金環食をご一緒に
8.それは遠い追憶の彼方
ディーガンさんと、バーホーテンさんは、店にはいると直ぐに例の地下室へと足を運んだ。どうやらそこで二人して何か話し合っていたようだ。
その間僕たち―――リョウコさん、リーンシェラさん、セシリアさん―――は、ミランの寝室で、僕はリーンシェラさんとセシリアさんに夢の話を、リョウコさんは調査の経緯を、僕に語ってくれた。ミランはまだ目を覚ましていない。
「とにかく、何も話してくれないんですから」
開口一番、リョウコさんはディーガンさんに対して不逞を露わにした。
昨日―――既に12時をまわってるから一昨日とも言う―――僕たちと別れたリョウコさんはウィルに住む吟遊詩人仲間を廻って、かの詩について聞き込みをしたそうだ。ただ、その聞き込みでは詳しいことは全くわからず、わかったことはただ一つ、どうやらこの詩はミランが知っているだけらしいという事のみだったそうだ。
妙に納得がいかなかったリョウコさんは色々あって知己のあるディーガンさんを訪ね、事の一部始終を話し、協力を願い出たという話だ。それが昨日の朝の話。
「それはもう、大変だったんですよ」
あれこれ有った後、結局協力する事を承知したディーガンさんは、昼過ぎまで家の本棚を漁ったあげく城に出向いて図書館をひっくり返し、夕方頃自分だけ納得すると、リョウコさんに「地下の村から一人、魔族を連れてきてくれ」とだけ言って、さっさと家に帰ってしまったそうである。
「確かに城に入れたのは初めてだったから、嬉しかったですけどね」
そして夜の帳も降りる頃頃、例の祭りで忙しそうなバーホーテンさんをあれこれ言って連れ出し、結局家でまた本を読んでいたディーガンさんと一緒にココへ来た、というわけだ。
「バーホーテンさんには『外へ行ってみませんか?』って言ったら、二つ返事で承知してくれましたけど」
「それにしても、いいんですかねぇ・・・」
思案顔で、セシリアさんが言う。確かにそんな気はしなくもない。これを機に、バーホーテンさんもそうだけど、魔族の人が地上へ出てくるようになって、あまつさえ、何かの拍子にばれるような事が有れば……
「あ、大丈夫です。アーリーさんが、その辺りについてバーホーテンさんに、じゅーぶん、注意していたようですから」
「あらら、そうなんですの?」
それにしても、よくもまあ、アーリーさんも承知したものだ。
「で、姉貴はー?」
「『呪い屋が居るから、あたしの出番も無いでしょ?』って言ってましたね」
……ただ単に、ディーガンさんが嫌いなのかも知れない。それでも、バーホーテンさんが外に行くことを承知したということは、アーリーさんなりに信頼しているということなのだろうか。
「それにしても……なにやってんのかなー。あの二人」
話が切れたタイミングで、リーンシェラさんがふと扉に目を移しながら言う。
確かにもう一時間ちかくになる。そもそも、考えてみればなぜバーホーテンさんまでココに来ているのかがわからない。未だ謎だらけで、逆に深まるばかりだ。
ミランを見る。
先ほどは苦悶の表情を浮かべて何事かを呻いていたようだったけど、今は少し落ち着いている。とは言っても、滲む汗はそのままで、それを見れば僕は締め付けられるような気分になった。代われるものなら代わってやりたい。そうとすら思う。
「オレ、ちょっと見てくる」
気付けばいつの間にか重くなってしまった空気に居たたまれなくなったのか、リーンシェラさんはそう言って席を立った。そのまま戸口へ向かう―――が、リーンシェラさんがドアノブに触れる直前、それは先に外から開いた。
「わ!」
「ディーガンさん……!」
現れたのは、地下に降りていたはずのディーガンさんと、バーホーテンさんだった。ディーガンさんは驚いているリーンシェラさんに『なにをやっているんだ』といった体で一瞥をくれると、そのまま部屋の中に入ってきた。
「あ、オレ、もういいですかね?」
続いて入ろうとしたバーホーテンさんは、何かに気付いたように戸口で歩を止めると、ディーガンさんにそう問う。
「ああ」
「じゃあ、ラウンジに居ますよ。狭いみたいですから」
言うと、バーホーテンさんは「また後で」と、部屋から出て行った。確かにあまり広くないこの部屋は、随分と大所帯となっている。
その間に、ディーガンさんはセシリアさんとミランの容態について二言三言話すと、自分でもミランの顔に手を翳し、何かを確認した様子で腕を組んだ。
「―――なるほど」
「なにが『なるほど』なんだよ、おっさん。もったいぶらずに早く話せよ」
