すわんぷ・ガール!
66話 闇の襲撃
「でも、どうするの?ずっとここに隠れてるわけにもいかないし、相手がルシアン王子だったら、そのうちバレちゃうんじゃない?私の家よ?ここ。Ⅱ軍つながりでバレるの時間の問題だと思う」
ふと会話が途切れた瞬間を狙って、難しい顔をしたアイリンが言う。
要約すると、面倒だから早く出て行ってくれない?みたいに感じるのは気のせいじゃ無いと思うが、その一方で、言ってる事自体は、割と確かなものだった。
「当面を言えば、一端帝都を脱出することでしょうね。その為に、アイラさんも来て貰ったわけですが。ですが……」
「問題は、テトラの心臓ですね」
建設的な事を言いながらも言い淀むアルクを継いで、レグナムが言った。
テトラの心臓。
思い返してみると、案外、そのテトラの心臓のことは、曖昧なままだ。
この帝都に封印されている、テトラなる魔法士。アルクは先ほど、ルシアンは俺を受け皿にしようとしていたと言った。そのルシアンは、このままいけば封印が解かれてしまうそれを、俺を使ってどうにかする、と言っていた。
それから、
「ルシアンは、確か、このままだと帝都がふっとぶ、とか言ってたな」
「はぁ?!」
多分、そんなことは初耳だったのだろうアイリンが驚倒の声を上げて立ち上がる。
アイラも立ち上がりこそしなかったものの、驚いた顔で俺を見た。確かに、驚くだろう。
「なにそれ!?どういうことなのよ?!」
睨むように俺を見るアイリン。睨まれても、俺の口からはそれ以上の話はない。そもそもそう聞いただけなのだ。
俺が戸惑った顔をしているのを見て、アイリンの矛先はアルクに向いた。
レグナムで無いのは、師弟関係的な事情だろう。
「……聞いたら後戻りできないけど、まあ、今更だしねぇ……とはいえ、僕が言えるのもかなり曖昧な話になるけど。簡単に説明するよ。まずテトラについて、かな。アイリンは何を知っている?」
「……え、と……千年前程に魔法の基礎を築いた、伝説的魔法士?」
「まあ、そうだね。帝都の地下には、そんな魔法士が封印されてるってワケだ。封印っていうのが問題でね、これには色々な説がある。あまりにも危険すぎた。人間以外のものになった。人柱になった、とかね」
テトラに関して語られ始めたその内容は、余りに不穏なそれだった。興奮していたアイリンも三度席に着く。
「その辺りは何しろ古代の王朝が滅亡していて、文献的にも定かで無い。とにかくそこから時代が下り、僕たちはそんな封印の上に帝都を築いた。最初はもちろん、そんな不穏当な場所だとは知らなかった。わりと最近だね。それがわかったのは」
「最近?」
「そう、恐らくはここ2、30年前あたりじゃないかな。とにかく、そんな封印は発見された時には、既に限界だった。あの心臓と呼ばれるそれは、内部に膨大な魔力を溜め込んでいて、暴走寸前になっていた。それが何時暴発するかは誰もわからない。今かもしれないし、もう少し先かもしれない。そこで、慌ててそれを何とかする手段を、探し始めた」
今かも知れないなどと言われて、レグナムを除く全員が息を飲む。
確かに、そんなことを言われて正気で居られる者など、そう多くは無いだろう。噴火寸前の火山の横に立っているようなものだ。
「文献を引っかき回してわかったのは、中に居るテトラらしきモノが、魔力を放出し続けているという事実だった。だから、そのテトラを取り出して、何か別のものに、収めてやればいい。だが、問題は、その入れ物と、そしてその手段だね。手段はともかく、入れ物は、既にここにある―――」
アルクは、俺を見た。
それは、ルシアンが断片的にも語った内容と合致する。
俺が小さく了解の頷きを返すと、アイリンとアイラは驚愕の顔で俺を見た。
レグナムが、その後を継ぐ。
「そういうこと、です。ひどく勝手なことと承知で言わせて頂きますが、このままあなたが帝都から逃げおおせたとしても、結局、帝都は危機のままなのです」
さすがにレグナムは、だからどうしろ、とまでは言わなかった。
それでも、そこまで言ってしまうなら、殆ど俺に何とかしろと言っているに等しい。
