめてくれ。近付かないでくれ。触らないでくれ。
俺にさわるな―――!
その手が、俺の頬に触れた。
その瞬間、視界がぐるっと回転した。
俺は、クリストファー・カーゾン。通称クリスだ。
18歳にして、それなりに場数を踏んだ冒険者である俺は、ある古代遺跡に挑んでいた。
冒険者というのは実に何でも屋の事だ。
金さえ払えば護衛、傭兵、調査、探索なんでもやる。しかし、冒険者にして最大の仕事はまさに古代遺跡の探索だ。まあ探索と言えば聞こえはいいが、要するに墓荒らしのようなものなのだが―――
―――
――
―
―――最近の俺は、ツイていた。
その古代遺跡は未踏で、そして俺はその遺跡から、かなりの量のお宝をせしめる事が出来た。途中、うっかり罠を引いて毒をくらい、死にそうになったりもしたが、そこでも俺はツイていて、ままよと飲んだ古代の薬が効いて、事なきを得ることが出来た。
……今思うと、凄い賭けをしたような気もする。次は、気をつけなければならない。
ともかく、俺が手にれたお宝は結構な量で、少なくとも10年は保つ。
これは結構な量で、素直に言えば、それなりに長い冒険者生活の中でもこんな大金を掴んだのは初めてだった。
報告したギルドでは心底驚かれた。いい気分だった。
俺が発見した迷宮も登録しておいたが、実際あの迷宮は浅かったし、そしてもう大したものなどは残っていないハズだ。
後追いのハイエナどもが群がるかも知れないが、それはそれで無駄足に終わるだろう。意地が悪いのは自覚するが、ソイツは想像するだけで、いい気味だと思った。
俺は暫くは遊んで暮らそうと、南部行きの隊商に便乗して帝都へと向かった。
北部では正直大した街は無い。
ビレルワンディは言うまでもなく、かといってカクラワンガはデカいが殺伐としすぎる。テラベランも大きな街ではあるし、勝手知ったる場所でもあるのだが、やはり遊ぶのだったらより大きな街がいい。
だったらやはり帝都だろう。
隊商の護衛なんてしょっぱい仕事なんかせず、普通に金払って便乗して山を越えた。今までを思えば贅沢きわまりない行為ではあるが、これぐらいはいいだろう。今まで色々我慢してきたわけだしな。
帝都に来るのは、久しぶりだ。
冒険者的には、仕事の面から言って北部に行くのが普通だけに、豊かで比較的安全な南部では仕事が純粋に少ないからだ。もっと南まで下ればそうでもないが、今のところ俺はそこまでは行ったことが無い。金があるウチに、行ってみるのも良いだろう。
でも今は、帝都だ。
さすがに壁の内側に行くのは無理なので、適当に外郭の街で当面の住処を確保して、だらだらと過ごすことにする。
余裕のあるのも、悪い事じゃ無い。今までがちょっと駆け足で、必死すぎた。
何時かまた、そういう生活に戻るのだろうが、何時でもそうなのも疲れる。
休憩。休憩だ。
俺は俺に言い聞かせて、毎日のように夜の街に繰り出した。
―――そんな生活は、やはり俺には向いていないらしい。
金は全然余裕があるものの、グダる生活に俺が膿む。酒を飲んでも、女を抱いても、何か少し物足りない。
気付いてみれば剣を握ってみたりする始末だ。退屈だった。派手に遊んでみても、どうにも満たされない気持ちになる。
何だかんだ言いながら、結局ギリギリの人生が好きだ。
結構破滅型の人間なのかも知れない。
南部に行こうかどうしようかと、悩んでいる時、俺はソイツに出会った。
ルシアンとかいう、歳のわからない男で、暇なんだったら自分に雇われてみないかという話だった。
なんとなくソイツを胡散臭くも感じたが、実際暇だった俺は、珍しいスカウトのされかただったこともあって、何となく雇われてみることにした。
とにかく刺激に飢えていて、胡散臭さもそれも一興かなどと少し斜に構えて受けてみたら、ソイツはなんと王子サマだった。
俺は初めて帝都の壁の中に入り、更に城にまで連れて行かれた。
確かに刺激ある事がしたいとは思ったが、これはちょっと刺激的すぎた。
その上、またこの王子が、見事に王子してない。
