金環食をご一緒に
2.ごろつきとサムライ
『戦争が悪いんです。なにもかも』
帰りがけ、曲がりくねった細い道を歩きながら僕は女の子の言葉を反芻していた。もちろん色々有りながらも、手にはしっかり紙袋に入ったパンを持っている。
結局、彼女の提言通り大男を外に放り出し、そしてパンを貰って僕は早々に引き上げた。それでもその間、彼女の話を聞くことになった。なるべくには無関係を装いたかったが、話してくるモノは、聞かないわけにはいかない。
曰く、彼女の店は元々彼女の親父さんがやっていたらしい。しかし先の大戦で徴兵された親父さんは、遂に戦場から帰ってくるこはなかった。
よくあることだ。随分ドライなようだが、そう思うほどに、実際に良くある話だった。もちろんサンだとてそれは例外ではない。
『死んだって報は無いです……でも、こんなにも遅れていたら……やっぱり』
そう言った彼女の顔は意外に平静だった。彼女は母親を早くに亡くし、父一人子一人の構成だったという。つまりたった一人の肉親を無くしたのだ。その心中たるや、想像に絶する。僕はそんな彼女に何も言うことが出来なかった。
そして、今や店は「彼女だけの店」となった。とはいえ、表通りの繁華街。たった一人で店を切るには世間の風は強すぎる、ということなのだろう。そんな「彼女だけの店」を或いは全てを見逃さない世間の暗闇が、許すはずもない。
つまりは、そういうことだ。
「それにしても」
戦争が悪いんです、か。
僕は不思議とその言葉に引っかかりを憶えて、何度も心の中で繰り返した。そう言った彼女の顔も、妙に忘れることが出来ない。
僕はサムライだ。
戦争を前提として形成された戦闘集団の一人。ただ、今の今までそれが何であるか考えたことは一度もなかった。サムライである自分を疑うことなど一度もない、ただの一兵卒だった。
だからこそその言葉は、僕の胸に深く突き刺さった。なにもかも、そう、戦争のなにもかもが悪い。それならば。
だとしたら僕は―――ッ!
「わあッ!」
頭が考えるより早く体が反応した。背筋に感じた寒気。体をひねると同時に白刃が閃き、服を裂いた。辻斬り!?こんな場所で?
僕は本能的に手に持ったパンの入った紙袋をかばいつつ、足を振り上げて側宙。その場から距離を取る。
「ちぃッ!」
ようやくく視界にその襲撃者の姿を捉えた。大振りのナイフを振りかざすその姿は……先ほどの大男。そして、物陰から四人……五人。全部で六人。
「さっきはよくもやってくれたな……このガキ、殺してやる!」
と、大男。その顔には当然の如く怒りを露わにしている。先ほどの演技は何処へやら、まったくもって散文的に過ぎるそのセリフ。既に何もかもかなぐり捨てて、全くの素の感情をまき散らす。
これだけ人数をそろえた場合、大抵はそれなりに気持ちに余裕が出来る。すると、様式にそって「降参した方が身のためだ」とか何とか始まるものだが、それすらない。大男は完全に我を失っているようで、それは背後に控える他の五人と比べるとはっきりとわかる。つまり、他の五人は完全に僕をなめてかかっているようだった。
要するに大男も、他の連中もその程度ということだ。
僕は慎重に辺りを窺った。狭い裏路地。昼下がりなお暗く、人の気配はない。
どうしたものか。僕は少し迷った。全員叩きのめすことは出来なくもないと思っている。それに人通りもない。これなら誰かに迷惑をかけることもない。
だけど、逃げようと思えば逃げられる。無益な争いはサムライとして戒められていることでもあるし、人通りがないとはいえ、町中で争うことはどうしても抵抗があった。
わかっていた。最も正しい選択が後者であることを。でも、それでも、白刃が閃いたその瞬間から、心の奥底に有って浮かび上がってこようとする何かがある。それが、僕に「戦え」と告げていた。その何とも言えない奇妙な感覚に、僕は戸惑った。
「死ねえッ!」
その間隙をついて、大男はナイフを突きだしてきた。はっと我に返って、体を反らす。まさに油断していた僕は、そのナイフを避けそこなった。
「痛っ!」
左腕に炎で焼かれたような鋭い痛みがはしる。それでも歯を食いしばって二撃目を避けて間合いを取る。
左の二の腕を反射的に押さえた。傷は浅い。まさに己の不遜とするところの負傷。油断。自然と頭に血が上る。それにせせら笑うような大男の表情が、それに更に追い打ちをかけた。
心の中の何かが浮かび上がってくる。もはや押さえるべくもない……!
