すわんぷ・ガール!
62話 テトラの心臓
  コバルトグリーンの通路を進む。
通路は広く、二人並んで歩いてもまだ全然余裕がある。
最初こそ、縦列警戒でソロソロと進んでいたものの、余りの見通しの良さと、今のところ分かれ道も無かったため、段々ダレてきて並んで歩いた。
それでも、一応パルミラは剣を抜き身にはしているが、あまり注意しているとは言いがたい。不安には思っているのかも知れないが、既に最初のような警戒はしていなかった。
「……それにしても変な場所だな」
辺りを見回しながら、そう独り言ちる。
壁は凹凸の無い、真っ平らな何かで作られている。さっきは気付かなかったが、天井と壁との隙間に溝があって、そこから光が漏れている。
よくよく考えてみれば、迷宮なのに明るいのはおかしかった。
そのスリットが発光することによって、通路全体を照らしている。それは通路に沿って、ずっと奥の奥まで続いていた。
あの光が、何の光で、そしてどうやって光り続けているのかはわからない。
ただ、少なくとも俺が知る中では、日の光以外に、普通、光り続けていられるものはこの世に存在しないということだ。そんな日の光さえも、夜には消えてしまう。
要するに、何かがこの通を、光らせ続けている。
それは迷宮が生きている、ということの証左でもある。
生きているのならば、それは枯れていない。枯れてないなら、何かがある。
あの男も、きっとこの先に行った。何かあるに違いない。
「……そいえばパルミラ」
「ん」
「パルミラ、あの男と話したんだよな。どんな感じだった?」
気付いてみれば、だいたいパルミラはあの男と何かを話していたはずだった。
パルミラはそれをよく見ている上に、会話までしているのだから、特徴とか、どんな感じだったかとかを聞けばひょっとすると何かを思い出すかも知れない。
「………………少し懐かしい感じだった」
パルミラは、少し考え倦ねた様子を見せた後、そう言った。
懐かしい、感じ?
その答えは、余りにも意外だった。
俺としてはもう少し、例えば目が大きかったとか、大声だった、とか、そういう具体的なものを期待していただけに、あまりに抽象的すぎるその言葉に、戸惑いを隠せない。
それに、懐かしいというのがかなりひっかかる。
例えば俺にしても、どこかであったことがある、という直感的なものがあるだけに、懐かしいといわれれば、ややそれと被っている気がしなくも無い。
ただ、俺のそれと、パルミラのそれが、同一かといえば、それはわからない。何処かで会った、と、懐かしい、はややニュアンスが違う気もするし。
「どう、懐かしい感じだったんだ?」
「……良くわからない。ただ、何となく懐かしいような気がしただけ」
自分でも難しいことを聞いたよなと思ったが、案の定、パルミラは悩みながらそう返した。
仕方ないので、その他に気になったことを聞いてみる。
「他には?」
「特に何も。普通の人だった。正直私にはクリスがそこまでこだわる理由がよくわからない」
……そう言われると、返す言葉が見当たらない。
俺にしても、正直なぜあの男が気になるのか、よくわかっていないからだ。
思い出してみる。
あの赤髪。あの立ち振る舞い。あの『感じ』。どこかで会った事がある。
そして、一瞬だけ交錯した視線。何か、言いようが無いような悪寒を感じた。それは何なのかがわからない。記憶を掘り起こしても、どうしても思い出せない。
「クリス」
悩んでいると、パルミラが俺のドレスの裾を軽く引っ張った。見ると、俺を見ながら抜き身の剣先で、通路の先を指している。
視線をそちらに移す。
その先に何かが見えた。通路が途切れているようにも見える。
行き止まりではなくて、どこかに繋がっている感じだった。まだ遠く、よく見えない。
「何か音が聞こえる」
そしてパルミラが言うように、何かその奥から微かに音が聞こえてくる。耳を澄ましてみると、それはシューシューという空気が漏れるような音だった。
俺たちはその音の不気味さに、目を見合わせ頷く。それを合図に、パルミラが改めて前に出て、剣を構え尚した。
何となくだが、嫌な予感がする。
軽くだが、首筋にチリチリとしたものを覚え、俺は無意識に手を添えた。
それでも、進むしか無い。道はどこにも分岐していない一本道だったし、そして、今更後戻りも無い。
レオン、来てくれるよな?