ただそれは、レグナムが自分で言ったとおり、勝手すぎる。冷たいことを言えば、帝都がどうなろうと本当に知ったことじゃない。
ただ―――アイラ、パルミラ、アイリンを順に見る。
心中は、複雑だろう。アイリンはここに住んでいるから当然。
パルミラは、帝都を嫌っていたが、今はどうかはわからない。アイラは、館に残るものがあるだろう。
「だったら、帝都を捨てて全員が逃げれば良い」
視線を受けてか、パルミラがかなり根本的な提案をする。
だが、それはない。それは帝都について、ある意味複雑な感情を持つ、パルミラならではと言える発想だからだ。
俺ですら、すぐにそう思いつく。案の定、レグナムは首を振った。
「それは出来ないのです。無論、そうするべきという動きもあったようなのですが、そうするには、もう帝国は大きくなりすぎている。どのような理由であれ、帝都を放棄するなどという動きは出来ません。三大強国が鼎立している今、それ程の弱みは最悪戦争になりかねないのです。それに、内部的にも難しい。発見された直後であるならともかく、遷都という名目を使ったとしても、恐らくもう時間も無い」
多分、それ以外にも、様々な理由があるだろうと俺は予想する。
それを一言で乱暴に纏めるならば、帝国は大きすぎる、ということだ。だから、それほどまでの問題を解決するには、余りにも事が大きすぎた。
「じゃあ、どうするんですか?まさか、お姉様にその、犠牲になれって言うんじゃ―――」
トントン
誰もが考え、そして言い出せない言葉を、アイラが言いそうになった時、それを遮るように食堂の扉がノックされた。
全員が、そちらを見る。
「よろしいですか?マスター、館からアーリィ様がいらっしゃってます」
続けて部屋に入ってきたのは、パッツィさんだった。
入るなり、アーリィの到来を告げるその顔は、心なしか少し強張っている気がする。
なにか、あったのだろうか。
「何か、あったのか?」
その多分アルク的にわかる程度には尋常で無い様子に、彼女のマスターが何時にない真顔で問う。
その横で、レグナムが無言で席を立った。
「その、普通で無い様子でして……怪我を……」
「失礼、します」
言い淀むパッツィさんを押しのけ、アーリィが部屋に入ってきた。
その姿に全員が、息を飲む。
何時も完璧に着こなすメイド服は、所々が解れ破れている。
そして最も目を引いたのが、彼女が片手で押さえる脇腹だった。明らかにその付近の服に滲むのは、既に乾いてどす黒く変色した血だった。何時もはすました表情も、呻吟するそれ。
確かに普通では無い。
「メイド長!」
この中では、俺と同じぐらいかそれ以上に付き合いの深いアイラがそう叫んで、アーリィに駆け寄る。
だが、アーリィはそんなアイラを手で制して、気丈な視線を俺たちに向けた。
「館が、襲撃されました。現在、バイド様と第一小隊によって交戦中です」
「何だって?!」
短く語られたその言葉に衝撃を受けて、俺は席から立ち上がる。
アーリィは、何に、とは言わなかった。だが、間違いなくルシアンの手の者だろう。
それは軍なのか、それとも―――
「レオンは?!どうしたんだ?」
最悪の事を、俺は考えてしまう。普通の軍だったら数にも依るが、バイドと親衛隊でなんとかなると思える。
ただ、それがあのマドックスだったら。そしてそれが、レオンの首を確実に取りに来たのであれば。
「レオン様、は……」
瞬間、アーリィはぐっと呻いて、膝をついた。浮ついていた俺は、そんなアーリィに咄嗟に駆け寄る。そしてアイラに添われ、膝をついたアーリィに目線を合わせてしゃがみ込んだ。
アーリィが俯いた顔を、俺に向ける。目が合った。
「クリスさん!離れて下さい!」
それはレグナムの叫び声が耳に聞こえたのと、同時だった。
その視線に、ゾクッとしたものが体中を駆け巡る。その目は間違いなく、先ほどまでのアーリィでは無かった。
深い、深い深い闇を湛える目。
そしてその口元が、ニヤリと吊り上がる。
俺は直感的な恐怖を感じて、レグナムの言葉もあって、咄嗟に距離を取ろうとする。
「!」
「きゃあっ!」