内緒だよ、などと言って、城の地下にまで俺を連れて行き、迷宮の護衛をさせる始末。
さらにその先の、妙なもんまで見せられた。
とはいえ、結局、この謎王子が俺をどうしたいのかがわからない。地下に行ったにはいったが、それだけで、後はただ、好きなようにしてくれればいいときたもんだ。
最初は物珍しさも手伝って、そこに居るだけで十分だったが、何しろ塀の中は平和そのもので何も無い。直ぐに飽きて、王子に何をすればいいのか聞いても、言を右に左にはっきりしない。
そうこうしているウチに、今度はパーティに銃士として出席しろだとか言い出した。
いよいよワケがわからない。しかも、途中、念話で地下に呼び戻された。
理由など、さっぱりだった。
一体こいつは、何を俺にさせようとしているのだろう―――
「ひああああああああああああっ!」
見てしまった記憶に、俺はあらん限りに絶叫した。
びっくりしたクリスが、俺から離れる。
だが、もうそんなことを気にする余裕も無かった。
その記憶は、その経験は、間違いなくクリスのそれだった。もしも、あのアートルで助かってしまったのならば、そうなるはずの人生だった。
そして事実、それを目の前のクリスは歩んできている。
目の前の、男は、間違いなく、クリス。
そしてそれは、最早俺では無い。
だったら。
俺は誰だ―――!
俺はダレダ誰だだレダ誰だ誰だ誰れ俺はだレダ俺は俺はオれは!
「あああああああああああ!」
今まで感じたことの無い圧倒的な恐怖が俺を粉々にしようと打ちのめす。
ガチャガチャと鎖が鳴る。汗が、涙が、涎が、顔を濡らす。ガタガタと震えが止まらない。
一体、俺は誰なんだ。
何もかもが、偽物だ。
親を亡くした思い出も、確かにあったはずの故郷も、死線を越える冒険者としての経験も、戦争の記憶も、俺のものなんかじゃない。
だったら俺はなんなんだ!
「お、おい、どうしたんだコイツ。普通じゃないぞ」
喋るな!その声で、喋るな!俺の、俺の声で!
「ううううううあああああっ!」
いつの間にか近付いていたルシアンが、俺の髪を掴んで顔を前に向けさせる。
焦点が合わなくなってきた視線の前には、ルシアンの顔。
その顔が、凶悪に笑う―――
「もう、わかっただろう?君はもう、戻るなんて出来ない。いや、出来ないんじゃ無い。もともと戻るところなんかないんだ。それどころか、そこに居ることすらも、有り得ないことなんだ。今一度、聞くよ。君は誰だ?!」
「あ、う、あ、あ」
もう、何も考えられない。
俺は、俺は―――
「わからないかな?じゃあ、僕が言ってあげよう。教えてやろう。君はただ記憶を転写されただけの存在。ここに居てはならない何か。偽物。虚ろ。紛い物。如何様。まやかし―――さあ、なんて呼ぼう?―――沼男?いや」
ルシアンは言葉を切って、そして歪な笑みで、俺に告げた。
「沼少女だ」
また、それか。
以前にも言われたその謎の言葉に、俺はうんざりとする。
以前言われたときも感じたが、それを言われるたびに、自分自身を否定されたような、ひどく不快な気持ちになった。
事実、前回はルシアンは俺に言った。「ここに居るべきでは無い。君は誰だ」と。
確かに、俺はここに居るべきでは無いのかも知れない。
俺の本当は、別にあって、この身体は仮初めでしか無いのだから。
ルシアンの目的は、この身体を空っぽにすること。そしてそこにテトラを封じ込める。そうやって、テトラの心臓の暴走を食い止めるという話だった。
ということは、ルシアンは俺をこの身体から、追い出す手段があるということなのだろうか。
だから俺を、こうして拘束している。
―――だとしたら、もしかしてルシアンは、俺の本当の身体のありかを、探し当てたのだろうか。
もしそうなら、それは何も問題は無いどころか、俺の本懐が期せずして成し遂げられるということになる。
元の身体に、戻る。
この身体になってから、それはずっと渇望してきた事だった。何時か、元に戻ると思って、ここまでやってきた。そうであるならば、本当は頭を下げてもいいはずだ。