「調子に……」
その瞬間、ほとばしるような激情が腹の底から駆け上がってきて、自らの眼球を突き通した。一瞬にして本能が理性を覆い隠す。それに任せて僕は間合いを詰め、驚く大男の胸板に左手の手のひらを添えた。
「のるなあッ!」
裂帛の気合いを込めて、その添えた左手の上に右手の掌を打ち付けた。左の掌を見えない力が浸透し、そして突き抜けるのがわかった。
無刀合掌貫甲殺。
サムライの伝える無刀戦闘法の中でも奥義とされる。半人前な僕が使えるようなワザではないハズなのだが、その時は自然と体が動いた。
「ぐはあッ!」
ずしん、と、返す手のひらに感触が残った。打たれた大男はそれこそ鞠の様に宙を舞い、何人かを巻き添えにしながら大きな音を立てて背後の壁に叩きつけられ、そのまま糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
大きく息を吐く。突き上げる激情はそれだけでは収まりはしない。
「兄貴!」
取り巻きどもが叫ぶ。僕はその声に振り返った。無論、残った者とて容赦しない。全て殲滅する。
予想を超えた事態にうろたえる男達の間を走り抜けて、僕は次々とヤツらに拳をたたき込む。同時にいくつもの悲鳴が上がり、倒れ伏す男達。
「弱いッ!この程度かあッ!」
突き上がる衝動は、あっけない程に倒れた男達を葬り去るのみでは収まらなかった。戦場ですら味わったことのない興奮と激情が体を駆けめぐっている。辺りを見回す。心のどこかで残った理性が警鐘を鳴らしているが、その時は衝動がそれを上回った。既に敵は倒れるか、逃げるかしてすでに居ない。敵が欲しい、敵が。
「シノブッ!」
背後で近く、声がした。無意識にその声に向かって振り向くと同時に、拳を繰り出す。
完全に必殺の一撃だったそれは、しかしその対象を視界に納めると共に失速した。そこを手刀で払われた。
ぴしゃん
同時に両頬を軽く叩かれた。
「少年ッ!あたしだってば!わかる?!」
「アーリーさん……」
ハッキリしていたはずの意識は突然混濁へと変化した。めまいがして、微妙に目の焦点がぶれる。
「あ、あれ」
足下がふらついた。身体が思うように動かない。重い。いや、それよりも……
「アーリーさん、僕はどうして……」
何を、僕は。
続く言葉は声にならなかった。急速に意識が遠のいていく。一体何が、僕は、何を。
意識が深淵の暗闇に落ちる刹那、アーリーさんの声と、そしてもう一人、あのパン屋の女の子の声を聞いたような気がした。
風が吹く。緑萌える丘の上、木立の下。
―――ああ、また、あの夢だ。僕は直感する。
見上げるならば、どこまでも高く、澄んだ空。普通ならば安らぎを与えてくれる、その光景は常に不安と焦燥と、そして期待をもって見上げられる。
そして暗くなった。煌々と輝く闇の金環。ああ、今ならば。彼女と視線があう。僕は「………………」。約束を。
気付けば戦地へ向かう馬の騎上。騰がる鬨の声。レギオン。遠い戦地。ただ、忘れ得ぬ闇の金環。約束を。
地獄。くすぶり続ける炎。死体の山。男も女も子供も老人も。降り続ける弱い雨。突き立った槍。流れ続ける血。ああ、約束を。僕は―――約束を。
闇の金環に―――
「うわッ……たっ」
ベッドから跳ね起きた瞬間、鋭い痛みを覚えて腕を押さえた。そこには暗闇にあって尚映える真っ白い包帯が巻いてあった。少しの違和感を感じつつも、ほぼ最近の寝起きと同じ状態に、不思議と心は平静だ。
身体は例によって汗でびたびた。動悸も激しい。わき起こる、やるせなさ。何時もと変わらない。それでも、暫くそのままにしていると、やはり何か違和感がある。
「……?」
包帯。そう、包帯だ。
僕は改めて自分の二の腕を見た。それと同時に、その原因も思い出す。
僕は、そうだ、でも、どうしてココに……??
「ここはどこ?」
思わず口にしてしまう。もの凄く間抜けになった気分だ。僕は一人赤面しつつも、周りを見回した。
見たことある部屋だけど、777の二階じゃない。間取りは狭く、窓は一つ。底から見える空は曇っているけど、夜だと言うことは確認できる。
いや、やっぱりどこかで見たような……おや?
僕は寝ているベッドのハジに何かの影を認めて目を凝らした。どうも寝起きと外の明かりに惑わされて気付かなかったようだ。ショボショボとする目を凝らして、それを見る。
「わ」
それは人だった。僕は驚いて声を上げそうになるが、慌てて口を押さえた。そして改めてすーすーと寝息を立てはいるそれを確認した。
間違いない、あのパン屋の女の子だった。ベッドの縁にもたれかけて、寝ている。
「な、な、な……」
僕は自分でも器用だと思うが、静かに混乱しはじめた。夜、狭い部屋の中、一つのベットしかない場所に男女二人。現実はこの様だけど、キーワードだけ抜いていくなら随分アヤシイ状況だ。瞬間的に朝、レオンさんの言った言葉が脳裏に甦るが、僕はすぐに頭を振ってそれをうち消した。
それと同時に、突如この場所がどういう場所か、僕は脈絡もなく気付いた。そう、777一階のアーリーさんの寝室だった。なんでこんな場所に、と感ずる前に、まずいと直感する。この状況、他の常連のみんなに知られたら、どうなるかわかったもんじゃな―――
「うう……ん」
その瞬間、女の子がむずがるようにして寝返りをうった。あれだけわたわたしていたのだから当然と言えば、当然。しかし十分に混乱していた僕は、その事態に冷静に対応できなかった。
「わあっ!」
今度は口をふさぐのが間に合わなかった。それでも口を押さえ、そのままの格好で固まる。目の先で女の子がゆっくり起きあがるのを見つめつつ、僕は必至になってどうするべきか考えていた。
当然、良い考えは浮かばなかった。
「ふにゃ……あ」
目が合う。
「や、やあ」
間抜けな話も極まったような返事しかできない。わかってはいるが、どうしようもない僕の限界だ。情け無いったら……
「ああっ。シノブさん、起きられたんですねッ。大丈夫ですか?どこか痛いところは?熱、ないですか?大丈夫そうですね。よかった……私、シノブさんてっきり……うんん。もちろん大丈夫だって信じてたですよっ。それにしてもよく無事で……ああっ、汗ひどいですね。シャツがびっしょりですよーっ。風邪引いたらイケマセンっ。さあ、脱いで下さい!」
………………まいった。
彼女は目を合わすと同時に一息でそこまで喋りながら、ベッドによじ登ってきて、抱きついたり、手や頭に手を添えたりしつつも、最後はシャツを脱げ、と結んだ。