その前に、俺は驚くほど素早く伸びたアーリィの手で、手首を掴まれた。直後に、突き飛ばされたのか、床に転がされるアイラの悲鳴。
そして同時に何かが、固い金属音を立てて床に転がった。
目で追うと、ナイフが二本。視界の端に入るレグナムが、投擲の構えをしている。そのナイフを投げたのは、レグナムなのだろう。
今の刹那に放ったそれが、何かに阻まれて床に転がったのだ。
「うあっ!」
そして俺は立ち上がったアーリィに、手首を掴まれたまま、吊り下げられた。
信じられない力だった。
一体何が起こっているのか、さっぱりわからない。アーリィを見ると、暗い目はそのままに、その周囲に何か黒い靄のようなものがにじみ出ている。
それは明らかに普通では無かった。俺は直感的に、アーリィが何かに操られているのだと悟った。
「お前は……誰だ!」
ギリギリと締め上げられる手首の痛みに耐えながら、アーリィらしき存在を睨み付ける。
アーリィの顔をしながらも、それは、口角を上げて邪悪としかいいようがない笑みを浮かべ、口を開いた。
その口から、ごぼっと闇が漏れる。
「私は、オマエヲ、むかエに、キタ」
闇と共に、吐き出される酷く耳障りな声。
「……テトラか……!」
背後から絞り出されるようなアルクの声。
これが、テトラ?封印は―――
「テトラ……って、封印されてるはずじゃなかったの?!」
「封印は、限界なんだ。何が起こってもおかしくはない……!それに、さっきクリスは心臓に、テトラに近づきすぎてしまった……気付かれたんだ……!」
「俺をどうするつもりなんだ……!」
じっと見るだけで心が折れそうになるその目を、俺は睨み返す。
そうしなければ、まともに喋れそうに無い。それ程に、目の前の存在から発せられる禍々しい圧力が、俺の心を蝕んでいる。
「オマエのからダをもらウ」
ゾッとするような事を、テトラは言った。
それは確かに、ルシアンが望んだ事でもあったからだ。それと、テトラの望みが一致する事が、おぞましい想像をかき立ててならない。
「……!そうはさせん!」
背後で、アルクの声と、『Zi』という、魔法発動の言葉が聞こえる。
そうだ、魔法。
目をこらす。青い炎が、視界の端に明滅する。
「無駄、ダ」
先に背後から発動したと思われる、光の束が俺を追い越して、アーリィテトラに迫った。
だがそれは、テトラの身体から滲む闇にはじかれるようにして、軌道をねじ曲げられて、天井に命中し、それを粉々にする。
「何……!」
「Zi」
それを見て俺も、魔法発動の単音節を叫ぶ。
テトラを目の前に、青い炎が円を描き、文様が現れた。回転をはじめる。
「がぼっ!?」
しかしそれが、力となって放出される前に、テトラの口から漏れ出た闇が、俺の口に不気味な実体感を伴って侵入してきた。それに精神はかき乱され、文様が霧散する。
「ぐむっ!」
「無駄ダ、無駄だ、最早、私のモのダ」
尚も侵入してくる闇に溺れ苦しむ俺の目の前で、テトラの顔周辺から、青の文様が現れ回転を始めた。それは信じられない光景だった。
俺の魔法と、同じだ。
苦しみに滲む視界の向こう、文様が増えていく。
何の魔法が発動するのかは、わからない。だが、それが危険なものであることは理解できる。
なのに何も出来ない。魔法さえも封じられた俺には、何も出来ない。
―――レオン!
「クリスを、離せ!」
パルミラが剣を手に、テトラに斬りかかったのが見えたが、その剣も、今やはっきりと実体を伴っていることがわかるほどに濃く濃密な闇に、絡め取られる。
「あハハはハ」
「いかん!転移だ!」
笑うテトラの背後に、発動した魔法によるものと思われる、金色の壁が出現した。
叫ぶアルクの声を聞くまでも無い。それは、転移の魔法に他ならない。俺を、連れ去るつもりなのは、明白だった。
そのまま、テトラは後ろに下がり、金色の壁に消えていく。同様にして俺もその壁に飲み込まれていく。身体をくねらせ抵抗するが、ズブズブと足が、下半身が、腕が、それに引きずり込まれる。
それは強い恐怖を伴って、俺を打ちのめした。
「うぐうううふうう!」
―――レオン、助けて。レオン!