我ながら自分勝手すぎるなと思いつつも、そう期待しながら慎重に前進するパルミラに続いて歩を進める。
少しずつ、見えていたそれが近付く。
それにつれて、何となくそれがわかってきた。向こうは、部屋になっているようだった。
そして近付くにつれシューシューという音がはっきりしてくる。
一体何なんだろう。そう思っているウチに、その部屋に俺たちは到達した。
「?!」
果たして広がるその部屋、というか、広い空間を目の当たりにして、俺たちは絶句した。
流石のパルミラも、言葉も無いらしく、余りの光景に警戒していたはずの剣を下げて、立ち尽くしている。
通路の終わりの場所は、かなり広い空間に繋がっていた。それも尋常な広さじゃない。どこぞの街で見た、コロセウムぐらいの広さはある。そして天井も高い。
だが、俺たちが見て驚いたのは、そんなものではなかった。
その空間の中央、その中空にそれはあった。
「な、なんだあれ?」
赤い大きな、球体。
それに、幾つもの管のようなものが纏わり付き、そしてその管によって中空に絡め取られるように浮いていた。管は天井や壁から伸びていて球体を吊すように縫い止めている。
そしてその球体に纏わり付く管から、ときおり、ガスのようなものが噴出する。遠くから聞こえたシューシューという音の正体が、それだった。
横に立ってそれを同じように見ていたパルミラが、すっと俺に身体を寄せてくる。その球体を見ながら、顔が青ざめていた。
きっと俺もそうなのだと思う。
はっきりいって、目の前にあるそれは、不気味の一言に尽きた。
確かにここまでくるまでにも、十分に違和感を感じていた。だが、この目の前の球体は、もはや違和感などという生やさしい表現を超えていた。言ってみれば、それはあってはならないような光景に近かった。本能的に感じる、その不吉で気持ち悪いという感覚。それでいて、目を離した瞬間とんでもないことになるんじゃないかと直感してしまう程の、圧倒的な異様さ。
「やあ、クリス」
「ぅひっ!」
その光景に目を奪われ、固まっている俺たちの横合いから、いきなり声がかけられた。
緊迫していた俺は、自分の名前を突然呼ばれたことに、文字通り飛び上がるほど驚いて、妙な悲鳴を上げてしまう。
「誰?!」
先に反応したのはパルミラだった。持った剣を、声がした方に向ける。
あの男なのか。
そう思ったのは一瞬だった。なぜならその声には、聞き覚えがあった。
「……ルシアン、様」
そこにはいつの間にか、ルシアンがその場の雰囲気にそぐわない、あの笑みを浮かべて立っていた。俺は辛うじて、様、をつける。
そして、よくわかってないだろうパルミラの剣を前に出て下げさせる。
正直、こんな場所で会うには不穏すぎるし、不信だった。
だが、相手はそれでも第二王子。滅多なことは言えない。
そう思えば、パルミラなどは、図らずも第二第三の各王子に剣を向けた大狼藉者だといえる。
「どうしてこんな場所に?って顔してるね。いや、それは僕の台詞なんだよ。何故こんな場所に?クリス」
不敵に笑いながら近付いてくるルシアン。
その笑顔が、その場の雰囲気をも相まって、不気味に見えた。後ずさりしたい気持ちを抑え、それでも軽くルシアンを睨みつける。
相手は確かに、第二王子。それでも俺は、剣を向けるどころか、殴りかかった相手だ。今更感もある。
それにしても、何故こんな場所に?だって?