普通僕としては、慌てるシチュエーションではある。とはいうもののあまりにも女の子の勢いが凄かったから、恥ずかしいとか、慌てるとか、そういう心理を完全に追い越して、僕は妙に冷静になってしまった。
ただ、それだからこそ、どうしたらいいか迷った。
「え、えーと……」
でも、それは全くの杞憂だった。僕が言いよどんでいる側から、彼女の顔がみるみる赤らんでいく。どうしたんだろう、と思っている間に、赤くなった彼女の顔がこれ以上というトコロまで来ると、それははじけた。
「わ、わわ。ご、ゴメンナサイ。そんなシャツを脱げだなんて、私ったら。そうですよねこんな、見てるのに脱げるわけないですし。えと、はい。あっち向いてますから、どうぞ。脱いで下さいっ」
ぬいだ後、どうすれば良いんだろう。そう思いながらも、自分で言うとおり素直に向こうを向いている彼女に申し訳ないような気分になって、素直に僕はシャツを脱いだ。
「はい」
「あ、いいですか。それじゃですね…………」
振り向いた彼女は、予想通りそのまま凍り付いた。やっぱりね、と思う。妙な話だが予想通りなのが何故か微笑ましい。 彼女はそのまま暫く凍り付いていたが、未だ醒めやらぬ赤い顔を更に赤くしてその場で飛び上がった。
「ご、ご、ご」
ごめんなさい。思わず先を予測する。
「ゴメンナサイっ。そうでした、そうですよね!着替えがなかったら、結局一緒なのに私ったら……あうう、恥ずかしい。直ぐに着替え持ってきますから、ちょ、ちょっと待ってて下さいね……」
両手で顔を覆いつつ、女の子は入り口に走っていく。僕は不思議な気持ちでそれを目で追った。同時に、顔がにやけているのに気付いた僕は、ぴしゃんと自分の頬を叩く。それ自体に特に意味はないが、なんだか自分がいやらしい人間になったような気がしたからだ。
「はー、びっくり…………きゃああっ!」
と思っていたら、ドアを開ける音と何かが崩れ落ちた音、同時に彼女の悲鳴。すっかり気を抜いていた僕は、その音に身体をふるわせて振り返る。
「今度はなんだ?!」
驚いた彼女の足下に居たのは……ああ、もう。自分でも、手前の顔がしかめ面になるのが判る。
「いたいよーっ!おっさん、はやく退けって!」
「わりっ!リーシェ」
「大丈夫ですか?二人とも……」
リーンシェラさん、シゲサトさん、ああ、セシリアさんまで。ああ。
「何やってんですかっ!そこでっ!」
なんだかひどく頭が痛くなってきた。大声も出る。
そこに居たのは、常連客でもこーゆー事に関しては、直ぐ首を突っ込みたがる二人と、そしてもう一人、不思議系お姉さんだった。
「だってさー。来たら、おっさんが『シノブくんが女連れ込んでるぞ』って言うし」
リーンシェラさん。エルフの女の子だ。エルフだけに歳はわからないが、見た目、同い年のようにも見える。エルフなのに人懐っこく、何にでも首を突っ込みたがる。あえて言えば、火種があったら燃え上がらせずには済まないタイプともいう。
「だって、アーリーちゃんがそう言うし」
とか言うのはシゲサトさん。さっきも言ったように、同郷のローニンだ。おおよそ、この店で発生するトラブルの六割は、シゲサトさんがらみだったりする。そもそも店長であるアーリーさんを、ちゃん呼ばわり出来るのは、彼だけだ。
「二人がそう言ってましたから……私はその、止めようと」
最後は、セシリアさんだ。リーンシェラさんと同じエルフなのだが、森の人とも言われるその感じに、もっとも近い。少なくともリーンシェラさんよりは、遙かにそうだ。同じエルフだが、こうまで性格が違うのは、出身地の問題なんだろうか。
「ゆってたら、くるんかいッ!ああ、リーンシェラさんやシゲサトさんはともかく、セシリアさんまで!」
思わず語気荒くなる。めまいがしてきた。
「ともかくって、なんだよー」
「それはそれにして、シノブくん。なんでまた上半身裸になって……ふ、語るに落ちたとはまさにこの事か?」
「まあ、シノブさんったら。くすす」
「マジかよ、シノブ?」
「ちがわーーーーい!そもそも誰も語ってないじゃないですかっ!」
即座に否定してから気付く。この人達はわかって言っている。マトモに付き合ってはイケナイ。冷静になろう。
「いえ、あの。私が悪いんです。その、風邪をひいたら良くないからって……」
「まさか『一緒に暖めあおう』と?」
「げっ!シノブ、だいたーん!」
「ふふ、強引なのはよくないですわね」
「ちがうっつったら、何回言ったらわかるッスかっ!」
だめだ。この人達には敵わない。付き合ってはイケナイと、いまさっき誓ったばかりなのに。頭痛どころか頭が割れそうだ。そもそも件の女の子の連射トークに平気で割り込んでくるのだから、まあ、冷静に考えても勝ち目がない。僕などはそれ以前の問題だ。
「ところで、シノブ。やっぱり……きゃん!」
「あーッ。もう!うっさいったら!ほらほら寝た寝た!」
「うわっ、女将!」
と、そこに何時の間に現れたのか、アーリーさんが割り込んできた。さすがだ。やはり女将のカンロクというやつなのだろうか、三人を順々に外に追い出す。
「ほら少年も、ちゃんと服、着る。何時までも上半身裸じゃ、ホントに風邪ひいちゃうわよ!」
アーリーさんは三人を外に追い出して無情にもドアを閉めると、持っていたシャツを僕に投げて寄越した。一瞬呆然となるが、女の子が未だそこに居るのを見て、慌ててそれを着込む。
「むー、シノブ、後でちゃんと聞かせろよー」
閉じたドアの向こうで、そんな声が聞こえてくる。一体何を聞かせろと言うのだろう。
「ふう」
「い、いいですか?」
「イイも何も、始めッからどうもこうも」
ようやく目を覆った手を下ろしながら女の子が言うのを聞きとがめて、アーリーさんが呆れ顔で言う。そのままため息を付くと、アーリーさんは女の子に続けて言った。
「んじゃあサ。後はイイから、あたしに任せなよ」
「そんな……だって、その、あの、私、寝てたし……」
僕が言うのもアレだし、身も蓋もないようだけど、確かに寝てた。女の子はしどろもどろになって、うつむく。
「寝てたって、どれ位よ?あっおい顔してンじゃないのサ。いいからいいから。寝た寝た。二階に布団、ひいてッから」
「は、はい」
さっぱり気付かなかったが、よく目を凝らしてみると、本当に女の子は青白い顔をしていた。改めては、立ってなお微妙にふらついている。気付かなかった僕は……バカだ。臍を噛む思いに駆られる。看病してくれてたのだ。それぐらいのことを気付かないなんて……!