声にならないその叫びを俺は強く思いながら、やがて視界の全てを金色にして、意識を失った。
ふと会話が途切れた瞬間を狙って、難しい顔をしたアイリンが言う。
要約すると、面倒だから早く出て行ってくれない?みたいに感じるのは気のせいじゃ無いと思うが、その一方で、言ってる事自体は、割と確かなものだった。
「当面を言えば、一端帝都を脱出することでしょうね。その為に、アイラさんも来て貰ったわけですが。ですが……」
「問題は、テトラの心臓ですね」
建設的な事を言いながらも言い淀むアルクを継いで、レグナムが言った。
テトラの心臓。
思い返してみると、案外、そのテトラの心臓のことは、曖昧なままだ。
この帝都に封印されている、テトラなる魔法士。アルクは先ほど、ルシアンは俺を受け皿にしようとしていたと言った。そのルシアンは、このままいけば封印が解かれてしまうそれを、俺を使ってどうにかする、と言っていた。
それから、
「ルシアンは、確か、このままだと帝都がふっとぶ、とか言ってたな」
「はぁ?!」
多分、そんなことは初耳だったのだろうアイリンが驚倒の声を上げて立ち上がる。
アイラも立ち上がりこそしなかったものの、驚いた顔で俺を見た。確かに、驚くだろう。
「なにそれ!?どういうことなのよ?!」
睨むように俺を見るアイリン。睨まれても、俺の口からはそれ以上の話はない。そもそもそう聞いただけなのだ。
俺が戸惑った顔をしているのを見て、アイリンの矛先はアルクに向いた。
レグナムで無いのは、師弟関係的な事情だろう。
「……聞いたら後戻りできないけど、まあ、今更だしねぇ……とはいえ、僕が言えるのもかなり曖昧な話になるけど。簡単に説明するよ。まずテトラについて、かな。アイリンは何を知っている?」
「……え、と……千年前程に魔法の基礎を築いた、伝説的魔法士?」
「まあ、そうだね。帝都の地下には、そんな魔法士が封印されてるってワケだ。封印っていうのが問題でね、これには色々な説がある。あまりにも危険すぎた。人間以外のものになった。人柱になった、とかね」
テトラに関して語られ始めたその内容は、余りに不穏なそれだった。興奮していたアイリンも三度席に着く。
「その辺りは何しろ古代の王朝が滅亡していて、文献的にも定かで無い。とにかくそこから時代が下り、僕たちはそんな封印の上に帝都を築いた。最初はもちろん、そんな不穏当な場所だとは知らなかった。わりと最近だね。それがわかったのは」
「最近?」
「そう、恐らくはここ2、30年前あたりじゃないかな。とにかく、そんな封印は発見された時には、既に限界だった。あの心臓と呼ばれるそれは、内部に膨大な魔力を溜め込んでいて、暴走寸前になっていた。それが何時暴発するかは誰もわからない。今かもしれないし、もう少し先かもしれない。そこで、慌ててそれを何とかする手段を、探し始めた」
今かも知れないなどと言われて、レグナムを除く全員が息を飲む。
確かに、そんなことを言われて正気で居られる者など、そう多くは無いだろう。噴火寸前の火山の横に立っているようなものだ。
「文献を引っかき回してわかったのは、中に居るテトラらしきモノが、魔力を放出し続けているという事実だった。だから、そのテトラを取り出して、何か別のものに、収めてやればいい。だが、問題は、その入れ物と、そしてその手段だね。手段はともかく、入れ物は、既にここにある―――」
アルクは、俺を見た。
それは、ルシアンが断片的にも語った内容と合致する。
俺が小さく了解の頷きを返すと、アイリンとアイラは驚愕の顔で俺を見た。
レグナムが、その後を継ぐ。
「そういうこと、です。ひどく勝手なことと承知で言わせて頂きますが、このままあなたが帝都から逃げおおせたとしても、結局、帝都は危機のままなのです」
さすがにレグナムは、だからどうしろ、とまでは言わなかった。
それでも、そこまで言ってしまうなら、殆ど俺に何とかしろと言っているに等しい。
ただそれは、レグナムが自分で言ったとおり、勝手すぎる。冷たいことを言えば、帝都がどうなろうと本当に知ったことじゃない。
ただ―――アイラ、パルミラ、アイリンを順に見る。