ディーガンさんを目の前にしてなお、何時もと変わらない口調のリーンシェラさんがツッこむ。思わずリーンシェラさん以外の全員の顔が引きつるが、ディーガンさんは再び一瞥をくれただけで、僕に向き直った。
「概ねの事はわかった」
その言は短かったけど、僕は十分に衝撃を受けた。漸く―――漸く、解が示されるのだ。クレソックさんが言った『私ではない誰か』とは、つまりディーガンさんの事だったのだろう。
「私とて、全てを知っているわけではない。だから、私の口から全て語ってもいいものかどうか―――気になるが」
ディーガンさんはそう言いつつ、ミランの顔を見て、それから僕の顔を見た。
どういうことなのだろう。
「シノブ。おまえは、あの魔族の村について、どう思う?」
突然の質問だった。脈絡が全然わからない。だけど、有無を言わせぬその口調に、僕は疑問を挟むことなく応えた。
「どう……って、そ、うですね。平和で良い村だと思いますけど」
「なるほど」
なにがなるほどなのだろう。そもそも、何か関係が有るのだろうか。それよりも、早く解を―――
「ふぅむ。まあ、どちらにしても、遅かれ早かれ知ってしまう事だからな。或いは本来なら知らずにいたほうが良いのかも知れん。が、まあ、よかろう。ここまで関わったことだ。話してやろう」
漸く話してくれる気になったようだ。なんにしても前置きが長い。もう少しでリーンシェラさんが再びツッコミを入れそうだったのが気配で分かった。
「そうだな。昔話から始めよう―――」
尚そう前置きして、ディーガンさんは低い声で蕩々と語り始めた。
「昔、むかし。そうだな、まだこの地にウィルという国も無かった時代の事だ。この地には、魔族の王国が有った。まあ、この国は色々あって滅亡したわけだが、それはさておき、全盛期にはこのセトタ大陸はおろか、他の大陸までを支配する巨大王国だったようだ。彼らは戦争と遠征を繰り返し、遠く、現在のサンにまで手を伸ばしていたらしい。この王国には、稀代の英雄として、イーリンアネルという勇者が居た」
イーリンアネル。僕はドキリとする。それは眠る前にミランが発した言葉に他ならない。それにしても何故、ミランは。
「イーリンアネルは成る程、大した勇者だったようだ。辺境蛮族―――まあ、人間とかエルフとか、ドワーフとか、だな―――の遠征に置いては常に最大級の戦果をあげるほどだった。そのイーリンアネルはある時、恋をするところとなった」
このくだりは、夢の、詩の部分。とすると、イーリンアネルというのは、僕に憑いているという戦士の事なのだろう。
「相手は、王族。第三皇女リオネイラ。身分的には……まあ、国一番の勇者にして既に英雄と名高いイーリンアネルだ。特に問題はなかったらしい。それになんだかんだあって、二人は好きあう仲だった。殆ど二人の仲は公認のようなものだった……だが、第三といえど皇女は皇女。そこには色々と政治的な思惑が絡む。嫉む者も居ただろう。結果、結婚以前に、そのイーリンアネルを遠く遠征の地に追いやってしまえ、という謀略となったようだ」
夢の中、イーリンアネルは遠く遠征に行くことを、随分嘆いていた。或いは、この謀略の構図を知っていたのかもしれない。
「そこで、イーリンアネルは、出征前に、公でない場所で、結婚式を挙げた。このくだりは文献によると『―――大いなる闇の金環を誓いの指輪として―――』とある。まあ、ここは後で詳しく話す。とにかく、愛を確かめ合った二人だが、結局イーリンアネルは遠くサンの地へと出征し……そして帰らなかった。謀殺されたのかもしれんな」
事も無げに言うディーガンさん。だけど、確かにそうかもしれない。僕に眠るイーリンアネルの力は人外のそれだ。正直人間云々に殺されたとは、とても思えない。
「で、リオネイラは当然の如く嘆き、悲しんだ。イーリンアネルが死んだと聞かされて尚、それを信じず、そして結局、生涯イーリンアネルを待ち続け、結婚することもなかったそうだ―――まあ、こんな話だ」
「……悲しい話ですねぇ」
話内容をそのまま受けたらしいセシリアさんが心底悲しそうな顔で言う。リーンシェラさん、リョウコさんも心なしか同様だ。
ただ、僕はそれだけで納得するわけにはいかない。それがわかったのか、微妙なタイミングでディーガンさんは続ける。
「ところで、皇女であったリオネイラには魔族だけに不思議な力を備えていたようだ。そうだな、輪廻転生とでも言うべきか。死してなお、イーリンアネルを待ち続けるべく、その意志を血と共に残し続ける事を行った。呪いとも言えるそれは代々受け継がれ、魔族の国が滅亡して尚、この地にそれは残り続けた―――もう、わかるだろう。この店の地下にある玄室。あれは、リオネイラの墳墓なのだよ。そして」
そこで、ディーガンさんはミランに視線を移した。