ふと、ビレルワンディの一幕を思い出す。
ギルドでアルクは、「軍がアートルを封鎖している」と言った。それはもしかして、ルシアンの指示で、俺の身体を探していたのかもしれない。
目の前の男を見る。
一体、こいつはどこまで知っているのだろう。
はっきり言えるのは、俺が『クリス』ではないことを、間違いなく知っているということだけだ。それは前にここで会ったときの台詞からもわかる。
だが、沼男とはなんだ。
幾ら考えても、それが何なのかがわからない。
「……一体、沼男っていうのは何なんだよ」
考え倦ね、結局俺はルシアンにそう問うた。
そうすると、ルシアンはそれを待っていたと言わんばかりに、ニヤッと笑った。その笑顔は、今まで見せていた飄々としたそれでは無く、本当に嫌らしい笑みだった。
俺は一瞬、聞いたことを後悔したが、もう、遅い。
それに、きっとそれを聞かなくても、この男は、それについて語っただろう。それは最早、確信に近かった。
「先に、言っておくよ。僕はね、君の正体を知っている。その上で、君に言っておく。僕は、君が探しているその身体を、既に手に入れている」
心底楽しそうに、ルシアンはそう言った。笑いが抑えられない、そういう顔をしている。
それは俺が聞いた答えには全くなっていなかったが、その言葉の内容は、ある意味俺が聞きたかったもう一つの答えだった。
やはり、ルシアンは俺の事を知っている。そして、更に俺の身体を既に手中に収めている。
「君は元の身体に戻りたい?」
戻りたいに決まってるだろ。
俺の内心を見透かすように、のぞき込んで囁くその言葉に、俺は……そう即答することが出来なかった。
戻りたいに決まっている。戻るために、こうして生きてきた。
この身体から出ていって、男に戻るんだ。
それが、俺の望みだった。
だけど―――それで終わってしまう。
きっとそうすれば、レオンと、もう会うこともないのだろう。
そして『クリス』はどうなるんだろうか。テトラの入れ物に使われるこの身体は、『クリス』に戻されるのだろうか。
―――多分、戻らない。
そうだとしたら、レオンはどう思う?
再び、『クリス』を失うことになるだろうレオンは。
いや、そうじゃない!俺は、俺は!?
俺はどうしたい?
レオンに、会いたい。でも、会ってはいけない。今もし、元の身体に戻ることができるのなら、そうするべきだ。でも、俺は。
俺は、レオンに―――
でも、戻るべきなんだ!
俺の為にも、レオンの為にも、俺は消えなければならない!
「戻り、たいに、決まってるだろ!」
考えがまとまらないまま、俺は叫んだ。
ずっと、それを望んできた。だから、それを否定するのは、俺自身を否定する事だ。
だから、俺は戻らなきゃならない。それが正しい!
「うん、じゃあ、君に身体を返そう」
葛藤の中叫んだ俺の答えに、満足げにルシアンは頷き、そして指を鳴らした。
その行為を、俺は呆然と見る。
本当に、戻ってしまうのか。あんなにはっきりと答えたのに、自分でもどうかと思うぐらい、心が揺れている。
果たして、俺の背後から、コツコツと靴音が響いてきた。それが少しずつ、大きくなってくる。
「ああ、そうだ。さっきの質問に答えてなかったね」
後ろを振り返ろうとする俺に、ルシアンは声を掛けてきた。
今更、何を言いたいのか。殆ど意識が後ろにいってしまっている俺は、それを聞き流しながら背後を振り返った。
「沼男っていうのはね、知らないかな?ある男が、沼の側で雷を受けて死ぬ。だけど、その雷の力で、沼から男が発生するのさ。男は死んだ。では、生まれた男は?仮に、記憶からなにから全てが死んだ男と同じように作られたら?きっと、生まれた男は死んだ男だと勘違いしたまま、生きるだろう。そして周囲も同じように思うに違いない。でも、死んだ男と、生まれた男は別の存在だよね」
何を言われているのか、わからない。ルシアンの声は、耳に、心に入ってこない。
―――そこに居たのは舞踏会の夜、俺とパルミラが追いかけた、あの謎の男だった。