心中は、複雑だろう。アイリンはここに住んでいるから当然。
パルミラは、帝都を嫌っていたが、今はどうかはわからない。アイラは、館に残るものがあるだろう。
「だったら、帝都を捨てて全員が逃げれば良い」
視線を受けてか、パルミラがかなり根本的な提案をする。
だが、それはない。それは帝都について、ある意味複雑な感情を持つ、パルミラならではと言える発想だからだ。
俺ですら、すぐにそう思いつく。案の定、レグナムは首を振った。
「それは出来ないのです。無論、そうするべきという動きもあったようなのですが、そうするには、もう帝国は大きくなりすぎている。どのような理由であれ、帝都を放棄するなどという動きは出来ません。三大強国が鼎立している今、それ程の弱みは最悪戦争になりかねないのです。それに、内部的にも難しい。発見された直後であるならともかく、遷都という名目を使ったとしても、恐らくもう時間も無い」
多分、それ以外にも、様々な理由があるだろうと俺は予想する。
それを一言で乱暴に纏めるならば、帝国は大きすぎる、ということだ。だから、それほどまでの問題を解決するには、余りにも事が大きすぎた。
「じゃあ、どうするんですか?まさか、お姉様にその、犠牲になれって言うんじゃ―――」
トントン
誰もが考え、そして言い出せない言葉を、アイラが言いそうになった時、それを遮るように食堂の扉がノックされた。
全員が、そちらを見る。
「よろしいですか?マスター、館からアーリィ様がいらっしゃってます」
続けて部屋に入ってきたのは、パッツィさんだった。
入るなり、アーリィの到来を告げるその顔は、心なしか少し強張っている気がする。
なにか、あったのだろうか。
「何か、あったのか?」
その多分アルク的にわかる程度には尋常で無い様子に、彼女のマスターが何時にない真顔で問う。
その横で、レグナムが無言で席を立った。
「その、普通で無い様子でして……怪我を……」
「失礼、します」
言い淀むパッツィさんを押しのけ、アーリィが部屋に入ってきた。
その姿に全員が、息を飲む。
何時も完璧に着こなすメイド服は、所々が解れ破れている。
そして最も目を引いたのが、彼女が片手で押さえる脇腹だった。明らかにその付近の服に滲むのは、既に乾いてどす黒く変色した血だった。何時もはすました表情も、呻吟するそれ。
確かに普通では無い。
「メイド長!」
この中では、俺と同じぐらいかそれ以上に付き合いの深いアイラがそう叫んで、アーリィに駆け寄る。
だが、アーリィはそんなアイラを手で制して、気丈な視線を俺たちに向けた。
「館が、襲撃されました。現在、バイド様と第一小隊によって交戦中です」
「何だって?!」
短く語られたその言葉に衝撃を受けて、俺は席から立ち上がる。
アーリィは、何に、とは言わなかった。だが、間違いなくルシアンの手の者だろう。
それは軍なのか、それとも―――
「レオンは?!どうしたんだ?」
最悪の事を、俺は考えてしまう。普通の軍だったら数にも依るが、バイドと親衛隊でなんとかなると思える。
ただ、それがあのマドックスだったら。そしてそれが、レオンの首を確実に取りに来たのであれば。
「レオン様、は……」
瞬間、アーリィはぐっと呻いて、膝をついた。浮ついていた俺は、そんなアーリィに咄嗟に駆け寄る。そしてアイラに添われ、膝をついたアーリィに目線を合わせてしゃがみ込んだ。
アーリィが俯いた顔を、俺に向ける。目が合った。
「クリスさん!離れて下さい!」
それはレグナムの叫び声が耳に聞こえたのと、同時だった。
その視線に、ゾクッとしたものが体中を駆け巡る。その目は間違いなく、先ほどまでのアーリィでは無かった。
深い、深い深い闇を湛える目。
そしてその口元が、ニヤリと吊り上がる。
俺は直感的な恐怖を感じて、レグナムの言葉もあって、咄嗟に距離を取ろうとする。
「!」
「きゃあっ!」
その前に、俺は驚くほど素早く伸びたアーリィの手で、手首を掴まれた。直後に、突き飛ばされたのか、床に転がされるアイラの悲鳴。
そして同時に何かが、固い金属音を立てて床に転がった。