そんな、まさか。
「ミラン・トレンティア。彼女こそ、その血を受け継ぐ者なのだ」
全員の視線が、ミランに注がれた。セシリアさんは言った。二つの意識がある、と。
ならば、もう一つの意識とは、それはつまり。
「それじゃ、ミランは魔族なわけ?」
突然、リーンシェラさんが声を上げた。それをディーガンさんはジロリと睨め付ける。
「そうとも言えるし、そうで無いとも言える。見ろ。特に色が黒いわけでも、角が生えているわけでもなかろう。おそらく、どういう経緯かは予想もつかんが、人と交わるうち、血が薄まっていったのだろうな」
だからこそ、ディーガンさんは初めに『魔族の村をどう思うか』と聞いたのだろう。遠回しな話だけど、要するに魔族に対して偏見を持っているかどうかを確認したかったに違いない。
「あ、だから、バーホーテンさんを呼んだんですね」
これはリョウコさん。
「そうだ。玄室の事に付いては、クレソックの配下から概ねの報告を聞いていた。だから、その言語解析等の為、魔族が必要だったわけだ」
「なる……ほど」
「でも、どうして、それならミランは今を持って眠り続けているんですか?」
不躾に、僕は思うところを聞いてみた。結局、それならずいぶん前から意識を二つ持っていた、ということになる。それなら、なぜ、今、こうしてミランは眠り続けているのだろう。なぜ、同じの筈の僕は大丈夫なのだろうか。
「それも、クレソックの配下から概ねを聞いた。推測が混じるが―――まず、死んだ男、ベルマイルだったか、この男はどういう経緯か知らんが、この店に曰く付きの墳墓があるということを知ることになった。古い墳墓といえば、財宝だ―――もちろんそんな物はなかったがな―――そこで、この店を何とかして手に入れようと画策し始めた。そして、結果的に彼女とその墳墓について知るところになったようだ。そこで、彼女を連れて墳墓へ潜る。しかしそこには財宝はない。そこで、彼女に眠っていたもう一つの人格を魔術的手段によって無理矢理呼び覚まし、それについて聞こうとした……つまりだ。本来、呪いとはいえ、その宿主に危害が加わるようなものではなかったのだ。だが、無理矢理に呼び起こされたリオネイラの意識は、彼女の中でおそらく彼女にすら不本意にも肥大化し、結果、宿主の精神を脅かすようになったしまったのだ」
「そんなことが……」
一瞬にして後悔の念に変わる。
結局、僕がもう少し早くミランを解放してやれたなら、今、ここでミランが苦しむような事はなかったのだ。
「な、なんとかなんねーのかよ」
リーンシェラさん。その顔は悲痛に歪んでいる―――?
「呪いといい、憑きモノといい、はっきりとは言えないが、それを解くには、現世にしがみつくその願望を果たしてやるのが一番良い」
「でも僕たちは出会ってますよ?!」
それが、二人の願望の筈。なのに、何故?
「不十分なのだ、それでは。先ほどは言わなかったが、二人が結婚式を挙げたその時に誓った”闇の金環”それが、揃わなければ、二人の約束は果たされないのだよ。シノブ。わかっているはずだ」
そうだった。僕―――イーリンアネルは誓ったのだった。闇の金環に。だから、二人はそれを待っている。ならば。
「闇の金環、とは?」
「闇の金環と言い、或いは、大邂逅と言う。それは―――金環食に他ならない」
「金環食?」
殆ど全員が声をそろえて、そう問うた。僕も例外ではない。初めて聞く単語だった。
「日食ですか……」
ただ一人、セシリアさんだけが、そう答えた。
「そう、その通りだ。星振学的な話になるが、月がその姿を変えるように、太陽もまた、欠けるときがあるのだ。それが日食というものだ。そして月で言うときの新月、その時こそ、金環食は現れる。それこそが、つまり闇の金環なのだよ」
「太陽が……欠けるんだって?」
言いながら、この世の終わりのような顔をするリーンシェラさん。それはそうだ。僕だって信じられない。
「それが普通の反応だな。だからクレソックも慌てたのだろう」
口元を微妙に歪めるディーガンさん。
「クレソックさんが?慌てる?」
「そうだ。例えばだ。ある日の日常、いきなり太陽が欠け始めたらどうなる?オマエたちがそうだったように、大概の者に取ってはまさに晴天の霹靂だ。間違いなくパニックとなる。だからこそ」
「クレソックさんは、ゴロツキや、暗殺ギルドを排除する必要があった」
僕が言葉を継ぐと、ディーガンさんは不機嫌そうに『そうだ』と短く言った。
なるほど。それこそが、クレソックさんの”計画”だったわけだ。勿論、言うとおりゴロツキや暗殺ギルドの排除は計画の一部にしか過ぎないのであろうけども。ただ、仮にこのウィルにパニックという事態に陥った場合、そうした要素はそのパニックを拡大し、或いは利用しようとする可能性が大きい。