「そ、それじゃあ、ゴメンナサイ……お休みなさい。シノブさん、アーリーさん、お願いします」
「うん……おやすみ……あ」
言おうとして、僕はそれまで全くその重要なことについて、知らない自分に気付いた。どうしよう。聞くべきか、でも今更な……ええい。失礼じゃないか。
「ねえ」
「はい?」
少し言いよどむ。ああ。もう。僕は……!
「あ……その、僕はキミの名前も知らないと思って」
言うと、女の子はちょとだけびっくりしたような顔になった。アーリーさんはアーリーさんであからさまな渋面を作る。あう。
それでも、女の子はちょっと青白い顔に笑みを浮かべて、言った。
「私、私は、ミラン。ミラン・トレンティアです」
「看病してくれたんだね。有り難う、ミラン」
素直にそう言った。すると、ミランは先ほどよりも、一層の笑みを―――
「はい!」
「あーもー、そこまで唐変木だとは思わなかったわよ。あたしゃ」
ミランが出ていった後、アーリーさんは早速僕に向かってそう言った。言いながら、僕の腕に捲いた包帯をグルグルと回して、取る。
「それは、スイマセンね。それよりも僕はどうしたんですか?あの後。それになんでアーリーさんあの場に?」
出来るだけ神妙な顔つきを装いながら、今更ながらに聞く。聞くが、どうもさっきから妙に胸が暖かい。じわっと何かが湧いてくる。それと共に、何故か口元がほころびそうになるのを僕は唇を軽く噛んで堪えた。何となくアーリーさんに見られたくないような気がしたからだ。
「あー、あン時?いやだってサ。アンタの帰りがあんま遅いから、わざわざミランのトコまで出向いたのよ。したら少年帰ったッて言うし、なんか物騒な話もしてるし。だから、二人で探してたってワケ」
何かの葉っぱをくしゃくしゃと潰しながら、アーリーさんは続ける。
「ンでサ。探したら探したで、案の定あんなカンジでしょ。そんでもって、アンタ、倒れちゃってさあ、大変だったのよ。アンタはともかく、その辺に転がったバカとか始末したりするし、ミランは泣いちゃうし」
包帯を取り終わった。僕はそれを見て一瞬ぎょっとする。切り傷はさほどでもないが、それを中心に随分患部は腫れていて、そして紫色に変色していた。
「毒……!」
「ん?そう、結構ヤバめなやつだったみたい。リョーコちゃん居なかったら大変だったって。後で礼言っときなさいよ」
リョウコさんと言うと……レオンさんが夢のことを相談しろと言っていたなと、少しあの夢のことが頭に浮かんだが、今は黙っていることにした。
アーリーさんは別にその辺りのことを気付く風でもなく、さきほどくしゃくしゃにした葉っぱを腫れた場所に張り付ける。少し滲みる。
「はい。それと、その、あの……襲ってきた人達は……?」
どうもその時のことを思い出すと、ぼんやりとしか思い出せないのだけど、それでも最初にナイフを振り回した大男。ヘタをすると死んでいるのかもしれない。
「ま、エライ重傷なの居たけども。大丈夫でしょ?全員まとめて警邏につきだしてやったわよ。ま、その辺はあたしに礼をいいなさいよね、ハイ!」
新しい包帯を捲き終わったアーリーさんは、そう結んで立ち上がった。
「あ、ありがとうござ……」
「それにしたってサ。アンタ、なんか何時の間にあんな強くなったのよ……徒手空拳であんなの、滅多聞かないわね。なんか、あったンじゃない?」
真剣な顔を近づけて、目をのぞき込むアーリーさん。さすがに鋭い。別段悪いことはしてないはずなのに、顔が引きつる。しかしかといって、本当のことは僕にもよくわからないし。
「ま、いーわ。どっちにしてもそんな傷負うよーじゃ、まだまだッて事だし、腫れが引くまでおとなしくしてる事ね」
「はあ」
間の抜けた返事。でもそれしかでない。 本当に、訳が分からなかったからだ。ここ数日、あの夢を見始めてからどうも調子が良いというか、おかしい。無闇やたらに身体中に力が駆けめぐっているような、それでいて、それが自分のモノでないような……。
「あ、そうそう。それからサ。傷が治ったら、トレンティアに詰めてね。色々有るみたいだからさァ。守ってやんないと、やっぱり」
「え?」
突然の事に、思わず聞き返す。
「なーに?守ってあげないの?」
怪訝な顔したアーリーさん。かと思うと、イキナリ、ふ、と思い至ったような顔になって詰め寄ってきた。
「わ!?」
「それよりさあ、アンタ、どう思う?」
「ど、ど、どう思うって……」
顔が引きつる。何度そうさせたら気が済むのだろう……。
「そりゃ、アンタ、ミランの事よ。ねえ、どうなワケ?」
下世話も下世話。好奇心一杯な顔して聞いてくるアーリーさん。
「どう……って」
どうなんだろう。瞬間的に、頭の中に僕が『ありがとう』と言ったときに見せた、あのミランの笑みが頭の中に甦る。妙に暖かい、あの笑み。再びあの湧いてくる何かが精神を浸す。
「変な子です」
顔にそれが現れる前に、僕は言った。予想通り、アーリーさんはやれやれという表情になって、僕から離れる。危ないところだった、と思う。本当に危ないところだった…………何が?