目で追うと、ナイフが二本。視界の端に入るレグナムが、投擲の構えをしている。そのナイフを投げたのは、レグナムなのだろう。
今の刹那に放ったそれが、何かに阻まれて床に転がったのだ。
「うあっ!」
そして俺は立ち上がったアーリィに、手首を掴まれたまま、吊り下げられた。
信じられない力だった。
一体何が起こっているのか、さっぱりわからない。アーリィを見ると、暗い目はそのままに、その周囲に何か黒い靄のようなものがにじみ出ている。
それは明らかに普通では無かった。俺は直感的に、アーリィが何かに操られているのだと悟った。
「お前は……誰だ!」
ギリギリと締め上げられる手首の痛みに耐えながら、アーリィらしき存在を睨み付ける。
アーリィの顔をしながらも、それは、口角を上げて邪悪としかいいようがない笑みを浮かべ、口を開いた。
その口から、ごぼっと闇が漏れる。
「私は、オマエヲ、むかエに、キタ」
闇と共に、吐き出される酷く耳障りな声。
「……テトラか……!」
背後から絞り出されるようなアルクの声。
これが、テトラ?封印は―――
「テトラ……って、封印されてるはずじゃなかったの?!」
「封印は、限界なんだ。何が起こってもおかしくはない……!それに、さっきクリスは心臓に、テトラに近づきすぎてしまった……気付かれたんだ……!」
「俺をどうするつもりなんだ……!」
じっと見るだけで心が折れそうになるその目を、俺は睨み返す。
そうしなければ、まともに喋れそうに無い。それ程に、目の前の存在から発せられる禍々しい圧力が、俺の心を蝕んでいる。
「オマエのからダをもらウ」
ゾッとするような事を、テトラは言った。
それは確かに、ルシアンが望んだ事でもあったからだ。それと、テトラの望みが一致する事が、おぞましい想像をかき立ててならない。
「……!そうはさせん!」
背後で、アルクの声と、『Zi』という、魔法発動の言葉が聞こえる。
そうだ、魔法。
目をこらす。青い炎が、視界の端に明滅する。
「無駄、ダ」
先に背後から発動したと思われる、光の束が俺を追い越して、アーリィテトラに迫った。
だがそれは、テトラの身体から滲む闇にはじかれるようにして、軌道をねじ曲げられて、天井に命中し、それを粉々にする。
「何……!」
「Zi」
それを見て俺も、魔法発動の単音節を叫ぶ。
テトラを目の前に、青い炎が円を描き、文様が現れた。回転をはじめる。
「がぼっ!?」
しかしそれが、力となって放出される前に、テトラの口から漏れ出た闇が、俺の口に不気味な実体感を伴って侵入してきた。それに精神はかき乱され、文様が霧散する。
「ぐむっ!」
「無駄ダ、無駄だ、最早、私のモのダ」
尚も侵入してくる闇に溺れ苦しむ俺の目の前で、テトラの顔周辺から、青の文様が現れ回転を始めた。それは信じられない光景だった。
俺の魔法と、同じだ。
苦しみに滲む視界の向こう、文様が増えていく。
何の魔法が発動するのかは、わからない。だが、それが危険なものであることは理解できる。
なのに何も出来ない。魔法さえも封じられた俺には、何も出来ない。
―――レオン!
「クリスを、離せ!」
パルミラが剣を手に、テトラに斬りかかったのが見えたが、その剣も、今やはっきりと実体を伴っていることがわかるほどに濃く濃密な闇に、絡め取られる。
「あハハはハ」
「いかん!転移だ!」
笑うテトラの背後に、発動した魔法によるものと思われる、金色の壁が出現した。
叫ぶアルクの声を聞くまでも無い。それは、転移の魔法に他ならない。俺を、連れ去るつもりなのは、明白だった。
そのまま、テトラは後ろに下がり、金色の壁に消えていく。同様にして俺もその壁に飲み込まれていく。身体をくねらせ抵抗するが、ズブズブと足が、下半身が、腕が、それに引きずり込まれる。
それは強い恐怖を伴って、俺を打ちのめした。
「うぐうううふうう!」
―――レオン、助けて。レオン!
声にならないその叫びを俺は強く思いながら、やがて視界の全てを金色にして、意識を失った。
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