ぞわっと、全身が総毛立つのを感じた。俺の本能が、最大限の警告を上げる。
何故、気付かなかったのだろう。
その特徴のある赤毛。体つき、その目。その動作。気になるのも当然だった。
何故ならそれは『俺』だった。
「今度は何ですか。ルシアン王子。随分と趣味の悪いことをしているんですね」
そして、俺の声で、俺を見ながら『俺』は言った。
「あ……あぁ……」
目の前にある現実に、ガクガクと体が震える。
何かを言うべきなのかも知れない。
でも、声が上手く出てこない。何を考えるべきなのかも、わからない。
頭の上で、ガシャッと鎖が音を立てる。それが無かったら、俺はその場にへたり込んでいただろう。
足に、身体に、力が入らない。
「やあクリス、教えて欲しいんだ。君の、名前をさ。契約したとき言ってくれた本名だよ」
やめろ。やめてくれ。もう、それに何もしないでくれ。
「……?クリストファー・カーゾンですが?」
それを凝視しながら震える俺を訝しみながら、『俺』は答えた。
息を飲む。
だったら……だったら俺は一体誰なんだ。
目の前に居る『俺』が、クリスなのだとしたら、ここにいる俺は一体。
「お、おい、この子大丈夫なのかよ」
『俺』が俺に近付いてくる。
やめろ。来るな。
動悸が早まる。息が苦しい。
『俺』が、俺に迫る。
「凄い汗だな。大丈夫か?」
その手が、『俺』の手が、俺に近付く。
やめてくれ。近付かないでくれ。触らないでくれ。
俺にさわるな―――!
その手が、俺の頬に触れた。
その瞬間、視界がぐるっと回転した。
俺は、クリストファー・カーゾン。通称クリスだ。
18歳にして、それなりに場数を踏んだ冒険者である俺は、ある古代遺跡に挑んでいた。
冒険者というのは実に何でも屋の事だ。
金さえ払えば護衛、傭兵、調査、探索なんでもやる。しかし、冒険者にして最大の仕事はまさに古代遺跡の探索だ。まあ探索と言えば聞こえはいいが、要するに墓荒らしのようなものなのだが―――
―――
――
―
―――最近の俺は、ツイていた。
その古代遺跡は未踏で、そして俺はその遺跡から、かなりの量のお宝をせしめる事が出来た。途中、うっかり罠を引いて毒をくらい、死にそうになったりもしたが、そこでも俺はツイていて、ままよと飲んだ古代の薬が効いて、事なきを得ることが出来た。
……今思うと、凄い賭けをしたような気もする。次は、気をつけなければならない。
ともかく、俺が手にれたお宝は結構な量で、少なくとも10年は保つ。
これは結構な量で、素直に言えば、それなりに長い冒険者生活の中でもこんな大金を掴んだのは初めてだった。
報告したギルドでは心底驚かれた。いい気分だった。
俺が発見した迷宮も登録しておいたが、実際あの迷宮は浅かったし、そしてもう大したものなどは残っていないハズだ。
後追いのハイエナどもが群がるかも知れないが、それはそれで無駄足に終わるだろう。意地が悪いのは自覚するが、ソイツは想像するだけで、いい気味だと思った。
俺は暫くは遊んで暮らそうと、南部行きの隊商に便乗して帝都へと向かった。
北部では正直大した街は無い。
ビレルワンディは言うまでもなく、かといってカクラワンガはデカいが殺伐としすぎる。テラベランも大きな街ではあるし、勝手知ったる場所でもあるのだが、やはり遊ぶのだったらより大きな街がいい。
だったらやはり帝都だろう。
隊商の護衛なんてしょっぱい仕事なんかせず、普通に金払って便乗して山を越えた。今までを思えば贅沢きわまりない行為ではあるが、これぐらいはいいだろう。今まで色々我慢してきたわけだしな。
帝都に来るのは、久しぶりだ。
冒険者的には、仕事の面から言って北部に行くのが普通だけに、豊かで比較的安全な南部では仕事が純粋に少ないからだ。もっと南まで下ればそうでもないが、今のところ俺はそこまでは行ったことが無い。金があるウチに、行ってみるのも良いだろう。
でも今は、帝都だ。
さすがに壁の内側に行くのは無理なので、適当に外郭の街で当面の住処を確保して、だらだらと過ごすことにする。