「あーあ、ま、少年じゃ、そんなもンか。あの子も大変だわね」
なにが大変なんだか。
「とにかく、もうちょっとゆっくり寝てなさいな。あたしも……ふああ、あ……寝るから……それじゃ、お休み……」
朝まではどれくらいなんだろう。
誰も居なくなったその部屋で、僕はベッドに潜り込みながらも、窓から見える空を見てそう思った。外は、未だ、暗い。
妙に、僕は興奮している。まだ、胸に何か暖かいものが湧いていて、それが心を浸していく。ああ、あの笑みが……一人になると堪える必要もない。
僕はベッドの中でクスクスと笑った。笑わずには居られない。それほどの原因不明の幸せが全身を支配している。寝られそうもない。今日はあの夢も見ないのだろう。
何故なんだろう、何故。僕は。
僕は……変だ。
帰りがけ、曲がりくねった細い道を歩きながら僕は女の子の言葉を反芻していた。もちろん色々有りながらも、手にはしっかり紙袋に入ったパンを持っている。
結局、彼女の提言通り大男を外に放り出し、そしてパンを貰って僕は早々に引き上げた。それでもその間、彼女の話を聞くことになった。なるべくには無関係を装いたかったが、話してくるモノは、聞かないわけにはいかない。
曰く、彼女の店は元々彼女の親父さんがやっていたらしい。しかし先の大戦で徴兵された親父さんは、遂に戦場から帰ってくるこはなかった。
よくあることだ。随分ドライなようだが、そう思うほどに、実際に良くある話だった。もちろんサンだとてそれは例外ではない。
『死んだって報は無いです……でも、こんなにも遅れていたら……やっぱり』
そう言った彼女の顔は意外に平静だった。彼女は母親を早くに亡くし、父一人子一人の構成だったという。つまりたった一人の肉親を無くしたのだ。その心中たるや、想像に絶する。僕はそんな彼女に何も言うことが出来なかった。
そして、今や店は「彼女だけの店」となった。とはいえ、表通りの繁華街。たった一人で店を切るには世間の風は強すぎる、ということなのだろう。そんな「彼女だけの店」を或いは全てを見逃さない世間の暗闇が、許すはずもない。
つまりは、そういうことだ。
「それにしても」
戦争が悪いんです、か。
僕は不思議とその言葉に引っかかりを憶えて、何度も心の中で繰り返した。そう言った彼女の顔も、妙に忘れることが出来ない。
僕はサムライだ。
戦争を前提として形成された戦闘集団の一人。ただ、今の今までそれが何であるか考えたことは一度もなかった。サムライである自分を疑うことなど一度もない、ただの一兵卒だった。
だからこそその言葉は、僕の胸に深く突き刺さった。なにもかも、そう、戦争のなにもかもが悪い。それならば。
だとしたら僕は―――ッ!
「わあッ!」
頭が考えるより早く体が反応した。背筋に感じた寒気。体をひねると同時に白刃が閃き、服を裂いた。辻斬り!?こんな場所で?
僕は本能的に手に持ったパンの入った紙袋をかばいつつ、足を振り上げて側宙。その場から距離を取る。
「ちぃッ!」
ようやくく視界にその襲撃者の姿を捉えた。大振りのナイフを振りかざすその姿は……先ほどの大男。そして、物陰から四人……五人。全部で六人。
「さっきはよくもやってくれたな……このガキ、殺してやる!」
と、大男。その顔には当然の如く怒りを露わにしている。先ほどの演技は何処へやら、まったくもって散文的に過ぎるそのセリフ。既に何もかもかなぐり捨てて、全くの素の感情をまき散らす。
これだけ人数をそろえた場合、大抵はそれなりに気持ちに余裕が出来る。すると、様式にそって「降参した方が身のためだ」とか何とか始まるものだが、それすらない。大男は完全に我を失っているようで、それは背後に控える他の五人と比べるとはっきりとわかる。つまり、他の五人は完全に僕をなめてかかっているようだった。
要するに大男も、他の連中もその程度ということだ。
僕は慎重に辺りを窺った。狭い裏路地。昼下がりなお暗く、人の気配はない。
どうしたものか。僕は少し迷った。全員叩きのめすことは出来なくもないと思っている。それに人通りもない。これなら誰かに迷惑をかけることもない。
だけど、逃げようと思えば逃げられる。無益な争いはサムライとして戒められていることでもあるし、人通りがないとはいえ、町中で争うことはどうしても抵抗があった。
わかっていた。最も正しい選択が後者であることを。でも、それでも、白刃が閃いたその瞬間から、心の奥底に有って浮かび上がってこようとする何かがある。それが、僕に「戦え」と告げていた。その何とも言えない奇妙な感覚に、僕は戸惑った。
「死ねえッ!」
その間隙をついて、大男はナイフを突きだしてきた。はっと我に返って、体を反らす。まさに油断していた僕は、そのナイフを避けそこなった。
「痛っ!」
左腕に炎で焼かれたような鋭い痛みがはしる。それでも歯を食いしばって二撃目を避けて間合いを取る。
左の二の腕を反射的に押さえた。傷は浅い。まさに己の不遜とするところの負傷。油断。自然と頭に血が上る。それにせせら笑うような大男の表情が、それに更に追い打ちをかけた。
心の中の何かが浮かび上がってくる。もはや押さえるべくもない……!