おそらく、クレソックさんはそう懸念したのだろう。そして”計画”とは、そのパニックを未然に防ぐという策略の事に違いない。
「でも、日食なんて、そうそう起こるものではないですが……そんな、何時起こるかわからないものを待つほどに、ミランさんは……!」
せっぱ詰まったような表情でセシリアさんはディーガンさんに詰め寄る。最後まで言わなかったけれど、セシリアさんは言いたかったに違いない。ミランは、持たない、と。
だけど。
「シノブ?」
ディーガンさんが促す。僕は肯いた。
「金環食の来迎は今日です」
最早、疑いも、何も無かった。クレソックさんは言った。『明日、全てが決すだろう』と。リュウさんは言った『明後日、大邂逅という祭りがある』と。
それらの情報が、明日の―――いや、今日、闇の金環の来迎を告げている。また、僕の中にある意識すらも、近い将来のその顕現を予測していた。
「今日、です」
僕は繰り返した。繰り返しつつミランを見る。僕は全ての解を得た。もう焦らないし、逸らないし、決することもない。ただ、その瞬間を待てばいいだけだ。
「そう言うことだ。シノブ……ふぅ……私はもう帰って良いな?」
突然、ディーガンさんはそう言うと、すっと立ち上がり、すたすたと戸口へ向かった。
「え?ディーガンさん?」
言うのも聞かず、ドアを開ける。
「正直言って、話しすぎたし、働き過ぎだ。それに、もう私が出る幕は無かろう。リョウコもそれで良いんだな」
「え、あ、はい」
突然話を振られたリョウコさんは面食らったように慌てながら、うんうんと肯く。どう言って連れ出したかは定かではないけれど、確かにディーガンさんを連れ出したのはリョウコさんなのだ。
「それから、三人とも顔色が悪い。寝不足だな。女の寝不足は美容に悪い。寝た方がいい。バーホーテンは私が777まで連れ帰ろう。私としては、魔族の祭りとやらの方が興味がある。それではな」
そこまで一気に喋ると、ほんの一瞬だけディーガンさんはニヤリと笑い、さっさと部屋から出て行った。
いきなりのその行動に、ぽかあんと三人は面食らったように惚けている。どうやら、その笑顔の意味を解したのは僕だけのようだ。
「ディーガンさんも、ああ言う事ですし、どうぞリーンシェラさんも、セシリアさんも、リョウコさんもお休みになって下さい」
「え、シノブさんは……?」
「僕は夕刻まで寝ていましたから」
「そうだよなー」
リーンシェラさんが大きくのびをし、そして欠伸をした。思わず失笑してしまう。
「前まで僕が使っていた部屋で良ければ、ベッドが二つ在りますので、良ければそちらを使って下さい。どちらにしても今日は夜が明けるまで、僕は此処に居ますから」
「そ……か。じゃ、借りちゃうかな」
やはり、一番最初に立ち上がったのはリーンシェラさんだった。そうかといって、多分、朝からどころか昨日夜から起きっぱなしの彼女の事、事実疲れているように見える。
「ええ、どうぞ」
「じゃあ、私も……」
「そうですね。それなら、私もお借りしますわ」
「どうぞ、そうして下さい」
続いてリョウコさんセシリアさんと、席を立った。そのまま、口々に『無理すんなよ』とか『なにかあったら呼んで下さい』とか言いながら、部屋から出て行った。
扉が閉まると、部屋は不思議な静寂に満たされた。
僕はその異質さに部屋中を見回す。特になにも変わらない。
つまり、寂しくなったと言うことか。先ほどまでの衝撃的なのディーガンさんの話。そしてこの小さな部屋に集っていた全部で六人。
それが今や、眠るミランと僕しか居ない。
確かにその変化は劇的で、改めてその異質を知ったとしても、それは成る程と思う。
ただ、今はミランと、僕だけ。
良く考えてみれば、つい昨日までそうだったのだ。あの真昼のバルコニー。座る僕の前にはミランだけ。ただ、そこから、今この瞬間までの距離はあまりにも長かったように思える。振り返れば、それは懐かしささえ感じた。
目を瞑れば、フラッシュバックのように、笑うミランの顔を幾つも脳裏に甦らせることが出来る。それは昔日の面影のようにではなく、はっきりと、見うるのだ。
それだけに、心が痛んだ。
目を開ければ、やはりミランは笑うことなく、床に伏し、眉を寄せ、苦悶とも取れる表情で眠っているのだ。
僕はその額に浮かぶ汗を、そっとタオルで拭う。
「……」
とにかく、明日の話になる。今は、何を後悔しても始まらない。
全てが決し、ミランの顔に笑顔が戻り、何もかもが完了を迎えたときこそ―――ミラン―――僕は、キミに話したいことがたくさん有る。