余裕のあるのも、悪い事じゃ無い。今までがちょっと駆け足で、必死すぎた。
何時かまた、そういう生活に戻るのだろうが、何時でもそうなのも疲れる。
休憩。休憩だ。
俺は俺に言い聞かせて、毎日のように夜の街に繰り出した。
―――そんな生活は、やはり俺には向いていないらしい。
金は全然余裕があるものの、グダる生活に俺が膿む。酒を飲んでも、女を抱いても、何か少し物足りない。
気付いてみれば剣を握ってみたりする始末だ。退屈だった。派手に遊んでみても、どうにも満たされない気持ちになる。
何だかんだ言いながら、結局ギリギリの人生が好きだ。
結構破滅型の人間なのかも知れない。
南部に行こうかどうしようかと、悩んでいる時、俺はソイツに出会った。
ルシアンとかいう、歳のわからない男で、暇なんだったら自分に雇われてみないかという話だった。
なんとなくソイツを胡散臭くも感じたが、実際暇だった俺は、珍しいスカウトのされかただったこともあって、何となく雇われてみることにした。
とにかく刺激に飢えていて、胡散臭さもそれも一興かなどと少し斜に構えて受けてみたら、ソイツはなんと王子サマだった。
俺は初めて帝都の壁の中に入り、更に城にまで連れて行かれた。
確かに刺激ある事がしたいとは思ったが、これはちょっと刺激的すぎた。
その上、またこの王子が、見事に王子してない。
内緒だよ、などと言って、城の地下にまで俺を連れて行き、迷宮の護衛をさせる始末。
さらにその先の、妙なもんまで見せられた。
とはいえ、結局、この謎王子が俺をどうしたいのかがわからない。地下に行ったにはいったが、それだけで、後はただ、好きなようにしてくれればいいときたもんだ。
最初は物珍しさも手伝って、そこに居るだけで十分だったが、何しろ塀の中は平和そのもので何も無い。直ぐに飽きて、王子に何をすればいいのか聞いても、言を右に左にはっきりしない。
そうこうしているウチに、今度はパーティに銃士として出席しろだとか言い出した。
いよいよワケがわからない。しかも、途中、念話で地下に呼び戻された。
理由など、さっぱりだった。
一体こいつは、何を俺にさせようとしているのだろう―――
「ひああああああああああああっ!」
見てしまった記憶に、俺はあらん限りに絶叫した。
びっくりしたクリスが、俺から離れる。
だが、もうそんなことを気にする余裕も無かった。
その記憶は、その経験は、間違いなくクリスのそれだった。もしも、あのアートルで助かってしまったのならば、そうなるはずの人生だった。
そして事実、それを目の前のクリスは歩んできている。
目の前の、男は、間違いなく、クリス。
そしてそれは、最早俺では無い。
だったら。
俺は誰だ―――!
俺はダレダ誰だだレダ誰だ誰だ誰れ俺はだレダ俺は俺はオれは!
「あああああああああああ!」
今まで感じたことの無い圧倒的な恐怖が俺を粉々にしようと打ちのめす。
ガチャガチャと鎖が鳴る。汗が、涙が、涎が、顔を濡らす。ガタガタと震えが止まらない。
一体、俺は誰なんだ。
何もかもが、偽物だ。
親を亡くした思い出も、確かにあったはずの故郷も、死線を越える冒険者としての経験も、戦争の記憶も、俺のものなんかじゃない。
だったら俺はなんなんだ!
「お、おい、どうしたんだコイツ。普通じゃないぞ」
喋るな!その声で、喋るな!俺の、俺の声で!
「ううううううあああああっ!」
いつの間にか近付いていたルシアンが、俺の髪を掴んで顔を前に向けさせる。
焦点が合わなくなってきた視線の前には、ルシアンの顔。
その顔が、凶悪に笑う―――
「もう、わかっただろう?君はもう、戻るなんて出来ない。いや、出来ないんじゃ無い。もともと戻るところなんかないんだ。それどころか、そこに居ることすらも、有り得ないことなんだ。今一度、聞くよ。君は誰だ?!」
「あ、う、あ、あ」
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