「調子に……」
その瞬間、ほとばしるような激情が腹の底から駆け上がってきて、自らの眼球を突き通した。一瞬にして本能が理性を覆い隠す。それに任せて僕は間合いを詰め、驚く大男の胸板に左手の手のひらを添えた。
「のるなあッ!」
裂帛の気合いを込めて、その添えた左手の上に右手の掌を打ち付けた。左の掌を見えない力が浸透し、そして突き抜けるのがわかった。
無刀合掌貫甲殺。
サムライの伝える無刀戦闘法の中でも奥義とされる。半人前な僕が使えるようなワザではないハズなのだが、その時は自然と体が動いた。
「ぐはあッ!」
ずしん、と、返す手のひらに感触が残った。打たれた大男はそれこそ鞠の様に宙を舞い、何人かを巻き添えにしながら大きな音を立てて背後の壁に叩きつけられ、そのまま糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
大きく息を吐く。突き上げる激情はそれだけでは収まりはしない。
「兄貴!」
取り巻きどもが叫ぶ。僕はその声に振り返った。無論、残った者とて容赦しない。全て殲滅する。
予想を超えた事態にうろたえる男達の間を走り抜けて、僕は次々とヤツらに拳をたたき込む。同時にいくつもの悲鳴が上がり、倒れ伏す男達。
「弱いッ!この程度かあッ!」
突き上がる衝動は、あっけない程に倒れた男達を葬り去るのみでは収まらなかった。戦場ですら味わったことのない興奮と激情が体を駆けめぐっている。辺りを見回す。心のどこかで残った理性が警鐘を鳴らしているが、その時は衝動がそれを上回った。既に敵は倒れるか、逃げるかしてすでに居ない。敵が欲しい、敵が。
「シノブッ!」
背後で近く、声がした。無意識にその声に向かって振り向くと同時に、拳を繰り出す。
完全に必殺の一撃だったそれは、しかしその対象を視界に納めると共に失速した。そこを手刀で払われた。
ぴしゃん
同時に両頬を軽く叩かれた。
「少年ッ!あたしだってば!わかる?!」
「アーリーさん……」
ハッキリしていたはずの意識は突然混濁へと変化した。めまいがして、微妙に目の焦点がぶれる。
「あ、あれ」
足下がふらついた。身体が思うように動かない。重い。いや、それよりも……
「アーリーさん、僕はどうして……」
何を、僕は。
続く言葉は声にならなかった。急速に意識が遠のいていく。一体何が、僕は、何を。
意識が深淵の暗闇に落ちる刹那、アーリーさんの声と、そしてもう一人、あのパン屋の女の子の声を聞いたような気がした。
風が吹く。緑萌える丘の上、木立の下。
―――ああ、また、あの夢だ。僕は直感する。
見上げるならば、どこまでも高く、澄んだ空。普通ならば安らぎを与えてくれる、その光景は常に不安と焦燥と、そして期待をもって見上げられる。
そして暗くなった。煌々と輝く闇の金環。ああ、今ならば。彼女と視線があう。僕は「………………」。約束を。
気付けば戦地へ向かう馬の騎上。騰がる鬨の声。レギオン。遠い戦地。ただ、忘れ得ぬ闇の金環。約束を。
地獄。くすぶり続ける炎。死体の山。男も女も子供も老人も。降り続ける弱い雨。突き立った槍。流れ続ける血。ああ、約束を。僕は―――約束を。
闇の金環に―――
「うわッ……たっ」
ベッドから跳ね起きた瞬間、鋭い痛みを覚えて腕を押さえた。そこには暗闇にあって尚映える真っ白い包帯が巻いてあった。少しの違和感を感じつつも、ほぼ最近の寝起きと同じ状態に、不思議と心は平静だ。
身体は例によって汗でびたびた。動悸も激しい。わき起こる、やるせなさ。何時もと変わらない。それでも、暫くそのままにしていると、やはり何か違和感がある。
「……?」
包帯。そう、包帯だ。
僕は改めて自分の二の腕を見た。それと同時に、その原因も思い出す。
僕は、そうだ、でも、どうしてココに……??
「ここはどこ?」
思わず口にしてしまう。もの凄く間抜けになった気分だ。僕は一人赤面しつつも、周りを見回した。
見たことある部屋だけど、777の二階じゃない。間取りは狭く、窓は一つ。底から見える空は曇っているけど、夜だと言うことは確認できる。
いや、やっぱりどこかで見たような……おや?
僕は寝ているベッドのハジに何かの影を認めて目を凝らした。どうも寝起きと外の明かりに惑わされて気付かなかったようだ。ショボショボとする目を凝らして、それを見る。
「わ」
それは人だった。僕は驚いて声を上げそうになるが、慌てて口を押さえた。そして改めてすーすーと寝息を立てはいるそれを確認した。
間違いない、あのパン屋の女の子だった。ベッドの縁にもたれかけて、寝ている。
「な、な、な……」
僕は自分でも器用だと思うが、静かに混乱しはじめた。夜、狭い部屋の中、一つのベットしかない場所に男女二人。現実はこの様だけど、キーワードだけ抜いていくなら随分アヤシイ状況だ。瞬間的に朝、レオンさんの言った言葉が脳裏に甦るが、僕はすぐに頭を振ってそれをうち消した。
それと同時に、突如この場所がどういう場所か、僕は脈絡もなく気付いた。そう、777一階のアーリーさんの寝室だった。なんでこんな場所に、と感ずる前に、まずいと直感する。この状況、他の常連のみんなに知られたら、どうなるかわかったもんじゃな―――
「うう……ん」
その瞬間、女の子がむずがるようにして寝返りをうった。あれだけわたわたしていたのだから当然と言えば、当然。しかし十分に混乱していた僕は、その事態に冷静に対応できなかった。
「わあっ!」
今度は口をふさぐのが間に合わなかった。それでも口を押さえ、そのままの格好で固まる。目の先で女の子がゆっくり起きあがるのを見つめつつ、僕は必至になってどうするべきか考えていた。
当然、良い考えは浮かばなかった。
「ふにゃ……あ」
目が合う。
「や、やあ」
間抜けな話も極まったような返事しかできない。わかってはいるが、どうしようもない僕の限界だ。情け無いったら……
「ああっ。シノブさん、起きられたんですねッ。大丈夫ですか?どこか痛いところは?熱、ないですか?大丈夫そうですね。よかった……私、シノブさんてっきり……うんん。もちろん大丈夫だって信じてたですよっ。それにしてもよく無事で……ああっ、汗ひどいですね。シャツがびっしょりですよーっ。風邪引いたらイケマセンっ。さあ、脱いで下さい!」
………………まいった。
彼女は目を合わすと同時に一息でそこまで喋りながら、ベッドによじ登ってきて、抱きついたり、手や頭に手を添えたりしつつも、最後はシャツを脱げ、と結んだ。