それだけを、今は、想おう。
その間僕たち―――リョウコさん、リーンシェラさん、セシリアさん―――は、ミランの寝室で、僕はリーンシェラさんとセシリアさんに夢の話を、リョウコさんは調査の経緯を、僕に語ってくれた。ミランはまだ目を覚ましていない。
「とにかく、何も話してくれないんですから」
開口一番、リョウコさんはディーガンさんに対して不逞を露わにした。
昨日―――既に12時をまわってるから一昨日とも言う―――僕たちと別れたリョウコさんはウィルに住む吟遊詩人仲間を廻って、かの詩について聞き込みをしたそうだ。ただ、その聞き込みでは詳しいことは全くわからず、わかったことはただ一つ、どうやらこの詩はミランが知っているだけらしいという事のみだったそうだ。
妙に納得がいかなかったリョウコさんは色々あって知己のあるディーガンさんを訪ね、事の一部始終を話し、協力を願い出たという話だ。それが昨日の朝の話。
「それはもう、大変だったんですよ」
あれこれ有った後、結局協力する事を承知したディーガンさんは、昼過ぎまで家の本棚を漁ったあげく城に出向いて図書館をひっくり返し、夕方頃自分だけ納得すると、リョウコさんに「地下の村から一人、魔族を連れてきてくれ」とだけ言って、さっさと家に帰ってしまったそうである。
「確かに城に入れたのは初めてだったから、嬉しかったですけどね」
そして夜の帳も降りる頃頃、例の祭りで忙しそうなバーホーテンさんをあれこれ言って連れ出し、結局家でまた本を読んでいたディーガンさんと一緒にココへ来た、というわけだ。
「バーホーテンさんには『外へ行ってみませんか?』って言ったら、二つ返事で承知してくれましたけど」
「それにしても、いいんですかねぇ・・・」
思案顔で、セシリアさんが言う。確かにそんな気はしなくもない。これを機に、バーホーテンさんもそうだけど、魔族の人が地上へ出てくるようになって、あまつさえ、何かの拍子にばれるような事が有れば……
「あ、大丈夫です。アーリーさんが、その辺りについてバーホーテンさんに、じゅーぶん、注意していたようですから」
「あらら、そうなんですの?」
それにしても、よくもまあ、アーリーさんも承知したものだ。
「で、姉貴はー?」
「『呪い屋が居るから、あたしの出番も無いでしょ?』って言ってましたね」
……ただ単に、ディーガンさんが嫌いなのかも知れない。それでも、バーホーテンさんが外に行くことを承知したということは、アーリーさんなりに信頼しているということなのだろうか。
「それにしても……なにやってんのかなー。あの二人」
話が切れたタイミングで、リーンシェラさんがふと扉に目を移しながら言う。
確かにもう一時間ちかくになる。そもそも、考えてみればなぜバーホーテンさんまでココに来ているのかがわからない。未だ謎だらけで、逆に深まるばかりだ。
ミランを見る。
先ほどは苦悶の表情を浮かべて何事かを呻いていたようだったけど、今は少し落ち着いている。とは言っても、滲む汗はそのままで、それを見れば僕は締め付けられるような気分になった。代われるものなら代わってやりたい。そうとすら思う。
「オレ、ちょっと見てくる」
気付けばいつの間にか重くなってしまった空気に居たたまれなくなったのか、リーンシェラさんはそう言って席を立った。そのまま戸口へ向かう―――が、リーンシェラさんがドアノブに触れる直前、それは先に外から開いた。
「わ!」
「ディーガンさん……!」
現れたのは、地下に降りていたはずのディーガンさんと、バーホーテンさんだった。ディーガンさんは驚いているリーンシェラさんに『なにをやっているんだ』といった体で一瞥をくれると、そのまま部屋の中に入ってきた。
「あ、オレ、もういいですかね?」
続いて入ろうとしたバーホーテンさんは、何かに気付いたように戸口で歩を止めると、ディーガンさんにそう問う。
「ああ」
「じゃあ、ラウンジに居ますよ。狭いみたいですから」
言うと、バーホーテンさんは「また後で」と、部屋から出て行った。確かにあまり広くないこの部屋は、随分と大所帯となっている。
その間に、ディーガンさんはセシリアさんとミランの容態について二言三言話すと、自分でもミランの顔に手を翳し、何かを確認した様子で腕を組んだ。
「―――なるほど」
「なにが『なるほど』なんだよ、おっさん。もったいぶらずに早く話せよ」
ディーガンさんを目の前にしてなお、何時もと変わらない口調のリーンシェラさんがツッこむ。思わずリーンシェラさん以外の全員の顔が引きつるが、ディーガンさんは再び一瞥をくれただけで、僕に向き直った。
「概ねの事はわかった」