「……不審な男を見かけて、追いかけたらここに落ちたんです」
誤魔化しも無く、ストレートに事実を伝える。特にそこに嘘をついても仕方が無い。
「不審な男、だって?僕のことじゃないよね?」
「いいえ、ルシアン様ではありません……見ませんでしたか?」
相手の腹を探るように、俺は聞いた。
その謎の男は、少なくともここには居ない。ここまでは一本道だったので、更にどこかに行ってしまったのだろうと思う。
それはともかく、その男を捜して歩いた俺たちの先で、ルシアンと会ったという事が俺には引っかかった。
二つの可能性が、考えられる。
あの謎の男は、全くの第三者で、ルシアンとも無関係。よって、ルシアンと会ったのも偶然。
或いは、ルシアンとあの謎の男は何か関係がある。俺達はここに誘い込まれた。なので、ルシアンに会ったのは必然。
どっちなのだろう。それが気になる。
「そうかぁ、僕じゃないのか。なんていうか、僕を追いかけてきてくれてるんだったら、嬉しかったんだけどねぇ」
そのはぐらかし口調は、殆ど、あの男との関係を認めているようなものだった。
見なかったかと聞かれて本当に知らないのであれば、普通、まずその男について聞くはずだからだ。ましてや、こんな曰くありげな場所で、平静としているのに。
「……ここは、どこなんですか」
相手のペースに乗せられないよう、慎重に言葉を選ぶ。
最早、ルシアンが俺たちをここに誘導したのは明白だった。もしかすると、俺があの男に異様に執着してしまったのも、魔法的な何かなのかも知れない。
それは、突飛すぎる発想かも知れないが、この場所の異様さと、相手の不審さを考えると、何でもありそうな気がした。
「それを聞くかな?ここはね。帝国の、或いは帝都の、最も重要な秘密なんだよ。それこそ、この場所を知っているのは、限られた人間しか居ない。そんな秘密を、君は知りたいかい?」
脅しとも取れる言葉を、楽しそうに語るルシアン。
それはどこか道化じみていて、本当は教えたくて教えたくて仕方ない。そう言っているようにも聞こえる。
だからこそ、俺はそれに答えられない。きっとルシアンがこれから語ろうとする話は、ろくでもないことだということがわかるからだ。それを抜きにしても、あの不気味な球体の正体など、あまり聞きたくはない。
ただ、それは、間違いなく俺に関係するものだと思えた。いや、俺なのか、『クリス』なのかはわからないが。
俺が答え倦ねていると、ルシアンはそれを待たずに、元からそうするつもりだったかのように、何の断りもなく、続けた。
「あれはね、お墓なのさ。そして同時に、この街を守るものでもある。僕たちは、あれをテトラの心臓と呼んでいるよ」
「お墓……」
あれが?
俺たちは今一度、その球体を見上げた。纏わり付く管。それが時折シュウシュウと蒸気のような煙を上げる。およそ、それは墓というそれとは到底思えなかった。それよりも、その後に言った言葉の方が余程しっくりきた。
心臓。まさに、言い得て妙だった。蒸気を上げる管に巻かれたそれは、脈動する心臓のように、確かに見える。
テトラの心臓。
テトラ。
どこかで、聞いたことがある。
「……五応門の魔法士」
俺がその名前の出所を思い出していると、パルミラが横でボソッと言った。
知っているのか、パルミラ。
と思ったが、そう言われて俺も思い出した。ビレルワンディの冒険者ギルドで、ギルマスのアルクが確か『伝説の魔法士』とか言いながら、少しだけ言及したような気がする。
まさかそんな話が、今ここで繋がろうとは思わなかった。
「テトラって……何者だったんですか?」
「古代の魔法士。魔法というモノの基礎を作った者と言われているね。そこの可愛い銃士ちゃんが言ったとおり、五応門を適応したとも。そもそも応門なんていう概念を作ったのも、テトラだという話さ。とにかく、およそ魔法に関わる全てはテトラからということになってる。強力な魔法士。それも今なんかとは比べものにならないほどの……そんなテトラが、ここには葬られて、いや、封印されてるって事だね」
封印。
なるほど、そっちのほうが余程しっくりきた。