普通僕としては、慌てるシチュエーションではある。とはいうもののあまりにも女の子の勢いが凄かったから、恥ずかしいとか、慌てるとか、そういう心理を完全に追い越して、僕は妙に冷静になってしまった。
ただ、それだからこそ、どうしたらいいか迷った。
「え、えーと……」
でも、それは全くの杞憂だった。僕が言いよどんでいる側から、彼女の顔がみるみる赤らんでいく。どうしたんだろう、と思っている間に、赤くなった彼女の顔がこれ以上というトコロまで来ると、それははじけた。
「わ、わわ。ご、ゴメンナサイ。そんなシャツを脱げだなんて、私ったら。そうですよねこんな、見てるのに脱げるわけないですし。えと、はい。あっち向いてますから、どうぞ。脱いで下さいっ」
ぬいだ後、どうすれば良いんだろう。そう思いながらも、自分で言うとおり素直に向こうを向いている彼女に申し訳ないような気分になって、素直に僕はシャツを脱いだ。
「はい」
「あ、いいですか。それじゃですね…………」
振り向いた彼女は、予想通りそのまま凍り付いた。やっぱりね、と思う。妙な話だが予想通りなのが何故か微笑ましい。 彼女はそのまま暫く凍り付いていたが、未だ醒めやらぬ赤い顔を更に赤くしてその場で飛び上がった。
「ご、ご、ご」
ごめんなさい。思わず先を予測する。
「ゴメンナサイっ。そうでした、そうですよね!着替えがなかったら、結局一緒なのに私ったら……あうう、恥ずかしい。直ぐに着替え持ってきますから、ちょ、ちょっと待ってて下さいね……」
両手で顔を覆いつつ、女の子は入り口に走っていく。僕は不思議な気持ちでそれを目で追った。同時に、顔がにやけているのに気付いた僕は、ぴしゃんと自分の頬を叩く。それ自体に特に意味はないが、なんだか自分がいやらしい人間になったような気がしたからだ。
「はー、びっくり…………きゃああっ!」
と思っていたら、ドアを開ける音と何かが崩れ落ちた音、同時に彼女の悲鳴。すっかり気を抜いていた僕は、その音に身体をふるわせて振り返る。
「今度はなんだ?!」
驚いた彼女の足下に居たのは……ああ、もう。自分でも、手前の顔がしかめ面になるのが判る。
「いたいよーっ!おっさん、はやく退けって!」
「わりっ!リーシェ」
「大丈夫ですか?二人とも……」
リーンシェラさん、シゲサトさん、ああ、セシリアさんまで。ああ。
「何やってんですかっ!そこでっ!」
なんだかひどく頭が痛くなってきた。大声も出る。
そこに居たのは、常連客でもこーゆー事に関しては、直ぐ首を突っ込みたがる二人と、そしてもう一人、不思議系お姉さんだった。
「だってさー。来たら、おっさんが『シノブくんが女連れ込んでるぞ』って言うし」
リーンシェラさん。エルフの女の子だ。エルフだけに歳はわからないが、見た目、同い年のようにも見える。エルフなのに人懐っこく、何にでも首を突っ込みたがる。あえて言えば、火種があったら燃え上がらせずには済まないタイプともいう。
「だって、アーリーちゃんがそう言うし」
とか言うのはシゲサトさん。さっきも言ったように、同郷のローニンだ。おおよそ、この店で発生するトラブルの六割は、シゲサトさんがらみだったりする。そもそも店長であるアーリーさんを、ちゃん呼ばわり出来るのは、彼だけだ。
「二人がそう言ってましたから……私はその、止めようと」
最後は、セシリアさんだ。リーンシェラさんと同じエルフなのだが、森の人とも言われるその感じに、もっとも近い。少なくともリーンシェラさんよりは、遙かにそうだ。同じエルフだが、こうまで性格が違うのは、出身地の問題なんだろうか。
「ゆってたら、くるんかいッ!ああ、リーンシェラさんやシゲサトさんはともかく、セシリアさんまで!」
思わず語気荒くなる。めまいがしてきた。
「ともかくって、なんだよー」
「それはそれにして、シノブくん。なんでまた上半身裸になって……ふ、語るに落ちたとはまさにこの事か?」
「まあ、シノブさんったら。くすす」
「マジかよ、シノブ?」
「ちがわーーーーい!そもそも誰も語ってないじゃないですかっ!」
即座に否定してから気付く。この人達はわかって言っている。マトモに付き合ってはイケナイ。冷静になろう。
「いえ、あの。私が悪いんです。その、風邪をひいたら良くないからって……」
「まさか『一緒に暖めあおう』と?」
「げっ!シノブ、だいたーん!」
「ふふ、強引なのはよくないですわね」
「ちがうっつったら、何回言ったらわかるッスかっ!」
だめだ。この人達には敵わない。付き合ってはイケナイと、いまさっき誓ったばかりなのに。頭痛どころか頭が割れそうだ。そもそも件の女の子の連射トークに平気で割り込んでくるのだから、まあ、冷静に考えても勝ち目がない。僕などはそれ以前の問題だ。
「ところで、シノブ。やっぱり……きゃん!」
「あーッ。もう!うっさいったら!ほらほら寝た寝た!」
「うわっ、女将!」
と、そこに何時の間に現れたのか、アーリーさんが割り込んできた。さすがだ。やはり女将のカンロクというやつなのだろうか、三人を順々に外に追い出す。
「ほら少年も、ちゃんと服、着る。何時までも上半身裸じゃ、ホントに風邪ひいちゃうわよ!」
アーリーさんは三人を外に追い出して無情にもドアを閉めると、持っていたシャツを僕に投げて寄越した。一瞬呆然となるが、女の子が未だそこに居るのを見て、慌ててそれを着込む。
「むー、シノブ、後でちゃんと聞かせろよー」
閉じたドアの向こうで、そんな声が聞こえてくる。一体何を聞かせろと言うのだろう。
「ふう」
「い、いいですか?」
「イイも何も、始めッからどうもこうも」
ようやく目を覆った手を下ろしながら女の子が言うのを聞きとがめて、アーリーさんが呆れ顔で言う。そのままため息を付くと、アーリーさんは女の子に続けて言った。
「んじゃあサ。後はイイから、あたしに任せなよ」
「そんな……だって、その、あの、私、寝てたし……」
僕が言うのもアレだし、身も蓋もないようだけど、確かに寝てた。女の子はしどろもどろになって、うつむく。
「寝てたって、どれ位よ?あっおい顔してンじゃないのサ。いいからいいから。寝た寝た。二階に布団、ひいてッから」
「は、はい」
さっぱり気付かなかったが、よく目を凝らしてみると、本当に女の子は青白い顔をしていた。改めては、立ってなお微妙にふらついている。気付かなかった僕は……バカだ。臍を噛む思いに駆られる。看病してくれてたのだ。それぐらいのことを気付かないなんて……!