その言は短かったけど、僕は十分に衝撃を受けた。漸く―――漸く、解が示されるのだ。クレソックさんが言った『私ではない誰か』とは、つまりディーガンさんの事だったのだろう。
「私とて、全てを知っているわけではない。だから、私の口から全て語ってもいいものかどうか―――気になるが」
ディーガンさんはそう言いつつ、ミランの顔を見て、それから僕の顔を見た。
どういうことなのだろう。
「シノブ。おまえは、あの魔族の村について、どう思う?」
突然の質問だった。脈絡が全然わからない。だけど、有無を言わせぬその口調に、僕は疑問を挟むことなく応えた。
「どう……って、そ、うですね。平和で良い村だと思いますけど」
「なるほど」
なにがなるほどなのだろう。そもそも、何か関係が有るのだろうか。それよりも、早く解を―――
「ふぅむ。まあ、どちらにしても、遅かれ早かれ知ってしまう事だからな。或いは本来なら知らずにいたほうが良いのかも知れん。が、まあ、よかろう。ここまで関わったことだ。話してやろう」
漸く話してくれる気になったようだ。なんにしても前置きが長い。もう少しでリーンシェラさんが再びツッコミを入れそうだったのが気配で分かった。
「そうだな。昔話から始めよう―――」
尚そう前置きして、ディーガンさんは低い声で蕩々と語り始めた。
「昔、むかし。そうだな、まだこの地にウィルという国も無かった時代の事だ。この地には、魔族の王国が有った。まあ、この国は色々あって滅亡したわけだが、それはさておき、全盛期にはこのセトタ大陸はおろか、他の大陸までを支配する巨大王国だったようだ。彼らは戦争と遠征を繰り返し、遠く、現在のサンにまで手を伸ばしていたらしい。この王国には、稀代の英雄として、イーリンアネルという勇者が居た」
イーリンアネル。僕はドキリとする。それは眠る前にミランが発した言葉に他ならない。それにしても何故、ミランは。
「イーリンアネルは成る程、大した勇者だったようだ。辺境蛮族―――まあ、人間とかエルフとか、ドワーフとか、だな―――の遠征に置いては常に最大級の戦果をあげるほどだった。そのイーリンアネルはある時、恋をするところとなった」
このくだりは、夢の、詩の部分。とすると、イーリンアネルというのは、僕に憑いているという戦士の事なのだろう。
「相手は、王族。第三皇女リオネイラ。身分的には……まあ、国一番の勇者にして既に英雄と名高いイーリンアネルだ。特に問題はなかったらしい。それになんだかんだあって、二人は好きあう仲だった。殆ど二人の仲は公認のようなものだった……だが、第三といえど皇女は皇女。そこには色々と政治的な思惑が絡む。嫉む者も居ただろう。結果、結婚以前に、そのイーリンアネルを遠く遠征の地に追いやってしまえ、という謀略となったようだ」
夢の中、イーリンアネルは遠く遠征に行くことを、随分嘆いていた。或いは、この謀略の構図を知っていたのかもしれない。
「そこで、イーリンアネルは、出征前に、公でない場所で、結婚式を挙げた。このくだりは文献によると『―――大いなる闇の金環を誓いの指輪として―――』とある。まあ、ここは後で詳しく話す。とにかく、愛を確かめ合った二人だが、結局イーリンアネルは遠くサンの地へと出征し……そして帰らなかった。謀殺されたのかもしれんな」
事も無げに言うディーガンさん。だけど、確かにそうかもしれない。僕に眠るイーリンアネルの力は人外のそれだ。正直人間云々に殺されたとは、とても思えない。
「で、リオネイラは当然の如く嘆き、悲しんだ。イーリンアネルが死んだと聞かされて尚、それを信じず、そして結局、生涯イーリンアネルを待ち続け、結婚することもなかったそうだ―――まあ、こんな話だ」
「……悲しい話ですねぇ」
話内容をそのまま受けたらしいセシリアさんが心底悲しそうな顔で言う。リーンシェラさん、リョウコさんも心なしか同様だ。
ただ、僕はそれだけで納得するわけにはいかない。それがわかったのか、微妙なタイミングでディーガンさんは続ける。
「ところで、皇女であったリオネイラには魔族だけに不思議な力を備えていたようだ。そうだな、輪廻転生とでも言うべきか。死してなお、イーリンアネルを待ち続けるべく、その意志を血と共に残し続ける事を行った。呪いとも言えるそれは代々受け継がれ、魔族の国が滅亡して尚、この地にそれは残り続けた―――もう、わかるだろう。この店の地下にある玄室。あれは、リオネイラの墳墓なのだよ。そして」
そこで、ディーガンさんはミランに視線を移した。
そんな、まさか。
「ミラン・トレンティア。彼女こそ、その血を受け継ぐ者なのだ」
全員の視線が、ミランに注がれた。セシリアさんは言った。二つの意識がある、と。