今目の前にある、心臓と呼ばれた球体は、どう考えても死んだ何かを閉じ込めたものじゃない。
中にあるモノがもし生物なのだとしたら、それは生きている。
或いは、生かされている。そういう感じだ。
「この街はね、聞いたかも知れないけど、元々は古代の遺跡だったんだ。この上にある城も、そして囲む城壁も。僕たちは、そんな遺跡を知らないままに街に利用したって訳」
「知らないままって、何を……」
この、『心臓』をか。
「この街。この城。この城壁。それらは、この墓を封印するものだった、ってことをだよ」
馬鹿な話だよね。
ルシアンはそう続けて、楽しそうに笑った。
それは、帝国の王子という立場を考えれば、異様な姿だった。ルシアンは、帝国を馬鹿にしているとも取れた。
威容を誇るこの帝都。誰もがその姿を見て、感嘆の声を上げる。そして思う。流石、世界に冠たる帝国の首都だと。
だが、その帝国の王子は言う。そんなものはまやかしだと。
本来、誇れるはずのその肩書き。そんなものは微塵も価値が無いと言わんばかりの態度だった。
「でも、そんな封印ももうすぐ解けてしまう。永久的な封印は、もともと無理なんだ。それに僕たちはそんな封印を、乱してしまった」
「……封印が解けたら、どうなるんですか?」
「多分、帝都がふっとんじゃうんじゃないかな?」
恐ろしい未来を、ルシアンは事も無げに言った。
何を考えているのか、よくわからない。まるで、そんなことは、どうでもいいとでも言いたげな感じだった。
一方で、それは嘘を言っているようにも聞こえる。むしろ嘘であって欲しい。
だが、その脈動するかのようなそれを背後に語るルシアンには、それを信じ込ませるだけの妙な不気味さがあった。
「……なぜ、そんな秘密を、私たちに?」
俺にはルシアンの目的が、よくわからない。きっとルシアンは、ここに俺たちを何かの目的があって呼んだのだろう。
それがこの場所を見せること。そして、そんな話をすることだけが目的だったとは思えない。
「そうだね。クリスに僕たちの目的っていうのをさ、知っておいて貰おうと思ってさ」
「僕……たち?」
「そう、僕と、そして、レオンのね」
そう、ルシアンはあっさりと衝撃的な名前を暴露した。
通路は広く、二人並んで歩いてもまだ全然余裕がある。
最初こそ、縦列警戒でソロソロと進んでいたものの、余りの見通しの良さと、今のところ分かれ道も無かったため、段々ダレてきて並んで歩いた。
それでも、一応パルミラは剣を抜き身にはしているが、あまり注意しているとは言いがたい。不安には思っているのかも知れないが、既に最初のような警戒はしていなかった。
「……それにしても変な場所だな」
辺りを見回しながら、そう独り言ちる。
壁は凹凸の無い、真っ平らな何かで作られている。さっきは気付かなかったが、天井と壁との隙間に溝があって、そこから光が漏れている。
よくよく考えてみれば、迷宮なのに明るいのはおかしかった。
そのスリットが発光することによって、通路全体を照らしている。それは通路に沿って、ずっと奥の奥まで続いていた。
あの光が、何の光で、そしてどうやって光り続けているのかはわからない。
ただ、少なくとも俺が知る中では、日の光以外に、普通、光り続けていられるものはこの世に存在しないということだ。そんな日の光さえも、夜には消えてしまう。
要するに、何かがこの通を、光らせ続けている。
それは迷宮が生きている、ということの証左でもある。
生きているのならば、それは枯れていない。枯れてないなら、何かがある。
あの男も、きっとこの先に行った。何かあるに違いない。
「……そいえばパルミラ」
「ん」
「パルミラ、あの男と話したんだよな。どんな感じだった?」
気付いてみれば、だいたいパルミラはあの男と何かを話していたはずだった。
パルミラはそれをよく見ている上に、会話までしているのだから、特徴とか、どんな感じだったかとかを聞けばひょっとすると何かを思い出すかも知れない。
「………………少し懐かしい感じだった」
パルミラは、少し考え倦ねた様子を見せた後、そう言った。
懐かしい、感じ?