「そ、それじゃあ、ゴメンナサイ……お休みなさい。シノブさん、アーリーさん、お願いします」
「うん……おやすみ……あ」
言おうとして、僕はそれまで全くその重要なことについて、知らない自分に気付いた。どうしよう。聞くべきか、でも今更な……ええい。失礼じゃないか。
「ねえ」
「はい?」
少し言いよどむ。ああ。もう。僕は……!
「あ……その、僕はキミの名前も知らないと思って」
言うと、女の子はちょとだけびっくりしたような顔になった。アーリーさんはアーリーさんであからさまな渋面を作る。あう。
それでも、女の子はちょっと青白い顔に笑みを浮かべて、言った。
「私、私は、ミラン。ミラン・トレンティアです」
「看病してくれたんだね。有り難う、ミラン」
素直にそう言った。すると、ミランは先ほどよりも、一層の笑みを―――
「はい!」
「あーもー、そこまで唐変木だとは思わなかったわよ。あたしゃ」
ミランが出ていった後、アーリーさんは早速僕に向かってそう言った。言いながら、僕の腕に捲いた包帯をグルグルと回して、取る。
「それは、スイマセンね。それよりも僕はどうしたんですか?あの後。それになんでアーリーさんあの場に?」
出来るだけ神妙な顔つきを装いながら、今更ながらに聞く。聞くが、どうもさっきから妙に胸が暖かい。じわっと何かが湧いてくる。それと共に、何故か口元がほころびそうになるのを僕は唇を軽く噛んで堪えた。何となくアーリーさんに見られたくないような気がしたからだ。
「あー、あン時?いやだってサ。アンタの帰りがあんま遅いから、わざわざミランのトコまで出向いたのよ。したら少年帰ったッて言うし、なんか物騒な話もしてるし。だから、二人で探してたってワケ」
何かの葉っぱをくしゃくしゃと潰しながら、アーリーさんは続ける。
「ンでサ。探したら探したで、案の定あんなカンジでしょ。そんでもって、アンタ、倒れちゃってさあ、大変だったのよ。アンタはともかく、その辺に転がったバカとか始末したりするし、ミランは泣いちゃうし」
包帯を取り終わった。僕はそれを見て一瞬ぎょっとする。切り傷はさほどでもないが、それを中心に随分患部は腫れていて、そして紫色に変色していた。
「毒……!」
「ん?そう、結構ヤバめなやつだったみたい。リョーコちゃん居なかったら大変だったって。後で礼言っときなさいよ」
リョウコさんと言うと……レオンさんが夢のことを相談しろと言っていたなと、少しあの夢のことが頭に浮かんだが、今は黙っていることにした。
アーリーさんは別にその辺りのことを気付く風でもなく、さきほどくしゃくしゃにした葉っぱを腫れた場所に張り付ける。少し滲みる。
「はい。それと、その、あの……襲ってきた人達は……?」
どうもその時のことを思い出すと、ぼんやりとしか思い出せないのだけど、それでも最初にナイフを振り回した大男。ヘタをすると死んでいるのかもしれない。
「ま、エライ重傷なの居たけども。大丈夫でしょ?全員まとめて警邏につきだしてやったわよ。ま、その辺はあたしに礼をいいなさいよね、ハイ!」
新しい包帯を捲き終わったアーリーさんは、そう結んで立ち上がった。
「あ、ありがとうござ……」
「それにしたってサ。アンタ、なんか何時の間にあんな強くなったのよ……徒手空拳であんなの、滅多聞かないわね。なんか、あったンじゃない?」
真剣な顔を近づけて、目をのぞき込むアーリーさん。さすがに鋭い。別段悪いことはしてないはずなのに、顔が引きつる。しかしかといって、本当のことは僕にもよくわからないし。
「ま、いーわ。どっちにしてもそんな傷負うよーじゃ、まだまだッて事だし、腫れが引くまでおとなしくしてる事ね」
「はあ」
間の抜けた返事。でもそれしかでない。 本当に、訳が分からなかったからだ。ここ数日、あの夢を見始めてからどうも調子が良いというか、おかしい。無闇やたらに身体中に力が駆けめぐっているような、それでいて、それが自分のモノでないような……。
「あ、そうそう。それからサ。傷が治ったら、トレンティアに詰めてね。色々有るみたいだからさァ。守ってやんないと、やっぱり」
「え?」
突然の事に、思わず聞き返す。
「なーに?守ってあげないの?」
怪訝な顔したアーリーさん。かと思うと、イキナリ、ふ、と思い至ったような顔になって詰め寄ってきた。
「わ!?」
「それよりさあ、アンタ、どう思う?」
「ど、ど、どう思うって……」
顔が引きつる。何度そうさせたら気が済むのだろう……。
「そりゃ、アンタ、ミランの事よ。ねえ、どうなワケ?」
下世話も下世話。好奇心一杯な顔して聞いてくるアーリーさん。
「どう……って」
どうなんだろう。瞬間的に、頭の中に僕が『ありがとう』と言ったときに見せた、あのミランの笑みが頭の中に甦る。妙に暖かい、あの笑み。再びあの湧いてくる何かが精神を浸す。
「変な子です」
顔にそれが現れる前に、僕は言った。予想通り、アーリーさんはやれやれという表情になって、僕から離れる。危ないところだった、と思う。本当に危ないところだった…………何が?
「あーあ、ま、少年じゃ、そんなもンか。あの子も大変だわね」
なにが大変なんだか。
「とにかく、もうちょっとゆっくり寝てなさいな。あたしも……ふああ、あ……寝るから……それじゃ、お休み……」
朝まではどれくらいなんだろう。
誰も居なくなったその部屋で、僕はベッドに潜り込みながらも、窓から見える空を見てそう思った。外は、未だ、暗い。
妙に、僕は興奮している。まだ、胸に何か暖かいものが湧いていて、それが心を浸していく。ああ、あの笑みが……一人になると堪える必要もない。
僕はベッドの中でクスクスと笑った。笑わずには居られない。それほどの原因不明の幸せが全身を支配している。寝られそうもない。今日はあの夢も見ないのだろう。
何故なんだろう、何故。僕は。
僕は……変だ。
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