ならば、もう一つの意識とは、それはつまり。
「それじゃ、ミランは魔族なわけ?」
突然、リーンシェラさんが声を上げた。それをディーガンさんはジロリと睨め付ける。
「そうとも言えるし、そうで無いとも言える。見ろ。特に色が黒いわけでも、角が生えているわけでもなかろう。おそらく、どういう経緯かは予想もつかんが、人と交わるうち、血が薄まっていったのだろうな」
だからこそ、ディーガンさんは初めに『魔族の村をどう思うか』と聞いたのだろう。遠回しな話だけど、要するに魔族に対して偏見を持っているかどうかを確認したかったに違いない。
「あ、だから、バーホーテンさんを呼んだんですね」
これはリョウコさん。
「そうだ。玄室の事に付いては、クレソックの配下から概ねの報告を聞いていた。だから、その言語解析等の為、魔族が必要だったわけだ」
「なる……ほど」
「でも、どうして、それならミランは今を持って眠り続けているんですか?」
不躾に、僕は思うところを聞いてみた。結局、それならずいぶん前から意識を二つ持っていた、ということになる。それなら、なぜ、今、こうしてミランは眠り続けているのだろう。なぜ、同じの筈の僕は大丈夫なのだろうか。
「それも、クレソックの配下から概ねを聞いた。推測が混じるが―――まず、死んだ男、ベルマイルだったか、この男はどういう経緯か知らんが、この店に曰く付きの墳墓があるということを知ることになった。古い墳墓といえば、財宝だ―――もちろんそんな物はなかったがな―――そこで、この店を何とかして手に入れようと画策し始めた。そして、結果的に彼女とその墳墓について知るところになったようだ。そこで、彼女を連れて墳墓へ潜る。しかしそこには財宝はない。そこで、彼女に眠っていたもう一つの人格を魔術的手段によって無理矢理呼び覚まし、それについて聞こうとした……つまりだ。本来、呪いとはいえ、その宿主に危害が加わるようなものではなかったのだ。だが、無理矢理に呼び起こされたリオネイラの意識は、彼女の中でおそらく彼女にすら不本意にも肥大化し、結果、宿主の精神を脅かすようになったしまったのだ」
「そんなことが……」
一瞬にして後悔の念に変わる。
結局、僕がもう少し早くミランを解放してやれたなら、今、ここでミランが苦しむような事はなかったのだ。
「な、なんとかなんねーのかよ」
リーンシェラさん。その顔は悲痛に歪んでいる―――?
「呪いといい、憑きモノといい、はっきりとは言えないが、それを解くには、現世にしがみつくその願望を果たしてやるのが一番良い」
「でも僕たちは出会ってますよ?!」
それが、二人の願望の筈。なのに、何故?
「不十分なのだ、それでは。先ほどは言わなかったが、二人が結婚式を挙げたその時に誓った”闇の金環”それが、揃わなければ、二人の約束は果たされないのだよ。シノブ。わかっているはずだ」
そうだった。僕―――イーリンアネルは誓ったのだった。闇の金環に。だから、二人はそれを待っている。ならば。
「闇の金環、とは?」
「闇の金環と言い、或いは、大邂逅と言う。それは―――金環食に他ならない」
「金環食?」
殆ど全員が声をそろえて、そう問うた。僕も例外ではない。初めて聞く単語だった。
「日食ですか……」
ただ一人、セシリアさんだけが、そう答えた。
「そう、その通りだ。星振学的な話になるが、月がその姿を変えるように、太陽もまた、欠けるときがあるのだ。それが日食というものだ。そして月で言うときの新月、その時こそ、金環食は現れる。それこそが、つまり闇の金環なのだよ」
「太陽が……欠けるんだって?」
言いながら、この世の終わりのような顔をするリーンシェラさん。それはそうだ。僕だって信じられない。
「それが普通の反応だな。だからクレソックも慌てたのだろう」
口元を微妙に歪めるディーガンさん。
「クレソックさんが?慌てる?」
「そうだ。例えばだ。ある日の日常、いきなり太陽が欠け始めたらどうなる?オマエたちがそうだったように、大概の者に取ってはまさに晴天の霹靂だ。間違いなくパニックとなる。だからこそ」
「クレソックさんは、ゴロツキや、暗殺ギルドを排除する必要があった」
僕が言葉を継ぐと、ディーガンさんは不機嫌そうに『そうだ』と短く言った。
なるほど。それこそが、クレソックさんの”計画”だったわけだ。勿論、言うとおりゴロツキや暗殺ギルドの排除は計画の一部にしか過ぎないのであろうけども。ただ、仮にこのウィルにパニックという事態に陥った場合、そうした要素はそのパニックを拡大し、或いは利用しようとする可能性が大きい。