その答えは、余りにも意外だった。
俺としてはもう少し、例えば目が大きかったとか、大声だった、とか、そういう具体的なものを期待していただけに、あまりに抽象的すぎるその言葉に、戸惑いを隠せない。
それに、懐かしいというのがかなりひっかかる。
例えば俺にしても、どこかであったことがある、という直感的なものがあるだけに、懐かしいといわれれば、ややそれと被っている気がしなくも無い。
ただ、俺のそれと、パルミラのそれが、同一かといえば、それはわからない。何処かで会った、と、懐かしい、はややニュアンスが違う気もするし。
「どう、懐かしい感じだったんだ?」
「……良くわからない。ただ、何となく懐かしいような気がしただけ」
自分でも難しいことを聞いたよなと思ったが、案の定、パルミラは悩みながらそう返した。
仕方ないので、その他に気になったことを聞いてみる。
「他には?」
「特に何も。普通の人だった。正直私にはクリスがそこまでこだわる理由がよくわからない」
……そう言われると、返す言葉が見当たらない。
俺にしても、正直なぜあの男が気になるのか、よくわかっていないからだ。
思い出してみる。
あの赤髪。あの立ち振る舞い。あの『感じ』。どこかで会った事がある。
そして、一瞬だけ交錯した視線。何か、言いようが無いような悪寒を感じた。それは何なのかがわからない。記憶を掘り起こしても、どうしても思い出せない。
「クリス」
悩んでいると、パルミラが俺のドレスの裾を軽く引っ張った。見ると、俺を見ながら抜き身の剣先で、通路の先を指している。
視線をそちらに移す。
その先に何かが見えた。通路が途切れているようにも見える。
行き止まりではなくて、どこかに繋がっている感じだった。まだ遠く、よく見えない。
「何か音が聞こえる」
そしてパルミラが言うように、何かその奥から微かに音が聞こえてくる。耳を澄ましてみると、それはシューシューという空気が漏れるような音だった。
俺たちはその音の不気味さに、目を見合わせ頷く。それを合図に、パルミラが改めて前に出て、剣を構え尚した。
何となくだが、嫌な予感がする。
軽くだが、首筋にチリチリとしたものを覚え、俺は無意識に手を添えた。
それでも、進むしか無い。道はどこにも分岐していない一本道だったし、そして、今更後戻りも無い。
レオン、来てくれるよな?
我ながら自分勝手すぎるなと思いつつも、そう期待しながら慎重に前進するパルミラに続いて歩を進める。
少しずつ、見えていたそれが近付く。
それにつれて、何となくそれがわかってきた。向こうは、部屋になっているようだった。
そして近付くにつれシューシューという音がはっきりしてくる。
一体何なんだろう。そう思っているウチに、その部屋に俺たちは到達した。
「?!」
果たして広がるその部屋、というか、広い空間を目の当たりにして、俺たちは絶句した。
流石のパルミラも、言葉も無いらしく、余りの光景に警戒していたはずの剣を下げて、立ち尽くしている。
通路の終わりの場所は、かなり広い空間に繋がっていた。それも尋常な広さじゃない。どこぞの街で見た、コロセウムぐらいの広さはある。そして天井も高い。
だが、俺たちが見て驚いたのは、そんなものではなかった。
その空間の中央、その中空にそれはあった。
「な、なんだあれ?」
赤い大きな、球体。
それに、幾つもの管のようなものが纏わり付き、そしてその管によって中空に絡め取られるように浮いていた。管は天井や壁から伸びていて球体を吊すように縫い止めている。
そしてその球体に纏わり付く管から、ときおり、ガスのようなものが噴出する。遠くから聞こえたシューシューという音の正体が、それだった。
横に立ってそれを同じように見ていたパルミラが、すっと俺に身体を寄せてくる。その球体を見ながら、顔が青ざめていた。
きっと俺もそうなのだと思う。
はっきりいって、目の前にあるそれは、不気味の一言に尽きた。
確かにここまでくるまでにも、十分に違和感を感じていた。だが、この目の前の球体は、もはや違和感などという生やさしい表現を超えていた。言ってみれば、それはあってはならないような光景に近かった。本能的に感じる、その不吉で気持ち悪いという感覚。それでいて、目を離した瞬間とんでもないことになるんじゃないかと直感してしまう程の、圧倒的な異様さ。