おそらく、クレソックさんはそう懸念したのだろう。そして”計画”とは、そのパニックを未然に防ぐという策略の事に違いない。
「でも、日食なんて、そうそう起こるものではないですが……そんな、何時起こるかわからないものを待つほどに、ミランさんは……!」
せっぱ詰まったような表情でセシリアさんはディーガンさんに詰め寄る。最後まで言わなかったけれど、セシリアさんは言いたかったに違いない。ミランは、持たない、と。
だけど。
「シノブ?」
ディーガンさんが促す。僕は肯いた。
「金環食の来迎は今日です」
最早、疑いも、何も無かった。クレソックさんは言った。『明日、全てが決すだろう』と。リュウさんは言った『明後日、大邂逅という祭りがある』と。
それらの情報が、明日の―――いや、今日、闇の金環の来迎を告げている。また、僕の中にある意識すらも、近い将来のその顕現を予測していた。
「今日、です」
僕は繰り返した。繰り返しつつミランを見る。僕は全ての解を得た。もう焦らないし、逸らないし、決することもない。ただ、その瞬間を待てばいいだけだ。
「そう言うことだ。シノブ……ふぅ……私はもう帰って良いな?」
突然、ディーガンさんはそう言うと、すっと立ち上がり、すたすたと戸口へ向かった。
「え?ディーガンさん?」
言うのも聞かず、ドアを開ける。
「正直言って、話しすぎたし、働き過ぎだ。それに、もう私が出る幕は無かろう。リョウコもそれで良いんだな」
「え、あ、はい」
突然話を振られたリョウコさんは面食らったように慌てながら、うんうんと肯く。どう言って連れ出したかは定かではないけれど、確かにディーガンさんを連れ出したのはリョウコさんなのだ。
「それから、三人とも顔色が悪い。寝不足だな。女の寝不足は美容に悪い。寝た方がいい。バーホーテンは私が777まで連れ帰ろう。私としては、魔族の祭りとやらの方が興味がある。それではな」
そこまで一気に喋ると、ほんの一瞬だけディーガンさんはニヤリと笑い、さっさと部屋から出て行った。
いきなりのその行動に、ぽかあんと三人は面食らったように惚けている。どうやら、その笑顔の意味を解したのは僕だけのようだ。
「ディーガンさんも、ああ言う事ですし、どうぞリーンシェラさんも、セシリアさんも、リョウコさんもお休みになって下さい」
「え、シノブさんは……?」
「僕は夕刻まで寝ていましたから」
「そうだよなー」
リーンシェラさんが大きくのびをし、そして欠伸をした。思わず失笑してしまう。
「前まで僕が使っていた部屋で良ければ、ベッドが二つ在りますので、良ければそちらを使って下さい。どちらにしても今日は夜が明けるまで、僕は此処に居ますから」
「そ……か。じゃ、借りちゃうかな」
やはり、一番最初に立ち上がったのはリーンシェラさんだった。そうかといって、多分、朝からどころか昨日夜から起きっぱなしの彼女の事、事実疲れているように見える。
「ええ、どうぞ」
「じゃあ、私も……」
「そうですね。それなら、私もお借りしますわ」
「どうぞ、そうして下さい」
続いてリョウコさんセシリアさんと、席を立った。そのまま、口々に『無理すんなよ』とか『なにかあったら呼んで下さい』とか言いながら、部屋から出て行った。
扉が閉まると、部屋は不思議な静寂に満たされた。
僕はその異質さに部屋中を見回す。特になにも変わらない。
つまり、寂しくなったと言うことか。先ほどまでの衝撃的なのディーガンさんの話。そしてこの小さな部屋に集っていた全部で六人。
それが今や、眠るミランと僕しか居ない。
確かにその変化は劇的で、改めてその異質を知ったとしても、それは成る程と思う。
ただ、今はミランと、僕だけ。
良く考えてみれば、つい昨日までそうだったのだ。あの真昼のバルコニー。座る僕の前にはミランだけ。ただ、そこから、今この瞬間までの距離はあまりにも長かったように思える。振り返れば、それは懐かしささえ感じた。
目を瞑れば、フラッシュバックのように、笑うミランの顔を幾つも脳裏に甦らせることが出来る。それは昔日の面影のようにではなく、はっきりと、見うるのだ。
それだけに、心が痛んだ。
目を開ければ、やはりミランは笑うことなく、床に伏し、眉を寄せ、苦悶とも取れる表情で眠っているのだ。
僕はその額に浮かぶ汗を、そっとタオルで拭う。
「……」
とにかく、明日の話になる。今は、何を後悔しても始まらない。
全てが決し、ミランの顔に笑顔が戻り、何もかもが完了を迎えたときこそ―――ミラン―――僕は、キミに話したいことがたくさん有る。
それだけを、今は、想おう。
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