「やあ、クリス」
「ぅひっ!」
その光景に目を奪われ、固まっている俺たちの横合いから、いきなり声がかけられた。
緊迫していた俺は、自分の名前を突然呼ばれたことに、文字通り飛び上がるほど驚いて、妙な悲鳴を上げてしまう。
「誰?!」
先に反応したのはパルミラだった。持った剣を、声がした方に向ける。
あの男なのか。
そう思ったのは一瞬だった。なぜならその声には、聞き覚えがあった。
「……ルシアン、様」
そこにはいつの間にか、ルシアンがその場の雰囲気にそぐわない、あの笑みを浮かべて立っていた。俺は辛うじて、様、をつける。
そして、よくわかってないだろうパルミラの剣を前に出て下げさせる。
正直、こんな場所で会うには不穏すぎるし、不信だった。
だが、相手はそれでも第二王子。滅多なことは言えない。
そう思えば、パルミラなどは、図らずも第二第三の各王子に剣を向けた大狼藉者だといえる。
「どうしてこんな場所に?って顔してるね。いや、それは僕の台詞なんだよ。何故こんな場所に?クリス」
不敵に笑いながら近付いてくるルシアン。
その笑顔が、その場の雰囲気をも相まって、不気味に見えた。後ずさりしたい気持ちを抑え、それでも軽くルシアンを睨みつける。
相手は確かに、第二王子。それでも俺は、剣を向けるどころか、殴りかかった相手だ。今更感もある。
それにしても、何故こんな場所に?だって?
「……不審な男を見かけて、追いかけたらここに落ちたんです」
誤魔化しも無く、ストレートに事実を伝える。特にそこに嘘をついても仕方が無い。
「不審な男、だって?僕のことじゃないよね?」
「いいえ、ルシアン様ではありません……見ませんでしたか?」
相手の腹を探るように、俺は聞いた。
その謎の男は、少なくともここには居ない。ここまでは一本道だったので、更にどこかに行ってしまったのだろうと思う。
それはともかく、その男を捜して歩いた俺たちの先で、ルシアンと会ったという事が俺には引っかかった。
二つの可能性が、考えられる。
あの謎の男は、全くの第三者で、ルシアンとも無関係。よって、ルシアンと会ったのも偶然。
或いは、ルシアンとあの謎の男は何か関係がある。俺達はここに誘い込まれた。なので、ルシアンに会ったのは必然。
どっちなのだろう。それが気になる。
「そうかぁ、僕じゃないのか。なんていうか、僕を追いかけてきてくれてるんだったら、嬉しかったんだけどねぇ」
そのはぐらかし口調は、殆ど、あの男との関係を認めているようなものだった。
見なかったかと聞かれて本当に知らないのであれば、普通、まずその男について聞くはずだからだ。ましてや、こんな曰くありげな場所で、平静としているのに。
「……ここは、どこなんですか」
相手のペースに乗せられないよう、慎重に言葉を選ぶ。
最早、ルシアンが俺たちをここに誘導したのは明白だった。もしかすると、俺があの男に異様に執着してしまったのも、魔法的な何かなのかも知れない。
それは、突飛すぎる発想かも知れないが、この場所の異様さと、相手の不審さを考えると、何でもありそうな気がした。
「それを聞くかな?ここはね。帝国の、或いは帝都の、最も重要な秘密なんだよ。それこそ、この場所を知っているのは、限られた人間しか居ない。そんな秘密を、君は知りたいかい?」
脅しとも取れる言葉を、楽しそうに語るルシアン。
それはどこか道化じみていて、本当は教えたくて教えたくて仕方ない。そう言っているようにも聞こえる。
だからこそ、俺はそれに答えられない。きっとルシアンがこれから語ろうとする話は、ろくでもないことだということがわかるからだ。それを抜きにしても、あの不気味な球体の正体など、あまり聞きたくはない。
ただ、それは、間違いなく俺に関係するものだと思えた。いや、俺なのか、『クリス』なのかはわからないが。
俺が答え倦ねていると、ルシアンはそれを待たずに、元からそうするつもりだったかのように、何の断りもなく、続けた。
「あれはね、お墓なのさ。そして同時に、この街を守るものでもある。僕たちは、あれをテトラの心臓と呼んでいるよ」
「お墓……」
あれが?
俺たちは今一度、その球体を見上げた。纏わり付く管。それが時折シュウシュウと蒸気のような煙を上げる。およそ、それは墓というそれとは到底思えなかった。それよりも、その後に言った言葉の方が余程しっくりきた。
心臓。まさに、言い得て妙だった。蒸気を上げる管に巻かれたそれは、脈動する心臓のように、確かに見える。
テトラの心臓。
テトラ。
どこかで、聞いたことがある。
「……五応門の魔法士」
俺がその名前の出所を思い出していると、パルミラが横でボソッと言った。
知っているのか、パルミラ。
と思ったが、そう言われて俺も思い出した。ビレルワンディの冒険者ギルドで、ギルマスのアルクが確か『伝説の魔法士』とか言いながら、少しだけ言及したような気がする。
まさかそんな話が、今ここで繋がろうとは思わなかった。
「テトラって……何者だったんですか?」
「古代の魔法士。魔法というモノの基礎を作った者と言われているね。そこの可愛い銃士ちゃんが言ったとおり、五応門を適応したとも。そもそも応門なんていう概念を作ったのも、テトラだという話さ。とにかく、およそ魔法に関わる全てはテトラからということになってる。強力な魔法士。それも今なんかとは比べものにならないほどの……そんなテトラが、ここには葬られて、いや、封印されてるって事だね」
封印。
なるほど、そっちのほうが余程しっくりきた。
今目の前にある、心臓と呼ばれた球体は、どう考えても死んだ何かを閉じ込めたものじゃない。
中にあるモノがもし生物なのだとしたら、それは生きている。
或いは、生かされている。そういう感じだ。
「この街はね、聞いたかも知れないけど、元々は古代の遺跡だったんだ。この上にある城も、そして囲む城壁も。僕たちは、そんな遺跡を知らないままに街に利用したって訳」
「知らないままって、何を……」
この、『心臓』をか。
「この街。この城。この城壁。それらは、この墓を封印するものだった、ってことをだよ」
馬鹿な話だよね。
ルシアンはそう続けて、楽しそうに笑った。
それは、帝国の王子という立場を考えれば、異様な姿だった。ルシアンは、帝国を馬鹿にしているとも取れた。
威容を誇るこの帝都。誰もがその姿を見て、感嘆の声を上げる。そして思う。流石、世界に冠たる帝国の首都だと。
だが、その帝国の王子は言う。そんなものはまやかしだと。
本来、誇れるはずのその肩書き。そんなものは微塵も価値が無いと言わんばかりの態度だった。
「でも、そんな封印ももうすぐ解けてしまう。永久的な封印は、もともと無理なんだ。それに僕たちはそんな封印を、乱してしまった」
「……封印が解けたら、どうなるんですか?」
「多分、帝都がふっとんじゃうんじゃないかな?」
恐ろしい未来を、ルシアンは事も無げに言った。
何を考えているのか、よくわからない。まるで、そんなことは、どうでもいいとでも言いたげな感じだった。
一方で、それは嘘を言っているようにも聞こえる。むしろ嘘であって欲しい。
だが、その脈動するかのようなそれを背後に語るルシアンには、それを信じ込ませるだけの妙な不気味さがあった。
「……なぜ、そんな秘密を、私たちに?」
俺にはルシアンの目的が、よくわからない。きっとルシアンは、ここに俺たちを何かの目的があって呼んだのだろう。
それがこの場所を見せること。そして、そんな話をすることだけが目的だったとは思えない。
「そうだね。クリスに僕たちの目的っていうのをさ、知っておいて貰おうと思ってさ」
「僕……たち?」
「そう、僕と、そして、レオンのね」
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